第01話:偽装交際の締結
『時間とは、人類に与えられた唯一の平等資本である』
誰が言ったかは知らないが、僕に言わせればそれは大嘘だ。時間とは資本ではなく、絶え間なく目減りしていく負債。1秒ごとに僕たちの寿命は削られ、機会損失という名の利子が増えていく。だからこそ、1分1秒を余すことなく使い切らなければならない。
「もっちゃん、この後時間ある?」
「すまない『高橋』、この後はプログラムの効率化で埋まっている」
9月1日、午前8時10分。進学校として名高い天桜学園は2学期に入り、僕と高橋は校門を通過しながら生産性のない会話をする。僕は「最上蓮」、高校3年生兼次世代型ライフパートナーAIアシスタント「Chro-Noah」の開発と運営を行うテックスタートアップ企業「Chronos」のCEO。
「もっちゃんは変わらんね」
隣を歩く高橋は幼馴染の腐れ縁。制服を着崩し、誰とでも分け隔てなく話すことのできる、いわゆる陽キャに分類される。
「高橋、登校時の歩行速度は時速4kmをキープしたい。これは脳の血流を最大化し、プロテインの吸収率が最も……」
「はいはい。でもなCEO、学園にいる時ぐらいは普通の高校生やっとけって。顔とスタイルだけは学園内でも上の方なんだから黙ってればモテるよ」
「『モテる』の期待値を計算したことがあるか?告白という不確定要素、デートに費やす時間的コストと金銭的コスト、そして破局時のリスク。どれをとってもコストパフォーマンスが悪すぎる。恋愛は、人生という限りあるリソースをドブに捨てる行為に他ならない」
僕が高橋の質問に答えた直後、キキーッ!という短いブレーキ音が僕たちの通った校門前から響いてきた。音の鳴る方へ顔を向けると、校門の前に1台の高級車が滑り込む。スライドドアが静かに開き、そこからとある女子生徒が現れた瞬間、校門付近の生徒たちの足が一斉に止まった。
彼女は「白神凛」、僕と同じ3年生であり現生徒会長。そして、国内ファッション誌のほとんどの表紙を飾るトップモデル。腰まで届く艶やかな黒髪。美術品のように整った顔立ち。制服の上からでもわかる圧倒的なスタイルの良さ。身長は僕を5センチ上回る175。彼女が歩けば砂埃でさえも演出のような錯覚に陥る。
「あ、凛ちゃんだ!」
「学園の女神は今日も異次元に可愛いな」
「新しい雑誌買ったよー!」
周囲の生徒たちは感嘆の声を上げるも、彼女はそんな声や視線に慣れきった様子で完璧な笑顔を無差別に振りまく。
「みんな、おはよう!」
鈴を転がすような澄んだ声で挨拶をし、モデル業で培ったであろう素晴らしい立ち振る舞いは学園の女神に相応しい。彼女こそが、天桜学園のカーストの頂点に君臨する。
しかし、僕の目は彼女の美しさには向いていない。僕の視線は、彼女の手首にあるChronos社製スマートウォッチのプロトタイプに注がれていた。
──白神凛。SNSの総フォロワー数は297万人。女子高生や若年層に与える購買影響力は国内トップクラス。最高峰のマーケティング資産であることは揺らがない。
彼女がこちらに向かって歩いてくると、一瞬だけ僕と視線が合った。
「俺を見た!」
「いや俺だ!」
周囲の男子生徒たちが無駄な議論を繰り広げる中、彼女は僕の横を通り過ぎる際、隣にいる高橋にすら聞こえないボリュームで、僕にだけ聞こえる指示を残す。
「午前11時30分に1号館の第2セミナー室。遅れないでよ、CEO」
「了解した、1秒の狂いもなく席に着こう」
笑顔とは裏腹に絶対零度の声だけが僕の鼓膜に届き、進んでいく彼女を見送りながらスマートウォッチのタイマーをセットした。
「くっそー!もっちゃんと立ってる場所が逆だったら俺の隣を凛ちゃんが通ったのに!」
高橋は無駄な地団駄を踏んでいた。
午前11時29分59秒。僕は1号館の第2セミナー室のレバーハンドルを押し下げる。室内ではスマートフォンを開き、画面を睨みつけている白神凛の姿があった。僕が部屋に入ると同時に彼女のスマートウォッチが鳴り、スマホに注いでいた視線を入り口に向ける。
「1秒の遅れもなし。時間通りね」
「当然だ。タイムマネジメントすらできない人間に、市場を破壊することはできない」
僕は彼女とデスクを隔てて向き合うように座り、ノートパソコンを起動。そして資料を開き、画面を彼女の方へと向ける。
「今日のメインアジェンダだが、我が社が開発中のAIアシスタント『Chro-Noah』のメジャーアップデートに伴う、白神凛のアンバサダー就任および共同開発契約の提案となっている」
画面には数多くのグラフと数値が並んでいる。Chro-Noahは、ユーザーの睡眠、食事、運動、タスク、果ては脳波までをスマートウォッチを通じて計測し、24時間を完全に管理して最適化するライフパートナーAIアシスタント。ビジネスマンやエンジニアの間ではすでに多くの支持を得ているが、1つだけ致命的な欠点が存在していた。
彼女は鞄からミネラルウォーターのボトルを取り出して喉を潤すと、容赦ない言葉を放つ。
「このアプリ、UIがギーク向けで死ぬほどダサい。ギークのギークによるギークのためのアプリって感じ。普通の女の子なら使う前に削除ね」
「だからこそ、白神凛の力が必要なんだ」
僕は反論せず、彼女の指摘を受け入れた。
「Chro-Noahを万人受けするアプリへと再構築したい。女子高生や若年層のトレンドリーダーである君の感性を組み込み、君のライフスタイルに合わせた『凛エディション』を開発し、それをベースに一般層へ普及させる。これが我が社が国内トップシェアを獲得するための戦略だ」
凛は椅子の背もたれに体を預け、長い足を組み替えた。
「なるほどね、あなたの考えは理解した。でも、私にそれを引き受けるメリットは?私のブランド価値はそこらの有象無象のアプリとは違うわけ。ただの広告塔なら大手からいくらでもオファーが来てるんだけど?」
「白神凛。君は現在、所属事務所からの独立、あるいは個人ブランドの立ち上げを画策しているだろう?」
僕の言葉を聞いた凛の眉はピクリと動き、ポーカーフェイスに小さな亀裂が入ったように見える。
「……どこでそれを?」
「君のSNSの投稿データ、閲覧しているニュースの傾向、更に君が直近フォローしたアカウントを解析した結果、96パーセントの確率で導き出された。君にはビジネスパートナーが必要だ。我が社のテクノロジーと僕の経営手腕を持ってすれば、君の個人ブランドの価値は最大化できる」
「悪趣味ね、データで人を丸裸にするなんて。でも面白そうだからその業務提携は前向きに検討してあげる。ただし……」
彼女は椅子から腰を浮かせ、スマートウォッチを装着した左手の人差し指を立てて僕の鼻先に近付けた。
「このスマートウォッチで私のデータは取れてるんでしょ?。だったら、毎日のスケジュール、撮影、食事、生徒会の仕事。これをこのアプリで管理して、私のパフォーマンスを向上させてみてよ。それができたら正式に契約してあげる」
「僕のシステムに管理できないスケジュールは存在しない」
◇◇◇
始業式から2週間が経過。夏休みに入る前、過密スケジュールを送っているであろう彼女にスマートウォッチを貸し出した。そして約1か月間で収集されたデータを解析し、この2週間で何度も彼女へフィードバックを行った。その結果、白神凛のパフォーマンスを10パーセント向上させることに成功。
それが認められ、今日の放課後にいつもの第2セミナー室で正式な契約を交わすことになっている。しかし、僕と高橋が昼食のために食堂へ足を踏み入れると、異様な視線が僕たちに注がれた。昼食を取る生徒たちは僕と高橋を見ながら囁き合う。正確には、僕と手元のスマートフォンを見比べて驚愕の表情を浮かべていた。
「高橋、今日の食堂はバグが多い」
「もっちゃんが悪いんだろ」
「僕は何もしていない」
「SNSのトレンドぐらいチェックしてるんだろ!?これ見ろって!」
高橋はスマートフォンの画面を僕に見せつける。そこには、学園内の様々な場所で密談を交わしている僕と白神凛の写真が映し出されていた。
セミナー室での密談。放課後の図書室での資料のやり取り。階段の踊り場で肩を寄せ合い、スマートウォッチの画面を指差している場面。写真の構図はどれも絶妙で、夕日の加減や距離感も相まって、どこからどう見ても人目を忍んで密会を重ねている恋人同士にしか見えない、と世間では思われている。
「……もっちゃん、……凛ちゃんと付き合ってんの?」
「高橋、これは我が社の最重要案件なので詳しいことは話せないが、ビジネストークをしていただけにすぎない」
「この写真で『恋人じゃありません』って無理ありすぎだろ!」
高橋は頭を抱えた。
「お前ら美男美女が2人きりで真剣な顔して会ってりゃ、誰だって付き合ってると思うだろ!特に凛ちゃんは今まで浮いた噂がなかったんだぞ!炎上どころじゃ済まねえよ!」
高橋が頭を抱えたまま早口で言い終わると食堂内がざわつき、高橋の予言はすぐさま的中することとなる。
「最上くん、ちょっといい?」
僕と高橋の席に白神凛がやってきた。そして当然のように食堂内の視線は僕たちに集まり、和やかな空気は消え去る。
彼女はいつも通り誰もが憧れる笑顔を浮かべていた。しかしその瞳の奥には、サイバー攻撃を受けた時のような緊急事態のレッドランプがぐるぐると回っている。
「高橋くん、ごめんね!どうしても生徒会の案件で最上くんに相談したいことあるの!」
「あ……、ああ!うん!どうぞどうぞ!」
高橋はかつてないほどの力で僕の肩を叩く。僕は仕方なく立ち上がり、彼女の後ろに続いて食堂を後にした。2人きりの行進にも当然のごとくカメラが向けられ、数々の写真が保存されていったに違いない。
食堂を出て、僕たちは人気のない廊下を歩く。そして角を曲がり、完全に人目のない階段裏に入った瞬間、彼女の笑顔が一瞬で剥がれ落ちた。
彼女は胸ぐらを掴まんとする勢いで僕を壁際まで追い詰め、その整った顔を僕の顔から10センチの距離にまで近付けた。彼女の息遣いと、かすかに甘い香水の香りが僕を揺らす。
「ちょっと!あの写真見た!?」
「あ、ああ……。解像度のわりにノイズの多い写真だったが、僕たちのビジネストークをしっかりと記録していたな」
「感心してる場合じゃないの!事務所のマネージャーから鬼のような電話がかかってきてる!今までリスク管理を徹底してたのに、たったこれだけのことでモデルとしてのブランディングが炎上しかけてるの!」
声を潜めながらも、激しい口調で僕を問い詰める。
「ただの誤解だ。僕たちはアプリについて話をしていただけにすぎない」
「周りから見たら『仕事』をしてるんじゃなくて、『恋愛』をしているように見えるって言ってるの!」
彼女の胸は怒りと焦りで大きく上下している。その姿を見て、僕は脳内CPUをフル回転させた。炎上による白神凛というブランドリーダーの失墜。これは彼女のキャリアにとって致命傷になる。それは白神凛という最高峰のマーケティング資産を失うことに加え、Chro-Noahのリリース計画にとっても大きな損失を意味する。
──最低限のコストで最大の利益を得るためには何が必要だ。
計算の結果、僕は1つの答えを導き出した。
「白神、僕から1つ提案がある」
「お得意のデータ分析で出した答えは何よ?」
「この歪んだバイアスを力技で修正することは不可能だ。ネット上の噂を消そうと思えば炎上は勢いを増す。であれば、その誤解を逆手に取るだけだ」
「逆手に取るって?」
僕は彼女の目を真っ直ぐに捉え、真面目なトーンで告げる。
「僕たちが真剣交際していることにすればいい」
「……はあ?」
彼女の美しい瞳が丸く見開かれ、彼女のCPUが完全にフリーズしたことがわかった。
「つまり偽装交際の契約締結だ。ビジネスの密会ではなく、真剣な恋愛であると公表すれば炎上は一瞬で鎮火できる」
僕は一歩踏み込み、彼女の耳元で囁いた。
「交際開始時期は夏休み前。僕が君にそのスマートウォッチを貸し出した辺りに設定する。夏休み中と同じ行動を学園内でもとってしまい、それを写真に収められて炎上しかけている。これならば夏休み中に愛を育んでいたということに世間は納得し、やましい密会という印象は消え去るだろう」
凛は何も言わず僕の言葉が切れるのを待つ。
「更に言えば、君に付きまとっている他校の御曹司や、僕に非合理的なお見合い話を持ち込んでくる投資家たちをシャットアウトすることも可能だ。偽装交際は最強の虫除けとしても機能し、お互いのタイムロスを削減できる」
僕が一歩下がると彼女はしばらく僕の顔を凝視していたが、深いため息を吐いてやや俯きながら額に手のひらを当てた。
「……どこまでも合理的で血も涙もない男ね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「いいわ。こうなった以上、私のキャリアを守るためにその契約を結んであげる」
彼女は顔を上げ、不敵で最高に美しい笑みを浮かべた。
「でも覚悟してよ、CEO。やるからには、世間も学園も事務所も全員を騙しきる最高のバカップルを演じてもらうから。私のプロデュースにしっかりついてきて」
「問題ない。僕のシステムに演じきれないロールは存在しない」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、それを合図に僕たちは握手を交わした。世界で一番不純で、世界で一番合理的な、偽装交際締結の握手を。
よろしくお願いします。




