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祖国での別れ


屋敷に帰ってすぐ、俺とカイは母さまや母上、母君様によって風呂に放り込まれた。もちろん別々の風呂だ。侍女たちによって体を隅々まで洗われ、マッサージされ、今度はベッドに寝かしつけられた。母さまの快眠の魔法をかけられ意識を落とす。

目を覚ました時にはすでに2、3日経っていた。

「…母さま」

「あら、起きた?おはよー」

紅茶を啜る黒髪の美女があどけない笑みを見せる。自分とそっくりな母の顔。しかし表情だけでだいぶ自分と印象が違う。

「…おはよう。カイと兄弟は…?」

「シアンくんならヴォルちゃんのとこに行ったわよ。ベルクくんはお買い物って言ってたから夕方には帰るかしら。ソラちゃんの恋人さんは客室でまだ寝てるわねぇ」

「…カイは恋人ではないんだが」

「あら、そうなの?あなたがカイちゃんの子を産むって聞いたから、てっきりそうだと思ってたわ」

「…そんなこと言った覚えはない」

「あらあら、素っ気ないわねぇ。反抗期かしら」

母がほわほわ笑う。つかみ所がない。天然と言われている母らしい。母がのんびりクッキーをかじる。

「あら、このクッキーおいしいわね。ソラちゃんも食べてみて?」

「…ありがとう」

クッキーを受け取る。花形の小さなクッキーだ。口の中に入れる。リヒトが作ったものとは違う、バターの豊かな香りが広がるクッキーだった。

…幼い頃、母上がよく作ってくれたら クッキーだった。胸が鷲掴みされたような懐かしさがこみ上げてくる。穏やかで平和そのものの元の日常だ。体の力が抜けていく。

「それにしてもソラちゃん、綺麗になったわねー。女の子はやっぱり恋しなくちゃね」

「…恋?」

母の言葉に首をかしげる。

「そうよー。目がキラキラしてて、とっても綺麗だわ。それに頬もふっくらして前よりも健康的に見えるわ。きっとカイちゃんがソラちゃんを守ってくれてたのねぇ」

母がにこにこ笑う。本心からと分かる言葉たちに頬が熱くなる。慌てて顔を隠そうとする。しかしいつも被ってるローブがない。

そういえば最近ローブを被ることもなくなっていた。単に相棒のそばでローブを被らないことに慣れたせいなのだが。今日だけはその慣れを忌々しく思った。

仕方なく服の袖で顔を覆う。着せられていたのが袖がゆったりしたワンピースでよかった。

「…綺麗とか、言うな」

「うふふ、照れちゃったかしら」

母がまた紅茶を啜る。通常の紅茶よりも甘酸っぱい果実の香りがする。木苺の果汁を混ぜたベリー茶は母さまのお気に入りだったはずだ。

「ねえ、ソラちゃん」

ふと母さまの声が真剣なものに変わる。揃いの黒い瞳がひたと自分を見据えた。目に強い光が宿る。

背筋を伸ばす。こういう時の母は必ず大事な話をする。例えば性別のこと、なりたい職業のこと。自分の娘の考えを最大限受け止めようとしてくれる。だからこそ誠実に答えたいと思うのだ。

「あなたの生きる道は決まった?」

静かに尋ねられた問いかけ。それは男として生きるか、女として生きるか。そう以前問いかけられたものと同じ言葉だった。

「…ああ。俺は…」

身勝手な答えを口にする。母は咎めることなく微笑んだ。

「いいと思うわ。誰よりも幸せになってね、私の可愛い“太陽”」

母の言葉は優しい祝福に満ちていた。


その日の夜、相棒が目覚める前に王城に再び忍び込んだ。目的はルナの呪いを解くことだ。

相棒は自分の呪いを優先しろと言うだろう。自分を優先したらまた2、3日寝込んでしまう。そうしたらまたフリューゲル家に甘えることになる。母に答えを出した以上それはさけたかった。わかっている、これは俺のつまらない意地だ。だが自分で決めたことくらいやり通したいのだ。ルナを見捨てるという選択肢も選ぶつもりはない。

だから相棒には内緒だ。目覚める前に眠りの魔法を重ねがけした。出かける前に3人の母と兄弟にはしばしの別れを告げた。ベルク兄上は、

「拙僧も旅に出ることにした。またどこかで会うかもしれんなあ!」

と豪快に笑っていた。シアンの兄弟とは、

「またいつかどこかで」

と握手を交わした。何故かヴォルフガングが家族に混じり、

「また剣を交わそうぜ!」

と涙交じりに笑っていた。

父には会わなかった。母に聞いたところ、自室で号泣していたらしい。また無事に会えることを願う。

3人の母には定期的に手紙を送り合うことを約束させられた。だいぶ甘やかされていると思う。だがその甘さが心地よかった。

王城の塔に忍び込む。銀月の塔と呼ばれる最上階に我が国の姫は眠っていた。

窓から銀の月の光が差し込む。月の光に守られたこの塔は呪いの進行を抑える効果がある。さらに精鋭の白魔導士に魔法を重ねがけされている。ここまでやればルナが呪いに蝕まれることはないだろう。

月に守られて眠る幼なじみの1年前の変わらない姿に息を吐く。髪は少し伸びたが、それ以外は変わらない。痩せることもなく顔色もいい。大事に世話されている証だ。

そっと豊かな金の髪を撫ぜる。相棒とは違うこしのある髪が指の間をすべり落ちる。姫の髪に触れるのは何年ぶりか。もう遠い過去のように思える。

「…約束を果たしに来たぞ」

告げる。返事は期待していない。神竜との戦いでボロボロになった愛杖を構える。そろそろ手入れに出した方がいいかもしれない。買い換えるのも手だが長年共に戦ってきたこれを手放すのは惜しい。

「「我、願う。すべての生きとし生けるものへの祝福を。我は太陽の神から生まれし者。我が神から生み出されし命の炎よ燃え盛れ。その光を以って甦れ。『太陽の祝福』」

母から受け継いだ魔導書の白魔法を唱える。見慣れた赤金色の光が舞う。この一年でだいぶ白魔法も上達した。呪いが発端とはいえ、旅に出なければ得られなかったであろう力だ。そう思うと呪いも悪いことばかりではなかったと思える。

月の姫の睫毛が震える。ゆっくりと瞼が開く。ルナの青い瞳が再び銀の月を映したことに安堵した。口の端が自然と上がる。これで月の姫の側近としての俺の役目もお終いだ。

目を閉じる。自分を偽るのはもうやめだ。幼なじみにくらい本当の性別のままで接したい。

月の姫の青い瞳が宙を彷徨う。ゆらりと揺れた視線が窓側に佇む黒髪の女を捉える。瞬いた青い瞳がみるみるうちに驚きに染まった。

「あなたまさか…」

息を飲む幼なじみに俺は笑ってみせた。

「目覚めて良かった、ルナ」

「ソル?やっぱりソルね⁈あなたなんでそんな格好してるの!」

「もう男でいる必要がなくなったんだ」

「…必要がない?もしかして日の国に行くのかしら」

姉貴分の瞳が揺れる。戸惑ってるのだろう。ずっと姫としておとなしくしているよりも男として好きなことをしていたい。その願いを一番理解してくれたのはこの幼なじみだった。

「違う。子を産むんだ」

下腹部を撫でる。微かに自分のものではない魂の気配がした。神竜の魂はちゃんと俺の中で生きている。

「…いつのまに。父親はだれなの?」

幼なじみの瞳が揺れる。

「あんたが呪いで眠ってる間にだ。相手は…」

窓から空を見上げる。遠く、フリューゲルの屋敷がある方角から燃え上がる魔力を感じた。だいぶお怒りのようだ。そろそろ時間切れらしい。翼を広げる。

「…迎えが来たみたいだ。ルナ、また会おう」

星の瞬く夜空に飛び立つ。白い羽根が舞う。ひんやりした風が気持ち良い。

「え、ちょ…っ!待ちなさい、ソル!」

幼なじみが窓際から飛び出そうとする。お転婆なところは昔から変わらない。姫をやるならもう少し落ち着いてほしいものだが。そんなルクレツィアだからこそ誰よりも頼りになる友でもあるのだ。

振り返る。銀の月を背負って告げる。

「言い忘れていた。名前を変えたから、今の俺はソラだ」

月の姫が目を丸くする。中身は変わらない、俺は俺だ。そう笑ってみせた。ふと月の光が翳る。赤い煌めきが視界を覆う。追いつかれたらしい。予想より早いお迎えだ。

「…あんた、何をしている」

「…目が覚めたのか」

「おかげさまでな」

陽だまりの瞳が燃えている。やはり怒っているな。怒られるだけのことをした自覚はある。せっかく神竜との戦いから回復した魔力はまたすっからかんだ。また貯まるまでに数日はかかるだろう。それまで自分の呪いを解くことはできない。

「…限界なんだろう。背中に乗れ」

「…いいのか」

「あんたに死なれたら困る。クレインのところまで飛ぶ。それまで寝てろ」

「…ああ。ありがとう」

背中に乗る。銀の月の塔に視線を向ける。幼なじみが目を丸くして震えている。相棒を指差す幼なじみに俺は心の底から笑ってみせた。

「こいつは俺の相棒で、恋人候補だ」

幼なじみがパクパクと口を開閉する。金魚みたいだ。言葉が返ってくるまで待つ。

「…本気で?」

「ああ」

頷く。下で相棒が息を吐いた。それはなんのため息だ。何も間違ってないだろう。

「……嫁ぐ相手が規格外すぎるわ」

「…ああ」

「…あんたもう眠いんだろう」

「…ああ」

相棒がまたため息をつく。さっきからなんだと言うんだ。不満を込めて鱗を叩く。

「…やめろ。寝ろ」

怒られた。なんでだ。俺は悪くない。

「こいつは連れて行く。世話になった」

相棒の竜が大きく翼を広げた。空が近くなる。今なら銀の月にも手が届きそうだ。陽だまりのような温かい風に包まれる。瞼が重くなる。

「ちょ、ソル!…っ!幸せになりなさいよ!」

幼なじみの声が遠くなっていく。

「…ルナも、幸せに」

もう幼なじみには届かないだろう。代わりに銀の月に小さく呟いた。





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