第04話:白神凛の脆弱性(凛視点)
「凛ちゃん、今日もいいよ!あとちょっとだけ視線を左に……。そう!それ!」
スタジオに響き渡るのはシャッター音と絶賛の声。レンズの向こう側では、いつものように「白神凛」を演じる私がいる。
ティーン向けファッション誌のトップモデル。天桜学園の生徒会長。誰からも愛される品行方正な学園の女神。私は周囲から求められている期待に応え続けるだけ。でも、ストレスになるものはどこにでもある。今のストレス要因は、不動産王の御曹司である神宮司恭平という悪質なストーカー。
8月上旬から私の行く先々に現れて、札束と権力で私の自由を縛ろうとしてくる成金野郎。でも、私の所属事務所は神宮寺グループから多額の出資や広告を受けているため、強く突っぱねることができない。
私のマネージャーも「うまくあしらっておいて」と繰り返すだけで実際に私を守ってはくれない。「白神凛ならこれぐらいは1人で処理できて当然」だと思われてる。
──もう限界……。誰かこいつを私の目の前から消して……!
私はどす黒い感情を無理矢理抑えて、いつも通りの笑みを作った。
「凛、僕の計算では君がここに立ち止まっているせいで君の貴重なリソースが失われ、現在進行形で更なる無駄を生み出している」
私と同じ制服を着て、手にはノートパソコンを持ち、眼鏡の奥の瞳を冷徹に光らせて、周囲の期待を一身に背負う私にわけのわからない用語をたくさん使ってとんでもない提案をしてきた男。
それが最上蓮。普通の女の子なら二度と関わりたくないと思う。でも、私にとっては違う。蓮は他の男たちみたいに私を所有物として見ていなかった。学園の女神とも思ってない。ただの同級生で生徒会長。
彼は計算高く、私を対等なビジネスパートナーとして選んだわけじゃないかもしれない。でも、本気で私の損失を計算して私を救い出してくれた。
『いいわ。こうなった以上、私のキャリアを守るためにその契約を結んであげる』
あの日、世界を騙す偽装交際が始まった。
◇◇◇
「みんな、おはよう!」
偽装交際の契約をした翌朝、私たちは天桜学園の校門前で最高難度の演技を始めた。公式に発表された真剣交際宣言によって炎上は回避。祝福の嵐とは言いにくいけど、公認のカップルとして世間は認め、私たちもそう演じる予定。
私はごく自然なモーションで蓮の制服の袖を指先でつまみ、そのまま腕に寄り添うことに。案の定、周囲の生徒たちからは色とりどりの悲鳴が聞こえる。
──え?
制服を通じて彼の体温が伝わってきた瞬間、私の心臓が跳ねた。毎日パソコンの前から動かないインドア派だと思っていたのに、制服越しに伝わってきたのは想像以上に引き締まった腕。
──意外と筋肉あるんだ。
見た目とのギャップや指先から伝わる熱に、私は慌てて蓮の顔を見る。彼は相変わらず冷徹なポーカーフェイスをしていたので、私はすぐに前を向いた。
「おはよう、蓮。昨日の共同声明のおかげで私のSNSが過去最高記録を出したわ。しっかりと騙されてるみたいね」
「そのおかげで我が社やアプリも検索され、結果としていい広告になった。スタートダッシュとしては悪くないな、凛」
──何が「スタートダッシュとしては悪くないな、凛」よ!
ファーストネームで呼び合うのは取り決め通りだったが、私の名前を呼ぶ彼の声がいつもより少しだけ低くて耳元に心地よく残ってしまい、私は必死でポーカーフェイスを作って、熱くなる顔を隠す。
──こいつ、完全に割り切ってるから恥ずかしげもなく対応できるのね。ほんと、心臓に悪い。
その日の昼休みに行われた会議を兼ねたランチ。これは専属の管理栄養士に監修させたお弁当を食べつつ、AI食事管理の実験を行うだけの予定だった。
「はい、あーんして」
いつも通り笑顔を作ったけど私の心は冷や汗いっぱい。おかしな視線を感知したため、親密である証拠を見せつけるためにアドリブを行う。
「了解した。リスクヘッジのための戦略的パフォーマンスを実行しよう」
蓮が私の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。いつもはノートパソコンにばかり向けている瞳に、今は私だけを映し出す。
──ち、近いんだけど……。
周囲の声が一瞬だけ消えたように感じ、私の指先は震えた。ミスを許されない私がミスをした。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
蓮が玉子焼きを飲み込んだ瞬間、彼から貸し出されているスマートウォッチが振動。その日の放課後のセミナー室で、彼はその時のログを私に見せて問い詰めてきた。
「これはどういうことだ?君の心肺機能に問題が発生したか、過労による不整脈の予兆か。どちらにせよ、専門医にかかることを推奨する」
「な、何言ってるのよ、バカCEO!」
私は椅子を倒しながら立ち上がった。多分、顔は真っ赤だったと思う。
──緊張?視線?そんなんじゃない。蓮があんなに真っ直ぐ私を見つめるから……。私の箸が蓮の唇にほんの少しだけ触れたから……。
「う、うるさい!数字ばっかり見てないで、少しは人間の情緒をプログラミングしたら!」
私は撮影を言い訳にしてセミナー室を飛び出し、廊下の冷たい壁に背を預けて自分の胸に手を置いた。
──心拍数102か……。
私の心臓は停止するかもしれないほどに甘い痛みを訴えていた。
◇◇◇
そして今朝。最悪のストレス要因が来るところまで来てしまった。真っ赤なスポーツカーに乗って、真っ赤なバラの花束を持って、神宮寺恭平が天桜学園の校門前に現れた。
「愛しの凛。そんな安っぽい高校生活は終わりにしよう。今すぐこの車の助手席に座るといい。凛のためにクルージングを用意してある。その後は三ツ星シェフによるディナーが待っている」
遠目ではあるものの野次馬になる生徒たち。私は神宮寺の放つ気色悪い威圧感を感じつつ、所属事務所の社長の顔が脳裏をよぎった。私はいつもの完璧な白神凛を演じ、微笑みを作る。怒りで爆発しそうになるのを握りこぶしの中だけで抑え込むのは大変だった。
スマートウォッチが激しく振動を続ける。何かの数値、多分、ストレス指数が上限を超えたことによる警告のための振動。私が全てを投げ捨てようとしたその時、彼が助けてくれた。
「お前があの生意気な貧乏人か!高校生CEOだか何だか知らないが、神宮寺グループの資本力があればお前の会社なんてすぐに潰せるんだぞ!」
「君の発言には3つの致命的なバグが存在する」
そこからは、蓮の論理が無限に広がっていった。神宮寺グループのキャッシュフローの指摘やスポーツカーの無駄遣い。
「そして最後に、白神凛という僕の大切なリソースを奪おうとするならば、現在開発中のシステムに対する明確な遅延行為であり、業務妨害に値する。君の無意味な求愛行動を受ける凛の時給と、それにより我が社の受ける機会損失を計算すると、1分ごとに約15万円の損害を被る計算になる」
あれほど私を苦しめていた不動産王の御曹司が、彼の理論武装によって尻尾を巻いて逃げていった。エンジン音が消えると周囲の生徒たちから拍手と歓声が巻き起こる。
私はいつの間にか蓮の左腕に両腕を絡め、強く抱きしめていた。彼の体温と、見た目からではわからない筋肉質な感触に安心感を覚えてしまった。
──そっか……。
蓮はビジネスだと言った。損失が出ていると言った。でも、私にとってはそんな言い回しが、世界を席巻するどんなラブソングよりも甘く、頼もしく、真っ直ぐに、私の胸を弾ませる。
──誰も私を助けてくれなかったけど蓮は守ってくれた。私の前に立って、持ってるものを全部使って。どんなストレス要因でも蓮なら取り除いてくれるかも。
周囲から求められている期待に応え続けなければならない私の中に、「最上蓮」というバグがインストールされてしまった瞬間だった。
◇◇◇
放課後の第2セミナー室。朝の出来事が嘘のように、いつも通りの空気が私たちの間に流れる。
「……以上が進捗報告だけど、何か質問はある?」
「完璧だ。君のマーケティング戦略のおかげで広告費は当初の予算から約21パーセントは削減できるだろう」
「そう、それならよかった」
私はスマートフォンを机に置いて、視線を蓮から窓の外に向けた。蓮のキーボードを叩く音の後ろに部活動の音が小さく聞こえてくる。
──今日の会議はもう終わりだけど、今朝のことに関しては感謝を伝えておかないと。
「ねえ、蓮」
「なんだ、白神。アジェンダの追加か?」
「違うわよ、バカ。……あの、朝のこと、ちゃんとお礼を言ってなかったから」
いつも通りのビジネス脳な彼に少しだけ呆れ、私は小さな声で感謝を伝えた。
「本当に助かったの。神宮寺さん、私の事務所の方でもなかなか強く言えないんだ……。ここまで来られた時は本当にどうしようかと思って……。蓮が私の前に立って論破してくれた時、私……」
そこまで言葉を吐き出して、胸の奥が締め付けられた。窓から差し込む夕日のせいじゃない。彼の真っ直ぐな瞳のせい。
「すごく安心した。……ビジネスだってわかってたけど、嬉しかった。ありがとう、蓮」
感謝をシンプルに伝えると、蓮が固まった。眼鏡の奥にある瞳で真っ直ぐに私を見つめたまま、冷徹な彼が止まってしまった。その後、彼の顔が信じられない早さで真っ赤に染まっていく。
「蓮?顔が真っ赤だけど、どこか具合が悪いんじゃない?」
私はわざと意地悪に身を乗り出して彼に顔を近付けた。
「い、いや!違う!問題ない!これは、室内の換気が不十分なため、体内に熱が溜まっているだけだ!君の感謝の言葉で僕の許容量をオーバーフロー……」
「何言ってるかわかんないんだけど」
──ほんと、何言ってるかわかんない。せっかく私が女神の仮面を少しだけずらして本気でお礼を言ってるのに。でも私の顔も赤くなってるかも……。
彼は自分の気持ちを必死に隠す。その必死な言い訳が、今の私には1番のごちそうになっていた。
「と、とにかく!私の時給に換算するとあなたに大きな貸しができたわけだから、今後の会議の時はコーヒーぐらい奢ってよね!経費じゃなくて自腹で!」
「……了解した、僕のポケットマネーから補填するとしよう。これで今朝の借金はクリアだ」
「……バカ蓮」
私は視線を窓の外に戻して口を尖らせた。




