魂の蘇生
手を伸ばす。届かない。赤い火の竜が倒れ伏した。
「カイ…ッ!」
地面に降り立つ。夥しい血が赤い海を作る。本当にこれは相棒が流した血なのか。何かの間違いなんじゃないのか。
血の気が引いた頭が相棒の現状を否定する。
「しっかりしろ!」
赤い鱗に手を伸ばす。祈りを捧げる。ずっと白魔法を使ってる。なのに血は止まらない。白い翼が赤にぐっしょり濡れる。構わず手鱗を叩く。陽だまりの瞳が見たかった。
相棒は目を覚まさない。気配すら感じない。生き物なら誰でももってるはずの魔力が見つからない。魔導師の俺が感じれないはずがない。だってほら、あんたが下敷きにしてる草だって魔力を放ってる。
魂がある限り魔力は消えない。感じ取れないなんてありえない。死体ですら魂の残滓が魔力を持つのに。あんたの魔力はどこに消えたんだ。
日が翳る。顔を上げた。神竜の赤い目が細まる。黒い腕がゆっくり近づいてくる。ゾワリと肌が粟立つ。
…あれだ。
直感がそう告げる。あの腕が相棒の魂を根こそぎ奪ったのだ。仕組みはわからない。だが腕の先、神竜の胸に目を凝らす。そこ金を纏う緋色を見つけた。そこにいたのか。
杖を構える。場所はわかった。後は取り返すだけだ。魂の取り返し方などどんな本にも載ってなかった。授業でも習わなかった。ならば作るしかない。ない魔法は作る。それこそ魔導師が魔導師たる所以だ。
杖を振るう。この際捨て身でいく。黒い腕は避けない。いざとなったら黒い腕に魂を掴まれた瞬間魔法を発動してやる。そうしたら相棒の魂まで届くだろう。後はどうにかしてこっちに戻って来ればいい。
よく道案内に使われる魔法を参考に歌を紡ぐ。歌はそのまま魔法言語となる。魔力が滲み出す。
黒い腕がローブに触れた、その時。
「…兄弟!」
懐かしい声が飛んできた。同時に白金の光の玉が飛んでくる。
「…は」
詠唱が止まる。渦巻く赤金色の光の流れが停滞する。
「竜相手に今度は何するつもりだ?」
ついこの間剣を交わしたばかりの好敵手の声が降ってきた。振り返る。そこには青い目をした青年がふたり、剣を掲げて立っていた。
「助太刀に来たぜ!」
「お手伝いなら任せて!」
大柄な青年がニッと笑う。小柄な青年が胸を反らせる。
「…シアンの兄弟、ヴォルフガング?なんであんたたちがいるんだ」
目を丸くする。いつから追いかけられていたんだ。
「ヴォルフでいいって言ってるだろ。戦いに専念だぜ、翼の家の姫さん!」
一閃、魔法剣が閃く。水気を纏った剣が放たれる。神竜の目がヴォルフガングに向いた。
「兄弟はやるべきことに集中して!」
風にしなる剣が穴だらけの神竜の羽を抉った。あの邪道さは確かに兄弟だ。神竜が悲鳴をあげる。黒い腕は霧散した。…これで魔法に集中できる。
「…感謝する」
呟き、再び杖を構える。兄弟のつぶらな瞳が笑んだ。兄弟と好敵手の見事な連携が神竜を翻弄する。さすが長年お互いだけを相方として生きてきたふたりだ。目が合わずとも完璧に息が合っている。
これなら我が相棒殿の体に手を出されることもないだろう。
目を閉じる。相棒の魔力だけを探る。
「…歌うはあの世の子守唄。辿るは彼者の魂の光。開け、異界の扉。『霊魂の道標』!」
地面の底に沈んでいくような、体を持ち上げられるような、不思議な感覚。ついで目の前が黒に染まった。
目を開ける。やはり目の前は真っ暗だ。それが魔力…いや、魂を喰らう闇だと気付く。触れてはならないものだ。魔力の膜で闇を防ぐ。
それにしてもここはどこだ。相棒の魔力は先ほどよりも強く感じるのだが。それがどの方角がわからない。集中する。遠く離れた場所に自分の魔力を見つけた。
「…俺の魔力?」
その方角に歩き出す。それにしても暗い。何も見えない。自分の手すら見えない。このままでは自分がどこにいるのかもわからなくなりそうだ。
「…『光芒』」
強めの光を杖に灯す。だがそれでも明るいのは杖の周りだけだ。足元が見えにくい。
もっと明るい方がいいのか。だが光魔法でこれよりも明るいものは攻撃用のものしかない。他に明かりになりそうな魔法は…。
思い浮かべ首を振った。思い浮かんだのは一応既製の魔法だ。だが明かりにするには魔力の消費が多すぎる。
…いや、明かりがあった方が見やすいか。この際相棒の魂を連れて無事現実に帰還できればいい。後のことは兄弟がどうにでもする。よし。
気合を入れ、満を持して呪文を紡ぐ。
「我、願う。悪を焼き、善に還す鉄槌を。我は太陽の神から生まれし者。我が神から生み出されし炎を以って応えよ。その光を以って祝福せよ。『浄化の太陽』」
赤金色の光が舞う。何よりも明るい小さな太陽が暗闇を照らし出す。熱がチリチリと地面を焼く。爆発しないよう魔力を調節する。
改めて照らされた世界を見回す。そこは荒れ果てた大地だった。
まず何もかもが黒い。空も、大地も、見渡す限り全て黒だ。光を灯しても何も見えなかったのはそのせいだろう。
黒い世界に変色した木が2、3本だけ生えている。落ちていた石はつま先が触れただけで風化した。空はどこまでも空虚で太陽も月もない。異様と言うしかない世界だった。
気が滅入る。ここまで色がないとは。これが神竜の精神世界だとしたら、この竜はどれだけの空虚と孤独を抱えて生きてきたのだろうか。
黒い世界を歩く。歩いてきた道はすぐわかる。振り返ると俺が歩いた足跡に緑が息づいている。不思議なものだ。首をかしげる。植物系の魔法を使った覚えはないのだが。
…まあいい。足跡に草が生えたところで魔力を消費するわけでもない。むしろ緑が居心地の悪さを軽減させる。
相棒の魔力を辿る。ふと視界の端に自分以外の色が掠めた。
「…カイ?」
振り返る。傷ひとつない相棒が倒れていた。陽だまりの瞳は見えない。硬く閉じられた瞼が世界を拒絶しているかのようだった。
「カイ!」
走る。相棒に触れた。
…触れる。ちゃんと温かい。何故か魂を蝕む闇に飲まれていない。
探れば理由はすぐにわかった。相棒の周りに卵状の光の幕ができている。見ればわかる。己の魔力でできた結界だった。どう言う理屈かはわからないがこの男は俺の魔力を糧に闇から身を守っていたらしい。
「…よかった。カイ」
声をかける。上半身を抱き上げる。黒い鎧のせいで重たい。顔がよく見えない。兜を外した。柔らかい猫毛が指に触れる。
「起きろ」
肩を叩く。だが見慣れた金色が見えることはない。
「カイ?どうしたんだ」
違和感を感じる。肩を揺さぶる。いつもなら面倒臭そうに開く金色が見えない。胸に焦りがにじむ。
「目を覚ませ。帰ろう。なあ、カイ」
いくら声をかけても、肩を揺さぶっても起きない。どうしたらいい。
兄上なら鳩尾に1発入れれば起きる。朝に強いシアンの兄弟なんかは布団から蹴落としていた。だが今の相棒の男に手をあげるのは躊躇われた。布団もない。兄弟たちは参考にならない。
そもそもここは布団の中じゃない。神竜の精神世界の中だ。たぶん。
もしかして手遅れだったのか。冷や汗が頬を伝う。
「起きろ、カイ!」
頬を強く叩く。薄っすらと男が目を開けた。赤の混じる陽だまり色が覗く。
「ソ、ラ…?」
掠れた声が暗闇に響く。ほっと息を吐く。なんだ、寝起きが悪かっただけか。まったく心配させるな。
「ああ。あんたを迎えにきた。帰ろう」
『浄化の光』を灯した杖を掲げる。もう一度『霊魂の道標』を使えば無事帰れるはずだ。魔力もちゃんと残量が残っている。
しかし相棒の男からの反応がない。
「…カイ?」
目線を下ろす。男は焦点の定まらない瞳で俺を見上げていた。
「ソラ、そこにいるのか?」
「…え」
「目が…見えないんだ。あんたは、どこにいる」
男の手がゆらゆらと宙を彷徨う。確かに目が見えていないのだ。その手を掴む。
「ここにいる!どうした、魂が消えかかってるのか」
「何か話して、るのか…?よく聞こえないな…」
顔が歪む。血の気が引く。掴んだ手を強く握った。
相棒に目立った傷はない。息もしてる。ちゃんと温かい。だが男の言葉が、行動が、男が弱っていることを伝える。もしかしたら危篤なのかもしれない。感じる魔力が徐々に弱くなってきている。
「…っ!待ってろ、カイ。すぐに治してやる」
光の膜を強化する。魔力を込めた膜は立派な結界に変化した。
魔力を分け与える。幸い俺はカイの逆鱗を飲んでいる。魔力の質はほぼ同じだ。おかげで拒絶反応を起こすことはない。
白魔法を使う時と同じ赤金色の光が全て男に吸い込まれていく。だが手応えがない。零れ落ちるように男の魔力は消えていく。
「ソラ…?どこにいる……?」
もはや感覚もないのか。言葉を失う。命すら危ない状況だ。だというのに俺を探すのか。思わず男の体を抱きしめた。空気が漏れるような音が聞こえた。胸が締め付けられる。
ずっと最悪の事態が頭の中を駆け回っている。嫌な想像だ。そう簡単に諦められるか。最悪の事態に流されないよう頭の隅に押しやる。
ずっと祈ってる。治れと魔力を込めている。どうして治らない。魔力がこぼれていくんだ。
「…泣いてるのか」
「泣いてない」
「あんたが、泣いてるとこ…は、見たことが、ないな」
「見せるか、そんなもの」
「惜しいな…」
「何がだ。話すんじゃない。無駄に消耗するな」
『浄化の太陽』は魔力が尽きて掻き消えた。世界に闇が戻る。結界も消えた。闇が忍び寄ってくる、それでも腕の中の熱だけは失えない。強く抱きしめる。
己が使う白魔法の光だけがこの男を闇から遠ざけていた。きっと今闇に触れればこの男の魂は闇に溶けるだろう。そうしたら二度と会えない。
闇に魂を奪われたらこの男は死ぬのか。それとも堕ちるのか。どちらにしろこの男には会えなくなる。なら防ぐしかない。白魔法の光だけは絶やしてはならない。治れと強く祈る。
「…ソラ」
「…なんだ」
「逃げろ。俺を、置いていけ」
目を見開く。この男は何を言いだすのだ。
「できるか、そんなこと」
「早く。あんただけなら、助かる…」
それ以上聞きたくなくて口をふさぐ。何が悲しくて生かすと誓った男を見捨てられるのか。
好きとか本気でいくとか。
約束しただろう。俺に恋とはなんたるかを教えるんだろう。あんたみたいに身勝手に死ぬ男なんか好きになるか。死んで証明する好きなんて糞食らえだ。俺は共に生きる覚悟を持てる男が好みだ。
「あんた、馬鹿だろう」
目を閉じる。魔力の消耗が激しい。どうやら俺も闇に魔力を持っていかれているようだ。体が重い。
死なば諸共、なんて殊勝な気持ちはない。俺は諦めが悪いんだ。死ぬつもりはこれっぽっちもない。
それに死んだくらいであんたを諦められるわけない。きっと生き返らせる。俺を死霊使いに…犯罪者にだけはしてくれるな。
「…あんたはどこかで、勝手に、幸せに、生きてくれ」
「…断る」
どうか弱々しく懇願してくれるな。俺に諦めさせようとしないでくれ。俺はあんたのために生きると言ってるだろう。なのにどうしてあんたは生きてくれないんだ。
熱が消えていく。魔力が零れ落ちていく。死が近づいてくる。嫌だ。零れ落ちる魔力に活路を求める。
消え逝く魂の中に自分の魔力を見つけた。はっとする。そうだ、これがあった。
己と男の繋がりの象徴。お互いの体の中に埋めた魔力を探る。…見つけた。アミュレットに込めた魔力はまだ男の体の中にあった。
「…!これの魔力、借りるぞ!」
アミュレットに込めた伴侶を守ると言われている魔力を掴む。まだ男に馴染んでない魔力を変質させる。己の中の逆鱗を参考に男の魔力と近くなるように。変質した魔力を男の体に叩き込む。輸血のようなものだ。
これで応急処置はできた。しばらくは魔力が流れ出ていても死にはしないだろう。その間に片をつける。
続いて思い出すのは母から受け継いだ魔導書の中にあった記述だ。天使は白魔法と親和性が高い。魔力もそうだが、体を構成する全てが白魔法の素材となる。生き物を癒す魔法素材の宝庫だ。都合がいい。この男を死なせないためなら人間やめるくらいなんだ。命優先だ。
手近な羽根をちぎる。天使は空に生きる生き物だ。だから天使の象徴は空に由来するものだと言われている。
天使の羽根は空を羽ばたくためのものだ。特に癒す力が強い。俺が持てる力を全て込めるのにこれ以上の素材はない。
ちぎった羽根にありったけの魔力を込めた。
「…生命の火を燃やせ。光を思い出せ。『陽だまりの羽根』」
羽根を相棒の胸に押し付ける。羽根が光を放ってじわりと胸に吸い込まれていく。成功してくれ。男を強く抱きしめる。熱い息が吐き出される。小さな呻き声が耳元をかすめた。
「…う、ぐ…っ!」
「…あと少しだ、我慢しろ」
魔力を振り絞る。脂汗がにじむ。闇の中はひどく魔力を消耗する。
魂を癒すのは初めてだ。即席の白魔法は荒削りで無駄も多い。思いつきで放つ魔法はもはや力業だと言っても過言じゃない。
古代魔法を学んでいたのが唯一の救いか。母の魔導書の『太陽の祝福』がこの魔法の基本となっている。
俺も厳しい状態だが、魔法をかけられる男の容体の方が不安だ。魂を癒されるのにも痛みを伴うのだろう。相棒の額に玉のような汗が浮かぶ。俺の手首を強く掴む。骨が折れそうだ。
意識を手放すつもりはないらしい。指先が白くなるほど俺の手首を掴んで耐えていた。
羽根が全て胸に吸い込まれる。代わりに陽だまりの瞳にゆっくり光が戻る。緋色の魔力が安定する。これで魂も安定したことだろう。完全に馴染んだことを確認し息をつく。
「そら、もういいぞ」
体を離す。相棒が目を瞬かせる。ゆっくり体を起こした。確かめるように手を何度か握る。異常はないようだ。立ち上がり足を動かす。ふらつきはない。最後に足踏みして最終確認を終えた男が振り返る。
「…俺は、生きてるのか」
「生きてるぞ。あんたを逝かせる訳にはいかないからな」
「…なんだ、地獄まであんたが付いてきたのかと喜んだんだがな」
「ぜひ天寿をまっとうしてから昇天したいものだな」
冗談だと笑えない軽口を投げかけられる。いつも通りの会話だ。
回復したようで何よりだ。これで今すぐに魂がやられることはないだろう。代償に俺は身体が泥のように重くなっているけれど。
「…次は庇うな。心中になるぞ」
「…気をつける。あんた平気なのか」
「まだ魔力に余裕はある」
嘘だ。もう体内に魔力なんてない。相棒の魂蘇生にほとんど使ってしまった。すっからかんだ。
「…そうか」
陽だまりが柔らかく細まる。そこに見慣れた光を見つける。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。目の奥が熱い。
相棒が生きている。陽だまりの光を見てやっと実感が湧いてきたのだ。これはまずい。まだ泣いている場合じゃないのだ。
「…そら、帰るぞ」
「ああ」
相棒の手を取る。立ち上がる。怠い体を引きずり杖を振るう。足りない魔力は神竜討伐のためにと作りまくっていた魔法石で代用した。『霊魂の道標』を唱える。目の前に光が現れる。目を閉じた。暗闇にはなかった温かさが身を包んだ。




