EP 3
営業先は冒険者ギルド
バリバリバリ、ボリッ。
規則正しいV8エンジンの駆動音に混じって、やけに硬質な破砕音が車内に響いていた。
ハンドルを握ったまま横目で助手席を窺うと、泡まみれから少し乾いた紫色の芋ジャージを着たリリスが、両手で円盤状の茶色い物体を握りしめ、無心にかじりついていた。頭上の初心者マークが、咀嚼のリズムに合わせて上下に揺れている。
「……おい。それはなんだ」
「んっ、これですかぁ?」
リリスは口の周りに粉をつけながら、えへへとだらしなく笑った。
「さっきのGSルナミスのレジ横で買いました! 『醤油草の特焼き煎餅』って言うらしいですぅ。すっごく美味しいいい!」
「ほう。マネーは?」
「はいっ! もちろん我が社(尊社長)の魔導カードからですぅ! 備品と一緒にお会計してもらいました!」
誇らしげに胸を張るリリス。
俺はバックミラーで後方を確認しつつ、極めて低い声で告げた。
「ギルティ(有罪)だ」
「ふぇっ!?」
「経費の私的流用は業務上横領にあたる。今月のローン返済額に、煎餅代の利子を上乗せしておくからな」
「うわぁぁん! 鬼ぃ! 悪魔ぁ! たった銅貨2枚の煎餅じゃないですかぁ!」
「塵も積もれば負債となる。清掃も経理も、汚れ(ムダ)を見逃さないことが基本だ」
涙目で煎餅の残りを頬張るリリスを助手席に乗せ、社用車はルナミス帝国領内の防塞都市へと入った。
* * *
「ひぃっ……なんか、怖い人たちがいっぱいですぅ……」
リリスが俺の作業着の裾をキュッと掴み、背中に隠れるようにして震えた。
俺たちが足を踏み入れたのは、この街のならず者……もとい、腕自慢たちが集う『冒険者ギルド』だ。
薄暗いホール内には、剣や杖で武装した屈強な男たちや獣人族がたむろし、安酒を飲みながら騒いでいる。リリスが怯えるのも無理はない。
だが、俺の視線は彼らの武器や筋肉には一切向いていなかった。
(……ひどいな)
俺の目は、完全に『現場監督』のそれになっていた。
床には魔獣の返り血が黒ずんでこびりつき、壁には泥とススが層を成している。長年の換気不足による獣臭とカビの臭いが混ざり合い、劣悪な環境衛生の極みだった。
靴の裏に伝わる「ネチャッ」という感触に、俺のプロ意識が警鐘を鳴らす。
「社長……どこ見てるんですかぁ?」
「宝の山だ」
俺は震えるリリスを引き剥がし、カウンターの奥で葉巻をふかしている隻眼の初老の男――いかにもな歴戦のギルドマスター――の元へと歩み寄った。
「あんたがここの責任者か」
「あぁ? なんだお前ら。新米の冒険者か? 登録ならそこの受付嬢に……」
「営業だ」
俺は作業着の胸ポケットから、リバロン(執事)に作らせたわけでもない、ごく普通のシンプルな名刺を取り出し、カウンターにスッと差し出した。
「『ヤマト・サニタリー』のフィールドマネージャー、大和尊だ」
「……やまと・さにたりー? 清掃屋か? 悪いが、うちはしがない冒険者ギルドでね。床を磨くような余分な経費(予算)はねぇよ」
マスターは鼻で笑い、名刺を弾き返そうとした。
だが、俺はその手を制し、ギルド内の惨状をぐるりと指差した。
「これだけのカビと血痕の放置は、冒険者の健康被害(パフォーマンス低下)に直結する。特にあそこの柱の腐食は、魔獣の強酸性体液の拭き残しだ。このままでは半年以内に建物が傾くぞ」
「……チッ。専門家気取りか。だがな、冒険者ギルドが血と泥で汚れてるのは『勲章』みたいなもんだ。それに、この染み付いた汚れは、並の魔法使いの『浄化』じゃあ落ちねぇんだよ」
「だろうな。素人の魔法(表面処理)じゃ、根を張ったバクテリアは死なない」
俺はマスターの葉巻の煙を片手で払い、口角を少しだけ上げた。
「俺なら、落とせる」
「……あ?」
「このギルドホールのすべての汚れ、魔獣の悪臭、腐食の進行。そのすべてを、今から『1時間』で完全に消し去ってやる。もし1時間で落とせなかったら、代金はタダでいい。だが、完璧に落とせたら――相場の倍の金貨を頂く」
ホール内の喧騒が一瞬、ピタリと止まった。
荒くれ者たちが、「1時間で?」「この10年モノの汚れを?」と嘲笑混じりの視線をこちらに向けてくる。
マスターは俺の目をじっと見返し、やがてニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……面白い。口だけのホラ吹きじゃねぇなら、やってみせな。ただし、1秒でも過ぎたら、お前の隣にいるその紫色の変な服を着た女を、酒場のウェイトレスとしてタダ働きさせてもらうぜ」
「ふぇぇえっ!? なんで私が巻き込まれるんですかぁ!」
リリスがペチペチと健康サンダルを鳴らして抗議するが、俺は振り返らずに右手を挙げた。
「商談成立だ。リリス、車から第2種機材(ケミカルと高圧洗浄機)を降ろすぞ。作業開始だ」
「あうぅぅ……私のウェイトレス姿がかかってるなら、本気で手伝いますぅ!」
俺は腰袋から伸縮棍『掃討』を取り出し、カチャリ、と第1形態のロックを外した。
異世界での初仕事。
まずはこの染み付いた『勲章』という名のゴミを、完璧に漂白してやる。




