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EP 9

「よくやったな、リリス」

「ほら、しっかり立て。自力で歩けるか」

「あうぅ……足に力が入らないですぅ……スッカラカンですぅ……」

ヘドロが浄化され、美しく澄み切った『聖なる泉』の岸辺。

俺は、エネルギー切れでふにゃふにゃになったリリスの脇を抱え、水の中から引きずり上げた。

ずぶ濡れになった紫の芋ジャージからはポタポタと水が滴り、ふわふわの癖っ毛もペタンと顔に張り付いている。

俺は彼女を抱えたまま、村の入り口に停めてある社用車(動く要塞)のバックドアの縁に、よっこらせと座らせた。

「キャルル村長、ニャングル。あとの後片付けと現場の検収は少し待ってくれ。従業員の休憩インターバルを入れる」

「ええ、ええ! もちろんですとも! ゆっくり休ませたってくだせぇ!」

「私たち、村の衆に泉が直ったことを知らせてきます! 尊しゃちょう、リリスちゃん、本当に……本当にありがとうございました!」

ニャングルが深く頭を下げ、キャルル村長が涙ぐみながら手を振って村の方へ走っていく。

それを背中で聞きながら、俺は社用車のクーラーボックスを開けた。

取り出したのは、タローソンで買っておいた『プレミアム・ロイヤルミルクティー』の冷えたペットボトルと、乾いた清潔なバスタオルだ。

「……んっ、ひゃんっ!?」

ぐったりと俯いていたリリスのほっぺたに、冷え切ったペットボトルをピタッと押し当てる。

冷たさに驚いて顔を上げたポンコツ女神の頭に、俺はバスタオルをバサッと被せた。

「あうぅ……尊しゃちょう……」

「自分で頭を拭け。風邪を引いて労災申請されても困るからな」

俺はそう言いながら、自分でもタオルの上からリリスの頭をガシガシと乱暴に、だが極力痛くないように拭いてやった。

「あ、あの……ごめんなさいですぅ」

タオルの下で、リリスがしゅんとした声を出した。

「……何がだ」

「せっかくルチアナ先輩にもらったジャージ、泥水で汚れちゃいましたし……。それに、最後はカロリー切れで倒れちゃって、全然プロの清掃スタッフっぽくなかったですぅ……」

頭上の初心者マークをしょんぼりと垂れ下げ、ペットボトルを両手でギュッと握りしめるリリス。

俺はタオルから手を離し、作業着のポケットからセブンスターを取り出そうとして……やめた。

代わりに、社用車の縁に座る彼女の隣に、ドカッと腰を下ろした。

「リリス。お前、清掃の基本は何だか分かるか?」

「えっ……と。洗剤をいっぱいかけて、ゴシゴシ擦ること……ですか?」

「違うな。それはただの破壊行為アマチュアだ」

俺は、月明かりに照らされてキラキラと輝く『聖なる泉』へと視線を向けた。

「清掃の基本は、『対象の建材(素材)を傷つけないこと』だ。汚れの成分を正確に見極め、それに合った適切なツールと力加減で、不要なものだけを綺麗に剥がし取る。……どんなに強力な洗剤や高圧洗浄機を持っていても、現場の状況に合わせて『使い方』を調整できなければ、プロとは呼べない」

俺は言葉を区切り、隣に座る小柄な女神へと視線を戻した。

「お前は、泉のコアという脆い素材に対し、俺の物理ケミカルでは壊してしまうと判断した。そして、自分の神聖力を『研磨剤』のように細かく調整し、毒の層だけを完璧に削り落としてみせた」

「尊、しゃちょう……」

「ただ力任せに魔法をぶっ放すだけのポンコツかと思っていたが……俺の現場仕事やりかたを見て、ちゃんと『清掃の理屈』を理解しやがったんだな」

俺は右手を伸ばし、まだ少し湿っているリリスの頭にポンと置いた。

そして、これまでの呆れやため息を一切含まず、本心からの言葉を口にした。

「――俺の教育が、少しは身についたみたいだな。よくやった、リリス。立派なウチの清掃スタッフだ」

ポン、ポン、と二度。

俺が不器用に頭を撫でると、リリスの動きがピタリと止まった。

「……あ、れ……?」

リリスの大きな瞳から、ぽろっ、と大粒の雫がこぼれ落ちた。

いつもなら、俺に借金を突きつけられたり、給料から天引きされたり、怖い魔獣から逃げ回ったりする時に見せる『情けない涙』。

だが、今の彼女が流している涙は、それとはまったく違うものだった。

「ひぐっ……うぇっ……あ、あれぇ……?」

拭っても拭っても、後から後から涙が溢れてくる。

リリスは芋ジャージの袖で必死に目元をこすりながら、子供のように声を上げて泣き始めた。

「うわあああぁぁぁん……っ!!」

「おいおい、なんでそこで泣くんだ。どこか痛むのか?」

「違いますぅ……っ、違うんですぅ……っ!!」

リリスは首を横に振り、しゃくり上げながら、俺に向かって満面の笑みを向けた。

「私、ずっと天界で失敗ばっかりで……ルチアナ先輩にもヴァルキュリア委員長にも怒られてばっかりで……! 自分はダメな女神なんだって、ずっと思ってましたぁ……っ!」

ペットボトルを胸に抱きしめ、初心者マークをピンク色に温かく輝かせながら、リリスは泣き笑いの顔で俺を見つめた。

「でも……今、初めて褒められました! 私のやったお仕事で、尊しゃちょうが『よくやった』って言ってくれましたぁ……っ! うわぁぁぁん、すっごく、すっごく嬉しいですぅぅっ!!」

「……」

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、心の底から嬉しそうに笑うリリス。

俺はそんな彼女を見て、小さく息を吐き、口元を緩めた。

「……まったく。褒められて泣くヤツがあるか。水分が余計に抜けるぞ」

俺はリリスの手にあるミルクティーのキャップを捻って開け、彼女に握らせた。

「ほら、さっさと飲んで糖分を補給しろ。現場が終わった後の甘味は、労働者の正当な権利だ」

「ひぐっ……はいぃっ……! いただきますぅ……!」

リリスは両手でペットボトルを持ち、ズズズーッと音を立ててミルクティーを飲み始めた。

「あま〜い……美味しいですぅ……」と、涙と笑顔を混ぜ合わせながら呟くその姿は、相変わらず神々しさの欠片もない。

だが、この広大な異世界で、理不尽な汚れと戦っていく相棒としては――悪くない。

静かな森の夜風が、二人を優しく包み込んでいた。

俺は今度こそセブンスターを咥え、静かにマッチの火を灯した。

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