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EP 6

『物理』の限界

ズゴォォォォォン……!!

ポポロ村の奥深く、結界の森にハイブリッド発電機の重低音が鳴り響く。

社用車(動く要塞)から伸ばした極太の耐薬品ホースが、猛毒のヘドロで真っ黒に染まった『聖なる泉』へと突っ込まれていた。

「リリス! 凝集剤(ポリ塩化アルミニウム)のバルブを開け! 吸い上げる前にヘドロの粒子をフロック(塊)にして固めるぞ!」

「は、はいぃっ! えいっ、バルブ全開ですぅ!」

紫の芋ジャージの裾を長靴に突っ込んだリリスが、泥だらけになりながら懸命にレバーを引く。

だが、その口にはしっかりと、キャルル村長から差し入れでもらった『サンライス(米麦草)の塩むすび』がくわえられていた。両手が塞がっていても食事を止めない、その執念には恐れ入る。

「……よし、効いてきたな」

俺は防毒マスク越しに泉の水面を観察した。

社用車のタンクから特殊な凝集剤と中和剤が注入されたことで、強烈な化学反応が起こる。真っ黒な泥水の中に漂っていた重金属や『死毒』の成分が、次々とゼリー状の巨大な塊へと変質し、水面へと浮き上がってきた。

「おおおっ……! ヘドロが固まっとる! なんちゅう手際や!」

ニャングルが算盤を握りしめながら、目を丸くして感嘆の声を上げる。

「ウォーターキャノン・吸引モード起動。――ゴミを回収する」

俺がリモコンのスイッチを入れると、ホースの先端が凄まじい吸引力を発揮し、浮き上がったヘドロの塊をズゴォォォッと飲み込んでいく。社用車の後部に積載された大容量の汚水タンクに、毒の塊が次々と密閉されていった。

作業開始からわずか2時間。

周囲を覆っていた卵の腐ったような硫化水素の悪臭は完全に消え去り、泉は元の透明度を取り戻しつつあった。

「すごいです! 泉の底が見えてきました! 尊しゃちょうの言う通り、本当に半日で終わっちゃいそうですぅ!(モグモグ)」

リリスがおにぎりを頬張りながら、初心者マークを揺らして喜ぶ。

「ああ、表面的な汚染物質ゴミの除去は完了した。あとは底に沈殿した――」

俺は泉の底を覗き込み、ピタリと動きを止めた。

そして、小さく舌打ちをして吸引機の電源を落とした。

ブゥゥゥン……と機械音が止み、森に静寂が戻る。

「……尊しゃちょう? どうしたんですかぁ? まだ少し汚れが残ってますよ?」

「……いや。作業はここまでだ」

俺の言葉に、キャルル村長とニャングルが顔を見合わせた。

「ど、どういうことですか? まだ完全に綺麗になっては……」

「村長。この泉の底には、水脈の要となっている『石』があるな?」

俺が指差した泉の最深部。

澄み始めた水を通して見えたのは、直径50センチほどの巨大な水晶のような結晶体だった。本来なら清らかな光を放っているはずのそれは、今や心臓の血管のようにドス黒い脈束を這わせ、どす黒く濁りきっていた。

「はい。ポポロ村の生命線である『精霊のコア』です。あの核から溢れる魔力が、地下水脈を通って村の畑を潤しているんです」

キャルルが祈るように両手を組んで答える。

俺は手袋を外し、セブンスターを取り出して火を点けた。紫煙を深く吸い込み、現実を突きつける。

「結論から言う。俺の機材と洗剤ケミカルでは、あのコアの汚れは落とせない」

「なっ……!? そ、そんな殺生な! ここまで綺麗にしといて、一番肝心なトコ残すんかいな!」

ニャングルが慌てて詰め寄ってくるが、俺は冷静に首を振った。

「清掃業者の基本は『対象となる素材(建材)を傷つけないこと』だ。だが、あのコアの汚れは、表面に付着しているだけの『シミ』や『ヘドロ』じゃない。死蟲の猛毒が、コアの内部構造マトリクスにまで深く浸透してしまっている」

俺は言葉を切り、泉の底の黒い結晶を睨みつけた。

「強酸や強アルカリの洗剤で溶かそうとすれば、コアそのものが溶け落ちる。かといって、俺の『無双流』と高圧洗浄機で物理的に研磨ブラストすれば、脆い結晶は粉々に砕け散るだろう。俺にできるのは、対象を物理的に『破壊』して汚れごと削り落とすことだけだ」

プロとして、できないことは「できない」と明確に伝える。

それが現場監督の責任だ。

「つまり、俺がこれ以上手を出せば、泉のコアは完全に破壊される。……諦めろ、村長。水源は別の場所を探すんだな」

俺の冷酷な、しかし事実に基づいた宣告に、キャルル村長が絶望に顔を歪めた。

「そんな……新しい水脈を見つけるなんて、何十年かかるか分かりません。それまで、村の畑は……みんなの暮らしは……」

ウサギ耳が力なく垂れ下がり、キャルルの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「……」

現場に重苦しい沈黙が降りた。

俺の『地球の物理学』と『現代のケミカル』をもってしても、魔法や精霊といったファンタジーの脆い根幹を、優しく癒やすことはできない。俺の力は、あくまで汚れを『物理的に排除』するだけのものだ。

――その時だった。

『ポトッ』。

俺の隣で、小さな音がした。

振り返ると、紫色の芋ジャージを着たリリスが、手に持っていた最後の一口分の塩むすびを、地面に落としていた。

「おい、リリス。食い物を粗末に……」

「……尊しゃちょう」

いつもは呑気で食い意地が張っているポンコツ女神の顔から、一切のヘラヘラした笑みが消えていた。

リリスは、ポロポロと涙を流すキャルル村長を見つめ、それからドス黒く染まった泉のコアを真っ直ぐに見据えていた。

「尊しゃちょうに教わりました。『汚れの芯』を見極めろって」

リリスは、落としたおにぎりを拾うこともなく、泥で汚れた長靴を脱ぎ捨てた。

そして、紫の芋ジャージの袖をギュッとまくり上げ、健康サンダルも脱ぎ捨てて、裸足のまま真っ黒な冷たい泉の中へと、バシャリと一歩を踏み出した。

「おい、リリス! 何をする気だ。その水にはまだ微量の毒素が……!」

「……ここは、私の仕事ですぅ」

頭上に浮かぶ初心者マークが、かつてないほど強烈な、黄金の神聖光を放ち始めていた。

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