第06話:バグだらけのデスマーチ
「今日の放課後、蓮のオフィスで直接マスターデータの確認するから。今夜は覚悟しておいて」
「了解した」
カラオケという強制タスクから1週間が経った金曜日の昼休み。マスターデータの完成を彼女に伝えた事に対する返答がエラーを招くこととなった。
完成したChro-NoahのUIやUX、各種プロモーション素材の最終チェックを、自社オフィスを兼ねた僕のマンションにて行う。デスマーチになる可能性も計算範囲内。
しかし、天桜学園という場所は特殊だった。僕たちのごく自然なビジネスライクな会話を自分たちの歪んだフィルターに通すことで、都合の良い解釈をしてしまう。
「聞いたか?白神さんが最上の家に行くらしいぞ」
「『覚悟しておいて』って言ってたぞ」
「それって一線を越えるってことか!?」
廊下の陰で、数人の男子生徒が国家機密を知ったかのように血走った目で僕を凝視する。
──僕と彼女の声のボリュームコントロールと指向性は問題なかったはずだが……。人間の聴覚は時として軍用レーダーをも凌駕するのか。今後はセキュリティレベルを1段上げよう。
そして案の定、午後の授業が始まる頃には「お泊り確定デート」という大型バグが学園内に広まっていた。
「もっちゃん……、幼馴染として、いや、男として答えてくれ。備えは大丈夫なんだな?」
放課後、ノートパソコンを鞄に詰め込んでいる僕の前に高橋がふらりと現れた。彼の瞳には上場廃止を突きつけられたかのような絶望と、僕に対する激しい嫉妬の炎が燃えている。
「高橋、質問の定義が曖昧だ。備えとは何だ?我が社のサーバーなら……」
「サーバーの話じゃねえ!大人の階段を上るための備えの話だよ!あの凛ちゃんがもっちゃんの部屋に来るってそういうことだろ!」
僕は急激に上がっているであろう高橋の心拍数と血圧を気にしつつ、鞄に荷物を詰め終えた。
「彼女の来る理由だが、マスターデータの最終チェックという純粋な業務だ。それ以外の非論理的なプライベートイベントは発生しない。高橋、君の脳内シミュレーションは過度なバイアスがかかりすぎている。もう少し深くデータの解析をしたまえ」
「なんで凛ちゃんはもっちゃんと付き合ってるんだ……」
高橋は肩を落とし、重りを引きずっているかのような足取りで教室から出ていった。しかし、周囲の生徒たちの視線は依然として僕に集まる。「女神を落とした男」から「大悪党」へと変わりつつあるのだろうが、僕はそれらの視線を無視してスマートウォッチの画面上で週末のスケジュールを確認する。
──午後6時、白神凛がチェックイン。午後6時30分からマスターデータの確認および修正の指摘。それ以降は随時修正を行い、その都度確認と修正。終了予定時刻は日付が変わった午前2時頃になるため、デスマーチは避けられない。
予定を確認した僕は鞄を持って教室を出た。
◇◇◇
僕の自宅兼オフィスは、天桜学園から近い場所にあるマンション。間取りは1LDK。リビングダイニングにはコの字型のデスクに32インチの4Kモニタが3枚並んでいる。椅子は最高級のワーキングチェアで、我が社のロゴが入った大きめのジップアップパーカーが背もたれにかかっている。
パソコンは可能な限りのスペックを詰め込んだもの。ベッドルームも存在するが、デスクの正面には横になれる長いソファがあり、毛布を使って仮眠を取ることも珍しくない。僕の部屋は標準的な男子高校生の部屋ではなく、テックスタートアップのガレージそのものだった。
午後5時55分。キーボードの音が鳴り響く部屋にインターホンの音が差し込んだ。画面を確認すると、そこには私服に着替えた白神凛の姿があった。学園の制服姿も悪くないが、秋の訪れを感じさせるオーバーサイズの白いサマーニットに、黒のスキニーデニムという計算しつくされたカジュアル仕様。
「お邪魔するわね」
玄関を開けると、凛は上品に一礼してから室内へと入った。学園とは違う柑橘系の香水がほのかに漂う。
「定刻よりも早いがタイムマネジメントは完璧だ」
「当たり前でしょ、モデル業に遅刻は許されないんだから」
凛が僕の後ろに続いてリビングに足を踏み入れると、整然と並ぶ3枚のモニタやガジェットの山、部屋の隅に設置してある筋トレグッズに目を見開いた。
「……初めて男の子の部屋に入ったけど、これが普通ってわけじゃないよね?生活感なさすぎっていうか、なんでダンベルとかあるわけ?ここで筋トレしてるの?」
「長時間座っていると血流の低下を招き、作業効率も落ちる。緊急時のリスク管理として最低限の筋力を維持することも必要であり、適度に体を動かすことが結果的に脳のパフォーマンスを上げることに繋がる」
「見た目以上にしっかり鍛えてるんだ」
「さて、早速だが時間が惜しい。マスターデータの確認を頼む。バグがあれば……」
「蓮、その前にやることがあるの」
凛は鞄をソファに置くと、呆れた顔で僕の言葉を遮っていった。
「私、お腹空いてるの。空腹だといいパフォーマンスが出せないんじゃない?」
「一理ある。では配送時間が短く、PFCバランスに優れた高たんぱく低糖質な……」
「却下」
またもや僕の言葉を遮った彼女はスマートフォンを操作し、何かを探し終えると画面を僕へと向けた。そこにはデリバリーピザの注文画面が映し出されていた。
「今日は長丁場になるんでしょ?だったら、これを食べてエネルギー満タンじゃないとダメ」
「クアドラプル・チーズ&ミート!?し、白神、これの総カロリーを計算したことはあるか?君の整ったスタイルに多大なバグを引き起こしかねない。塩分と脂質の……」
「私の自己管理能力を見くびらないでもらっていい?何の問題もないから。ほら、早くポチってよ」
凛は僕のデスクにあるワーキングチェアに腰掛け、足を組んで命令文を飛ばす。クイーンのような姿だが、彼女の楽しそうな笑顔に反論する気が失せ、大人しく自分のスマートフォンで決済をした。
──白神凛……。彼女の持つ意思決定力の強引さは僕のファイアウォールを簡単にすり抜けてくる……。
◇◇◇
午後11時45分。マンションの外はすでに真っ暗となり、僕たちの作業する一室にはピザの空き箱とキーボードの打鍵音が支配する。
「蓮、ここのスクロールだけど、120Hzで見るとちょっと引っかかりを感じるかな。こういう操作性の悪さで使うのをやめちゃう人もいるから修正して」
凛は、僕の持つ高スペックのタブレットや様々なスマートフォンを使い分けて検証を続ける。その目はプロそのものであり、鋭いフィードバックが僕のところに集まる。彼女の指摘は、一般的な高校生のレベルを遥かに上回っていた。トレンドリーダーであるからこその細かい指摘の数々は極めて純度が高く価値がある。
「なるほど、レンダリングの最適化不足か。今すぐソースコードを修正する」
僕はソースコードを書き換えていく。ソファでは低いテーブルを使って凛が検証を続けている。お互いに完全なる集中モード。交わす言葉は検証結果やバグの報告やそれに対する回答のみ。学園で言われていたようなピンク色の妄想が入り混じる隙間は1ミリもない。僕たちはビジネスパートナーであり、同じ目的地を共有する最強の戦友だった。
「よし、修正パッチを適用した。白神、チェックを頼む」
「これなら大丈夫かな」
凛は深く息を吐き、貸し出したタブレットをテーブルに置いてソファに体を完全に預けた。時刻は午前2時20分。予想通りのデスマーチ。
「蓮、お疲れ。これでマスターデータは完成ね」
「プロの目を持つ君の迅速で鋭い指摘のおかげだ。大型アップデートは全てのプラットフォームで同時に行うため、もう少し時間がかかる。だが、このアップデートが適用されれば我が社の時価総額は更に上がるだろう」
僕がワーキングチェアから立ち上がると、ソファに座る彼女は小さくあくびをしていた。デスマーチによって女神とは程遠い顔つきとなっている。
「普段やらないことだからさすがに疲れちゃった……」
彼女の声は学園内での鈴を転がしたようではなく、眠たげで、甘えたいように聞こえた。彼女の顔を確認した僕は、大きく伸びをしてからワーキングチェアに再び腰掛ける。
「白神、本日のタスクはコンプリートした。これ以上の作業は生産性の低下を招く。よって、これをもって本日の業務はクローズとする。これから深夜タクシーを手配するのでそれに乗って帰宅するといい」
「ありがとう……。でもちょっとだけここで休憩させて……」
凛はそれだけ言うとすぐに応答がなくなった。
「白神?」
僕の呼びかけに彼女は答えない。わずか数十秒のうちに、彼女の呼吸は規則正しく深い睡眠パターンへと移行している。トップモデル、生徒会長、我が社のアンバサダー兼共同開発。彼女の持てるリソースは三重生活という激務により、僕の計算を上回って消費されていた。
深夜の静寂が室内を満たす中、僕はワーキングチェアからゆっくりと立ち上がり、返事のない彼女の元へ足を運んだ。彼女はソファの上に体を横たえ、頭の下にある毛布には長い黒髪が美しく広がっている。無防備に眠る子供のような寝顔は、学園の女神ではなく17歳の女の子だった。
──この可能性は考えていなかった。彼女には事前のアリバイとして「現場近くの友人宅に前乗りする」と虚偽の報告をさせているので帰宅する必要はないが、僕は業務終了後に帰宅させるつもりだった。しかしこのまま無理に起こした場合、自律神経の乱れと再入眠障害が発生する。
僕の脳内CPUが彼女の負うリスクについての計算結果を弾き出した。
──彼女は明日も予定が入っているため、起こすことは明確な損失になる。よってこのまま睡眠を継続させることが、彼女の明日のパフォーマンス低下を最小限に抑えることに繫がる。そして、現在の室温は22度。ここから朝にかけての気温低下と疲労による免疫低下を考慮すると、このまま防寒対策を講じずに睡眠を継続した場合、彼女が急性上気道炎にかかる確率は58パーセント。
凛が風邪を引けば三重生活に影響が出る。トップモデルとして築き上げてきた信用や学園内における数々の信頼。その信用と信頼の失墜によって、我が社も多少なりとも損失を出す可能性は否めない。
──毛布は彼女の頭の下で枕となっている。となると……。
僕はワーキングチェアにかけてあるパーカーを取りに戻り、彼女の上半身を隠すようにそっとかけた。僕より5センチ背の高い彼女だが、パーカーが大きめに作られているため、太ももにかかる程度まで覆うことができた。
「ううん……」
パーカーをかけた直後、凛はかすかに声を漏らして小さく身じろぎをした。そしてパーカーに顔を埋めるようにし、僕の匂いが染みついているであろう生地を無意識に掴む。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
その瞬間、僕のスマートウォッチは振動した。スマートウォッチの画面に映し出されたのは「心拍数111」という数字と、早急にバグを取り除くように促す警告文。
──なぜだ?僕は彼女に防寒対策を講じただけだ。本来であれば無理矢理にでも起こして帰宅させるべきだ。しかし、ここで無理に起こせば再入眠できない可能性がある。よってここでの睡眠を許可することにした。ただそれだけで、なぜ僕の中でバグが起こる?
上着を掴む彼女の指先、僕のパーカーに包まれて小さな吐息を漏らす無防備な唇。4Kを超える解像度で視覚に入り込んでくる彼女を眺めながら、僕は考えることをやめた。僕はワーキングチェアに戻り、無意識にキーボードに手を置いてキーを弾こうとする。
──今は白神がスリープモードに入っている。キーボードの音で目覚める可能性は高くないが、確率は低い方がいい。
胸の高鳴りは収まりつつあったが、僕の脳内CPUはこのバグを論理的に説明することができなかった。




