とある幼なじみの失恋
宿から帰る背中と白い翼を見つめる。黒い髪から覗く凛とした顔はよく知るもので、知らない柔らかさを孕んでいる。
彼は振り返りもせずにあの男のもとに帰っていく。薄情な幼なじみを見送り涙を零した。
「…綺麗になったね、ソレイユ」
初恋の君の名前に約10年間の想いを詰め込んで呟いた。
ソルは大事な幼なじみ。それは事実だ。けれどソルはそれ以上に、出会ってから今までずっと好きな人だった。初恋の人だったのだ。
ソルと初めて出会った時のはいつだったかな。…そうそう、確かルナの学友候補だった頃だ。その頃の私ってエトワール公爵家を繁栄させるための道具だったんだよね。
父には将来同い年の王女が王位を継いだとき、ルクレツィア女王の側近になれと言い含められていた。母には王女の側で権力と金のある男を捕まえろと囁かれていた。逆らったら物置に閉じ込められるから従うしかなかった。
家族からの期待が重かった。しかも私は側近候補だ。ルナの行くところはどこにでも引っ付いて行かなきゃいけなかった。それが本当に嫌だったんだよね。
それに王女の側に仕えるのだ。側仕えとしての能力と淑女になる並々ならぬ努力を求められた。たとえ子どもでも容赦はなかった。
すでにこの時点で私には無理だった。私は魔法が好きで、それいがいのことはしたくなかった。
本当は側仕えになんかなりたくない。魔導師になりたい。けれど誰もその道を許してくれない。言うと叩かれるから夢を語ることすらできない。
とにかく私のことなんて誰も考えてくれないんだって思ってた。ずっとひとりぼっちだと自分の境遇を嘆いていた。
そんな時にルナと旅行に出かけてモンストロに襲われた。
私は周りから命をかけてでもルナを守れと言われていた。けれど当時の私にとってのルナは枷であり、柵の象徴だった。常にルナさえいなければって思っていた。そんな奴のために死にたくない。
だから私、理不尽だって、こんなところで死にたくないって泣いた。ルナを守っていた魔導師たちはすぐにボロボロになって倒れていった。魔法の使えない騎士は逃げ出した。
私、こんなところで誰に愛されることもなく、好きなこともできずに死ぬの?
諦めてモンストロに食われようとした瞬間、その子は現れた。
「火の精は踊る。『火炎球』!」
細身の剣を掲げ、モンストロと私たちの間に飛び出してきた男の子。その子がソルだった。
ソルが操る火の玉がモンストロの顔に当たる。モンストロが熱さに怯んだ隙にソルはモンストロに斬りかかった。
翻る紺色のマントと艶やかな黒髪が綺麗だった。
火と光を操るその子は宮廷魔導師すら苦戦したモンストロをあっさり倒した。そしてくるりと振り返ると、
「…大丈夫か?」
と“私”に手を差し伸べてくれたのだ。隣にいた“お姫さま”ではなく、私に。
太陽の光を背負って手を差し伸べるソルは王子様にみたいだった。心配そうに私を覗き込む黒い瞳に恋をした。
後から考えれば、ソルはボロボロ泣いていた私が真っ先に目に入って心配しただけだとわかる。
ソルは色々鈍いし、浮世離れしたところがある。それに優しい。だから泣いてる私を優先したんだ。ルナが自分の国お姫さまだってこともわからなかったんだろう。
安堵して、純粋に自分を優先して心配してくれたことが嬉しくて、わんわん泣いた。ソルはおろおろしながらも、
「もう大丈夫だ」
と背中を撫でてくれた。
それからソルは姫を助けたフリューゲル伯爵家子息として私と同じ、ルナの側近候補に取り立てられた。
私は嬉しかった。 憧れの貴公子と一緒にいれるなら側近候補も悪くないって思えた。
ソルは本当に強かった。何かあれば剣と魔法で私とルナを守ってくれた。それにソルは白魔法だって使えた。怪我をした時は、
「…血が出てたら痛いだろう」
と治してくれた。なんでもできるソルはやっぱり私にとって王子様だった。
私は思いっきりソルに甘えた。ソルはその度に困った顔をしたけれど、拒絶することなく一緒にいてくれた。落ち込んでいる時はお菓子を譲ってくれたりなんかもした。
否定されないことが、不器用な優しさがすごく嬉しかった。私はひとりじゃないって思えた。
そんなある日、ルナとソルが話してるのを見つけた。仲が良さそうに話しているふたりを見て胸の奥がずきりと痛んだ。
ソルは私のなのに。ルナはお姫さまで、なんでも持ってて、魔法だって使うことを許されてる。私が欲しいものを全部持ってる。だから何にもない私からソルを取らないで。
そう願った。
ソルを取られたくない。その一心で、ルナとソルが何を話しているのか聞こうと思った。ソルが取られそうなら邪魔してやる。
柱の陰に隠れてふたりの話を聞いた。聞こえてきたのは私の話だった。
「ねえ、ソレイユ。あなたルナと仲良いじゃない?どうやったらそんなに仲良くなれるのかしら?」
「…その思いをそのまま伝えればいいんじゃないか」
「それは恥ずかしいのよ!もうちょっと真剣に考えなさい!」
「…できそこないの俺には無理だ」
「ならば余計に頭を振り絞りなさい!」
そこで初めて私はルナの私に対する思いを知った。今まで自分を縛る存在として疎ましく思っていたルナが、自分と仲良くなりたいと思ってるなんて。
知らずに涙がこぼれた。ここにも私を愛そうとしてくれる人がいたんだ…。
ソルを取る悪者扱いしたことが恥ずかしかった。
それから少しずつ私はルナと会話するようになった。ソルは、
「よかったな」
と笑っていた。いつもフードに隠されている黒い瞳はやっぱり優しくて胸がきゅんと高鳴った。
ソルはかっこよくて、優しくて、私の世界を広げてくれる素敵な男の子だと思ってた。その私が憧れていた部分がソルを苦しめてなーんにも知らないまま。
ソルに憧れた私は魔法使いになりたいと両親に打ち明けた。厳しく叱られた。淑女は戦う必要がないと。月の国は魔法使いの国なのに。
耐えきれなくてひとりで泣いた。ソルにかっこ悪いところは見せたくなかった。
それでもソルはタイミングが良いのか悪いのか、泣いている私のところにやって来た。そしてまっすぐ私を見つめて告げた。
「あんたはあんただ。やりたいことをやればいい」
そんなことを言ってくれるのはソルだけだった。この時の言葉は私の宝物だ。
私は私のことを一番理解してくれるソルと離れたくなくて、ひとつ約束を持ちかけた。
「ね、ソル。私たちはずっと一緒だよね」
この言葉にソルはなんで答えたかな。…なんて、全部覚えてる。だってソルのことが好きだったんだもん。好きな人の大事な言葉は忘れられないよ。
「あんたが許す限りずっと一緒にいる」
そう言って目を泳がせるソルと指切りした。ソルはずっと一緒にいてくれる。そう思うだけで弱い私は頑張れた。
ソルに助けられながらルナとも仲良くなって、幼なじみがふたりになった。話してみればルナは優しくて意地っ張りの普通の女の子だった。ルナはルナで悩みもあるみたいだ。ルナだけが特別幸せなんだって勘違いしてたのは私の方だった。
3人でいるのが当たり前になった頃、私たちは学園に入学した。
国立ルチア魔法学園。国内有数の魔法学園に入学する頃には私は天才と呼ばれるようになっていた。
魔法は使ってみれば息をするように操れた。魔法の研究も楽しかった。つい呪術にまで手を伸ばしてしまうくらいに。
父も母もそこまでくれば魔法使いになることを否定しなかった。それどころか天才と持て囃されるたびに自慢の娘だと言うようになった。
見事な手のひら返しだ。この前までずっと魔法使いを否定してたくせに。私はそんな両親を信用できそうにない。
学園でも3人一緒だった。何故か白魔法使いに方向転換してたソルも、それはそれで司祭様や神官様みたいでかっこよかった。
長く伸ばした黒髪はサラサラで、強い意志を宿す瞳は小さい頃から変わらず凛としていた。見た目は冷たそうなのに相変わらず優しいし、王子様みたいに綺麗に笑う。だからソルはいつのまにか陽だまりの貴公子と呼ばれていた。
ルナが月でソルが太陽、そして私が星。3人セットみたいなこのふたつ名を私は気に入っていた。
学園では私とルナは魔法科、ソルは医学科だった。ソルと学科が離れるのは少し、いや、だいぶ寂しかったけれど仕方ないことだと諦めらめた。
ソルにはなりたいものがあって、私にもやりたいことがある。“私は私”だ。やりたいことを思い切りやりたい。
それに学科が離れたと言っても、ソルはできるだけ私たちと同じ授業を受けるようにしていた。だから離れたなんてあまり思なかった。
お昼ご飯は3人で食べて、放課後はソルを連れ回して魔法研究したり、ルナとお茶会したりり。
毎日楽しく暮らしてたのに、やっぱり問題は起きた。ある日突然、ソルが倒れたのだ。
教授にそう聞かされて駆けつけた医務室で。私とルナはソルとソルの兄弟のベルク様とシアン様の会話を聞いてしまった。
「…兄弟は無理しすぎだよ」
シアン様の言葉に私とルナは顔を見合わせた。どんなことでも涼しい顔でやってのけるソルが無理してるところなんて、想像できなかった。
「そうであるな。医学科の勉学に加え、魔法科についていくための学習。魔法の鍛錬に姫君の警護、ステラ殿の研究の手伝い。これだけあれば休む暇もなかったのであろう」
「根を詰めすぎなんだよ。ソラの兄弟も大事な兄弟なんだから、もう少し僕らを頼ってほしいな」
「うーむ。それはソラの兄弟が良しとしないであろうなあ。ソラの兄弟は誇り高き太陽の姫君である故」
「それを言ったらベルクの兄弟は誉れ高き竜騎士の末裔だし、僕も慈悲深き獣の聖女の息子だよ。兄弟と負けないくらい強いから、ひとりで抱え込まないでほしいんだ」
「うむ。そうであるなぁ」
ベルク様のあの大きな声の中眉ひとつ動かさずに寝ているソルはすごいと思う。…けど、ちょっと待って。
「ソルが姫?…女の子、なの?」
「…待ちなさい、まだそうと決まったわけではないわ」
ルナが落ち着き払った声音で告げる。そうだ、まだ女の子って決まったわけじゃない。
今まで信じてきた通り、男の子でいてほしい。身勝手にそう願った。
けれど、目を覚ましたソルが起き上がった瞬間に都合の良い想像は否定された。
「兄上?シアンの兄弟…?」
のそりと起き上がったソルはいつものローブを被っていなかった。ついでに夏でも着込んでいるジャケットもなかった。代わりに薄手のシャツの胸部には男にはないはずのふくらみがあった。
「起きた?体は大丈夫?」
「…ああ」
「それはよかった。ソレイユの兄弟、とりあえずこれを羽織られよ」
「…!女だとばれたのか?」
「大丈夫!ちゃんと僕とヴォルさんが隠蔽しておくからね!」
「…兄弟、闇討ち暗殺はやめてくれ」
「ふふっ、そんなことしないよ」
フリューゲル三兄弟が仲良く話している。けれどそれ以上の会話の内容は耳に入ってこなかった。くらりと目眩がした。まさか本当に女だったなんて。
それからのことはあまり覚えてない。ただ気づいたらルナとソルの病室に乗り込んでいて、ソルが性別を偽っていたことを問い詰めていた。
ソルは目を伏せて訥々と語った。ソルが女として生きることができなかった理由も、隠されていた血統のことも。本当は古代太陽帝国の天使の言葉で太陽を表す“ソラ”と名付けられるはずだったことも。
初めての失恋だった。相手が女の子だったんだから、仕方ないことだ。
それでも優しくされればときめいてしまうし、ソルが変わらないから私の認識も変わらない。
頑張れば想いは叶うんじゃないかって思ってしまう。
ルナに打ち明けると、彼女はいい笑顔で応援してくれた。性転換の呪術の研究を手伝ってくれたりもした。
そしてソルを本当の男の子にしてしまえる呪術が完成しそうだった頃。ルナが呪いにかかり、それどころじゃなくなった。
それから性転換の呪術のことを考える時間はほとんどなかった。
その結果がこれだ。
ソルは別の人と相棒になり、女の子として生きている。
祖国では無理して男として振舞っていたソルは、あの相棒だとかいう男の隣では自然体でいつも笑っていた。
今度こそ失恋した。
二度も失恋して、それなのにまだ捨てきれない恋心に涙した。
過去十数年分の恋心を捨てるのは、過去の自分のほとんどを捨てるのと同じことだ。だって過去の自分はソルへの恋心を中心に生きてきた。それがなくなってしまったら、私は何をしていたのか思い出せないんだもん。
「…ね、ソル」
なんで私を選んでくれなかったの?
なんでその人なの?
私を選んでよ。
見せられなかった重い恋心を抱きかかえて踵を返す。もうこれ以上、私以外の人の隣で笑うソルの幸せそうな顔を見たくはなかった。
「…じゃあね、初恋の君」
宿の店主に解約してもらい、その日のうちに旅立った。おばあちゃん、驚かせてごめんなさい。優しくしてくれてありがとう、長生きしてね。
思いを込めて白魔法を残す。
旅立った町は夕陽を反射して、再開した初恋の人のように赤く染まっていた。




