竜と天使の舞踏曲
夜の闇に店の灯りが煌々と輝く。夜でも明るい港町を俺たちは歩いていた。
少し前を歩く相棒は無言だ。俺の手を引いて黙々とどこかに向かっている。その方角に何があるのか、なんとなく覚えていた。
成人の儀の舞を踊ったあの入り江だ。まだ一年も経っていないと言うのに懐かしさを感じる街を歩いて行く。
足はやはりあの入り江を目指していたらしい。人気が少なくなり、やがて建物も見かけなくなった。真っ黒な闇だけが広がる海にまっすぐ歩いて行く。
「…カイ」
声をかける。
相棒の背中からいつのまにか翼が生えていた。緋色に金粉の混じる鱗の美しい翼だ。
こんなところからどこに向かうつもりなのか。入り江の方角をまっすぐ行けば月の国や日の国にたどり着く。火の国に戻るなら方角が違うはずだ。そのことに気づかない男ではないはずだが。
「…あんたは帰れ」
懐かしい言葉を聞いた。旅を始めた頃、女だとばれた時によく言われていた言葉だ。
だが今さらなぜそう言われるのか。旅を始めてから、知識も技術も使えるようになった。魔法の腕も磨いた。もう旅が危険だと言われるほど危なっかしいとは思えない。
「…なんでだ」
「神竜のところへは俺ひとりで行く」
静かな声が海のさざ波に混じる。声が固い。握られた手が離されようとしていた。
なんだそれは。ふつふつと怒りが湧いてくる。
俺が力不足なら、この男に他に仲間がいるなら俺だって引いた。だが俺だってもう足手まといなだけの存在ではない。いくらでも支援してやる。あんたが勝てるように、生きていけるように、白も黒も禁術だって使ってやる。
それにこの男はひとりだ。回復役もサポート役もいない。ひとりで神竜に戦いを挑むつもりなのだ。
そんなの死にに行くようなものだろう。この男の涙を見た時、俺はこいつを生かすと決めたのだ。今さら翻してなどやるものか。
「俺はあんたについて行く」
「…やめろ」
ずっと握られていた手が離される。ほろほろと溢れる光が目の前の男を竜に変える。こんな状況なのに美しいと思った。強く美しく、同時に脆いこの生き物を手離したくない。手を伸ばす。
「俺はあんたを生かすと約束しただろう」
鱗に覆われていく頬を両手で握る。琥珀色の目をこちらに向けさせる。琥珀色は水面に揺れていた。目元はやはり赤い。
「…それであんたが死んだらどうするんだ」
低く弱々しい声が耳に届く。
俺の死を恐れたのか。思えばこの男は失うことに敏感だった。ただの相棒に自分の逆鱗を渡すくらいに怯えてるのだ。この男にとって失うことは地獄に落ちるのに等しい。一度に多くを失った経験がそうさせているのだろう。
そう思うとフツフツと湧いていた怒りが鎮まっていく。代わりに湧き上がってきたのは目の前の男への恩義と温かい何かだ。
俺だってこの男を失いたくはない。知らない間に唯一を失いかけるのはもうこりごりだ。
「俺はあんたの相棒で番なんだろう。相棒を置いて簡単にくたばってやるつもりはない。言ってるだろう」
「…だからこそだ。あんたはどこかで生きててくれ。それだけで俺は救われる」
「ごちゃごちゃうるさいぞ。相棒は助け合ってこそだ。あんたに救われた命、無駄にするつもりはない」
目の前の男の頭を抱きかかえる。こいつを手離すつもりも、死ぬつもりも全くない。俺は自他共に認める諦めの悪い女なんだ。どちらか一方が死ななければならなくなったとしても両方生き残る道を探す程度にはな。
「…あんたはいなくならないのか」
「死ぬ予定はないな」
言い切る。男が顔を胸に埋める。細く長い息が吐き出された。琥珀色から雫が溢れているのは見なかったことにしてやる。
「あんたのために生きてやる」
海の音が満ちる。懐かしい気配だ。この街でこの男と出会ってから怒涛の勢いで日々を駆け抜けた。そして今、呪いを解く白魔法も、相棒が追いかける神竜も見つけた。後は実践するのみだ。
小さく歌を紡ぐ。あの時、成人の儀を舞う前に歌っていたものだ。太陽の神を讃え、感謝を捧げる賛美歌だ。月の国の出身ではあるが、俺は月の女神よりも太陽の神に惹かれた。神に抱くのはどうかと思うような親愛に似た情はなるほど、クレインの話を聞いた今なら納得もできるというものだ。
俺の母は日の国の王族だ。天使の一族の血を汲むからこそ太陽に惹かれるのだろう。元を辿れば俺も太陽の神の子孫らしい。
歌声に低い男のものが重なる。胸で慣れたように目を閉じる男の声だ。なんだ、知ってる曲か。
「…あんたが歌っていた」
「…俺が歌ったのは一度きりだったはずだ」
「機嫌がいい時、たまに口ずさんでた。なんども聞いていれば覚える」
知っていたわけではないらしい。俺はそんなに歌ってたか。
「…踊るか」
「踊るのか?」
「あの時はひとりで踊ってただろう」
熱が離れる。目を赤く腫らした男が手を差し伸べる。琥珀色が挑発的に細められる。
口の端が上がる。望むところだ。手を重ねる。
「あんた、踊れないんじゃなかったか」
「踊れないな」
「ふふっ、何踊るんだ?」
尋ねながら足は軽やかに一歩踏み出す。決まった踊りをお行儀よく踊るつもりなんてない。そもそも俺だって女役の方は踊れない。成人の儀の踊りもステラとルナに教えられてやっとだった。
星明かりが舞う。銀の月は見えない。今日は新月らしい。足元が見えない。俺も翼を出す。翼の放つ光が足元を照らした。
さざ波と俺たちの足音だけが俺たちのワルツだ。祝詞を歌う。やはり太陽神へ向けたものなのは許してほしい。
「…なあ」
掠れた声が案外はっきり響く。
「なんだ」
聞き返す。熱のこもる琥珀色と出会った。身を焦がす炎の熱だ。心臓が跳ね上がる。だが嫌ではない。じっと見つめ返す。
「…あんたが好きだ」
吐き出された吐息が熱い。体を寄せた男の魔力が甘く漂う。魔力で感情を感じ取れるのも考えものかもしれない。頬が熱い。耳も熱い。これはなんだ。
フードで顔を隠そうとして気づく。フードが落ちている。意図したわけじゃない。だが奇しくも今の格好はあの成人の儀の時と同じ白いワンピースのみの姿だった。
男装は水の国でリヒトに嘆かれてからほとんどしてない。今日も被るだけの簡単なワンピースだった。
つまり顔を隠せるものが何もない。頬や耳どころではない。全身が熱い。見られるのには慣れてないんだ。
顔を伏せる。
「…ソラ」
優しい声が己を呼ぶ。顔を上げる。存外柔らかい瞳が見つめていた。
「俺、も…好きだ」
途切れ途切れの言葉が自然と口から零れ落ちた。言ってしまってから口を噤む。俺は何を言ってるんだ。
「…っ!」
琥珀色が見開かれる。金色の魔力光が男の瞳に溶ける。陽だまりの色だ。見惚れる。
見惚れているうちに陽だまりが熱を取り戻した。金色がゆっくり近づいてくる。目を閉じた。唇と唇が出会う。
音も何もかもが消える。己を囲む腕が温かかった。
目を開く。とろけた陽だまりの色に出会った。
「…あ」
陽だまりの中に赤金色を見つけた。夕陽のようだと思う。一拍遅れてそれが自分の色だと気づいた。
「…きんいろ」
目の前の男の唇が動く。
「きんいろ…?」
「あんたの目、金色が混じってる」
「そうなのか。あんたの目は赤金色が混ざってるぞ」
「…色が混じったのか」
「そうみたいだな」
顔を見合わせる。夕陽の目に映る赤は違和感なく色を添えている。何故色が混じったのか。じっと目を見つめる。男がふと笑った。
「…どうしたんだ?」
「…あんたが俺の色を纏うのは悪くないな」
「…うるさい」
腕で目を覆う。この男はいきなり何を言うのだ。
「…綺麗だな」
「…綺麗とか言うな」
首を横に振る。この男はついに目がおかしくなったらしい。男みたいな俺を綺麗だと宣うとは。いや、そもそも俺みたいなのが好きだと言った時点で疑うべきだった。もしかしたら頭もおかしくなってるかもしれない。白魔法で治るだろうか。
「おい、何をする気だ」
「安心しろ。ちゃんと治してやる」
「何をだ。変なところで勘違いしてるだろう」
「してない。あんたの目と判断力を治すだけだ」
「盛大に思考が迷走してるな。いったん落ち着け」
浅黒い腕に抱き込まれる。石けんのにおいがした。動けない。
「何度でも言う。俺はあんたが好きだ」
「………」
「信じるまで言い続けるぞ。言質は取ったからな」
「…そんなものいつの間に取った」
「あんたも俺が好きだと言っただろう」
静かな声が落ちてくる。…確かに言った。
反射的なものだったが、その言葉に偽りはない。俺はこの男が好きだ。それがこの男の言う好きと意味なのかと問われると答えきれないが、誰よりも信頼できるのは事実だ。
友情はある。だが恋愛感情はあるのだろうか。自問自答しても答えはわからない。そもそも恋ってなんだ。
今まで恋したことも、そういう文献を読んだこともなかった俺にわかるはずがない。
「…確かに言ったが。この好きがどういう意味の好きなのか、俺にはわからない」
「…だろうな」
男がため息を落とす。ここ一年弱でよく見た表情だ。
「今はわからなくていい。そのうちわからせてやる」
「…ああ、期待してるぞ」
「………」
男が黙り込む。返答を間違えただろうか。初めて見る反応ばかりで判断がつかない。いつもはなら何を考えてるかくらいはわかるのだが。
「…その言葉に二言はないか」
不意に問われた言葉に首をかしげる。何かおかしかっただろうか。
「当たり前だ」
とりあえず頷く。男は俺の返答を聞いてにんまりと笑った。
「なら本気でいかせてもらう」
その言葉とともに唇同士が数分ぶりの再会を果たしたのだった。




