義兄姉からの依頼
「ねえ、カイちゃん、ソラちゃん。次の行き先は決まってる?」
リヒトがそう声をかけたのはちょうど夕飯の最中だった。
「…まだ決まってない」
カイが低く答える。先ほど起きたばかりの相棒の気分はまだ浮上してないようだ。
「なら火の国までお使いに行って来てくれないかな?」
「火の国?」
なんでまた。
火の国と水の国は折り合いが悪い。
獣人の国である火の国は火を尊ぶ。獣人は火を扱うことで発展してきた種族だ。故に火を尊ぶと共に、火を馴染み深いものとして感じている。
対して水の国は竜の国だ。竜は水の神として以外にも、火の神として崇められることがある。そのため水の国では火といえば竜なのだ。竜は神聖なものであり、決して獣人にとっての火のような存在ではない。
その価値観の違いが争いの元となり、国境付近では小競り合いが繰り返されている。
「火の国に世話になった人がいるんだ。そいつに竜の涙を頼まれたんだ」
ウィステリアが淡々と説明する。
「竜の涙…。確か調剤の仕方によって心臓病や精神病に効いたはずだな」
「よく知ってるね。その人、ナハトくんって言うんだけど、薬剤師をやってるんだ」
「…ああ、それでか」
竜の涙は調剤の仕方によって効果が変わる魔法素材だ。手に入れるのは難しいが、その分うまく使えば効果的な薬になる。
例えばそのまま粉にして妖精の粉と混ぜれば重篤な心臓病の特効薬に。加熱して月の光に晒し、いくつかの薬草を混ぜれば精神病の治療薬にと行った風にだ。
「頼まれてくれるか?」
「……旅のついでだ」
カイが頷く。義姉と義兄はほっとしたように表情を和らげた。
「涙はソラに渡しておく」
「ああ。異空間保管で構わないか」
「構わん。それが一番安全だろう」
義姉がこくりと頷く。確かに異空間ならなくすことはない。もちろん盗まれることもない。
「…それで、ナハトはどこの街にいる?」
「ガーネリア、国境に近い町だ」
「国境に近い…」
「…どうした」
思わず繰り返す。今日宿屋で見たチラシを思い出した。
顔を覗き込む相棒の男にそのことを伝える。モンストロには注意した方が良いかもしれない。
告げると意外にも義兄が眉をしかめた。
「…そのモンストロ、どれくらいの大きさって書かれてた?」
「…空を覆うくらいだと」
言いながらふと思い出す。そういえば、神竜もそれくらいの大きさじゃなかったか。チラリと隣の男を見遣る。男は険しい顔で俺を凝視していた。
「…奴が来てるのか」
男が低く呻く。今にも飛び出して行きそうな男を引き留めたのは意外にも冷静な義姉だった。
「まだそうと決まったわけじゃない。早まるな」
今日もリヒトが作った夕飯をペロリと平らげ、義姉は不敵に笑う。
「奴が来たからなんだ。私はもうこいつのものだ。他の竜にくれてやるものはない」
「ウィリーちゃん…!」
リヒトが涙ぐむ。目の前で繰り広げられる恋愛劇から視線を逸らし相棒たる男を見据える。
「…カイ」
「…わかっている。だが奴かどうか確かめたい」
「…そうだな。ついていく」
もし神竜なら早く対処したい。義姉たちには世話になった。ここで平穏に暮らしている義姉たちの幸せを壊したくないのは俺も同じだ。
「…用事が終わったら一度ここに帰る」
「そうしてくれ。私たちはここで待っている」
「もしアイツだったら知らせてね。ウィリーちゃんと僕たちの子どもを取られるわけにはいかないから」
義姉と義兄の言葉にそれぞれ頷く。いざとなったら義兄は義姉を連れて逃げるだろう。今度こそ完璧に姿を消すかもしれない。
その前にクレインたちに連絡を取った方がいいだろう。きっとクレインたちは義姉たちの力になってくれる。
「明日には出発する。今日は早く休め」
「ああ。あんたもな」
相棒に返事し、夕飯をかきこむ。鶏肉とほうれん草を使ったクリーム煮のバターの香り鼻を通り抜けた。しばらくこの美味い手料理が食べられなくなるのは惜しい気がした。
かくしてただのお使いにモンストロの索敵が加わった。
夜、魔導書の気になる記載のある頁をめくる。火と光の禁術。日の国の前身、古代太陽帝国の天使が作ったと思われる魔法。
使いこなせれば神竜相手に有益な攻撃手段となるだろう。
書かれた呪文を紡ぐ。魔力が暴走しないよう、繊細に、慎重に。聞き覚えのない発音が歌のように連なる。
背中が熱い。熱を解放しようとすると羽根が広がった。狭い部屋に今までにないほど大きな翼が押し込められる。俺の翼はこんなに大きかったか。
最期の文句を言い終える。途端太陽のように熱い拳大の光源が手のひらの上に現れた。魔力が濃縮されたそれは手のひらを焼くことなくそこにある。しかし一度魔力を解き放てばそれは小さな太陽となり、全てを焼き尽くすだろう。
そんな危険な魔法だった。
「…使えるが、使うべきではないな」
魔力をゆっくり解いて体に戻していく。赤金色の光を受けて翼が白金色にきらめいた。最期のひとかけらまで戻しきりほっと息を吐く。
…さて、クレインに連絡をつけたら寝てしまおう。
「想いは届く。『遠話』」
詠唱と同時に赤金色の小鳥が姿を現わす。この小鳥に送りたい言葉を乗せて相手に届けるのが遠話の魔法だ。
「俺だ。ラピスラジーのウィステリアのところにいる。明日火の国に発つ予定だ。火の国に大きなモンストロが出ると聞いた。神竜かもしれないそうだ。神竜だったらウィステリアとリヒトを頼む」
用件だけを吹き込み、小鳥を飛ばす。これでどんなに遠いところにいても明日の朝には届くだろう。
持ち物を確認する。魔導書の類はまとめて異空間に放り込んだ。竜の涙もきちんと保管している。
自分の愛杖と相棒の大剣、鎧が一通り揃っているかも確認した。準備は万端だ。
布団に潜り込む。温さに自然と眠気がやって来る頃、浅葱色の小鳥がベッドサイドに降り立った。
触れると小鳥は光となって解け、穏やかな声が室内に響く。
『一期です。文、確かに頂きました。私たちは今、風の国のサフィリアにいます。気風の良い街ですね。
さて、神竜についてですが、クレイン殿も私もいざという時は藤色の姫君と竜を迎えにいくつもりです。後方支援はお任せください。旅中のご無事を祈ってます』
イチゴらしい丁寧な文だ。文章のあちこちにイチゴの穏やかな気質が滲んでいる。
本題も聞いて安心した。いざという時には駆けつけてくれるらしい。そう思うと憂なく旅立てる。
「ありがたいことだ」
呟き、今度こそ目を閉じた。いよいよ決戦の時が近づいてきているのかもしれない。心臓が早鐘を打つ。これじゃあ眠れもしない。
嘆息し、自分自身に眠りの魔法をかけた。すっと意識が落ちていく。その寸前、遠くから呻く声が聞こえた。
…魔法を中断させる。無理矢理重みを持たせた瞼を開き、耳を澄ませる。声は隣の、相棒の部屋から聞こえた。
…久々に魘されているのか。
ベッドから這い出る。隣の部屋に忍び込む。案の定相棒は布団の中で丸くなり夢にうなされていた。
魘されているのは久々だ。神竜の話を聞きまた村が襲われた夢でも見ているのか。
脂汗が浮いた額にキスを贈る。熱い手を握る。そこでふと幼い頃の思い出が蘇った。
ちらりと窓の外を見る。銀の月が夜を守っていた。
「…ゆりかごに笑う幸せのたまご
天使の祝福のもと大きく育て
みなに愛される幸せなひよこ
精霊の愛ですくすく育て」
小さく子守唄を紡ぐ。母さまがよく歌ってくれた歌だ。
聞いているのは銀の月だけ。歌に乗せて祈りを少し。魔力は込めない。ささやかな子守唄が夜のしじまに波紋を映す。
やがて魘されていた相棒から気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
小さく笑む。見下ろした寝顔は成人しているとはいえ、あどけなさを残している。こうして見るとまだまだ子どもだ。
「優しい夢を。おやすみ」
小さく告げ立ち上がろうとし。握っていた手を引かれた。
「…!」
「…あんただったのか」
低い声が静かに染み渡る。振り向くと琥珀色が闇に淡く光っていた。
「…起きたのか」
「…今起きた。悪夢を見るといつも決まって光にかき消されると思っていたが。あんただったのか」
その言葉に目を丸くする。ばれたか。
冷や汗が吹き出す。どうしよう。ばれた時のことなんて考えてない。気味悪がられただろうか。
しかし男はそれ以上言及することはなかった。
「あんたも寝ろ」
強く腕を引かれる。体勢を崩してベッドに乗り上げた。
「なっ…!」
布団を被せられる。その上からぽんぽんと肩を叩かれた。
「…いや、俺は自分の部屋で寝る」
「……うるさい」
声がぼやけている。さては寝ぼけているな。
「おい、起きろ。離せ」
いくら呼びかけても、揺すっても、もう起きる気配はない。本格的に寝入っているらしい。
ならばと布団から出ようとする。しかし己を捕らえる男の腕から抜け出せない。ぎゅうぎゅう雑巾のように締め付けられている。
仕方ない。ため息をひとつ落とす。目を閉じた。
諦めれば他人の体温が心地いい。トクン、トクンと一定に刻む心臓の音は子守唄だ。
ゆっくりと瞼が降りてくる。そのまま夢の世界に突入した。
翌朝、リヒトの驚きの声で目が醒めるのは別の話だ。




