おわりの始まり
クリスタ山脈にはモンストロは少なかった。相棒曰く竜を恐れてモンストロが近寄らないらしい。おかげで魔力を温存したまま山道を進めた。
元から体力には自信があった。だが旅を始めてからさらに体力がついた気がする。
頂上付近にたどり着いたのは登山から3日後の夕方だった。
「今日はここで野宿する」
「ああ。…火は起こすか?」
「いや、やめた方がいい。相手に気づかれる」
「そうか」
陽が落ちる前に夕食を食べる。今夜は夜の番を立てずたっぷり寝る予定だ。近くには神竜がいる。どうせモンスロトは近寄れない。
すっかり定番となった干し肉サンドイッチを食べ終え、早々に床につく。落ち葉に布をかけただけの布団も慣れれば気持ち良いものだ。
目を閉じる。だがなかなか寝付けない。無理もないだろう。明日は神竜に奇襲をかけるのだ。そのまま戦闘にもつれ込むだろう。
今まで戦ってきたものたちの中で一番手強い敵との戦いになる。興奮やら不安やらで心臓は高鳴りっぱなしだ。
寝返りを打つ。近くできぬ擦れの音がした。目を開く。陽だまりの瞳と目があった。
「…眠れないのか」
「…あんたこそ」
どちらからともなく口を開く。眠れる時に寝た方がいい。それはわかってるのだがどうしても眠れないのだ。
「…まさか本当にここまで来るとは思わなかった」
「…ああ」
陽だまり色が細まる。
カイは村を滅ぼされてからずっと姉と神竜を探してきた。5年だ。5年かけてやっとここ最近、姉の居場所を見つけ出した。そして明日、神竜と対峙する。この5年間探し続けたカイの成果だ。
「あんたがついて来るとも思わなかった」
「…俺は最初からついて行くと言ってただろう」
陽だまりの瞳を睨みつける。男は小さく笑った。
「…ひとりで十分だと思っていたんだが。あんたのせいだ」
「それは光栄だ。俺はあんたの相棒だからな」
「そういうところだぞ」
笑みを返す。男の前で顔を隠さなくなってから久しい。きっと俺の笑みははっきり見えていることだろう。
それでいい。この男に隠さなければならないことなどない。秘密にしていることのほとんどはすでに話してしまっている。
陽だまり色に静かな覚悟が宿る。空気が引き締まる。
「…明日はよろしく頼む。白魔導士様」
「こちらこそ。黒騎士様」
まるで出会った頃のように言葉を交わす。冗談めいたやりとりに笑みがこぼれた。良い感じに緊張がほぐれる。
「…さ、寝るぞ。明日は早い」
「寝坊しても一緒だろう」
「寝坊するつもりか」
「…できる気がしないな」
笑い合い目を閉じる。ほどなくして心地よい眠気が襲ってきた。
眠気に身をまかせる。風にさざめく木の葉の音を聞きながら意識を落とした。
朝日が眩しい。目が覚める。朝だ。
顔を洗い、髪を結う。簡素なワンピースにローブを羽織った。短剣はベルトで太腿に装備する。
「準備できたか」
「ああ。カイは」
「いつでもいける」
相棒に目を向ける。相棒もまた懐かしい黒甲冑に身を包んでいた。黒光する鎧が朝日にきらめいた。
「…いくぞ」
「ああ」
相棒が頂上を見据える。背の高い草が視界を遮っている。その向こうにカイの故郷が、神竜の住処があるのだろう。
草をかき分ける。腐りかけの木の杭でできた塀が見えた。そのさらに向こうに山のような黒い影が見える。
「…あれが神竜か」
「…ああ」
相棒が頷く。大剣を抜いた。
「…火をくれ」
「わかった。『炎の魔剣』」
剣が燃え上がる。大剣が炎に包まれる。炎は相棒以外を焼き尽くすように設定した。触れれば術者の俺ですら危ない。これくらいでないと火の神竜に支配権を奪われると踏んでいる。
「…いくぞ」
「ああ」
杖を構える。翼も頭の輪も隠さない。俺もカイの相棒、逆鱗を受け取った者として戦うつもりだ。
カイが駆け出す。赤い翼が風を受けて開く。宙を裂き炎の剣が黒い山を凪いだ。小山が動く。
まず見えたのは炎の色の瞳。それから鋭い牙と大きな翼だ。
体が震えた。感じたのは絶対的な強者に対する本能的な恐怖だ。あれには敵わない。逃げ出しそうになる足を叱咤する。
広げられた翼は最近知り合った竜の中で桁外れに大きい。ただ蝙蝠の羽のようなそれはボロボロで穴が開いていた。あれではもう飛べやしない。
堕ちたのが原因か、それとも別の理由か。違和感が靄として胸に広がる。不快なそれを振り払う。今はどうでもいい。相手が飛べないならこれは好機だ。
炎の瞳が燃え上がる。憎々しげにカイを捉えた。神竜が体を起こす。その体はやはり大きい。長い尾は一振りで街を破壊するだろう。それほど太く大きく、屈強に見えた。
「氷雪を舞うは白銀の鳥。『雪の翼』!」
氷の魔法を放ち飛び上がる。翼を広げ空に舞う。
氷の鳥が神竜に向かって飛んでいく。巨大な神竜に比べ放った氷の鳥は小鳥よりも小さい。背中に当たったが傷すら付かなかった。黒い鱗が陽の光を弾いて艶やかに煌めく。
神竜の脚を相棒が切りつける。しかし相棒の剣をもってしても鱗に細かな傷が付くくらいだ。神竜自身にダメージは入らない。
神竜が鬱陶しい羽虫に咆哮をあげた。体が痺れる。本能が逃げろと警鐘を鳴らす。本能を理性で抑え込む。ここで逃げるわけにはいかない。
神竜が相棒を踏みつぶそうとする。カイはヒラリと避け爪に剣を振り下ろす。鋭利な爪に大剣が弾かれるのが見えた。纏う炎が弱くなっている。
「切り拓く希望となれ。『光の聖剣』!」
炎の大剣が高熱と光を纏う。確認し続けて魔法を放つ。
「『火の鳥』!」
放つのは一番得意な火の魔法だ。炎の鳥が翼を広げる。派手に光る火の鳥に神竜が目を奪われる。その隙に相棒がもう一太刀、今度は背中に浴びせる。背中の鱗はさらに頑強だ。傷すらつかない。大剣をはじきかえす。
埒があかない。やはり古代の魔法を使うべきか。迷ったのは一瞬。すぐに詠唱に入る。
「我、願う。悪を焼き、善に還す鉄槌を。我が神から生み出されし炎を以って応えよ。我は太陽の神から生まれし者…」
耳慣れぬはずの呪文だ。しかし詠唱すればするほどしっくりくる。母国語よりも口にしやすい。
詠唱は歌となる。神竜が目を見開いた気がした。杖を構える。熱が集まる。翼が熱い。
神竜の目が俺を捉える。尻尾が振り上げられる。狙われてる。
黒い尻尾が振り下ろされる。すんでのところで避けた。尻尾が掠る。頬が熱と痛みをもつ。
竜が口を開く。吸気が風となり吸い込まれる。翼を操り風から逃れる。
「あんたの相手は俺だ!」
相棒が神竜を斬りつける。やはり鱗に細かな傷が付くだけだ。攻撃が通らない。
神竜が炎の息を吐くことはなかった。喉が潰れているらしい。これも好機だ。
だがやはりモヤモヤとした気持ち悪さが残る。何故ここまで神竜が弱っている。仮にもあの白い竜の片割れだろう。簡単に害される存在ではないはずだ。それとも堕ちただけでここまで弱るものなのか。
もう一度古代魔法を詠唱する。神竜が口を大きく開く。何をするつもりか。いつでも動けるよう翼を広げた時だった。
「…ソラ!」
カイの怒号が響いた。目の前に赤金色が輝く。見慣れた琥珀色がよぎった。
「え…」
黒い手が目の前の赤金色を掴む。潰れた果実のように赤を撒き散らす。それが何なのか理解した途端。自分の口から自分のものとは思えない悲鳴があがった。
「…ッ!カイ!」




