EP 7
神様のお仕事
バシャッ……バシャッ……。
静まり返った森に、リリスが水を掻き分けて進む音だけが響く。
紫色のダサい芋ジャージの裾が猛毒の残りカスが漂う泉の水に浸かり、ドス黒く染まっていくのも構わず、彼女は真っ直ぐに泉の中心――黒く濁った『精霊の核』へと歩みを進めていた。
「おい、リリス! 戻れ! 水質が改善したとはいえ、まだ残留毒素がある! お前のポンコツヒールをぶつければ、あのコアが『マッスル・クリスタル』にでも変異して、村が吹き飛ぶぞ!」
俺は岸辺から鋭く声を飛ばした。
現場監督として、部下に無謀な危険作業をさせるわけにはいかない。
だが、リリスは振り返らなかった。
「……マッスルにはしません。絶対に」
いつもは「ひぎぃっ」だの「あうぅぅ」だのと情けない声ばかり出している見習い女神の背中が、今は不思議なほど大きく見えた。
「尊しゃちょう。私、この数日間でしゃちょうの背中を見て、いっぱい学びました」
リリスはコアの前に立ち止まり、両手を胸の前でそっと組んだ。
頭上の初心者マークが、チカチカとした点滅から、力強く安定した黄金の輝きへと変わっていく。
彼女の足元から波紋のように神聖なオーラが広がり、触れた水が澄み切った清流へと浄化されていくのが見えた。
「汚れを落とすっていうのは、ただ力任せに魔法をぶっ放すことじゃないんですよね。対象の素材(建材)を傷つけないように、成分を見極めて、優しく、丁寧に擦り落とす……それが、本当の『お掃除』なんだって」
リリスはそっと、その華奢な両手を、毒に侵されドス黒く脈打つコアの表面に添えた。
「だから、私はもう『超健康回復』みたいな雑な全体魔法は使いません。……私の神聖力を『極細のマイクロファイバー』みたいに練り上げて、この石の奥に染み込んだ毒の繊維だけを、ミリ単位で磨き上げますぅ!」
「……言うのは簡単だがな」
俺は目を細めた。
「毒だけをピンポイントで中和し続けるなんて、凄まじい集中力と魔力(神気)の持続が必要だ。しかも相手は死蟲の猛毒。お前の底の浅い魔力タンクじゃ、途中でガス欠になって呪い返しを食らうぞ」
「そらアカン! 娘はん、死んでまうで!」
ニャングルが慌てて止めに入ろうとするが、リリスはフフッと、自信ありげに笑った。
「尊しゃちょう。……私がこの数日間、どれだけのカロリーを摂取してきたと思ってるんですか?」
「は?」
「タローソンの苺ショートケーキ。GSルナミスで買った特焼き煎餅。リアンさんが作ってくれた『ジオ・リザードの腹脂の二度揚げポテト』に、最高級のコーラ! そしてキャルル村長のサンライス塩むすびと、ネタキャベツチップス!」
リリスが一つ一つの食べ物の名前を叫ぶたび、彼女の芋ジャージから溢れ出す黄金のオーラが、一段、また一段と爆発的に膨れ上がっていく。
「ふぇぇえ!? な、なんですかあの光!?」
キャルル村長がウサギ耳をペタンと伏せて後ずさる。
「女神の奇跡は、無から有を生み出すわけじゃありません! 食べた美味しいもの(カロリー)を、愛と平和の神聖力に変換するんですぅ! つまり!」
リリスはクルッとこちらを振り返り、Vサインを作った。
「今の私には、リアンさんの三ツ星ポテトの超高脂質エネルギーと、尊しゃちょうが自腹で買ってくれたお菓子の糖分が、致死量ギリギリまでストックされてるんですぅ!! ガス欠なんて絶対にしません!!」
「……」
「……」
俺とニャングル、そしてキャルル村長は、顔を見合わせた。
緊迫した空気をぶち壊す、あまりにも俗物的なパワーアップの理由。
だが――。
「……なるほどな。ただ食い意地が張っているだけかと思っていたが、お前なりに『大仕事(現場)』のためのエネルギー充填をこなしていたというわけか」
俺はふっと息を吐き、手に持っていた特注伸縮棍『掃討』を腰袋にしまい込んだ。
「尊しゃちょう……?」
「俺の出番はここまでだ。物理的な汚れ(前処理)は俺が落とした。ここから先の『呪い』という名の汚れは、俺の洗剤じゃ落とせない」
俺は懐からセブンスターを取り出し、マッチを擦った。
紫煙をゆっくりと空に吐き出し、泉の中心に立つ紫ジャージの部下へと声を掛ける。
「――神様のお仕事ってやつを、見せてもらおうか。リリス」
「はいぃっ!! お任せください!」
俺の承認を受け、リリスの表情がパッと明るく輝いた。
彼女は再びコアへと向き直り、深く息を吸い込む。
「いきますぅ! 食べた分のカロリー、全部消費しちゃいますよぉっ!!」
リリスの掌から、黄金の光が糸のように細く、束となって溢れ出した。
それは暴力的な閃光ではない。春の木漏れ日のように温かく、それでいて決して途切れることのない、緻密で繊細な『浄化の光』。
『ピシッ……ピシピシッ……!』
コアの内部に深く根を張っていた死蟲の猛毒が、リリスの光の繊維によって、文字通り「優しく拭き取られて」いく。
黒い脈束が、消しゴムで擦られるように少しずつ薄れ、本来の透き通った水晶の輝きが内側から漏れ出し始めた。
「おおお……! す、すごい! コアが傷つくどころか、前よりも澄んだ色に……!」
キャルル村長が両手を口元に当て、感動の涙を浮かべる。
「あのアホみたいに食うとったんが、全部このためやったんか……!」
ニャングルも算盤を落としそうになりながら、ポカンと口を開けていた。
(……大したもんだ)
俺はタバコをくわえながら、心の中でひっそりと毒づいた。
物理で解決できない汚れを、神聖力という名の『専用洗剤』で落としきる。
対象を傷つけず、芯の汚れだけを見極めるその手際。
借金まみれのポンコツで、すぐ泣くし、間食ばかりしているダメ部下だが。
今、あの泉の中心で黄金の光を放っている芋ジャージの少女は――間違いなく、一流の『清掃スタッフ』だった。




