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白い竜の昔語り


行き交う人々のざわめきと波の音、遠くから響く怒号。落ち着いた色調の壁が柔らかく喧騒を遠ざける。

窓の外には青空とどこか見覚えのある港が広がっている。

「…それで、僕に聞きたいことって何ですか?」

フーディエが気だるげに問いかける。驚いた様子はない。ここはフーディエが『転移』に指定した場所らしい。

…フーディエの部屋か。それにしては綺麗に片付いている気がするが。それに誰のだかは忘れてしまったが、フーディエのものではない見知った魔力の気配がする。

「竜だ。黒い鱗に赤い瞳の神竜、知らないか?」

相棒が尋ねる。例の神竜の特徴だ。

心臓が高鳴る。もし見つけたならば相棒の男はどうするか。…きっと倒しにいくだろう。

酷い話だと思う。だが、俺は今さらになって相棒に神竜退治に行って欲しくないと思う。

もう十分だろう。こいつは酷く傷ついて、十分すぎるほど苦しんだ。これ以上神竜に関わって苦しむくらいなら、全て忘れて幸せに生きてほしいと思うのだ。

フーディエは数回瞬きを繰り返し、蝶の羽ばたきのような吐息をついた。

「なるほど、僕の研究分野ですね」

呟きベッドの上に腰掛ける。緩慢で気だるげな仕草が酷く様になっている。だらしなく見えてしまうような仕草でさえ気品を纏うあたり、さすが傾国と呼ばれた魔導師なだけはある。

幻術師が寛いだように足を組む。途端ベッドに吊り下げられた小さな鈴が鳴る。幻術師はふうん、と鼻を鳴らした。

「あの男にしては露骨ですね」

「…何のことだ」

「この部屋の主ですよ。たぶんそのうち来るんじゃないでしょうか」

「ここ、フーディエの部屋じゃないのか」

「おや、いつ僕が自分の部屋だと言いました?」

食えない男だ。昔から変わらない。他人の部屋でここまでくつろげる図々しさも相変わらずだ。…いや、この男は昔も俺の部屋だから遠慮しなかったのか。

だがここは誰の部屋なのか。さすがに不法侵入は落ち着かない。それに他人の部屋で寛げるほど俺は偉くない。場所を変えたいところだ。

「…せめて場所を変えないか」

「いや、いい」

「…カイ?」

意外にも首を横に振ったのは相棒だった。隣の男はスンと鼻を鳴らす。

「…クレインの部屋だ。問題ない」

「クレインの…」

言われてみればあの白い竜の魔力が漂っている気がする。あくまで気分程度だが。

「そういうわけです。さて、黒い鱗に赤い目の神竜でしたかね。…確かに知ってますよ」

「本当か⁈」

相棒の男がつめ寄る。青年が面倒臭そうに顔をしかめた。しかし退く気はないらしい。組んだ足に肩肘をついた。

前髪の下でその瞳は鋭く輝く。魔力が立ち上る。魔導師の気分が大きく揺れた時に起こる現象だ。怒りをたたえた声が静かに部屋に響く。

「アレは元火炎の竜でした。なかなか面白い男だったんですけど。…ちょっと会わない間に堕ちたようです」

「堕ちた…?」

「ええ。…それも含めて、知りたいなら彼の方が詳しいでしょう」

フーディエが扉を一瞥する。そこに誰かいるのか。扉が開く。

「…また何の用だ、フーディエ」

呆れた顔をしたクレインが現れる。以前と変わらない真っ白な姿だ。手紙の通り元気にやってるらしく顔色はいい。良質の魔力が部屋に漂う。

だがその出で立ちに違和感を覚えた。何か足りないような気がする。それは何なのか。以前会った時を思い返して気づく。あれだけ一緒にいたイチゴの姿がないのだ。

イチゴはしっかりした女だ。筆まめなイチゴが話してくれた内容から推測すると剣の腕は師範級だろう。十分ひとりで生きてける強さを持っている。

そんなイチゴがひとりで旅をしないのは、ひとえにこの男がイチゴを放っておくことがないからだと思う。竜は愛が重いらしいからな。

リヒトやクレインの番に対する態度を見ると納得せざるを得ない。だからこそこの白の竜の側に番がいないことが不思議に思えた。

「…イチゴはどうしたんだ」

「カイ坊にソラ…嬢?イチゴなら下で姐さんって呼ばれてる人の子に料理を習っているが」

「姐さん…?もしかしてここ、サフィリアか」

「お、正解だ!ふたりは俺たちに会いにきてくれたのか?」

クレインが嬉しそうに破顔する。連れてこられたのだとは言いにくい。フードを引っ張り深く被る。

隣の男も答えにくいのだろう。ため息を落として首を横に振る。

俺たちの反応に白い竜はしょぼんと肩を下げた。

「なんだ、違うのか?」

「…僕が連れてきたんですよ。その方が楽だったので」

「そうだったのか。俺たちの部屋はお前さんの部屋じゃあないんだがなあ」

クレインが呆れたように笑った。あの飄々とした竜にこんな笑い方をさせるとは。知り合いの図太さにはつくづく驚かされる。

「それで、何の話だったんだ?」

「黒い鱗に赤い目の神竜の話ですよ。…貴方なら詳しいでしょう」

知り合いの表情が陰る。これもまた珍しい。そもそもこの男はあまり表情を動かすことがない。だからこそこの話題が知り合いの男にとっても決して軽いものではないとわかる。

話を振られた白の竜は。眉を下げ悲しげに、懐かしげに呟いた。

「…ああ、ブリスのことだったか」

声に哀しみが混じる。瞳に怒りが篭る。唇に笑みが浮かぶ。めちゃくちゃな表情と声音をして、長寿の竜は瞼を閉じた。感情を宿きたトパーズが隠される。

「…知り合いか」

「ああ。…ブリスは俺の双子の弟、魂の片割れさ」

「……双子」

相棒が目を見開く。琥珀色が揺れる。そっとその手を握る。手先が冷えていた。

「そうさ。…そのおかげで俺は生きてるんだが。ちょっと話が長くなるんだが聞いてくれるか?」

「…聞く。全部話せ」

「へいへい、まったく態度のでかいお坊ちゃんだぜ。ソラ嬢は聞くかい?」

「聞く」

床に座る。並んでカイも座った。手は握ったままだ。

「じゃあ僕は帰りますね」

フーディエはそれだけ言い残し姿を消した。火の国に転移したのだろう。国境越えできるほど魔力が強いあの男だからこそできる芸当だ。俺にはできない。

「何から話すか…」

クレインが腰を下ろす。ピリッと魔力が静電気のように走る。それだけ心が動く話なのだろう。魔力と心は連動する。

悲しい魔力をそのまま受け止める。この感覚がわかるのは魔導師だけだ。それも旅に出てからさらに敏感になった。もちろん魔力に込められた感情を跳ね返すことだってできる。

けれど今回だけはクレインの感情を無下にはできなかった。

「俺とあいつは炎の始祖竜の息子なんだ」

「…炎の始祖竜?」

「太陽の神の血から生まれた竜は火竜、月の女神の涙から生まれた竜は水竜なんだ。ちなみに天使は太陽の神の慈愛から、魔族は月の女神の慈悲から生まれてるな。そのほかの竜は長く生きる中で変化を遂げた竜だな。代表例がウィステリアだ。あれは時の竜なんだ」

初めて知る話だ。そもそも竜の生態に詳しくなり始めたのも隣の男に関わり始めてからなのだが。竜の起源なぞどこの文献にも載っていないだろう。それも日の国、月の国で信仰されている神の子どもだと言う。故郷の奴らが知ったら同じく驚きそうだ。

「話を戻すぞ。俺は始祖竜の光の性質を、あいつは炎の性質を強く受け継いだんだ。あいつは特別じい様に愛されててなぁ。それはもうわがままで生意気な弟だったんだ。

だが優しい奴でな。か弱い俺を守ってくれたりなんかもした」

「…優しい」

カイの顔が歪む。当たり前だ。この男は目の前の竜が話す“優しい”竜に多くのものを奪われたのだから。そして今、唯一残ったものすら脅かされている。

男の手が俺の手を握る。震える手に潰されそうになりながら握り返した。だてにいつも潰されそうになっているわけてはない。俺だって慣れれば余裕もできる。…痛いのは変わらないが。

「竜や天使、魔族といった神の子の時代が終わり、人の子の時代が訪れてからだな。神も始祖竜も姿を隠し、あいつは少しずつおかしくなり始めたんだ。ついには俺にまで八つ当たりするようになったな。

あの頃は俺も若かったからな。喧嘩別れしてカイ坊たちの竜の里に居ついてから、あいつと会うことはなかった。

再開した時にはあいつは狂ってたな。ウィステリアだけを求めて執着し、村を滅ぼした」

トパーズに影が落ちる。快活な白い竜は懺悔するように言葉を紡いでいた。

隣の男が唇を噛む。様子を伺う。目元が赤い。口を開く様子はなかった。きっと話せないのだろう。

村を滅ぼされた記憶は未だに男を苛んでいる。夢で何度も魘され、現実でも涙を見ているからこそわかる。こいつは見た目に反して脆い。ウィステリアの言った通りだ。

「…あんたが助かったのは、相手が双子だったからなのか」

「…ああ。魂の片割れはもう片割れを殺せない。そう言う決まりなんだ。…そのおかげで俺は助かったが、あいつは救われないままだ」

「…救われない?」

聞き返す。白い竜は小さく頷いた。

「神の子には人の子とは違う死があるんだ。生を諦め死を求め、己の光を手離し、狂気に堕ちた奴はもはや神の子じゃない。化け物さ。例え元が何者であったとしてもな。

…ブリスは光を見失ったのさ。だから奴はもう、ブリスではないな。ブリスの皮を被った化け物だ」

悲しげな、しかし同情心は一欠片も含まれない声音だ。双子の弟が堕ちた。その意味を完璧とまではいかないがなんとなく理解した。

白い竜の片割れはもはや生に光を見出せないのだ。これが人間なら話は違ったのかもしれない。光を失っても、人ならまた新たな光を見つける。闇の中でも世界を愛せる機会がやって来る。時間が傷を癒してくれる。

だが神の子は違うのだろう。自ら光り輝く神に近しい生き物だ。光から生まれたからこそ闇を知らない。だから一度光を見失えば二度と戻っては来られないのだろう。そう解釈した。

ならば救いはなんだ。目の前の竜は直接的な答えを言わなかった。狂い堕ちるのは人の子とは違う死だという。

一度死んでなお救われないというのなら魂を導けばいいのか。だとしたら必要な能力は退魔師のようなものか。

「…あんたはその双子の弟をどうしたい」

考え込んでいるの低い声が響いた。隣の男のものだ。隣を見る。知古への優しさ、戸惑い、多くを奪われた怒り、迷い。それら全てを混ぜた琥珀色が澄んだ色を宿す。その色がひどく眩しく見えた。

「…もう戻れないなら、あいつが望んだ安寧の闇へ。永遠の眠りの中で魂だけでも救われるならそれが俺の願いさ」

「…殺してもいいのか」

「そうしてやってくれ。その方があいつも楽になれる」

白い竜がトパーズに片割れへの情愛だけを写して微笑む。優しい色だ。

死して救われるなら。そう願えるくらいに片割れのことを慕っている。だからこそ別れを惜しまない。なるほど長く生きてきた神に近しい者らしい考え方だ。

「…そうか」

カイが視線を落とす。この優しい男はまた悩むのだろう。兄貴分の片割れだと知って神竜を殺せなくなるのかもしれない。

だもしたらそれでもいい。然るべき機関に報告して、然るべき対処をしてもらえればこの男が死ぬことはないだろう。ウィステリアの安全だって守られる。

「…最後にひとつ聞いていいか」

「なんだ?」

「…あんたの片割れはなぜ姉さんを狙う」

隣の男が問いかける。苦悩に満ちた琥珀色が揺れた。俺の手を強く握り潰す。力加減が苦手らしい相棒に潰された骨をこっそり修復する。守りの魔法も使った方がいいだろうか。

「……ウィステリアは時の竜。あいつの力があればまた幸せな時間に戻れる。間違った光を見出したんだろうさ」

目を閉じる。琥珀色が隠れた。

あんまりな暴論だ。ウィステリアが時の竜だとして、さすがに神代の時代に戻ることはできないだろう。そのために平穏を崩されるのだとしたら、やはりあの穏やかな幸せを守りたいと思う。

「その竜はどこにいる」

男が静かに問いかける。

「火の国と水の国の国境、クリスタ山脈の頂上だろうな。あいつは太陽に近しい場所を好む」

「…わかった」

男が立ち上がる。つられて俺も立ち上がった。手が熱い。相棒の表情が読み取れないことにこんなに不安を覚えるのは初めてだ。

「…情報、感謝する」

ポツリと呟く。窓から差し込む赤い光が男の足元に黒い影を作り出した。

「…行くぞ、ソラ」

手を引かれる。転ばないよう踏み出した足が自然と歩みの形になる。部屋を出る一瞬前。白い竜は縋るような声で叫んだ。

「カイ坊、ソラ嬢!お前さんたちは己の光を見失うな。太陽の神に愛され続けてくれ!」




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