EP 5
無双流・実戦投入
「ギュガガガガガァァァッ!!」
超アルカリ洗剤の直撃を受けた巨大ヘドロスライムが、断末魔のような叫び声を上げる。
強酸性の体液が急速に中和(鹸化)され、ドロドロの油汚れが白い泡へと変質していく。だが、まだ完全に崩壊したわけではない。
生命の危機を悟った粘体が、体内に取り込んでいた無数の残骸――折れた剣や冒険者の白骨――を、散弾銃のように一斉に射出してきた。
「ひぃぃぃっ! 飛んできますぅ!」
「伏せてろ、リリス」
俺はウォーターキャノンを左手に持ち替えたまま、右手に構えた120cmの伸縮棍『掃討』を構える。
無双流――日本古武術『杖術』の型。
静かなる『静』の構えから、飛来する瓦礫の軌道を完璧に見切り、最小限の動きで弾き落とす。カァンッ! カンッ! と小気味良い金属音が地下倉庫に響く。
「な、なんだアイツ……片手で弾きやがったぞ!?」
階段の上から覗き込んでいた冒険者たちが息を呑む気配がした。
だが、スライムの足掻きは終わらない。
俺の足元をすくうように、床を這うヘドロの触手が全方位から襲いかかってきた。
「足場が悪いな。――なら、踏み潰すまでだ」
無双流――東南アジア武術『シラット』の歩法。
上半身は一切ブレさせず、下半身だけが独立した生き物のように動く。鎌のように鋭い蹴りと踏みつけで、迫る触手の先端を次々と物理的に粉砕・切断していく。
予測不能な足技のリズムに、スライムの攻撃が完全に空を斬った。
「コアが剥き出しになったな。仕上げだ」
中和と破壊によって装甲を剥がされたスライムの中心。そこに、スイカほどの大きさがあるドス黒い核が脈打っているのが見えた。
俺は親指で『掃討』のスイッチを押し込む。
シャキィン!
120cmの杖が、一瞬にして180cmの長棍(第3形態)へと伸長する。
無双流――中国棍術。
そこからの動きは、完全に『動』だ。
長尺の棍を身体の周囲で竜巻のように旋回させる。『ファインマン物理学』に基づき、回転軸の移動と遠心力を極限まで高め、運動エネルギーを先端の一点に集中させる。
「除霊でも討伐でもない。これは単なる『破砕処理』だ」
遠心力が最大に達した瞬間、棍の先端が音速を超え、空気を裂く破裂音を鳴らした。
ゴァァァァンッ!!
叩きつけられた棍の先端が、スライムの核を寸分の狂いもなく打ち抜いた。
硬質なガラスが砕け散るような音と共に、核が粉々に砕け散る。
それを合図に、巨大なヘドロの塊は完全に張力を失い、ただの「大量の石鹸水(中和された液体)」となって床に広がった。
「討伐完了。……さて、ここからが『本業』だ」
俺は棍の先端に、腰袋から取り出した幅広のスクイジー(水切りワイパー)をカチャリと装着した。
「リリス! ウォーターキャノンの水圧を下げろ! すすぎ洗いに入る!」
「は、はいぃっ! すすぎ洗いですね!」
ペチペチと健康サンダルを鳴らしながら、リリスがバルブを調整する。
俺はホースから噴き出す水流で残った汚れを排水溝へと押し流しつつ、スクイジーを取り付けた棍で、石の床を高速で磨き上げていく。
無双流の滑らかなフットワークは、広範囲の床清掃において驚異的な作業効率を発揮した。
* * *
「おいおい……静かになったぞ」
「溶かされたか? 清掃屋の兄ちゃん……」
階段の上では、ギルドマスターと冒険者たちが顔を見合わせていた。
あの巨大な変異種だ。まともな武装もしていない清掃業者が勝てるはずがない。誰もが「最悪の結末」を予想し、舌打ちをしたその時――。
カチャッ。
鉄扉が開き、一切の汚れや体液を浴びていない俺が、紫ジャージの女神を引き連れて現れた。
「作業終了だ」
俺はそう言って、粉々になったスライムの核の破片を、マスターの足元にコロンと転がした。
「なっ……!?」
「バカな、あのヘドロの化け物を倒したっていうのか!?」
マスターが目を見開き、慌てて地下倉庫へと駆け降りる。他の冒険者たちもそれに続いた。
そして、彼らは信じられないモノを見るかのように、その場に立ち尽くした。
「こ、これは……」
悪臭とヘドロにまみれていた地下倉庫は、文字通り『鏡面』のようにピカピカに磨き上げられていた。
壁のカビは根こそぎ消え去り、腐食していた柱の汚れも完全に除去されている。空気中には、アンモニア臭の代わりに、ほのかな柑橘系(業務用洗剤)の爽やかな香りが漂っていた。
「……タイムは?」
俺の問いかけに、マスターは震える手で懐中時計を取り出した。
「さ、三分……だ。あの扉を開けてから、たった三分しか経ってねぇ……!」
信じられない、という顔でマスターが俺を見上げる。
俺は作業着のポケットからセブンスターを取り出し、マッチで火を点けた。
「言ったはずだ。すべての汚れを落とすと。ギルドホール(上)の清掃も、このままのペースでいかせてもらうぞ」
「あ、あうぅぅ……尊しゃちょうの掃除、魔法より早くて怖いですぅ……」
背後でリリスが初心者マークを震わせながら呟く。
異世界の荒くれ者たちの度肝を抜くには、たった3分の『清掃作業』で十分だった。




