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第13話:一時凍結

 西園寺千代子との会談を強制終了した翌日の放課後。僕は文化祭実行委員として業務の確認を始めた。委員が集まる教室には西日が差し込み、僕はノートパソコンを開いてため息を漏らす。


 昨日の会談で、僕は西園寺ホールディングスという最強のリソースに対してストップをかけた。テックスタートアップCEOとして、それは万死に値するミス。資金調達だけではなく、西園寺の持つ全国規模のインフラやデータが無料で手に入る機会でもあった。


 いつもの僕であれば、100パーセントの最適解である西園寺の提案に迷わず乗り、小さな影響力しか持たない白神凛を容赦なく切る。


──切れ、切るんだ。


 僕はキーボードに手を乗せたまま脳内CPUに命令文を飛ばした。偽装交際の契約解除。それを文章化し、彼女に送信すれば全てが終わる。凛を切り捨てた後は莫大なリソースが手に入り、実質的に野望への特急券を手にする。しかし、僕の指は1本も動かない。


──何故動かない!?


 凛を手放さないことは多大な機会損失を発生させるが、僕の胸の奥は彼女を「切る」と考えるたびに強烈な痛みが襲う。


 僕はノートPCを乱暴に閉じた。彼女を切り捨てるためのコードが1文字も書けない。僕は「白神凛」という「バグだらけで最高に美しい変数」を僕のシステムから完全に削除することができなかった。


 ノートパソコンを鞄に押し込み、目が痛くなる配色の文化祭実行委員の法被を着用して業務に取り掛かる。今日の業務はイベント専用倉庫に眠る大きな垂れ幕を回収すること。早足で倉庫に向かいながら、僕は必死で凛を裏切らない理由をでっち上げるための計算をしていた。


──いきなり凛を切ればせっかく獲得した若年層が消えかねない。そして西園寺に切り替えれば偽装交際であったことも公となり、僕も凛も今後の人生に大きなダメージを残す。それに、凛の持つポテンシャルは西園寺のAIでも正確には計算しきれていない。


「僕は誰に言い訳をしているんだ……」


 壁に拳を押し当て、脳内CPUが弾き出した計算結果を嘲笑した。都合の良いデータを継ぎ接ぎしただけに過ぎない。結論は最初から決まっている。


 僕が白神凛を手放したくないだけだった。誰かに彼女の笑顔を見られるのが、誰かが彼女に触れるのが、誰かが彼女の隣という特権に居座るのが許せない。


──凛……。


 僕はスマートフォンを取り出し、凛とのメッセージ画面を開いたが新しい着信などきているはずもない。僕の方から送信する理由も見つからない。体育祭の日、彼女を置いて逃げ出した瞬間、僕は彼女を捨てたも同然だった。


──今更どんな顔をして彼女に連絡を取ればいい?「西園寺から買収の提案を受けたが、凛を手放したくないから保留にした」とでも言えばいいのか?フィルターの通っていない言葉など、僕が言えるわけがない。それでも……、今すぐに彼女の姿をこの目で確認しなければ僕のシステムは完全に崩壊してしまう。明日のスケジュール確認でも、文化祭実行委員と生徒会とのやり取りでも何でもいい。凛に会いたい。


 強烈な焦燥感に急かされ、僕は学園内の隅々にまで視線を動かしながら倉庫まで向かった。放課後の学園は文化祭の準備で忙しく、至る所に段ボールや塗料のノイズで溢れている。


 そして、僕の視界は彼女を捉えた。その瞬間、僕の足は廊下に縫い付けられたかのように停止。距離にして約20メートル先の渡り廊下で2つのシルエットが手を繋ぎ、僕の目的地であるイベント専用倉庫の中へと消え去っていった。


 1つは僕が血眼になって探していた白神凛。そしてもう1つは……。


──内藤清正……。


 僕の脳内データーベースが即座にその男のデータを検索する。僕たちより1年先輩で凛と同じモデル業。圧倒的なルックスと誰をも魅了するコミュニケーション能力を持つ感情のカリスマ。僕とは対極に位置し、極めて危険度の高い存在。


──何をしている……。


 冷静ではない僕の視覚に入ってきた情報は、内藤と凛が手を繋いでいるように見えた。親しげに凛と手を繋ぎ、僕以外が凛をエスコートしているという信じがたい光景。内藤の顔は甘すぎる笑みを浮かべつつ、その口元は酷く歪んでいる。


──離れろ!その距離は僕のプライベートゾーンだ!


ブブッ。ブブッ。ブブッ。


(Chro-Noah:緊急通知!ストレス指数および心拍数急上昇中!至急、デバッグされたし!)


 脳内だけではなく、手首のスマートウォッチによる物理的な警告が響く。しかし、僕のシステムを更に深く破壊したのは内藤の行動そのものではない。凛の反応だった。


 普段の凛であれば、興味のない男からあんな風に侵略されれば即座にファイアウォールを展開し、巧みに相手をいなすことができる。彼女の危機管理能力は極めて高い。しかし今の彼女は内藤の手を振り払おうとはせず、むしろ彼に従うかのように倉庫へと入っていった。


──なぜ抵抗しない?なぜあの男のアクセスを許可している?君の横に立つ権限を持っているのは僕だけのはず!


 僕のシステムには、これまでに経験したことのない真っ黒でドロドロとしてバグが猛スピードで増殖し始めた。周囲の喧騒はかき消され、心臓が血液を送り出す音が鮮明に聞こえる。


──これが嫉妬というものか……。


 本や映画の中でしか観測したことのない、人類史上最も愚かな感情。その感情が僕のシステムを完全に乗っ取り、論理的思考を破壊しつくした。


──許さない。


 僕の頭の中はその単語で埋め尽くされた。


──結局、内藤のようなわかりやすいパッケージにすがりつくのか。僕がこれほどまでにロジックを狂わせ、西園寺の提案を保留にし、白神凛という大切な存在にしがみつこうと足掻いているのに!


 僕は真っ黒なバグに操られたかのようにゆっくりと渡り廊下を渡った。


◇◇◇


「凛、行くぞ」

「ちょ、ちょっと待って!?引っ張らないでよ!?」


 僕が凛を倉庫から引きずり出した背後で内藤が何かを叫んでいたが、僕の耳はその音声データを完全にノイズであると判定し、破棄していた。今の僕を支配しているのはただ1つ。「白神凛が他者に浸食されかけた」という許しがたい事実のみ。


 僕は彼女の手首を握りしめたまま、放課後の学園内を無言で進んでいった。すれ違う生徒たちの視線が僕たちに向けられるが、もはや偽装交際やブランドイメージという合理的判断は一切稼働していない。「嫉妬」というバグに侵された僕は、他の男の視覚に凛を1秒でも記録させないことしか考えられなくなっていた。


バンッ!


 いつもの第2セミナー室に凛を押し込み、内側から鍵をかけた。セミナー室は倉庫代わりに使用されていていつもよりかなり狭い。


「いきなりドアを壊したり、無理矢理ここまで引っ張ってきたり……」


 凛は僕に掴まれていた手首を胸に抱きかかえるようにし、僕から少しだけ距離を取った。その瞳には明らかな怯えが見て取れる。


ブブッ。ブブッ。ブブッ。


(Chro-Noah:緊急通知!白神凛のストレス指数が急上昇中!至急、デバッグされたし!)


 密室に僕たちの息遣いとスマートウォッチの振動音が響く。僕は後ずさった彼女の目の前まで冷たく歩み寄り、必死にプログラミングを再開した。


「凛、あれはどういう状況か説明しろ」


 極限まで低く出力された僕の声が狭いセミナー室の空気を凍らせる。


「君はChro-Noahのアンバサダーであり、僕との偽装交際を締結したビジネスパートナーだ。それにも関わらず、内藤のようなリスク要因と密室で接触し、あまつさえそのプライベートゾーンへの侵入を許可するなど、君のセキュリティ対策はどうなっている!?」


 僕の口から飛び出したのは、あくまでも理論武装を装った醜い独占欲の塊。僕は1人の男として彼女に嫉妬していることを認めるのが死ぬほど怖くて、必死に鎧を着込み、彼女を糾弾し始めてしまった。


 冷酷な問いに対し、凛は視線を床に向けたまましばらく沈黙。しかし次第に彼女の肩が小刻みに震えだすと、唇を強く噛みしめて顔を上げた。そこには学園の女神の欠片もない。存在したのは生々しい怒りと悲哀。


「ビジネスパートナー?セキュリティ対策?」


 凛の口から熱のこもった冷たい声が漏れる。


「笑わせないで。それを言うなら蓮はどうなの?西園寺さんと2人でどこかに行ったって噂になってたけど?私を捨てて財閥の御嬢様に乗り換える商談でもしてたんじゃないの!?」

「!?」


 咄嗟に言葉は出てこなかったが、即座に否定すべきだった。


──「西園寺の提案を保留にした。凛を手放すことができなかったからだ」と真実を簡単に出力できれば……。


 「凛を手放せない」という、最高に非論理的で感情に振り切った脆弱なパラメータをこの場で開示することは僕のプライドが許さなかった。


「それは……、CEOとして……、慎重にならざるを得ない案件で……」


 最悪の音声データが次々と出力される。


「我が社のようなテックスタートアップが成長フェーズに移行する際、より大きな資本を持つ企業との提携は当然のプロセスとなる。君の影響力を考慮した上での最適解を……」

「最適解!最適解!最適解!」


パンッ!


 凛の平手が僕の言い訳を物理的に遮断した。


「……凛?」

「いい加減にして!なんでいつもそうやってなんでもかんでも数字とビジネスの枠に押し込めようとするの!」


 凛の両目から大粒の涙が溢れ出し、彼女の美しい頬を濡らす。


「私は機械でもリソースでもない!血の通った人間なの!あなたが西園寺さんとどこかに行ったって聞いた時、私がどんな気持ちだったか!どれだけ惨めな思いで自分の価値のなさに絶望したか!蓮にわかる!?」


 凛の叫びが僕の脳内CPUを激しく揺さぶる。


「蓮にとって私は客を呼ぶための看板なんでしょ!?西園寺ホールディングスっていう最強の看板が現れたら容赦なく掛け替えられるだけの便利なリソース!内藤先輩の言った通り!蓮みたいな感情のないロボットに少しでも期待した私がバカだった!」

「内藤だと……?」


 その単語を聞いた瞬間、僕のシステム内でかろうじて機能していた最後のセーフティが弾き飛ばされた。


「僕が凛を切り捨てると勝手に推測し、あんな男の甘言にすがりついたのか?」

「そ、それは……」

「たかが契約の存続が不透明になった程度で、いとも簡単に他者へ逃げ込むとは。凛がこれまで積み上げてきたトップモデルのプライドとやらはその程度だったというわけか。あの男の提供する安っぽい承認欲求で満たされるなら、最初から僕との偽装交際なんて必要なかったんじゃないか!?」

「最低!!」


 凛が再び僕を殴ろうと腕を振り上げ、痛む頬に2度目の痛みが襲う。その直後、僕は僕を殴った凛の手首を強く握りしめた。


「痛い!離して!」

「離さない。凛は僕の大切なリソースだ。僕の許可なく、他者のところへ行くことは絶対に許さない!」

「誰がリソースよ!私は私!蓮の所有物じゃない!」


 僕たちは至近距離で、お互いの最も柔らかく傷つきやすい部分を「言葉」という鋭すぎる刃物で刺し続けあう。そこには高校生CEOも学園の女神も存在しない。嫉妬と不安と焦燥感で頭がおかしくなってしまった、不器用な2人の男女が剥き出しの感情をぶつけ合っているだけ。


「もう……、限界……」


 凛は僕の拘束から強引に手首を引き抜き、涙でぐちゃぐちゃになった顔で僕を睨みつけた。


「蓮の計算の中はもう息苦しくて耐えられない!もう偽装交際なんてやめる!」


 凛の口から飛び出た言葉は、僕のシステムをシャットダウンさせるのに十分な破壊力を有していた。


「やめるだと……?」

「そう!偽装交際はもう終わり!蓮は西園寺さんと組んで好きなだけ最適解を探せばいい!私のことは今すぐ忘れて!」


 凛はそう叫ぶと僕に背を向けてセミナー室のドアの鍵を乱暴に開けた。その間、凛の震える背中を見ながら僕の脳内CPUが無数の緊急プロセスを立ち上げる。しかし、僕の頑固すぎるプライドは自らが傷つくことを恐れ、最悪の処理を実行してしまった。


「いいだろう。凛が僕との契約を守れず、これ以上のパフォーマンスを維持できないと申告するのであれば止める理由はない」

「……!?」


 凛の背中が一瞬ビクリと硬直した。


「僕たちの偽装交際については、今日この時を持って『一時凍結』とする。今後については僕の計算リソースに余裕ができた時に改めて通知する。……以上だ」

「バカ蓮!」


 それは僕がCEOとして吐き出した最大限の強がりであり、男としての敗北宣言。凛は振り返らなかった。ただ一言、僕を罵倒する言葉を叫ぶと勢いよくドアを開けて走り去る。


 ドアは勝手に閉まり、セミナー室には静寂が戻る。僕しかいなくなった空間で自分の手のひらを見つめた。つい先程まで凛の細い手首を握りしめていた感触が残っている。凛の流した涙の温度。凛のお気に入りの香水の残り香。それらが僕のメモリから消えようとせず、膨大なエラーとして増え続けていった。


──凛……。


 落ち着きを取り戻してきた僕は、自分がやってしまったことを残酷なほどに理解し始めていた。


──西園寺の提案を保留にしてまで凛の隣を守ろうとしたはずだった……。だが嫉妬というバグを制御できずに大切なパートナーを言葉で破壊し、手放してしまった……。


 僕は力なくその場に膝をつき、床に拳を叩きつけた。これまでの人生で信じてきた合理性や最適解が、「恋」に対してこれほど無力で冷たいものだとは思いもしなかった。

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