竜と空の旅
目が覚める。眩しい朝日が目の奥を刺す。
「…朝か?」
体を起こす。上以外の全てが朱色の煌めきを纏う緋色に包まれている。
…なんだ、これ。
頬に羽毛がかかる。触れてみると感覚がある。…ああ、これ自分の翼か。
じゃあこの赤い壁はなんだ。俺は昨晩、カイを膝枕してたんじゃなかったのか。赤い壁をよく見てみる。
それはどうやら煌めきを纏う鱗のようだ。こんな感じの鱗を持つ生物を最近よく聞いている気がする。
「…竜?」
呟いた時、壁が大きく揺れた。
「…起きたのか」
響いたのは聞き覚えのある声だ。
「…カイか?」
「ああ」
「…その姿はどうしたんだ?」
尋ねると身じろいだ赤い壁、もといカイがこちらを向いた。朝日が翳り、代わりに琥珀色の瞳がふたつ、空から見下ろしてくる。
「さっきあんたの兄弟が来ていた」
「…兄弟が?」
「ああ。…あんたを探しているみたいだったから隠した」
「…そうか。礼を言う。イチゴは?」
辺りを見回す。どこを見ても緋色だ。唯一、上だけは竜の琥珀色と空の青が見える。
「…近くにいる。クレインが囲んでる」
「…ああ」
俺みたいにか。
「このまま水の国まで飛んでいく。あんた、背中に乗れるか?」
「…竜の背中に乗ったことはないな」
「…それもそうか」
ふっと笑いが漏れる。竜に会ったのは、いや、実際に見たのは今日が初めてなのだ。乗ったことがあるはずがない。
「風の魔法で風圧を調整して、熱を起こして暖を取れば難しくはないな」
「…そうか。行き先は水の国で問題ないな?」
「ああ」
立ち上がる。ぐっと伸びると固まっていた背骨がポキポキと鳴った。伸ばされた筋肉が気持ち良い。
だが、翼が重い。ずっと出していたせいで肩が凝った。翼をバサバサ動かす。…踵が浮いた。
「…何やってるんだ?」
「…動かしたら体が浮いたんだ。これ、飛べるのか?」
「知らん」
そうか。鳥が飛ぶ仕草を思い出しながら翼を動かす。あ、飛べた。
「…飛べた」
「ますます天使に近づいたな」
「俺は人間だ」
翼の動きをゆっくりにする。着地できた。
動いた際に外れたフードを被り直す。
「…さて、そろそろ行くぞ」
「クレインたちはいいのか?」
「ここからなら街も見えるだろう」
「そうか」
なら迷うことはないだろう。お腹を鳴らして照れ笑いしていた昨夜のイチゴを思い出す。
王都に行けば美味しいものをたくさん食べれるはずだ。彼女も冒険者だ。お金の心配はないだろう。
「なら行くか」
「登れ」
カイが屈む。だが体が大きすぎる。よじ登るにしても鱗がツルツルすぎて登ることができない。
飛ぶか。
翼を広げ羽ばたく。ヨロヨロだが浮き上がることはできた。鱗に手をついて落ちぬよう背中に乗った。
「これでいいか」
「頭の角に掴まれ。振り落とさないようにする」
「わかった」
頭までよじ登り角に掴まる。…体が安定しないな。
異空間から縄を取り出して角と体に括り付ける。
「…できたか?」
「ああ、大丈夫だ」
「…行くぞ!」
グッと体を屈める。後ろで翼が広がる音がした。風が吹き付ける。羽ばたき始めたのだろう。
「纏うは風の羽衣『疾風』」
風除けに風の補助魔法を発動させる。これで高速でとんでも息が苦しくなることはない。
「…もう行くのか」
どこからか声が聞こえてきた。振り返ると純白の竜がトパーズの瞳を煌めかせてこちらを見ていた。その足元には毛先が浅葱色の白い狐が寄り添っている。
「…チッ」
カイが不機嫌そうに舌打ちした。気づかれないように行くつもりだったのか。
「…ああ。昨日は話せてよかった。また連絡する」
「…おい、何のことだ」
「ああ、よろしく頼むぜ!」
「また会いましょう。ご武運を!」
「ああ、またな」
「おい」
「ほら、行くんだろう?」
頭をポンポン叩く。カイがまた舌打ちした。
「…後でちゃんと話せ」
「わかってる」
小さく笑う。話せばため息を吐くだろうが、嫌がらないことは知っている。
風が吹き付ける。体の下で筋肉が蠢くのがわかる。バサリ、バサリと羽音が聞こえる。風が唸り、地面が離れていく。
森が、草原が、高速で後ろに飛んでいく。空に駆け上がる一瞬前。
ふたりの青い瞳の青年とすれ違った。小柄な青年のつぶらな瞳がはっと見開かれる。
「兄弟⁈」
叫んだ声が多くなっていく。
すまない、兄弟。またいつか会おう。
空の青が近づいてくる。白い雲が頬を撫でた。
もう空の上なのだ。
下を見下ろすと森も街も草原も小さく見えた。まるで精巧に作られた細工みたいだ。前を見れば弧を描く海が見える。青に煌めく海ははっとするほど美しい。
後ろを振り向けば地平線が広がっている。遠くまで続く緑と茶色の世界。駆ける動物たちは伸びやかだ。胸に熱いものが込み上げてくる。
世界はこんなにも美しい。そんなありきたりな言葉が胸に浮かんでは消えた。
「…綺麗だな」
「…ああ」
主語のない言葉。カイは何が、と聞くことなく静かに頷いた。
風が頬を撫ぜる。ふるりと体が震えた。
そういえば風が冷たい。ローブを搔きよせ、
「温めろ」
と呟く。火や光の黒魔法は得意だ。それに付随する魔法も詠唱破棄で十分扱える。
ローブの中はすぐに温まる。春の陽気のような温かさに包まれ、カイの頭に体を伏せた。
「まだ寝るつもりか」
「寝ない。この方が風を受けにくくて楽なんだ」
「…そうか。寒くないか?」
「今魔法で温めている」
「ならいい」
カイが口を閉ざす。今さらだが、竜の口からカイの声が聞こえてくるのは不思議な気分だ。
沈黙が降りる。このまま静かに景色を楽しんでもいいが、先ほど話せと言っていた連絡のことは伝えておきたい。
「さっきの連絡の話だが」
「ああ、あれはどういうことだ?」
尋ねられ、『遠話』のことを掻い摘んで話す。カイは予想通りため息を落とし、
「あんたの負担にならないか?」
とだけ聞いてきた。
「ああ。そんなに魔力を消費するような魔法じゃない」
「ならいいが。無理するようならやらなくてもいい」
「それこそ心配のしすぎだ。あんたから預かっている逆鱗のおかげで呪いに魔力を持っていかれなくて済んでいる。魔力には余裕がある」
「温存しとけばいいだろう」
「残念ながら魔力は一定量しか貯めれない。魔力を貯蔵するなら魔法石か魔法素材が必要なんだ」
「なら竜の逆鱗をやる。現代の竜のだがな」
「十分だ。…あんた、どれだけ逆鱗を持ってるんだ?」
「…教えるつもりはない」
竜が口を閉ざす。一瞬亡くなった村の者のものかと思ったが、この優しい男が大切な形見を軽々しく魔法素材に渡すはずがない。きっと旅の中で採取したものなのだろう。
「なら後でやる。紐に通した方がいいか?」
「それならこの逆鱗の紐に繋ぐ。服の中に入れておけばなくさないだろう」
「…ああ、それでいい」
カイの満足げな声が届く。旅で採取したものだ、やはり大切に扱ってほしいのだろう。
…だが、俺は貰ってばかりだな。少しでもこの竜に返せるものがあるといいのだが。
今は返せるものなど思いつかない。カイは金などは受け取らないだろうし、騎士が喜ぶような武器も防具も持っていない。
…今度、加護の刻印でも彫り込んだチャームでも作るか。あの魔法石に付けられるようなものなら邪魔にならないだろう。
問題はどの加護にするかだ。
授業では身体能力や魔力を向上させるものから幸運を祈るもの、身代わりとして一度だけ攻撃を防げるものまで数種類習っている。
神竜に戦いを挑むのなら、それに役立てられるものを贈りたい。
考え込んでいるうちにいつのまにか風に潮の匂いが混ざる。
「…そろそろ水の国だ」
カイの声が響く。下を見ると海に面した白いレンガの建物の並ぶ国が見えた。水の国は大陸にある本土を中心に、いくつかの島国で成り立つ国だ。
島国のいくつかには竜の伝説や、実際に竜と共存している村や町があるという、
「あれが水の国か」
呟き、煌めく海に浮かぶ緑と白の島々を眺める。南国の植物と白い砂浜が目立つ。美しい国々だ。
「…ここにあいつらがいるのか」
カイの感慨深そうな声が響く。そうだ、ここでこの竜の旅の目的の半分は達成されるのだ。
そう思うと心が弾む。相棒の目的が達成されようとしているのは素直に嬉しかった。
湿地に向かって竜はゆっくりと下降していく。近づく白い街並みを眺めた。
さて、人探しの始まりだ。
気合を入れるため、背筋を伸ばして地面につくのを待った。




