第02話:戦略的パフォーマンス
偽装交際が締結された日の夜、僕たちの世界はリブートされた。僕がCEOを務めるChronos社の公式アカウントと白神凛の所属事務所の双方から、異例の共同声明が発表。
『弊社所属の白神凛とChronos社CEOの最上蓮氏は、今夏より将来を見据えた真剣な交際を行っております。温かく見守っていただければ幸いです』
この発表に対し、ビジネスマンや投資家、熱狂的な白神凛のファンは言い表しようのない衝撃を受けたようだった。この発表の他に、Chro-Noahのアンバサダー就任の契約も交わした。しかし、これから彼女と共同でアプリの改善を行うため、就任発表はアプリのアップデートと同時に行う予定。
ネットの海はこの共同声明に対するログが一晩中流れ、秒間数万件という速度を記録した。悪質なデマを含む交際疑惑や炎上は一瞬で消滅。僕の読み通り、最低限のコストで最大の利益を得ることができた。しかし、その対価を支払う時間が翌朝の登校時にやってきた。
「もっちゃん……、納得のいく説明をしてくれ……」
天桜学園からほど近いマンションに僕は住んでいるが、そのエントランスの外に死んだ魚の目をした高橋がいた。
「高橋、マンションからここまで何度も説明してきたはずだ。白神凛はトップモデルであり、今まで浮いた話の1つもない。しかし僕のリスク管理が甘かったため、あのような結果を招いてしまった」
「いきなりあんな発表を受けた俺の心拍数を見ろよ!120超えてこれがビービー鳴りっぱなしだったんだぞ!」
高橋は、Chronos社製スマートウォッチのプロトタイプを僕にまじまじと見せつけた。高橋のデータはChro-Noahの開発段階から集め続け、今でもデータを提供してくれる。
「それは君のヘルスケア管理が甘いだけだ。余裕を持った生活を送るように心掛けろ」
「俺……、もうダメかも……」
僕は淡々と受け答えを行った。
──すまない高橋、全員を完璧に騙すという契約なんだ。
校門が見えてくると、そこには記者会見場を思わせる視線が待ち受けていた。登校中の生徒たちのほぼ全員が、僕たちの姿を確認した瞬間にスマートフォンを構え、隣にいる友人たちと早口で何かを話している。
「おい来たぞ……、女神を落とした男だ……」
「夏から付き合ってたってマジかよ……」
「凛ちゃんはこんなやつのどこに惚れたんだ……」
様々な感情が混ざり合った視線の濁流。普通の高校生ならこの濁流に飲まれ、胃薬が手放せないだろう。しかし僕にとっては「市場の関心度」というパラメータの1つに過ぎなかった。
僕と高橋が校門を通過した直後、いつものように短いブレーキ音を響かせた高級車が校門前に到着した。
「みんな、おはよう!」
後ろから響いてきたのは鈴を転がすような声。その声に、僕と高橋だけではなく全生徒の視線が後方へとスライド。そこには、非の打ちどころのない自己プロデュースを施した白神凛が立っていた。彼女はいつものように周囲に挨拶を振りまきながら僕の隣まで来ると、自然なモーションで僕の制服の袖をちょこんと指先で掴み、そのまま僕の右腕に寄り添った。
ブブッ。
周囲の生徒たちからは言葉にならない悲鳴が上がり続ける。今までお互いの立場とプライバシーのために学園内では徹底して赤の他人を装っていたが、公表した手前、逆に距離を置く方が怪しまれる。その結果、仲睦まじい姿を見せることが僕たちの選択した戦略だった。
「高橋くん、おはよう!」
「お、おはよう……」
高橋はそこで脱落。僕たちは高橋を置いて歩き始めた。僕の右腕に彼女の腕の感触が伝わり、わずかな温もりを感じると僕のスマートウォッチが振動。左手首のスマートウォッチをちらりと確認すると、心拍数が上昇して80を超えていた。
──これは急激な接触による一時的なバグだ。気にする必要はない。
僕は奇妙なバグを即座に解析し、彼女の顔を見た。彼女は全方位に幸せいっぱいの恋する乙女の笑顔を振りまき、僕にしか聞こえない指向性の高い音声を放つ。
「おはよう、蓮。昨日の共同声明のおかげで私のSNSが過去最高記録を出したわ。しっかりと騙されてるみたいね」
「そのおかげで我が社やアプリも検索され、結果としていい広告となった。スタートダッシュとしては悪くないな、凛」
僕たちはお互いを下の名前で呼び合う。これも全員を完璧に騙すための演出。
「ホームルームが始まる前に行きましょう」
凛は僕の腕に寄り添いながら軽やかに歩いている。周囲の生徒たちには「大好きな彼氏と一緒にいたい甘えん坊の彼女」に見えているはずだ。しかしその裏では、彼女からの明確な注意喚起が込められていた。
『世界を騙す時間の始まりよ。しっかり演じきってよね、CEO』
──受けて立とう。僕の経営辞書に「未達」の文字は存在しない。
僕と彼女は教室が違うため、彼女の教室までエスコートを行う。エスコートが終わると、彼女は笑顔を崩すことなく僕に手を振って教室に入っていった。そして僕が自分の教室に入って自分のデスクに座った瞬間、クラスの陽キャたちによって包囲された。
「最上!聞いてねえぞ!」
「夏から付き合ってたってどういうことだよ!」
「どっからどうやって繫がったんだよ!」
クラスメイトたちが詰め寄ってくるのも無理はない。学園内のカーストの頂点に君臨するトップモデル兼生徒会長と、常にパソコンと睨み合っている合理主義のCEO。本来交わるはずのない2つのラインが突如として重なってしまったのだ。
僕は鞄からノートパソコンを取り出しながら、あらかじめ用意していた公式コメントを出力することにした。
「質問は理解したが、インサイダー情報になりかねないため詳細を話すことはできない。交際自体は夏休み前からとなるが、学園内での接触は最小限に抑えていた。しかし公表した以上、隠蔽する必要はない。それから、どこからどうなって交際に発展したかという質問についてだが、ビジネスの過程においてお互いの思想と将来のビジョンに強いシナジーを感じ、正式なパートナーシップを結ぶことになった」
「……は?」
僕を包囲しているクラスメイト全員が同じ単語を発した。
「お前、凛ちゃんと付き合うことをM&Aか何かと勘違いしてないか?」
「あながち間違いではない。恋愛とはお互いの人生というリソースを共同運用する口頭契約であり、僕たちの関係は非常に健全で生産的だ。それ以上の詳細なプライベート情報については開示を控えさせてもらう」
「ダメだ、異次元の思考をしてやがる……」
男子生徒たちは、それ以上は踏み込まずにそそくさと散っていった。
◇◇◇
「もっちゃん、飯いこうぜ」
「すまない高橋、今日は……」
昼休み。全生徒の視線が集中する一等地で、僕は彼女が来るのを待っている。
「おまたせ、蓮」
中庭の大きな木の下のベンチに座っていると彼女が現れた。その手には、丁寧にラッピングされた二段重ねの弁当箱が握られている。周囲で昼食を取ろうとしていた生徒たちがそれを見た瞬間、一斉に手を止めてこちらを凝視し始めた。
「おい、弁当だぞ……」
「女神の手作り弁当……」
「あれを食べられるなら死んでもいい……」
凛は僕の隣に腰を下ろすと、周囲に見せつけるかのような手つきで弁当の蓋を開けた。
「約束通り、今日から蓮のために作ってもらったから」
色鮮やかなアスパラの肉巻き。美しい黄色の玉子焼き。栄養バランスを考えた玄米。周りの凡人たちの目には、彼氏のために愛情を込めて作った手作り弁当に見えるだろう。しかし僕たちはビジネスパートナー。この弁当は、我が社が万人受けを狙って開発中の新機能「AI食事管理」の実証実験にすぎない。
「素晴らしいビジュアルだ。では検証を開始する」
僕はポケットからスマートフォンを取り出し、カメラのレンズで弁当を捉えてアプリを起動。アプリの枠内に弁当を収めたまま数秒間停止し、解析結果を待つ。
「画角、コントラスト、解析システム、全て正常に稼働している。総カロリーは600。PFCバランスも素晴らしい。僕が事前に提示した数値をわずかな誤差でクリアしている」
凛は優雅に足を組み、自分の分の弁当を開きながら満足そうに微笑んだ。
「当然でしょ、私の専属の栄養管理士にメニューを監修させたんだから。一般の女の子たちが真似しやすいように手軽に買える食材だけで構成されてる。この機能がアプリに実装されたらダイエット目的のユーザーも獲得できるんじゃない?」
「ユーザーが食事にカメラを数秒向けるだけで自分の食事管理を行い、美容や健康を管理できるようになる。そして、我が社の広告塔として君を起用することで説得力はより盤石となる」
僕たちは周囲の熱い視線を完全に無視し、極めてドライに新機能のテストを行っていた。弁当の解析後、僕は箸でアスパラの肉巻きを口に運ぶ。
「美味いな」
「プロが作ってるんだから当たり前でしょ」
凛はそう言って、クスクスと笑う。その笑顔があまりにも自然で距離が近かったため、周囲の見る目が加速する。
「『美味しい?』『うん、すごく美味しいよ』みたいな会話してるぞ……」
「リア充過ぎる……」
「爆発しろ……!」
そんな周囲のノイズを察知したのか、凛の瞳の中に悪戯な光が灯った。
「蓮」
凛は自分の玉子焼きを箸でつまむと、僕の口元に近付けてきた。
「はい、あーんして」
「……は?」
僕の脳内CPUは一瞬だけフリーズした。
「あ、あーん?凛、それに対する論理的な……」
「いいからそのまま演じてよ、CEO」
凛は甘い笑顔のまま、声のトーンだけを極限まで下げた。
「後ろの木の裏と二号館の方に、他校の生徒と私の熱愛の裏を取りたがってる雑誌の潜入記者の視線を確認したの。私たちの関係性を周囲に見せつけるために必要な行為ってだけ」
「了解した。リスクヘッジのためのパフォーマンスとして実行しよう」
僕は覚悟を決めた。凛の持つ箸の先にある玉子焼きを見つめると、彼女の長いまつ毛の奥にある瞳に僕の視線が吸い寄せられた。
──近いな……。
周囲の喧騒が一気に遠くなったような錯覚に陥っていると、完璧な演技をしている彼女の指先がわずかに震えているのを確認した。僕が口を開いて玉子焼きを迎え入れると、彼女の箸が僕の唇に一瞬だけ触れる。玉子焼きを飲み込むと、妙に胸の奥が熱くなる甘い味をしていた。
ブブッ。ブブッ。ブブッ。
玉子焼きを飲み込んだ瞬間、重要案件が舞い込んだ時のように僕のスマートウォッチが振動。僕がスマートウォッチを確認すると、赤い警告文字が表示されていた。
(Chro-Noah:心拍数が100を超えました。急激な自律神経の乱れを確認。ストレス、もしくは未確認のバグの可能性有)
僕は思わず自分の左手首を抑えた。
「どうしたの、蓮?」
凛は不思議そうに僕の顔を覗き込んでくる。その美しく整った顔が一段と近くなり、僕の心拍数は更に上昇した。
「い、いや、何でもない。実験用に入れたソフトウェアのエラーが出ただけだ」
僕はそっぽを向き、プロテインドリンクを取り出して一気に飲み干す。
その日の放課後、僕たちは第2セミナー室でミーティングを行っていた。弁当のデータ解析は順調で、アプリの改善も進んでいる。ビジネスとしてはこれ以上ないほどにスケジュール通り。
「CEO、プロモーション用の写真はこれでいい?」
凛が自分のスマートフォンの画面を僕に見せる。彼女の声はいつも通り冷静だが、僕と視線を合わせようとはしない。
「構図もバランスも問題ない。それより白神」
「何?」
「君のプロトタイプのスマートウォッチから同期されたデータに不審なエラーログを発見した」
僕は1つのグラフを表示して、ノートパソコンの画面を彼女の方へ向けた。今日の昼休みに中庭でパフォーマンスをしていた時、白神凛の心拍数のデータが一時的に「102」まで急上昇していたのだ。
「これはどういうことだ?君の心肺機能に問題が発生したか、過労による不整脈の予兆か。どちらにせよ、専門医にかかることを推奨する」
僕が真面目に心配すると、凛の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。それは完熟しきったトマトのような圧倒的な赤。
「な、何言ってるのよ、バカCEO!」
彼女はバタン!と椅子を倒しながら立ち上がる。
「それは、あの、あれよ!周りの視線が多すぎて緊張しただけ!それに、あなたが急に真面目な顔をして食べるから私の演技のタイミングが狂ったの!」
「しかしデータは嘘をつかない。心拍数102というのは少し走った直後と同じだ。単なる緊張でここまで……」
「う、うるさい!数字ばっかり見てないで、少しは人間の情緒をプログラミングしたら!」
凛は真っ赤な顔をぷいっと背け、荷物を持ってセミナー室のドアハンドルに手をかけた。
「この後は撮影があるから今日はここまで!」
ドアの激しく閉まる音が響き、僕はセミナー室に残された。僕は自分のスマートウォッチから同期されたデータを見つめる。そこには「105」という心拍数が記録されていた。
──僕たちはお互いの目的のためにお互いを利用しているだけに過ぎない。これは合理的なビジネスであり、周りの凡人たちがどれだけ勘違いしても僕たちの本質は変わらない。しかし……、なぜ僕は彼女の真っ赤な顔を「可愛い」という非論理的なカテゴリに分類しようとしているのか……。
「情緒のプログラミングか……」
僕はキーボードを叩く手を止め、窓の外の夕暮れに視線を移した。




