第08話:自覚
コストパフォーマンスという観点から分析すると、テーマパークというビジネスモデルは極めて非合理的な場所である。高額な入場料を支払った上で、アトラクションというサービスを1つ享受するために、数十分から数時間という待機時間を強制される。その間の生産性は0であり、限りある「時間」というリソースを無駄に消費している。
「最上!今度の日曜、俺と由華、それからお前と白神さんの4人でダブルデートに行こうぜ!」
木曜日の昼休み。僕の机の前にやってきたのはサッカー部主将の「山内大貴」とその彼女でありサッカー部マネージャーの「小西由華」の2人。
天桜学園におけるカーストの頂点は白神凛だが、この2人もトップティアに入る。特に小西由華に関しては、SNSのフォロワーが2万人というマイクロインフルエンサーでもある。
「山内、オファーはありがたく受け取っておこう。しかし、日曜日のスケジュールは……」
「行くわよ、蓮。たまには息抜きも必要でしょ?」
彼らの背後から学園の女神が割り込んだ。
「よし!言質取ったぞ!」
「凛ちゃん、よろしくね」
2人は凛とハイタッチをし、僕の前から足早に消え去っていった。
「凛、これは明確な規約違反にあたる。休日という貴重なリソースを僕の承認なしで勝手に……」
「少しは周りの空気を読んだら?」
発言に割り込んだ凛は僕の耳元に顔を寄せ、周囲には聞こえないボリュームで囁く。
「由華ちゃんは学園内の女子のリーダー的存在なの。彼女の誘いを断れば、私たちの偽装交際がバレる可能性だってある。逆に言えば、彼女たちの誘いに乗っておけば私たちの関係性はより盤石になる。このダブルデートは一種のPR活動みたいなものよ」
──僕たちの関係性はすでに盤石なはずだが、盤石すぎて困ることはないな。
「了解した。日曜日のスケジュールをPR活動として再設定しよう。だが、待機時間のロスを最小限にするため、僕が全アトラクションの最適ルートを構築する」
「期待してるわね、蓮」
凛は少しだけ柔らかな笑顔で微笑んだ。
◇◇◇
日曜日、午前8時45分。快晴ではあるものの、秋が進んで外はやや冷える。デスティニーリゾートのエントランス前はすでに凄まじい密度のユーザーで溢れかえっていた。
「すごい人!」
待ち合わせ場所に現れた凛は感嘆の声を上げた。今日の彼女は、やや厚手の白いフレアスカートに、とろみのあるネイビーの長袖ブラウス。トップモデルの名に恥じない装いでありながら、しっかりとTPOに合わせている。しかし、キャラクターを模した被り物とカラフルなサングラスが全てを台無しにしている。
「凛、君がカモフラージュのためにそのような装いなのは理解できる。しかしなぜ僕にもこれを?」
「お揃いにしないと怪しまれるでしょ?」
「おーい!最上!白神さーん!」
僕たちとお揃いの被り物を付けた山内と小西が手を振ってきた。
「凛ちゃん、今日の服めっちゃかわいい!あとで一緒に写真撮ろう!」
「由華ちゃんもすっごくかわいい!」
「そ、そう?」
二人が華やかな情報交換を行っている間、山内が僕の肩を強めに叩く。
「最上は私服だと案外普通なんだな。あ、そんなことより!今日は俺たちであいつらをエスコートしてやろうぜ!」
「山内、すでに僕のスマートフォンには過去の混雑データを用い、そこから巡回セールスマン問題を応用した最適なルートを計算済みだ。1歩のロスもなく案内しよう」
「お、おう……。よくわかんねえけど頼むわ!」
ゲートを抜け、僕たちのPR活動がスタート。しかし、リゾート内は僕にとってはノイズの海だった。視覚から入ってくるのは原色だらけの装飾。大音量で流れるBGMが聴覚を刺激し、ありとあらゆる場所からポップコーンが匂いを放ち、大量の群衆がランダムな軌道を描く。
──バグが多すぎて頭が痛くなりそうだ……。
「蓮、もっと楽しそうにしないと」
歩きながら、凛が僕の右腕に左腕を絡めながらそっと耳打ちをしてきた。彼女の体が密着した瞬間、周囲のノイズは一気に薄れる。
「努力する。しかし……、前の2人の行動は目に余る……」
僕たちの前を歩く山内と小西は、ポップコーンを「あーん」しあったり、写真を取るために立ち止まったりと、非生産的だが恋愛という枠組みの中では満点の行動を取っていた。
「あの2人はああいうブランド戦略なの。私たちとは違うから」
凛は僕の腕を更に力強く引き寄せながらそう言った。
◇◇◇
僕の計算によって、午前中のアトラクション消化率は一般ユーザーの150パーセントを上回るパフォーマンスを叩き出した。しかし順調だったのもここまで。14時20分。僕たちの目の前にはこのリゾート最大のアトラクション、ウォーターフォールの「120分待ち」というボトルネックが立ちはだかる。優先チケットはすでに枯渇しており、ジグザグに形成された長距離列の最後尾に並ばざるを得なかった。
「うわー、120分かー。でもみんなで喋ってればあっという間だよね!」
小西がスマートフォンで自撮りをしながら明るく言う。最初の30分程度は4人での雑談という無価値なデータ交換で消費されたが、気づけば山内と小西は2人だけの世界に移行していた。取り残された僕たちはすでに腕組みを解き、ただ無言で列の進みを待つ。
「……蓮、由華ちゃんがこっちをちらちら見てる。このままだと由華ちゃんのSNSで、私たちが偽装交際かもって思われて、今日のPR活動が無駄になっちゃう」
「なるほど」
隣に立つ凛がスマートフォンを操作するフリをしてアラートを発した。僕はそのアラートに対して小さくため息をつき、脳内CPUをフル回転させて緊急タスクを考える。
──ここは多くのユーザーがギャラリーにもなる。待機列は狭い。ここでの過剰なパフォーマンスは難易度が高いが、仲睦まじいという演出であれば……。
「凛、これより10分間の恋人繋ぎを実行する。小西へのアピールが終わるまでの間、不自然な挙動は控えてくれ」
「え、ちょ……」
僕は凛の承諾を得ずに彼女の右手を左手で取った。そしてそのまま彼女の指の間に自分の指をゆっくりと滑り込ませ、深くホールドした。
「っ!?」
凛の肩がビクっと跳ね、小さな吐息が漏れる。カラオケボックス以来となる恋人繋ぎ。彼女の手のひらは、僕の想定していた体温よりも明らかに高い熱を帯びていた。
「凛、顔が赤いぞ。現在の気温は25度。直射日光を考慮しても……」
「違うって!急に強く握られたから……」
凛は顔を背け、空いている左手で口元を覆い隠した。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
僕の左腕についているスマートウォッチが振動する。
──おかしい……。これは僕たちの偽装交際をより盤石にするためのPR活動にすぎない。それなのになぜ……。
「見て大貴!凛ちゃんと最上くん、めっちゃ手繋いでる!」
小西が僕たちの演技に気づき、スマートフォンのカメラを向ける。
「ミッションコンプリートだ……」
「う、うん……」
僕たちはお互いの手が汗ばんでいくのを自覚しながら、カメラに向かって完璧なバカップルを演じてみせた。しかし10分を超えても僕たちのホールドは解除されず、ウォーターフォールの乗り場に到着した時、彼女が1度だけ僕の手を強く握って恋人繋ぎは終わりを迎えた。
◇◇◇
18時。夕闇に包まれたリゾートのメインストリート。僕たちのPR活動は最終フェーズの「パレード観賞」へと移行しようとしていた。
「最上ー!こっちこっち!」
人混みの向こう側で山内が大きく手を振る。パレードのルート周辺は多くのユーザーによって完全に埋め尽くされ、異常なほどの混雑を引き起こしていた。
「凛、僕のそばから離れるな。僕のルート解析によれば、このエリアは5分後に飽和する」
「でもちょっと歩きにくくて」
彼女が僕の服の袖を掴んだまま僕の隣を小さな歩幅で歩く。その時だった。
「きゃっ!?」
パレードの先頭のフロートが角を曲がって光を放った瞬間、写真を撮ろうとした男性が後退したことによってバグが発生した。そのバグは凛を僕の方へと押し出す。
「凛!」
思考よりも先に体が動いていた。僕は可能な限りに足を踏ん張り、正面から彼女を両手で受け止めると、押された衝撃で体が折れた彼女は僕の腕の中にすっぽりと収まった。視線が逆転する。僕より5センチ背の高い彼女の頭を、今は僕が見下ろしている。
「凛、無事か?」
周囲の喧騒が完全にミュートされた。僕の腕の中には、目をぎゅっと瞑って僕の胸元に顔を埋めている彼女の柔らかい体が存在している。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。
僕の左手のスマートウォッチが大きく振動する一方で、僕の肩に置かれている彼女のスマートウォッチもまた、同じように大きく震え続けていた。
(Chro-Noah:心拍数が120を超えました!熱暴走の可能性があります!直ちにタスクを終了し、業務を終えてください!)
「れ、蓮……?」
ゼロ距離にいる凛が僕の胸元でゆっくりと顔を上げた。パレードの数多の光が彼女の瞳に反射してキラキラと輝き、僕を見上げている彼女の顔は美しい赤に染まっていた。
「……すまない。う、運動エネルギーを相殺するには、こ、これが1番効率的で合理的な……、手段だった」
自分でも信じられないほど震えた声で、必死に言い訳を構築。
「この心拍数の上昇は……、突然のバグに対するアドレナリンの分泌に過ぎない。君への、非論理的なバグが原因では……」
「……バカ蓮」
凛は僕を突き飛ばすのではなく、僕の背中に腕を回し、僕の胸に耳を当て、力強く抱擁をした。
「そんな言い訳どうでもいい……」
パレードの巨大な音楽が僕たちの周囲を包み込む。多くの群衆の中で、僕の腕の中にいる白神凛というバグが「正しいデータ」として存在していた。
──認めざるを得ない……。




