10-50 撤退
行商人から、王弟の軍が負けたという噂を聞いた。
その噂を伝えた行商人のジャエドは1日休んでから、南に旅立っていった。
戦争中の土地だと言うのに、大変なことだ。
サーシャの「矢の魔印」でしばらく動向を追って
みたが、怪しい動きはなかった。
変に迂回したり、この村の周囲を探るようなルートも取らず、南の村落に向かう道を進んでいるようだ。
とはいっても、サーシャは「大まかな距離と方角が分かる」程度だ。実際にどう動いているのかを正確に推測するのは難しい。特に、村から離れていく場合は。
「たぶん少しずつ離れています」「大きく進路変更はしていないです」というサーシャの報告から、変なことはしていなそうだと判断しているだけだ。
この間、ニールは少しずつ村に「公国の部隊が浸透してきている」という噂を流し始めたようだ。
村人たちを不安にさせてしまうが、これが後々「あの公国の奴らが狩人頭を殺した」というフェイクの土台になるそうだ。そして、これはニールは説明していないが、おそらくもう1人の公国の協力者を追い詰める布石なのだろうと思っている。
ニールは俺から拷問の許可を取った後もすぐには行動していない。
特に俺から「いつ拷問するの?」と聞いたりはしないが、彼のことだ。
「公国が狩人頭を殺した? なんてやつらだ! 公国を許すな!」とやってから、「どうやら公国に協力したやつがいるみたいだぞ。狩人頭がやられたのも、そいつのせいじゃないか!?」とかいう世論に導きそうだ。
もしそうなれば、堂々と拷問をしても誰も文句を言わないだろう。
ビリーの死など想定外のこともあったが、裏切り者をほぼ始末したことで何とか村の情勢は落ち着いた、と思う。
ただ、そんなことをしているうちに外の情勢が悪化してしまった。
王弟が負けたという話がマジだったら、この村の奪還・保持という俺の任務も困難になるし……仮に任務を抜けたとしても、南にアアウィンダ嬢を探しにいくのはかなり危険になってしまうだろう。
こうなることも想定しておくべきだったが、俺もどこかで「キュレスの精鋭部隊が簡単に負けないだろう」みたいな思考があったのかもしれない。
そんなことを考えて過ごし、ジャエドが村を発って2日後。今度はニールから新しい報せが入った。
「今朝、遠征軍はタリフの解囲に成功した、という伝令が来ました」
おい、話が違うぞ。
「……それはどの程度信頼できる情報だ?」
「軍の伝令ですから。それも、公式に司令部が各方面軍に送る情報です。信頼はできると思いますが」
本当かよ。
たしか、キュレス国は最近は小競り合いをするばかりで、今回のような全面戦争はしばらくしていなかったという話だ。
いざ追い込まれたとき、大本営放送をしないという確証はない。が、ニールのような軍属歴が長い身からすると、そんな馬鹿なことをするはずがないという感覚になるのかも。
ニールのところに送られてくる伝令は専ら伝令用の「鳥」を使ったものだ。
それは本当か? と問い質すこともできない。
「……話が本当だとして、解囲といったな? それはどういう状態だと思う?」
「勝利ではなく解囲なのは何故か、ですね? 確かに、決戦して勝利したのならば“解囲”ではなく、そのように書くでしょう。おそらく中心都市の包囲を解いただけで、決戦はしていないという状況なのでしょう。これから決戦という場合もありますし、敵がそのまま撤退した可能性もあります」
「ん? それなら、この前の行商人の話と必ずしも矛盾もしないか」
「包囲している敵部隊に攻撃したが、それを撃退された。だが敵は決戦を嫌がり撤退したため、解囲された。そういったシナリオはあり得ます。ただ……あまり噂を真に受けすぎるのは避けるべきです。噂は噂ですよ」
「そうだな」
そんな話をして数日、今度は南からの来訪者が。
「俺たちは北の砦に戻る。お前らはどうすんだ?」
用意した簡素な握り飯を頬張りながら、薄汚れた鎧姿の男が言う。
南から現れ、食糧を分けてくれと頼んできた一団だ。
武装解除して、最低限の食事を与えるという条件で受け入れた。
彼らは見覚えがあった。
北の砦から出発する際に、気勢をあげていた集団の1つだ。
10人はいたはずだが、今いるのは4人だけ。
もちろん、食事を分けたのは無償の奉仕がしたかったからではない。
どういう経緯で北に撤退しているのか、その情報を知りたかったのだ。
「食いながらで良い、話をさせてくれ。お前らはどういう経緯で撤退になったんだ?」
「俺たちは南の方の、ヘリムの村ってところを攻めて、占領したんだがよ。へへ、安直な名前だろ? リームの町の南にあるとこでよ。分かるか?」
「ああ……それで?」
「ヘリムの村はまあ、予想通りってかな。申し訳程度の防壁にショボい農地……まあ、ここの壁よかマトモか。囲んで何日か粘ったら、勝手に出て行ってよ、順調だったんだ。だが、肝心のリーム攻撃が失敗したらしくてよ」
「……らしいな」
「なんだ、知ってたか。なんか偉いさんが怪我したとかで、ヘリムに逃げてきてよぉ。大変だったんだぜ」
「ちょっと待て。今、ヘリムの村は公国の手に落ちてんのか?」
「いや、分かんねえ。なんせ逃げてきたやつも逃げてな、もうしっちゃかめっちゃかだ」
「もう、指揮系統も混乱してるってことか」
「ああ……ひさびさにこんなにマトモなメシをくれたから、教えてやるけどよ。あの村にいたころ、いろいろ行商とかから話は聞いた。王弟殿下の部隊ってのは、相当ヤバいらしいぜ」
「ヤバい、とは?」
「もう殿下もヤラれたって噂だ。軍はとっくに、東の川向こうに防衛線を張り直すってよ」
「殿下が戦死されたってことか……?」
「もちろん、そんなものはデマだって軍の連中には散々言われたけどよ。もし本当だったら……」
「それで撤退か」
「成功報酬はパーかもしんねぇが、ここまで来たらな」
「なるほどな」
こいつらが逃亡兵的な扱いをされないかと心配にもなるが、それはまあ、こいつらの問題だ。
果たして王弟の主力部隊は無事なのかどうか、まるで違う話がぽんぽんと飛び込んでくる。
一体、何を信じるべきなのか。
撤退する傭兵を見送り、更に翌日。
ニールが軍からの新しい情報を持ってきた。
「リームの町周辺の村落は、ほぼ奪還されたようです」
「……なに?」
「近くの集落の部隊から連名で、協力要請が来ています」
ニールが差し出した紙を見る。
いくつかの集落の名前と、拇印が並んでいる。
その中央にはリーム攻略作戦決行、と短い文章。
「これは?」
「要するに、業を煮やした他の部隊が勝手連的に賛同者を集めて、リームの町に再攻撃しようとしているようで。トリムの村のように、地理的にリームに極めて近い場所以外は、概ねこちらが優勢なようでして、勢い付いてこんなものまで送ってくる始末です」
「……軍の正式な命令はないのか?」
「ええ。上からは現状を維持、の指示のみです」
「なら勝手に攻めたら、命令違反にならないか?」
「なるでしょうね。その際に、この地の守護者として動いたと言えるように、足並みを揃えようとしているのでしょう」
リームの町の周辺は、友軍優勢らしい。
それならリームの町から反撃されるリスクも低いし、命令が待機なのだから、なおさら大人しくしておけば良いと思うのだが。
なぜ軍がイケイケで攻撃命令を出さないのかは不明だが、進んで仕事を増やす必要もあるまい。
その旨の疑問を口にすると、ニールは首を横に振った。
「この辺りに展開している部隊の多くは我々と同じように、傭兵が主力になっています。ヨーヨー隊長はそうではないようですが、今回の機会を逃すまいという傭兵は多いのですよ」
「つまり、手柄を立てたいと?」
「ええ。主力部隊の勝敗がはっきりすれば、もう手柄を立てる機会はないかもしれませんから。そしてそれは、彼らのお目付け役として派遣される私のような役目の者にも共通しています」
「それで勝手連か。まあ、リームを攻略してくれるなら、勝手にやってくれる分には好都合だな」
「では、我々は参加しないということでよろしいのですね?」
「ああ、そうだな……。ニール曹長の意見は? 軍の目付けとして、どう考える?」
「命令は待機なのですから、動くべきではありません」
「ほお。手柄は良いのか?」
「ええ。勝利が先です」
ニールは静かに言い切った。
彼は軍が待機と命令している以上、それが勝利に近づくと信じているようだ。真面目だ。
「ただ、手柄の話を除いて、彼ら勝手連の懸念も分かります。もし、万が一、王弟殿下の部隊が敗れ去り、敵がなだれ込んできたとき、地域の中心集落が敵の手に残ったままでは、抵抗は格段に難しくなります」
「なるほど……なんで軍は動かないんだと思う?」
「……それは、なんとも」
軍は王弟が勝つことを前提に考えてる、とかなのかね。
あるいは今度も攻撃に失敗して、周辺集落が維持できなくなるよりは、膠着している今の状況の方がマシと思っているのかも。
とにかく、勝手連のことは丁重にお断りするよう、ニールに指示しておく。
それから少しして、村の料理人が正式に捕えられ、軍に引き渡された。
ラハナとかいう公国に通じていた女だ。
ニールによって公国の偵察に行った狩人頭が戻ってこないこと、公国が村にちょっかいをかけようとしていることなどが村に噂話として広まってから、ニールから村の年寄りを通じて、公国に通じている可能性があると伝えたようだ。
立て続けに中心人物を失った村人たちは残った年寄りの狩人を中心に物事を決めようとしているが、事実上ニールのやりたい放題になっているようだ。
裏切り者のことを知った狩人たちは女の家に襲撃し、縄でぐるぐる巻きにして軍にその身柄を引き渡してきた。もはや村の掟とか、正規の手続きは吹っ飛んでいるようだ。
ニールによる拷問が始まる前にと、俺も地下牢にラハナとやらの様子を見に行った。
少しふくよかなおばちゃんといった雰囲気で、とてもスパイには見えない。
「ねぇ、あなたたちなの? あなたが彼を……マフを殺したの!?」
牢の中で蹲っていたラハナだが、俺を認めた途端に飛び上がるようにして、鉄格子を掴みながら詰め寄ってきた。
思わずビクリとしてしまう。
「……何の話だ?」
「あの人が、そんな簡単にやられるわけないじゃない! どうせ、あなた達が何か、彼を陥れて……」
「なぜ、俺たちがそんなことを? 彼は村の貴重な協力者だぞ」
「なぜって……もう! 知らない、そんなことは!」
彼も公国の間者だから、とは流石に言わなかった。この様子だと、こいつは公国の、というより狩人頭の協力者だったのか。
「後はおまかせを」
ラハナに答えは返さず、ニールに後を任せる。
「ちょっと、待ちなさいよお! 彼は、生きてるの!? どうなのー!」
背中に飛んでくる金切り声に、教えるべきか考える。いや、いいか。
必要ならニールから伝えるだろう。
翌朝にはニールから報告が上がってきた。
ラハナはやはり、公国に情報を流していた。
どうやら、占領されていた頃にスパイ要員としてスカウトされたらしい。
そして、公国が撤退した後、狩人頭と接触したらしい。
かなり「親密」になったということだが、一方的な関係だろうというのがニールの見立て。
「それで、彼女はどうなった?」
「自ら命を断ちました」
「何?」
「申し訳ありません。彼女は思った以上に、勘が鋭いようでしたので」
「……なるほど」
余計なことを吹聴される前に、消したということか。あるいは単に、自殺をあえて阻止しなかったという意味か。
ため息が出る。
「まあ、これで村の中の問題は落着だな。あとは外の騒ぎがどうなるかだが……」
結局、王弟は勝ったのか負けたのか。あるいはまだ決戦していないのか。
相変わらず、どちらの話も聞こえてくる。
そんななか、俺に向けた秘密の手紙が届く。
エモンド商会からだ。
「これは……」
『西に向かいとどめ置かれるも、にわかに更に西に撤退を開始。軍も並走。』
それは、『渡り鳥』に送り込んだ密偵からの報告文だった。
彼には疑われないよう、しばらくは連絡はしなくて良いと伝えていたのだが。
それでもエモンド商会向けに報告を寄越したということは、それだけ重大事だと思ったのだろう。
内容としてはシンプルに、公国の本国がある西に向かっているだけだが。
西に撤退。軍も並走、とは……。
「キスティ」
「なんだ? 主」
「……例の、送り込んだ密偵からの報告だ。どう読む?」
「どれどれ」
キスティがエモンド商会からの短い手紙を見る。
「……これは」
「どう思う?」
「勝ったな!」
やはりそうなのか?
負けたという噂も流れている中で、何が何だか分からないが。
とにかく公国軍は撤退を始めたようなのだった。





