EP 2
動く要塞(社用車)と初めての給油
ルチアナと名乗る上位の女神から放り投げられた「社用車」。
俺はマットグレーに全塗装されたそのワンボックスカーの周囲を歩きながら、プロの目線で車体の状態をチェックしていた。
「……ほう。悪くない。いや、むしろ過剰なほどのオーバースペックだな」
車高はリフトアップされ、足回りには泥道から岩場まで走破できそうな全地形対応の極太タイヤが履かせてある。フロントにはドワーフ製と思しき鋼鉄のカンガルーバーと、強力な電動ウインチ。これなら、街道に飛び出してくる猪型の魔獣くらいなら、減速せずに撥ね飛ばせるだろう。
スライドドアを開けて内装を確認すると、俺は思わず口笛を吹いた。
「完璧だ」
後部スペースは完全にフラット化されており、壁面には劇薬や特殊洗剤を収納するための『ケミカルラック』が整然と組まれていた。さらに奥には、ガソリンと魔石の両方で駆動するハイブリッド発電機と、それに直結した超高圧洗浄機まで鎮座している。
俺が国立工業大学で学んだ機械工学の知識と、清掃現場での経験が歓喜する、まさに「動く要塞」にして「究極の清掃用実験室」だった。
「あのう、尊しゃちょう……? これは一体なんなんですか?」
紫色のダサい芋ジャージの袖を余らせながら、リリスが恐る恐る覗き込んでくる。頭上の初心者マークが、不安そうに明滅していた。
「俺たちの新しいベースキャンプだ。さあ、乗れ。営業回りに行くぞ」
「はいぃ! ……痛っ!? あうっ!」
助手席に乗り込もうとしたリリスが、足元の健康サンダルのイボイボにツボを刺激され、変な声を上げて悶絶した。
その姿は女神というより、休日にドン・キホーテへ買い出しに行く中学生にしか見えない。俺は小さくため息をつき、運転席に乗り込んでエンジンキーを回した。
ブルルンッ! と、重低音のエンジンが異世界の森に心地よく響き渡る。
「よし、計器類も異常なし。出発する」
「ひゃああっ! 動きましたぁ!」
シートベルトを握りしめてガクガク震えるポンコツ女神を隣に乗せ、俺はアクセルを踏み込んだ。
* * *
森の未舗装路をしばらく走ると、やがて驚くほど綺麗に舗装された幹線道路へと出た。
ファンタジーの世界だと思っていたが、どうやらこの大陸には、俺の常識を覆す妙なインフラが整っているらしい。
「なんだあれは……」
しばらく街道を走っていると、前方に煌々と光る巨大な看板が見えてきた。
そこにはデカデカと、見慣れたような文字でこう書かれていた。
『GSルナミス - 24時間営業中!』
「ガソリンスタンド……だよな、あれ」
「あ、はい! ルナミス帝国が大陸全土に展開している補給所ですぅ!」
どういう理屈か知らないが、車が走っている以上、燃料の補給所があるのは道理だ。メーターを見ると、燃料は半分ほどになっていた。
俺は迷わずウィンカーを出し、GSルナミスの敷地へと社用車を滑り込ませた。
「いらっしゃいませーっ!!」
元気な声と共に駆け寄ってきたのは、揃いの制服(どう見ても日本のガソリンスタンドのそれだ)を着た、犬の耳と尻尾を生やした獣人のアルバイト店員だった。
「レギュラー、ハイオク、魔導軽油、どれになさいますかー!?」
「レギュラー満タンで。あと灰皿の交換も頼む」
俺は窓を開け、日本にいた頃と一寸違わぬトーンでオーダーした。
「かしこまりましたーっ! お支払いはタロウ・ペイですかー!?」
「いや……」
現金など持っていない。助手席のダッシュボードを漁ると、ルチアナが気を利かせたのか、『経費』と乱暴な字で書かれた魔導カード(おそらく法人用タロウ・ペイ)が入っていた。俺はそれを犬耳の店員に渡す。
「あ、あの! 尊しゃちょう!」
不意に、助手席のリリスがバッと手を挙げた。
「なんだ」
「わ、私、借金35年ローンの清掃スタッフですよね! 給油の間に、車の窓拭きをやらせてください! 働きますぅ!」
おお。ポンコツとはいえ、勤労意欲があるのは良いことだ。清掃会社たるもの、社用車の窓ガラスが汚れていては看板に傷がつく。
「わかった。やってみろ」
「はいっ! お任せください!」
リリスは意気揚々と車を降り、給油機の下に置かれていた備え付けのバケツとスポンジを手に取った。
スポンジにたっぷりと洗浄液を含ませ、フロントガラスへと向かって駆けてくる。
「えへへ、綺麗にしますか――痛っ!?」
ペチッ、と健康サンダルが地面の小さな段差に引っかかった。
「あぎゃっ!?」と、足裏の激痛のツボ(おそらく胃腸のツボ)をクリティカルヒットされたリリスは、見事にバランスを崩し、前のめりにすっ転んだ。
バシャアァッ!!
「……」
「……」
宙を舞ったバケツの中身が、リリスの頭からつま先まで、見事に全弾命中した。
紫の芋ジャージは洗剤でドロドロになり、頭の上の初心者マークからは、青い泡がポタポタと滴り落ちている。
「う、うわああぁん! 目が、目に洗剤がぁぁっ!」
「……何をしてるんだ、お前は」
犬耳の店員が「あわわ、タオル! タオルお持ちしますね!」と尻尾を丸めてバックヤードへ走っていく。
俺は運転席から降りると、ダッシュボードから取り出したウエス(雑巾)で、リリスの顔の泡を乱暴に拭き取ってやった。
「ぐすっ……ひっく。す、すみません……清掃スタッフなのに、自分が汚れてしまいましたぁ……」
ずぶ濡れになりながら涙目で謝る女神。
俺はため息をつき、セブンスターに火をつけて紫煙を吐き出した。
「いいか。現場作業において『焦り』は命取りだ。健康サンダルを履いている時は、常に足元のトラクション(摩擦力)を意識しろ」
「ふぇぇ……はいぃ……」
給油を終えた車に、泡だらけのポンコツ女神を再び押し込む。
まったく、前途多難な部下を持ったものだ。
「さあ、ガソリンも満タンになったことだし、本格的に仕事を始めるぞ」
「ぐすっ……ど、どこに行くんですかぁ?」
「冒険者ギルドだ。この世界で一番『厄介な汚れ(魔獣)』が溜まっていそうな場所だからな」
ギアをドライブに入れ、社用車を再発進させる。
異世界最強にして最凶の清掃会社『ヤマト・サニタリー』は、こうして初仕事の現場へと向かった。




