決戦前の準備
翼を広げ空を泳ぐ。目指すのは火の国だ。突き抜けるように青い空には雲ひとつない。冷たい風が吹き付ける。
カイの目は昨晩から赤の混じる陽だまり色に変化した。琥珀色は戻らない。だが相棒の少女から贈られた色だと思うと悪くないと思える。
相棒の光の当たり方で金にも見える黒の瞳も気に入っている。番に己の色を纏わせるリヒトの気持ちが少しわかる気がした。…真似するつもりはないが。
その相棒は今、背中で寝息を立てている。慣れないはずの空の上だというのに豪胆なことだ。落ちないように紐でくくりつけておいて正解だ。提案してくれたイチゴに心の中で感謝する。
背中に乗る小さな相棒の温もりが愛おしい。体が冷えないよう拙い魔法で温める。自分がこんなに甲斐甲斐しく他人の世話をするようになるなど想像したこともなかった。
黙々と空を飛ぶ。静かだ。飛びながら昨夜の記憶を繰り返す。相棒の声が耳にこだまする。
「あんたのために生きてやる」
黒い瞳がひたと俺を見つめていた。その瞳に確かな優しさと決意が篭っていた。心を殴られたような衝撃だった。
本気で言ってるのか。竜にそんなことをいう意味をわかってるのか。竜は番に執着して生きる生き物だ。良い例がリヒトだ。あいつは姉さんがいないと生きていけない。
けどあんたはそれじゃ困るだろう。あんたには帰る場所がある。今ならまだ諦めてやれる。変な期待を持たせるな。
これで最後だと、置いて行くつもりで踊りに誘った。想いを告げた。
想いに応えられないと、竜にはついていけないと、逃げてくれればいいと思った。そう願ったのに、この相棒の言動は斜め上をいく。
「俺、も…好きだ」
赤い顔をして告げられた言葉に耳を疑った。真っ先に湧き上がったのは番に受け入れられた喜びだ。それから諦め。
金を帯びる黒曜石の目を見た瞬間、手離せるという自信が萎んで消えた。そうして残ったのは竜らしい執着だ。
手離したくない。側にいたい。死なせたくない。死にたくない。こいつと生きたい。…こいつと死にたい。
それもこれも全部あんたのせいだ。
相棒のせいにして死地に向かう。道連れにしてでも手離せなくなった。死ぬなら共に。竜らしく身勝手な願いだ。自分に嫌気がさす。他人を巻き込むくらいならひとりで生きるんじゃなかったのか。
背中の少女がもぞりと動く。
「…カイ」
呼ばれる。いつも通りの温度が低い声だ。いつも通りの声が安堵を呼ぶ。
ちゃんと生きている。
死ぬなら共にと願うくせに、失うのは怖い。竜と人が混ざった心はひどく傲慢だ。
「…なんだ」
答える己の声が甘ったるい。自分自身の甘さに呆れた。
◆◇◆◇◆◇◆
火の国に降り立つ。相棒は竜から人の姿に戻っていた。
クレインにブリス…元火の神竜の詳しい居場所は聞いている。火の国と水の国の国境、クリスタ山脈の頂上だ。
「…クリスタ山脈の頂上」
「…何かあるのか?」
隣で呟きが落ちる。尋ねると男は首肯した。
「俺たちの村があった場所だ」
「…故郷だったのか」
「…ああ」
ならば神竜は親の近くであり、恋しい人のいた場所でもあるその地にいるのか。そう思うと少し切ない。どちらにも届かず狂った竜に救いはないのか。片割れの言う通り、死だけが救いとなるのか。
「…神竜を倒す」
「…ああ」
「……倒したら、角をクレインに渡していいか?」
「角…?」
「形見にする」
頷いた。クレインは堕ちた片割れの死を、救いを望んでいた。しかしいくら堕ちたとしても兄弟なのだ。愛情深いあの白い竜に形見くらい残してやりたい。相棒の優しさだった。
「角だけでいいのか」
「…は」
「結晶化すれば体ごと持って帰れるが」
「…それ、あんたに負担は」
「ない。媒体さえあれば子どもでもできる」
もっと言えば幼児から習う魔法の基礎だ。最初はスライムやゴブリンといった低級モンストロの骸で練習し、徐々に難易度を上げていくのだ。魔導師くらいになれば大体のモンストロは結晶化できるという。なら神竜も問題ないだろう。
「…何を媒体にすればいい」
「何でもいい。その辺の石でもできるが、身に付けられるものの方がいいだろう」
「…ああ。露店に寄っても構わないか」
「もちろんだ」
頷く。こういう準備も大切だと思う。形見として贈るならなおさらだ。
露店や雑貨屋を回る。ああでもない、こうでもないとあちこち見て回り、やっと見つけたのはシンプルな腕輪だった。
「…白と黒か」
ちょうど神竜とクレインを思い出させる色。ムーンストーンとブラックスピネルの石を銀の輪にはめ込んだ腕輪だ。
「これなら邪魔にならんだろう」
「…そうだな」
金を払って店を出る。腕輪は布に包んで相棒の懐に収まった。これだけは自分で持っていたいらしい。武器すら預ける相棒の希望に口出しはしなかった。
昼食を食べ、登山に向けて買い出しする。今日は必要なものを揃え、明日クリスタ山脈の麓まで行く予定だ。そこから3日かけて山を登り神竜を討伐する予定である。
魔法を使わないのは神竜に気づかれないためだ。できれば奇襲をかけたい。
買い出しを終え早々に宿に帰る。素早く夕食を食べ、風呂に入る。部屋に戻り、俺は魔法の確認と魔法石作成、相棒は武具の手入れだ。
母から受け継いだ魔導書を読み返す。もう何度も読み返した魔導書だ。内容を諳んじることもできる。それでも読み返すと心が落ち着く。ルーティンのようなものだ。
最後のページに目が留まる。この魔法を使う時が来るとは思わなかった。
『浄化の太陽』と名付けられた攻撃魔法は天使の魔法だという。その昔、太陽帝国から日の国へと国が生まれ変わった時に他国から民を守るために使われた魔法だそうだ。
日の国の初代王族はみんな使えた魔法らしい。だが時が経ち、人へと受け継がれた魔法が変化するにつれて使われなくなったという。そしていつのまにか古代の禁術に指定されていた魔法だ。
…使えばクリスタ山脈が吹き飛ぶだろう。使用方法と魔力の調整は慎重にしたいところだ。
だが、攻撃のメインはカイだ。俺はあくまで補助だ。1番の役目は相棒と生還し、クレインやウィステリアたちのところに帰ることである。無理をするつもりはない。
母から受け継いだ魔導書を閉じる。
きっと『浄化の太陽』より、天使の白魔法を使う可能性の方が高いだろう。こちらの魔法は大体の病傷を治せる。それどころか死者も生き返らせる蘇生魔法だ。神竜討伐が終わったらルナにも使う予定である。
これを使う時は相棒か俺が死にかけた時だ。『浄化の太陽』より失敗できない。準備は入念に、今から水晶に祈りを込めておく。
武器は長杖と短剣を用意する。短剣は幼い頃使っていたものだ。魔法媒体としても使える月の国製のもの。
用意したものを確認し、異空間にしまっていく。明日から持ち歩くのは祈りを込める水晶と杖のみだ。
「終わったか」
声をかけられる。相棒殿はすでに武具を片付け終えていた。俺が終わるのを待ってたらしい。
「ああ」
「火を消すぞ」
「ああ。…あ、待ってくれ」
ベッドに潜る前に相棒の前に立つ。額にひとつ口づけを落とす。陽だまりの瞳が見開かれる。
「良い夢を、相棒殿」
小さく笑い布団に入る。昨日散々驚かされた仕返しだ。
「…良い夜を」
押し殺した声が聞こえた。灯が落ちる。よほど悔しいのだろう。ふふん、魔導師に隙を突かれた気分はどうだ。俺だってやればできる。
目を閉じる。
この無謀な挑戦がちゃんと終わりますように。そう願った。




