第14話:バグではなく仕様
偽装交際の一時凍結から1週間。僕の目の前にあるトリプルモニタの右側にはスケジュールカレンダーが表示されているが、すでに真っ白となっていた。
偽装交際開始直後、凛とスケジュールを共有すると一瞬でノイズにまみれた。僕のタスクを縫うように、凛の撮影スケジュールや勝手に入ってくる偽装デートの予定の数々。そのノイズは、心地良かった。
しかし、今のカレンダーは空白が全てを支配している。セミナー室で感情剥き出しの喧嘩をした後、僕と凛とのシステムの同期は解除された。それによってカレンダーの同期も行われていない。一時凍結というステータスに移行した結果、お互いのタスク管理は不要となった。
──これで……、いい……。
僕は眼鏡の縁を軽く指でつまみ、少しだけ上にずらしながら自分自身に言い聞かせる。ノイズがなくなった分、僕の貴重なリソースが凛の突発的なエラーや非効率的なタスクに奪われることがなくなった。
カレンダー上の空白は僕がアプリ開発に注げる時間そのもの。ノイズが排除された僕は、偽装交際前と同じレベルで最適化されている。僕はキーボードに両手を置いた。静まり返った部屋、深夜2時、最高の開発環境。
──今の僕なら作業効率は200……、いや、300パーセントは叩き出せるはずだ。
しかし、僕の指は数行のコードを綴っただけでピタリと動きを止め、視線は無意識のうちに右側へと引き寄せられる。
──凛の明日のスケジュールは?雑誌の撮影か?それともあの男と会うのか?
気づけば僕はブラウザの新規タブを開き、凛のSNSを監視しようとしていた。それに気づいた僕は慌ててタブを閉じ、再びプログラミングに向き直る。そしてキーを弾こうとした瞬間、手元のスマートフォンが振動した。
──凛からか?
急いで確認すると、単なるニュースアプリの通知だった。跳ねあがった心拍数が一気に冷やされ、そのたびに胸の奥には鈍い痛みを伴う。
僕はキーボードから手を離し、ワーキングチェアに深く背中を預けた。作業効率300パーセントなど嘘だった。現在の作業効率は通常時の10パーセントもない。プログラミング自体は脳内CPUが全て計算しきっているが、それをタイピングするだけの電力が全く供給されていない。
ノイズだと思っていた。扱いづらい未定義変数だと思っていた。だが違った。「白神凛」という存在は、僕の人生において代替不可能で大切なリソースではない。隣で笑い、怒り、僕の腕に寄り添うこと。たとえ偽装だったとしても日常的に行われていたそのやりとりこそが、「最上蓮」というシステムを稼働させ続けるために必要な電力源であり、それを失った僕はガラクタ以下に成り下がってしまった。
◇◇◇
「最上社長、本日が回答期限ですよ」
文化祭最終日。金と権力で勝ち取ったであろう校長室で、僕と西園寺は対峙している。室内の空気は彼女の支配下だ。
「Chro-Noahですが、ダウンロード数が今も増加傾向にあるそうですね。私のAIが弾き出した通り、素晴らしい成長を見せています」
西園寺は前回と同じタブレットを取り出し、僕に契約書を提示してきた。
「出資額ですが、5億ではなく10億から始めることになりました。アイドリングはここまでとしましょう」
西園寺の笑みには一切の疑念が存在しない。僕が出資を受け、莫大なリソースを拒否するとは彼女のAIでも計算していないだろう。
「西園寺、1つだけ確認させてほしい」
僕は静かに口を開いた。
「なぜ君はそこまで僕のアプリ……、いや、僕自身に執着する?西園寺ホールディングスの資金力があれば優秀なエンジニアを何人でも雇えるはずだ。その雇ったエンジニアでゼロから同じシステムを構築すればいい」
「仰る通り、エンジニアならいくらでも買うことができます。ですが、最上社長のような『狂気』を持つ人間は市場に出回っていません」
西園寺は僕の目を真っ直ぐに見つめて話し始めた。
「常に最適解を求める姿勢。感情という無駄なノイズを排除し、ひたすらに世界を冷たく見据える冷徹さ。私は最上社長と同類なのです。非合理なこの世界を、私たちが揃えば全てを書き換えることができる。最高にして唯一のビジネスパートナーになれるでしょう」
──なるほど。確かに西園寺の言った通りだ。僕たちはバグを嫌い、完璧なロジックを神と崇める。西園寺となら僕は一切のエラーを経験することなく、最速で世界の頂点を掴み取ることができる。
「本当に素晴らしい提案だ……」
「ではサインを」
西園寺がタブレットとペンを僕の前にゆっくりと置く。僕がそのペンを手にした瞬間、西園寺は口角を僅かに上げて勝利を確信した。しかし、僕はそのペンをタブレットの上に置き、そのまま西園寺へと滑らせた。
「最上社長、これはどういうことですか?」
「単刀直入に言う。君との取引は破談だ」
僕のはっきりとした拒絶に対し、西園寺の表情に亀裂が走る。
「……は?」
西園寺の口からは御令嬢とは思えない間抜けな音声が出力された。
「何かの冗談では?私の提示した条件に不満があるというのですか?」
「条件に不満はない。それどころか、提示された内容は完璧だ」
「ではなぜ?」
「僕のシステムに重大な未定義変数が存在していた。いや、僕自身がその変数の重みを意図的に過小評価していた」
凛と喧嘩して以来、空っぽのカレンダーを見つめながら再計算した内容を西園寺に開示する。
「『白神凛』が持つ影響力は西園寺ホールディングスの足元にも及ばない。しかし、彼女を僕のシステムから削除した場合に発生する損失を完全に誤認していた」
「損失……?」
「凛がいなくなったあとの僕は完全にフリーズした。彼女が隣で笑い、怒り、『バカ蓮』と理不尽なエラーをぶつけてくる日々。それこそが『最上蓮』というシステムを正常に稼働させるための唯一無二の『バグ』なんだ。その致命的なシステムダウンを君のAIでは予測できていない」
理解不能なものを見ているかのように西園寺の顔が歪む。
「バカな……。たかが高校生モデル1人が私の提案よりも重いというのですか!?あなたはそんな不合理な感情のために、世界の獲ることを諦めるのですか!?」
「諦めないさ」
感情的に怒鳴る西園寺に、僕はかつてないほどクリアな思考で不敵に笑い返した。
「僕は野望も実現する。そしてその時、隣にいるのは白神凛でなければならない。彼女を失うことによる僕の人生の損失は、西園寺財閥の所有する資本力全てを投下しても絶対にカバーできない」
「……狂っている。論理的思考を放棄したのですね」
「いや、違う」
僕はソファから立ち上がり、校長室のドアへと向かった。
「これが僕の導き出した『最適解』だ。僕のシステムは彼女と言うバグを内包した状態でしか最高のパフォーマンスを発揮できない。だから、僕は彼女そのものを僕のインフラに統合すると決めた」
「……どういう意味です?」
「西園寺、君の提案には感謝する。そのおかげで、僕のシステムに存在する致命的な脆弱性に気づくことができた」
僕はドアノブに手をかけたまま振り返り、西園寺に最後の言葉を置いていった。
「西園寺、僕はこれから……」
応接室を出た瞬間、背後でタブレットを床に叩きつけたであろう音が響く。しかし、僕の心拍数は80を下回っていた。西園寺ホールディングスを敵に回しかねないというこの状況よりも、僕の脳内CPUはかつてないほどに回転し、明確な未来に向けて計算をし続けている。
──凛を取り戻す。それは絶対に外せない確定事項だ。しかし、謝罪をした直後にもう1度偽装交際を提案するのはあまりにも美しくない。そもそも、一時凍結に陥った根本的な原因は?
僕は文化祭最終日であることを忘れ、自宅でプログラミングをするべく足早に校門へと向かった。
──同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
文化祭が終わった次の週。Chro-Noahのダウンロード数第1位を記念するパーティーが天桜学園で行われる。関係者以外は立ち入り禁止。偽装交際は一時凍結中ではあるが、アンバサダーである彼女は出席する。
◇◇◇
そして決戦の日。天桜学園の体育館を占有し、Chro-Noahのダウンロード数1位を祝う熱気が、始まりかけている冬の寒さを完全に打ち消す。僕はオーダーメイドのダークスーツに身を包み、VIPエリアで投資家やメディア対応をこなしていた。
「最上社長、素晴らしいアプリです。国内1位、おめでとうございます」
「西園寺財閥との提携の噂は本当ですか?」
「あそこと組めば国内だけではなく、間違いなく世界の頂点を極めることができるでしょう」
次々と浴びせられる称賛と詮索。僕はCEOとしてそれらを順次処理し続けている。しかし、僕は視界の端に彼女を捉え続けていた。漆黒のドレスに身を包み、いつもよりわずかばかり凄みのある笑顔を振りまいている白神凛を。
──あのドレスはルール違反だ。
遠目からでも伝わってくる凛の圧倒的な美しさ。周囲の男たちの視線が彼女に集まるたび、僕の内部では強烈な嫉妬が渦を巻く。今すぐにでも連れ去り、彼女の隣を独占したかった。
──まだだ。
僕が凛に焦点を合わせていると、こちらをちらりと見た彼女と視線があった。僕は久々に合った視線に動じず、表情を一切崩さないようにして視線を逸らす。向こうからすれば冷たい対応に見えるだろう。突き放しているように見えるだろう。今はそれで構わなかった。パーティー終了後、一時凍結となっている偽装交際について、当事者間での最終ミーティングを行う予定になっている。
パーティーは滞りなく終わりを迎えた。ログアウトしていく投資家やメディアなど、もはや視界に入っていない。ダウンロード数第1位の栄光もどうでもよかった。僕の人生における最大のプログラミングは、今から始まる。
僕は革製のバインダーの中身をちらりと確認した。それをしっかりと抱え、偽装交際の締結を行ったセミナー室へと力強く歩を進めた。




