白い竜への報告
抜けるように青い空。街を行く人々の声が通り過ぎて行く。ここは風の国サフィリア、俺たちの旅のはじまりの街だ。クレインたちとはこの港町の喫茶店で待ち合わせていた。
待っている間頼んだ菓子を頬張る。風の国では今プディングなる菓子が流行っているらしい。プディングとは卵と砂糖、牛乳で作った甘い生地にパンを沈めた菓子だ。そこに果物が彩りよく盛られていて目にも楽しい。
「これ、うまいな」
「あんた、こういう菓子が好きなのか」
「ああ、果物が好きなんだ。カイは」
「…焼き菓子が一番美味い」
今までこういう会話をすることもなかった。そもそものんびりできる時間がなかったというべきか。神竜との戦いは終わった。敵討ちも平穏を守る戦いももうしなくていい。
幼なじみの呪いも解けた。自分の呪いも魔力が溜まり次第解くつもりだ。もうひとりの幼なじみにも呪いが解けたことは『遠話』で伝えた。今頃はもう向こうに文が届いているだろう。
つまり現在、急いでなすべきことはないのだ。それが今の余裕を生んでいた。
喫茶店の扉が開く音がする。チリンチリンと鈴が鳴る。振り返る。浅葱色の髪の女と目があった。
「あ!ソラ殿、カイ殿!」
「イチゴ、久しぶりだな」
イチゴの表情が華やぐ。手を振ると照れたように振り返された。彼女がスカートを揺らして歩いてくる。その後ろを白い男がゆったりとした足取りで続く。
「よお、カイ坊、ソラ嬢。目標は達成できたみたいだな」
クレインがニッと笑う。そのまま相棒の隣に腰を下ろした。相棒が迷惑そうに眉を寄せる。拒否はしない。嫌ではないのだろう。ただ少しうざったいだけで。
この男は普段は過度の干渉を嫌う。その気質をわかっていてなお馴れ合おうとするのだから、目の前の相棒の昔馴染みはすごいと思える。…真似するつもりはないが。
「隣、失礼する」
「ああ。…イチゴも何か頼むか」
「ええ、そうします。私は…このベリーパンケーキが食べてみたいですな」
「確かに美味しそうだ」
おすすめメニューを見たイチゴが目を輝かせる。描かれた菓子はパンケーキの上にアイスを乗せ、ベリーの実が入ったソースをかけた鮮やかな赤い菓子だ。
実は今食べているプディングと悩んだ一品である。
「なら私はこれにします。クレイン殿はどうしますか?」
「俺は紅茶だけでいい。それよりカイ坊、俺の片割れのことなんだが…」
白い男がチラリと俺を見る。なぜ、とトパーズが問いかけてくる。もうばれたようだ。相棒に視線を向ける。男の瞳に諦めと決意の色が宿る。ため息が落ちる。
「…あんたの片割れは俺たちの子として生まれてくる」
「…はい?」
「…神竜は死んだ後、魂だけとなって俺の体に入り込んだんだ。俺の子として生まれると。父親になる男は今探して…」
「父親は俺がなる」
相棒が俺の言葉を遮り割り込む。思わず男の方を見る。眉間に深いシワが寄っている。
眉を寄せるほど神竜の父親になるのは嫌なんじゃないのか。それに何と言っても相手がこの俺だ。
「カイ、無理はしなくていい」
「無理してない。あんたと番うのは俺ひとりで十分だ」
首を横に振られる。神竜の魂を腹に宿してからずっとこんな感じだ。何がそうさせるのか、父親役だけはずっと譲るつもりがないらしい。相棒にとって神竜は村を滅ぼし、姉の平穏を壊す可能性がある憎い相手だった。それでも同族を見捨てられないのか。優しすぎないか。
相棒の優しさに呆れる。対してクレインは顔を険しくさせていた。
「お前さんの体の中にブリスの魂があるのか」
「…?ああ。俺のものではない気配がある。間違いない」
「そうか…」
白い男がため息を落とす。トパーズの目が伏せられる。何かまずかっただろうか。堕ちた魂を産み直すのは良くないことなのか。それとも母親が俺だからか。
「何かまずいことがあるのですか」
イチゴが不安そうに尋ねる。答えが気になり白い男を見つめた。
白い男が顔を上げる。そして辛そうにふるりと首を横に振った。
「いや、祝辞の品をまだ何も用意してなくてな。カイ坊の子どもは俺の孫みたいなもんだ。つまり俺はじいじになるんだ、何か驚くものをプレゼントしたいだろう?」
目がキラキラ輝いている。満面の笑みだ。それを見た俺とイチゴは絶句した。
「…クレイン殿!紛らわしいことはやめてくだされ!」
「紛らわしくなんかない。大事なことだぞ!」
「…生まれてくるのはあんたの片割れだが」
「それでも孫は孫だ」
トパーズが柔らかく細められる。目の前の相棒が呆れたようにため息を落とす。
「あんたの子どもになった覚えはない」
「なんだカイ坊、冷たいなぁ」
白い男が相棒と肩を組む。男は嫌そうに手を払いのける。白い男が楽しげに笑う。じゃれあう男衆を横目にプディングを頬張った。うん、甘い。
「ソラ殿は覚悟を決められたのですね」
「…?何の話だ」
「子どもの話ですよ。竜の子を産むんでしょう」
「…ああ」
イチゴの言いたいことを理解する。竜の子を産むには自分も竜にならなければならない。そう相棒から聞いている。
イチゴの首元には白く輝く鱗が下げられている。きっとそこにいる白い竜の逆鱗だろう。彼女はまだ逆鱗を飲んでいないのだ。
「俺は半分成り行きだ。…良い親になれるといいが」
そっと目をそらす。俺は自分で逆鱗を飲んだんじゃない。相棒が死にそうな俺のために逆鱗を飲ませてくれたのだ。そして今度はこんな俺が好きだと、生まれてくる子の父親になりたいと宣う。なら覚悟を決めるしかないじゃないか。
ただ不安はある。俺はこれまで男として生きてきた。これから生まれてくる子が例え神竜だとしても普通の子のように育ててやりたい。そのために俺は役不足ではないだろうか。
「…そうですか」
イチゴが目線を落とす。視線の先には白く輝く竜の鱗があった。たぶんそこにいる白い竜の逆鱗だろう。イチゴはまだ逆鱗を飲んでいないのか。
竜になったら人には戻れない。竜として長い時間を生きることになる。
俺は竜だなんだと言われる前に、既に天使だった。…認めたのは最近だが。天使もまた長命種だ。竜と同じで何百年も生きる。だから今さら竜になったところで寿命も変わりはしない。
しかしイチゴは違う。イチゴは妖狐、つまり魔族とはいえ寿命が長い方ではないのだろう。せいぜい生きて百数十年、人より長いくらいだ。
そうなると竜になる苦悩も多いのだろう。
「…あんたはあんたのペースでいいんじゃないか」
「え?」
「あんたの覚悟が決まった時に竜になればいい」
チラリとクレインに目をやる。じゃれているように見えて白い竜はしっかりこちらの話も聞いていた。白い竜が頷く。
「そうだぜ。イチゴが俺の子を産みたいって思った時に飲めばいいさ。一千年も待ったんだ、あと数年くらい待てるさ」
トパーズ色を煌めかせて笑った竜に、イチゴは相好を崩した。
「…いいんですか?」
「ああ、もちろんだ。竜は気の長い生き物だからな」
白い竜が甘い笑みを浮かべる。ふわりと甘い魔力が漂い始める。白い竜が求愛し始めたのだ。
イチゴの頬がほのかに染まる。この空気の中い続けるのは辛い。相棒に目配せする。相棒がうんざりと視線で答えた。
「…俺たちは行くぞ」
「また連絡する」
甘い空気を纏うふたりに言い残しさっさと店を出た。外の空気は潮風の匂いがした。塩っぽい空気が今は美味しい。
「…次はウィステリアのところか」
「これで最後か。あんた、続けていけるか」
「ああ。カイは平気か」
「聞くまでもない」
相棒がニヤリと笑う。魔力を紡ぐ。呪文と共に魔法を編む。『転移』の魔法が俺たちを町の外まで運んだ。
「行くぞ」
相棒の背中に乗る。足の下で筋肉が大きく動くのがわかる。体が風に押さえつけられる。しかしそれもすぐに和らぐ。相棒が風を操ってるのだ。
「…それくらい自分でできる」
「あんたは魔力温存して早く呪いを解かなきゃいけないだろう」
「…この程度の魔力、微々たるものなんだが」
「塵も積もれば山となる、だ」
今日も相棒が魔法を使わせてくれない。いつのまにこんなに過保護になったのか。そこまで気を遣って貰わなくいい。簡単に死にはしないのだが。
ほどよく温かい風が身を包む。うとうとと眠気が襲ってくる。この竜の背に乗るといつもこうだ。目を閉じる。そのまま相棒の魔力に包まれて眠りについた。




