決着
剣戟が聞こえる。ここはどこだ。
目を開く。瞬間青く瞬く瞳が飛び込んできた。
「あ、戻ってきたんだね、兄弟!」
青が喜色に染まる。声が弾む。戻ってきた…?ああ、戻ってきたのか。
辺りを見回す。ちゃんと色がある。空の青、木々の緑、土の茶、そして兄弟の青。息をつく。元の世界だ。色と光に満ちた世界に安堵した。やはり黒い世界は気が狂いそうだった。
「…カイは」
「あそこで元気に戦ってるよ」
兄弟が指差す。神竜相手に大剣を振るう相棒の姿があった。黒い鎧が太陽の光に煌めく。赤の混じる猫毛が風になびく。殺意のこもる静かな瞳はよく知る相棒のものだ。
ちゃんと連れて帰ってこれた。体から力が抜ける。大きな役目を果たした後のような達成感が胸を満たす。
いや、まだ終わってない。神竜を倒すまでは気は抜けないだろう。気を引き締め直す。
「…死ね」
相棒の温度の低い暴言が聞こえてくる。無事生き返ったようで何よりだ。
体を起こす。幸い怪我はしていない。魔力不足の気だるさだけが残っている。
「動けるか?」
聞き慣れた声が降ってくる。青い目を細めた好敵手がいた。手には剣が握られている。しかし魔法の気配はない。
戦闘中でこいつが魔法を纏わないのは珍しい。この男の実家は月の国のキルシュブルーテ侯爵家だ。魔力の多い侯爵家の男が魔力切れを起こすなどそうそうない。だから故意にやってると思うのだが。
「動ける。あんた、魔法はどうした」
「俺は今休戦中なんだよ。下手に手を出したら死んじまう」
兄弟と同じ青い目が神竜と相棒に向けられる。竜の大きい体を武器に戦う神竜と鬼神のように大剣を振るう相棒がいた。確かに下手に手を出したらこちらがやられかねない。
だが相棒の戦い方はわかっている。重騎士とは思えない素早い動きと確実な剣技は敵に打撃を与える。
だがかなり無茶してるようだ。剣に焦りを見つける。もう長く戦える体力はない。ここに来てまだ無理をするつもりか。
怒りが湧く。まだ懲りてないのか。あんたは身近な人が死ぬ恐怖を知ってるはずだろう。その恐怖を俺に与えてくれるな。
「…そうか」
杖を握る。異空間から下準備で作っていた魔法石を全部取り出した。立ち上がる。体は重いが動けないほどじゃない。まだいける。
相棒を見据える。このままじゃジリ貧だ。相棒の限界が近い。早く決着をつけたいところだ。
「行ってくる、あいつのところへ」
駆け出す。体力回復に魔法石をひとつ消費した。好敵手がギョッと目を剥く。
「はあ⁈ちょ、おい待てソル!シアン!」
「ダメだよ、ヴォルさん。兄弟、行っておいで!」
追いかけてきた好敵手を兄弟が止めてくれる。兄弟は小さい体だが力は強い。さすが獣人だ。兄上の修行に付いていけるだけの体力と筋力がある。大柄な好敵手を見事抑え込んだ。
「ああ、ありがとう!」
魔法石をひとつ落とす。走ってくる俺に気づいた相棒が目を丸くした。
「なんで来た!」
「あんたを放っておいたら死にそうだからな」
いつか言われた言葉を相棒に返す。翼を広げる。空中に飛び立つ。相棒が手を伸ばす。残念、素早くかわす。素早さでは俺の方が勝っている。鎧を着てない分身軽だからな。
魔法石に込めた魔力を火に変える。投げつける。神竜が驚いたように振り返った。
「こっちだ!」
ニヤリと笑ってみせる。神竜が追いすがるように牙を剥く。すれすれで牙を交わす。当たっていたら危なかった。もう大規模な白魔法は使えない。用心しなければな。魔法石をひとつ落とす。
「…クソッ!俺ひとりで十分だ!」
相棒が大剣を薙ぐ。神竜の鱗が数枚剥がれ飛んでいった。神竜が呻く。魔法石をひとつ落とす。
神竜の尻尾が相棒を穿つ。気づき助けに入ろうとする。間に合え!魔法石を光に変えて壁を作る。
相棒がふと笑うのが見えた。器用に腕だけ竜化する。尻尾が光の壁を壊した。凶暴な尻尾が相棒に迫る。一瞬の絶望。次に相棒が瀕死に陥っても俺はもう助ける魔力がない。だから死んでくれるな。
しかし弾き飛ばされたのは神竜の尻尾の方だった。目を見開く。いつのまにそんな怪力を手に入れたのか。
「まだ死ぬわけにはいかないんでね」
相棒が勝気に笑った。陽だまりの瞳がこちらを向く。思いっきり睨み返してやった。魔法石をひとつ落とす。
最後に手の中に残った魔法石ひとつ。準備は整った。
「カイ」
相棒に目配せする。ちょうど相棒が神竜の尻尾に剣を振り下ろそうとしているところだった。陽だまり色がハッと強張る。
小さく笑う。ずっと無理ばかりするあんたへの意趣返しだ。神竜の口に突っ込む。魔法石は持ったままだ。
神竜が嚙みつこうと口を広げる。それでいい。飛ぶ速度を上げる。
「ソラ!」
相棒が血相を変えて走ってくる。知らないふりして神竜の口に着地した。口が閉じられる。陽だまり色から光が消えるのが見えた気がした。
「大空を駆けるは燃ゆる翼!『火の鳥』!」
詠唱する。持っていた魔法石が火の鳥に姿を変える。神竜の体内に火の鳥を飛ばす。神竜が熱さに悲鳴をあげた。もう一撃と短剣を取り出す。これを刺したら口内から逃げる予定だ。
剣を振り下ろす瞬間。俺は地獄を見た。
目の前が一瞬で赤に染まった。神竜の牙があったはずの道の先に空の青が見える。
「…は」
目を見開く。一体何が起きた。あたりが炎に包まれる。遠くで兄弟と好敵手の悲鳴が聞こえる。一体何事だ。
まさか魔法の暴発か。慌てて外に這い出る。そこで初めて引き起こされた惨劇を知った。
「…死ね!」
涙を流して剣を振るう竜人がいた。赤い鱗が太陽の光に冷たく光る。陽だまり色から雫がいくつも落ちていた。
「俺の番を奪ったあんたを許さない」
首に大剣を振り下ろされた神竜がもがいている。首からの出血量は少ない。中途半端に傷つけられた傷から血が滲み出ていた。あれではなかなか死ねないのだろう。相棒は気付かず淡々と剣を振るう。番がどうとか言ってるが、何か勘違いしてないか。
炎に焼かれ、傷つけられた神竜がその赤い瞳から涙を零していた。ズキリと胸の奥が痛む。
あれは堕ちた化け物だ。そう言われても涙を流す姿を見るとただの化け物とは思えない。
あいつはカイの故郷も家族も友人も奪った龍だ。放っておけばウィステリアたちの穏やかな生活も奪うだろう。このまま生かしてはおけない。
だがちまちま攻撃して苦しみ喘ぎながら逝かせるのは心苦しい。命を奪うくせにエゴだと思いつつ杖を振るう。
「カイ、トドメを刺してやれ!」
カイの大剣に魔法を施す。太陽を思い起こさせる炎と光の魔法剣だ。太陽を愛した古代の神竜にとって一番馴染み深いものを選んだ。せめて安寧の闇で穏やかに眠れますように。そう願いを込めて。
陽だまりの瞳が見開かれる。
「あんた…」
亡霊を見るような目を向けられる。大きく頷いてみせた。
相棒は瞑目する。次に陽だまり色が覗いた時、それは決意の色に染まった。男が頷く。太陽の剣が振り下ろされる。
神竜の断末魔が響いた。
相棒は神竜が死ぬまで面倒を見てやっていた。その命が体ごと燃え尽きる最期の瞬間まで。太陽の剣が徐々に熱と光を収めていく。形見だなんだと言っていたが、結局神竜の体は全て灰になってしまった。これでは丸ごと持って帰るのも無理だろう。
相棒が目を閉じる。その隣に静かに歩み寄る。男は動かない。人形のようだと思った。そっと頭を抱え込む。慣れたように背中に腕が回る。別に不思議なことじゃない。相棒はこうやって胸に顔を埋める体勢をよくとっていたし、俺もそれを許してきた。
「…生きてたのか」
「…ああ。簡単に死ぬわけないだろう」
「…そうか」
相棒の安堵に満ちた声が聞こえた。この男は少々他人の安否ばかり気にするきらいがある。その心配を是非自分にも分配してほしいところだ。命を大事にしてくれ。
赤混じりの茶色い猫毛を撫でる。神竜の灰が風に攫われていくのを見届ける。これであの神竜の魂は救われるのだろうか。
じっと見つめていると不意に視界の隅に何かが光った。視線を動かす。それは『浄化の太陽』のような小さくも莫大な熱源だった。
「…なんだ」
「どうした」
警戒態勢をとる。俺が体を強張らせた瞬間、相棒も剣を握り直した。男が俺の視線を辿る。その目が熱の塊のような魔力を見つけた。陽だまり色が驚愕に見開かれる。
「…神竜」
「え」
熱源がふわりと漂う。ふわり、ふわりと飛んで目の前にやってきた。
『クレインに会わせてくれ』
「…は」
神竜の片割れそっくりの声が頭の中に響いた。熱源が突っ込んでくる。動けない。突飛な出来事に反応できないまま熱源のぶつかる。それは下腹部目掛けて飛んできてあっさり体の中に吸い込まれていった。
『お前さんの子どもとして生まれてくるからよろしくな!』
「…は」
「は、はぁぁああっ⁈」
顔を見合わせる。相棒が顔を真っ青にさせている。俺も同じ顔色だろう。何故俺の子どもとして生まれてくる。もっと色々選択肢はあっただろう。相棒とか、兄弟とか、好敵手とか。
…いや、全員男だから産めないのか。だから俺なのか。なら仕方ない、のか?
「…仕方ない、産むか」
「おい、待て。神竜の魂をどうやって産むつもりだ」
「こいつは子どもとして生まれてくると言った。なら子どもとして産むしかないだろう。…ひとり親でも育てられるだろうか」
子育てって何が必要なんだ?そもそもどうやって子どもを作ればいい。
こういうのは父親となる人が必要になるはずだ。だが父親になるような男をどうやって見つけるんだ。子を産みたいから父親になってくれと頼めばいいのか。…誰に。
「おい、今何を考えている」
「子どもを産むには父親になる男が必要になるだろう。だが父親になってくれる男に心当たりがない」
「…あんたが色々と忘れてることはよくわかった」
相棒がため息を落とす。なんだ、俺は真剣に悩んでるんだぞ。敵同士とはいえ、元は世話になって竜の片割れだ。生まれ直すのが願いなら産んでやりたい。クレインに会わせたらあの白い竜も神竜も喜ぶだろう。
それに神竜の魂をずっと抱えて生きるには神竜の魂の魔力が強すぎる。死の呪いに加えて神龍の魂まで抱えるには俺の魔力の器が小さすぎる。早く産まないとそのうち魔力の器が壊れて死ぬだろう。そんな死因はごめんだ。
「…帰るぞ。あんたの兄弟たちも心配している」
陽だまり色が視線をそらす。その先には所在なさげに立つふたりの青年がいた。
「…兄弟、ヴォルフガング」
まさか今の話聞かれていたか。冷や汗が伝う。兄弟はずっと俺が男のフリをするのを助けてくれていた。それが今度は子どもを産むと言って呆れたりしないだろうか。
恐る恐る伺う。目があった兄弟は困ったように笑う。
「帰ろう、兄弟。僕らの家に。カイさんも連れてきていいから。ね?」
その言葉に目を瞬かせる。
「いいのか」
「もちろんだよ。むしろ早く帰ってきてほしいな」
「兄弟、会うたびにいつもそれを言うが何かあったのか」
「うん。ちょっと厄介なことになってる。ね、ヴォルさん」
「ああ。早く帰らねえとお前、日の国に連れてかれちまうぜ」
目を見開く。まさか。日の国に連れて行かれる。それが意味するのは、俺の性別詐称が明らかになったと言うことだ。今まで完璧に男のふりをしていた。女の姿で行動するようになったのはここ最近のはずなのに。
「…日の国の姫として扱われると言うことか」
「そういうことになるね。どうやら情報が漏れたみたい」
相棒の問いに兄弟が肩を落とす。一難去ってまた一難。ひとつ問題が片付くごとにその倍の問題が押し寄せてくるように感じる。
まだルナの呪いも自分の呪いも解けていないのに。
「…逃げられる勝算は」
「ほぼゼロだ。今はこんなとこだから追っ手もいねえが、レティとマリンが動いてるらしい」
「レティとマリン⁈」
「知ってるのか」
相棒の問いに頷く。レティ…正確にはスカーレットとマリンは日の国でも最強と名高い騎士2人組だ。戦えば右に出る者はなく、隠密も偵察も伝令もなんでもこなす有能な騎士たちだ。
モンストロ狩りを共に行い、確かに最強と呼ばれるのにふさわしい実力者たちだと思った。
以心伝心でたとえ離れていても相手のやりたいことがわかる。背中を預けあえる。兄弟と好敵手とは違う意味で互いの背中を守っているように見えた。
まさかそのふたりが俺を探しているとは。出会ったら最後、逃げ切ることは不可能だろう。ふたりの連携を出し抜けるのはそれこそ兄弟たち邪道なふたり組くらいだろう。ふたりに出会わなくてよかった。
「というわけだ。『転移』用魔法道具はシアンの母ちゃんから預かってる。サッサと帰ろうぜ」
好敵手に促される。俺と相棒は顔を見合わせ、小さく頷いた。




