第05話:強制タスク
リソース管理の観点から考えれば、金曜日の放課後は僕の大切なコアタイムにあたる。現在、改良したスマートウォッチのテストが控えており、それに付随する数多のタスクが僕のスケジュールを真っ赤に染める。しかし、僕が今いるのはカラオケボックス。合成皮革のソファの端に腰掛けている。
「もっちゃん、今日はもっちゃんと凛ちゃんと交際確定記念パーティなんだからさ。ほら、これ叩いて!」
高橋は僕にタンバリンを手渡し、叩くよう要求。僕は小さくため息をつき、高橋を参考にして最低限の筋力で効率的に遂行することにした。薄暗い部屋には高橋が呼び集めた男女が合計8人。テーブルの上には山盛りのフライドポテトが堂々と鎮座している。
事の発端は今日の朝。先週の神宮寺撃退によって、僕たちが真剣交際であることが定着したのだが、市場の熱量は僕たちの想像を遥かに上回るインフレを起こしてしまった。
「もっちゃんが凛ちゃんのことを大切に思ってるのはわかった。もっちゃんとは腐れ縁だし、影ながら応援させてもらう。それでさ、ちょっと時間作ってくんない?」
その結果がこれである。幼馴染である高橋によって「祝賀会」という強制タスクが僕のスケジュールにねじ込まれた。普通の高校生なら喜ぶイベントなのだろう。しかし僕にとっては、非生産的で、非合理的で、非効率的。何度計算しても「時間の無駄」という結果しか出ない。
しかし、僕たちは参加を選択。理由は簡単だった。白神凛を広告塔に起用する理由はティーン需要を獲得するため。ここで不参加を表明すれば、学校という身近で重要な市場に対し、偽装交際が露呈しかねない。僕たちの偽装交際をより強固にするため、このタスクによって完璧なカモフラージュを行う予定となっている。
「みんな、お待たせ!生徒会で遅れちゃった!」
カラオケボックスの重たい防音ドアが開き、彼女が入ってくると部屋の空気が変わる。さっきまで大騒ぎしていた男子生徒たちは一瞬で「学園の女神を迎える信者」に早変わり。学園の制服を見事に着こなし、艶やかな黒髪をさらりとなびかせて学園の女神が降臨した。
「あ、主役が揃った!凛ちゃんは最上くんの隣ね!」
「うん、ありがとう」
女子生徒の1人が僕の隣のスペースを手でバシバシと叩くと、凛は上品に微笑んで僕の左隣に腰を下ろす。その時、僕たちの制服がわずかに擦れ合ったような気がした。
──心拍数がわずかに上昇している。狭い室内での物理的接近による防衛反応だろう。
僕は冷静に自己分析をし、隣に座った彼女に向かって彼女が来るまでに考えていたコメントを出力した。
「遅かったな、凛。君の遅刻によってこのパーティの開始が7分25秒後ろ倒しになった」
「そんなに1秒でも長く私と一緒にいたかったの?」
凛が僕のコメントを軽やかに受け流しつつ、僕の左腕に右腕を絡めて僕の頭にこつんと自らの頭をぶつけてきた。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
「うおおおおおおお!」
「きゃああああああ!」
男子生徒たちの嫉妬と興奮が混ざり合った悲鳴と、女子生徒の色めき立った歓声が部屋を揺らす。しかし腕から伝わる柔らかさや温もり、彼女の髪から漂う甘い香りによって、僕の脳内CPUの使用率は80パーセントを超過していた。
──白神凛、さすがはプロ。
「っていうかさ!マジでどうやって付き合うことになったわけ!?」
「告白は!?どっちから!?どこで!?」
男子生徒も女子生徒も目を輝かせて質問を投げる。カラオケボックスのモニタでは誰かがリクエストした曲が虚しく大音量で流れていたが、ここがカラオケであることを全員忘れているようだった。
全員の関心は僕たちの機密データであり、それをいかにして引き出そうかと必死である。僕は空いている右手でウーロン茶を手に取り、喉を調整してからフェイクデータを吐き出した。
「我が社の手がけるChro-Noahを万人受けするアプリへと再構築するために、若年層のトレンドリーダーである彼女を招聘したことが始まりだ。幾度となくアプリの検証を重ねる中で……」
「ほんと、蓮は照れ屋さんね!」
凛は僕の腕を軽く叩きながら笑った。その笑顔は「不器用な彼氏をフォローする完璧な彼女」に見えていただろう。
「蓮はね、難しい言葉を使わないと自分の気持ちを素直に言えないの。告白された日も私の手を力いっぱい握って『君の24時間を僕の生涯資産として独占させてほしい』って、耳まで真っ赤にして言ってくれたの」
「ぶっ!?」
僕が再びウーロン茶を飲もうと口に含んでいたところに彼女のフェイクデータが投下され、危うくテーブルを汚すところだった。
「ええええええ!何それ、めっちゃロマンチックじゃん!」
「最上!お前プロポーズみたいな告白してんじゃねえよ!」
──僕のメモリにそんなデータは存在しないが……。
僕が眼鏡の隙間から彼女を睨みつけると、いつものように笑顔を振りまきながら、僕にしか見えないように片目でウィンクをしてみせた。
『どう?私のアドリブは。これで私たちの関係性は盤石になったんじゃない、CEO』
彼女の瞳が僕にそう語りかける。
──恐るべきアドリブ能力……。彼女の言う通り、身近な市場であるクラスメイトたちの疑念は完全に払拭でき、ビジネスとしては大成功だ。しかし……、その代償として僕のメンタルリソースは……。
「よーし!じゃあ主役の2人には何か歌ってもらおう!」
空気を読んでか読まずか、男子生徒の言葉に高橋は曲を選択し始めた。画面に表示されているのは、現在流行を支配するハチミツと砂糖を煮詰めたような超が付くほど濃厚なデュエットラブソング。
「高橋、僕のパフォーマンス力では一定の品質を保証できない。パスさせて……」
「私、蓮と一緒に歌いたいな」
彼女が僕の言葉を遮り、マイクを2本拾い上げて1本を僕に押し付ける。
「リフレッシュも大切よ。私たちが息ぴったりだってところをみんなに見せなきゃ」
曲のリクエストを受信したモニタは色を変え、薄暗い部屋をピンクに染めていく。その光りが凛の顔もほんのりとピンクに染め上げる。拒否権など最初から存在しない。僕は観念し、マイクの重さに驚きながら強く握りしめた。
曲が始まり、ピンクの画面には甘ったるい歌詞が映し出された。凛は曲のテンポに合わせて僕の隣で小さく体を揺らす。僕の方へ体が揺れるたびに制服が擦れ、甘い香りを何度も運んだ。
──落ち着くんだ、これはただの音声出力テスト。画面の文字を正しいピッチと音程で出力する。Chro-Noahのプログラミングよりも遥かに簡単だ。
デュエット自体は凛の圧倒的な歌唱力によるリードによって大きなバグを生み出さずに終了し、今日一番の拍手と歓声で部屋が満たされ、「クールな彼氏を引き立てる女神」という都合の良い解釈をしてくれたようだった。
「もっちゃん、やるじゃん!」
「凛ちゃん最高!」
「最上も棒読みだったけど愛が伝わってきたぜ!」
高橋たちは飲み物で乾杯し始め、カラオケボックスのボルテージは最高潮に達した。しかし、高まりすぎた熱から高校生のノリという制御不能で危険なバグが生まれ、暴走し始める。
「おい!歌もよかったし、もうアレしかないだろ!」
男子生徒の1人がニヤニヤしながら両手で手拍子を始めた。
「あれって何だよ?」
「決まってんだろ!『公開キス』だろ!」
高橋の質問に、男子生徒が興奮気味に最悪の命令文を唱えた。
──っ!?
僕が体を硬直させると同時に、隣にいる凛も体を震わせたように感じた。
「それは明らかなコンプライアンス違反であり、個人のプライバシー、ひいては白神凛というトップモデルの……」
「いいじゃん、減るもんじゃないし。男見せろって!」
「そうだぞ最上!女神の唇を独占したんだろ!ここで証明してみせろ!」
男子生徒が次々と乗っかってくる中、高橋だけは上がりすぎたボルテージと僕の心配をし始めた。
「もっちゃん、嫌なら……」
「高橋!邪魔すんなよ!」
この部屋の熱量はもはや執念とも捉えることができ、ここで拒もうものなら、今まで築き上げてきた偽装交際の盤石な基盤が崩れ去るというリスクが存在する。
──ここで実行……?いや、無理だ。僕の倫理規定よりも、彼女の持つブランドに傷を付けかねない。そして何より、万が一にも実行した場合、僕の心臓はバーストするだろう……。
僕は隣に座る凛に視線を送る。彼女の顔は薄暗いにも関わらず、耳の根元まで真っ赤に染まっているように見えた。このような幼稚な発言も学園の女神なら軽やかに受け流すはずが、完全にフリーズしている。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
(Chro-Noah:緊急通知!白神凛のストレス指数および心拍数急上昇中!至急、デバッグされたし!)
僕のスマートウォッチが彼女の異変を知らせる。
──凛も限界か……。
これ以上のストレスは僕たちの偽装交際そのものを破壊しかねない。しかしタイムリミットは刻一刻と迫っている。
僕は脳内CPUをフル回転させ、この難解なバグを取り除くためのプログラミングを始めた。彼らのリクエストを退けつつ、底なしの強欲を解消するために10代の平均的な恋愛シミュレーションを提案しなければならない。
「アジェンダの修正を提案する」
プログラミングを完了した僕がソファからゆっくりと立ち上がると、隣に座っていた凛が僕を見上げる。彼女の美しい瞳は不安で染まり、唇はわずかに震えていた。
「凛、立ってくれるか?」
「蓮……?」
座っている凛に僕が手を差し伸べると、凛は手を取って僕の隣に立った。その瞬間、上がり続けていたボルテージは更に垂直上昇を遂げる。
「諸君、僕たちのプライベートを無償で一般公開することは我が社のリスクマネジメントの観点から同意しかねる。しかし、市場の要求を完全に無視することも顧客満足度の低下を招く。したがって、僕たちの許容できる最大限の提案を行う。これをもって、本日の全ての要求をクローズにしていただきたい」
僕は左手を前に出し、そこへ凛の右手を重ねてもらう。そしてお互いの指を1本ずつ、深く、隙間なく密着させた。手のひら同士が完全に隣接し、指の付け根がしっかりと噛み合う。これ以上ないほどの強度を持つ結合である「恋人繋ぎ」がここに完成したのだった。
「っ!?」
凛の震える口から言葉にならない吐息が漏れた。ギャラリーは静まり返り、カラオケのモニタから流れるBGMだけが鳴り響いている。高校生の幼稚なノリを、大真面目で本気の恋人繋ぎの圧倒的な破壊力によって、ここにいる全員が一瞬で言葉を失った。
「これで満足していただきたい」
僕は学園の女神の手を強く握りしめたままギャラリーを見回した。薄暗い部屋の中では、固く結ばれた僕と凛の手に視線が集中していたが、いち早く冷静になった高橋が声を上げる。
「み、みんな、これでいいんじゃないか?俺らが悪かったってことで」
「そ、そうだな……」
「ごちそうさまでした……」
高橋の呼びかけに男子生徒も女子生徒も満足し、カラオケの選曲に戻った。今回のバグは適正に処理され、追加のバグが発生するリスクも排除済み。しかし僕のシステムはオーバーヒートを起こしていた。
──熱い……。
僕たちは手を結んだままソファに腰掛けた。結ばれた手のひらからは彼女の狂った脈動がとめどなく流れ込んでくる。それだけではない。僕が指を離そうと力を抜けば、彼女は逃げ出すどころか力を強めて握り返す。僕の指を彼女の指で、壊れそうなほど強く。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。ブブッ。
彼女と結ばれた僕の左腕のスマートウォッチが限界を超えて震え続けている。僕は右手でスマートフォンを操作し、スマートウォッチのアラート内容を確認。
(Chro-Noah:心拍数が120を超えました!熱暴走の可能性があります!直ちにタスクを終了し、業務を終えてください!)
──クローズ?できるわけがない。手を離そうとしても彼女が手を離さない。まさか、ここで手を離せば顧客満足度に関わると思って手を繋いだままにしているのか?そうであれば尚更やめるわけにはいかない。このままパーティが終わるまで維持するのが最適解だが……。
彼女は座りごこちが悪いのか、わずかに腰を浮かせてすでに至近距離だった僕の方へと更に近付くようにして座り直し、僕の右半身を支配した。僕は彼女の顔を見ることができなかった。手だけではなく、彼女の瞳と僕の瞳が結合してしまった暁には、僕の中に重大なバグが発生する可能性を秘めている。
引き続きスマートフォンを操作していると、彼女のアラートも届いていた。僕のアラートを優先するプログラムになっているため、埋もれていたのだ。彼女の心拍数は「118」を記録。僕と彼女の心拍数のグラフは同じような右肩上がりとなり、現在進行形で似たようなグラフを作り続けている。
「……バカ蓮」
高橋たちが歌っている音に紛れ、小さな声が隣から聞こえた。
「こんなに強く手を繋ぐなら先に言っといてよ……」
彼女の声は震えていた。結ばれた彼女の指から一瞬だけ力が抜けると、存在を確かめるかのようにもう1度握り直す。彼女は、僕の不完全なエスコートに寄り添っていた。
「アジェンダの修正だと言っただろう……。現場の状況を鑑みての緊急対応だ……。不満があるならあとでレポートを送ってくれ……」
「送るわよ……。原稿用紙100万枚送りつけるから……」
僕たちはパーティが終了するその瞬間まで、結んだ手を一度も離そうとはしなかった。




