EP 4
スライムは「しつこい油汚れ」
「ほら、リリス。ホースが捻れているぞ。圧が下がるから真っ直ぐに伸ばせ」
「あうぅぅ、重いですぅ……っ! このホース、中に鉄でも入ってるんですかぁ!?」
ペチッ、ペチペチッ! と健康サンダルを悲鳴のように鳴らしながら、リリスが必死に漆黒の高圧ホースを引きずり込んでくる。
俺は社用車のハイブリッド発電機を起動させ、動力の安定を確認してから、特殊高圧洗浄機のバルブを開いた。
ブゥゥゥンッ……という重低音がギルドの外から響き始めると、ホール内にいた冒険者たちが「なんだあの音は」「魔獣の唸り声か?」とざわめき始める。
「おいおい、大掛かりな機械だな。だがな、清掃屋」
腕を組んだギルドマスターが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて近づいてきた。
「ホールの床を磨く前に、一つ言っておくことがある。この臭いと汚れの『大元』は、ここじゃねぇんだよ」
マスターが顎でしゃくった先には、ホールの隅にある頑丈な鉄扉があった。
そこには『立ち入り禁止(D級以下)』という札が貼られ、扉の隙間からは、鼻をつくような強烈なアンモニア臭とカビの臭いが漏れ出している。
「地下の第一倉庫だ。数ヶ月前からあそこに『ヘドロスライム』の巨大な変異種が住み着きやがってな。新米の剣は溶かされるし、魔法使いの炎もヘドロの水分で相殺されちまう。上位の冒険者に依頼するには金がかかるから放置してたんだが……『すべての汚れを落とす』って豪語したんだ。まさか、ここは見逃すなんて言わねぇよな?」
マスターの言葉に、周囲の冒険者たちが下品な笑い声を上げた。
なるほど。これがタダ働きさせるための罠というわけか。
「ひぃぃぃっ! す、スライムの変異種!? 尊しゃちょう、聞いてません! これは清掃じゃなくて討伐クエストですぅ! 逃げましょう、私のウェイトレス姿なんて誰も得しませんからぁ!」
「……落ち着け。現場の状況が事前の見積もりと違うことなど、日常茶飯事だ」
俺はリリスの芋ジャージの襟首をひょいと掴んで引き留め、マスターから鉄扉の鍵を受け取った。
ガチャリ、と重い音を立てて扉を開け、地下への薄暗い階段を見下ろす。
ズズズ……ジュルルル……。
奥から聞こえてくるのは、何か巨大な粘体が蠢く音と、石の床が溶ける不快な音だ。
階段を降り、暗闇の倉庫のスイッチ(魔導ランプ)を入れた瞬間――リリスが「ひぎぃっ!」と短い悲鳴を上げて俺の背中に隠れた。
そこには、高さ3メートルはあろうかという、ドス黒いヘドロの塊が陣取っていた。
体表には取り込まれた折れた剣や骨が浮き沈みしており、床と柱を強酸性の粘液でドロドロに溶かしている。
「へへっ、どうだ清掃屋。お前らの持ってるその細いホースで、コイツを綺麗にできるか?」
「死ぬぜ、兄ちゃん。諦めてそのネーチャンをホールに置いて帰りな!」
階段の上から、冒険者たちが野次を飛ばす。
だが、俺の目はスライムの「脅威」など見てはいなかった。
観察すべきは「成分」だ。
(……タンパク質性の粘体。それに、このアンモニアと硫化水素の入り混じった悪臭。長年放置された生ゴミの脂質をベースに繁殖した、言わば『巨大なバイオフィルム』か。強酸性の分泌液で外敵を溶かしているようだが……)
俺は懐からセブンスターを取り出し、マッチで火をつけて紫煙を吐いた。
「リリス」
「は、はいぃっ!」
「怯えるな。あれはただの『しつこい油とタンパク質の塊』だ。現場監督の俺に言わせれば、換気扇の奥にこびりついた頑固な油汚れ(スラッジ)と何ら変わらん」
「えぇ……? これが換気扇の汚れ……?」
ポカンとする女神をよそに、俺は社用車の『ケミカルラック』から持ち込んでいた、業務用の銀色のポリタンクを手に取った。
ラベルには『超強力・アルカリ性タンパク質分解剤(業務用・混ぜるな危険)』とある。
「相手が強酸性なら、極限のアルカリ性で中和・分解すればいい。それだけの物理だ」
俺は高圧洗浄機の洗剤タンクに、そのポリタンクの中身をドボドボと惜しげもなく全量投入した。そして、ノズルの先端にあるアタッチメントをカチリと切り替える。
「リリス、発電機の出力を最大にしろ。俺の合図でバルブを全開だ」
「わ、わかりました! バルブ、全開ぃ!」
ブォォォォォンッ!!
背後の機械が悲鳴のような駆動音を上げ、俺の握るウォーターキャノンに凄まじい水圧が込められる。
ズゴォォォォ……!
侵入者に気づいたヘドロスライムが、触手をムチのようにしならせ、強酸性のヘドロ弾を頭上から降らせてきた。被弾すれば、作業着ごと骨まで溶かされるだろう。
「社長ぉぉっ! 上から来ますぅ!」
「焦るな。――清掃、開始」
俺は無双流の『静』の構えから、腰の捻りだけでウォーターキャノンの引き金を絞り切った。
バシュウウウウウウウウウッ!!
放たれたのは、単なる水ではない。
極限まで圧縮された『超アルカリ性・化学洗剤』のハイドロブレードだ。
高水圧の刃は、降り注ぐ強酸のヘドロ弾を空中で瞬時に中和しながら粉砕し、そのまま巨大なスライムの中心目掛けて真っ直ぐに突き刺さった。
「ギュルルルルルルァァァァッ!?」
スライムが、かつてない激痛(化学反応)に身をよじって絶叫を上げる。
油汚れが強力な洗剤で乳化して溶け落ちるように、ヘドロスライムの巨体がシュワシュワと白い泡を立てて崩壊し始めた。
「さあ、ここからが『本洗い』だ」
俺はウォーターキャノンを片手で保持したまま、腰袋から特注の伸縮棍『掃討』を抜き放った。親指でスイッチを弾き、第2形態(ミドル・120cm)へと展開する。
「1時間で終わらせる約束だからな。――少し、手荒く磨かせてもらうぞ」




