EP 2
プロとプロの業務提携(B2B)
『ズズズズズズズズズズーーーッ!!』
部屋の空気を張り詰めていた殺気と緊張感を、ストローの底が氷をすする間抜けな音が木端微塵に粉砕した。
「……」
「……」
俺とリアンの視線が同時に応接ソファへと向かう。
そこには、脱ぎ捨てられた健康サンダルを足元に転がし、ソファの上であぐらをかいた紫ジャージの女神がいた。
カモフラージュ用に出されていた氷たっぷりのコーラを一気に飲み干し、揚げたてのフライドポテトを無心でバクバクと貪り食っている。
「ぷはぁーっ! 炭酸キツめで美味しいですぅ! あ、このポテトも最高ですね! 表面はカリッサクッとしてて、中はホクホク……無限に食べられますぅ!(バクバクバク)」
「……おいリリス。お前、商談中に何をしている」
俺が低い声で咎めると、リリスはポテトをくわえたまま第12話:プロとプロの業務提携(B2B)
『ズズズズズズズズズズーーーッ!!』
部屋の空気を張り詰めていた殺気と緊張感を、ストローの底が氷をすする間抜けな音が木端微塵に粉砕した。
「……」
「……」
俺とリアンの視線が同時に応接ソファへと向かう。
そこには、脱ぎ捨てられた健康サンダルを足元に転がし、ソファの上であぐらをかいた紫ジャージの女神がいた。
カモフラージュ用に出されていた氷たっぷりのコーラを一気に飲み干し、揚げたてのフライドポテトを無心でバクバクと貪り食っている。
「ぷはぁーっ! 炭酸キツめで美味しいですぅ! あ、このポテトも最高ですね! 表面はカリッサクッとしてて、中はホクホク……無限に食べられますぅ!(バクバクバク)」
「……おいリリス。お前、商談中に何をしている」
俺が低い声で咎めると、リリスはポテトをくわえたまま初心者マークを揺らした。
「えっ? だって、出されたお茶菓子に手をつけないのは、入社1年目のビジネスマナー違反だって本に書いてありましたし!」
「コーラと山盛りのフライドポテトはお茶菓子とは言わん。ギルティだ。あとで給料から引くぞ」
「うわぁぁん! 商談の席なのに世知辛いですぅ!」
俺がリリスの手からポテトの皿を没収しようとした、その瞬間だった。
冷徹な暗殺者であるはずのリアンが、ガタッ! と勢いよく身を乗り出した。
「……待て」
「あ?」
「お嬢さん。今のポテト……美味いか?」
リアンの目が、先ほどの「殺し屋」の目から、何やら狂気を孕んだ別の光――『シェフの魂』へと切り替わっていた。
「はいぃ! お芋の甘味が絶妙で、それに揚げ油の風味がすごくリッチというか……塩加減も最高ですぅ!」
「……分かるか! そこらへんの油じゃない、最高級の『ジオ・リザードの腹脂』を使って二度揚げ(ドゥーブル・フリチュール)してるんだ! 塩はシーラン海溝の深層塩! なにより俺の『雷霆(包丁)』で細胞を潰さないように完璧な繊維の角度でカットして……!」
「すごいこだわりですぅ! あ、おかわりありますか!?」
「あぁ! 今すぐ別のソース(ディップ)も用意してやる! 影丸! 厨房から特製マヨ・ハーブとチリソースを持ってこい!」
リアンの足元の影から這い出た黒い人影(召喚獣)が、ビシッと敬礼して厨房へと消えていく。
「……おい、暗殺の事後処理はどうした」
完璧な殺し屋が、芋ジャージ女神の「食べっぷり」に完全敗北し、ただの「料理を褒められてテンションが上がったオカン(シェフ)」と化している。
「あ、あぁ……すまん。俺の料理をここまで正確に評価した客は久しぶりだったものでな」
リアンはコホンと咳払いをして、無理やり冷徹な表情を作り直した。
「……ポテトはサービスだ。作業に取り掛かってくれ」
「リリス。お前はそこでディップソースでも舐めてろ。邪魔だ」
「えへへ、ポテト無料! やったぁ!」
俺はご機嫌なポンコツ女神をソファに放置し、作業着の腰袋から数種類のスプレーボトルを取り出した。
床や壁にこびりついた大量の血液。
普通ならモップと水で何時間もこすり落とすところだが、そんな非効率なことはしない。
「血液はタンパク質と鉄分の複合汚れだ。まずは『タンパク質分解酵素』入りのアルカリ洗剤で凝固した血を溶解する」
シュパパパッ、と洗剤を噴霧し、血痕が泡立って溶け出すのを待つ。
「そして、ルミノール反応(DNAの痕跡)を消すための仕上げだ。高濃度の『過酸化水素水(酸素系漂白剤)』と、この世界特有の魔力残滓を中和する触媒をブレンドした特殊ケミカル……」
俺が取り出した銀色の無骨な業務用ボトルの配合表示を見た瞬間、リアンの瞳孔がわずかに開いた。
「おい……そのボトル、まさか……」
リアンが何かを言いかけるが、俺は構わず作業を続ける。
溶解した血痕と魔力残滓の上から特殊ケミカルを噴霧し、伸縮棍『掃討』を第2形態に展開して、先端に装着したマイクロファイバーのモップで撫でるように拭き取っていく。
わずか10分。
先ほどまで凄惨な殺害現場だった地下室は、ホコリ一つ、血の一滴すら存在しない、無菌室のような空間へと生まれ変わった。
「ブラックライトでもルミノール液でも、好きに試してみろ。ただの細胞片すら残っていないはずだ」
俺の言葉に、リアンは無言で床にしゃがみ込み、指先で大理石の表面をなぞった。
「……見事だ。魔力の痕跡どころか、漂白剤の化学臭すら完全に消臭されている」
立ち上がったリアンは、俺の腰袋に収められたスプレーボトルと、ソファでポテトを貪り食っているリリスの『紫の芋ジャージ(タローマン製)』を交互に見比べた。
「……あんた、その洗剤や機材の『仕入れルート』はどこだ?」
「企業秘密だ。清掃屋独自のルートとでも言っておこう」
「……そうか」
リアンはふっと口角を上げ、俺に向かって右手を差し出した。
お互いに気づいている。
リアンが出したコーラや完璧なフライドポテトが『地球の知識』の産物であること。
俺が使っているケミカルや、リリスの着ているジャージが、佐藤太郎の残した『100均(L規格)』の系譜、あるいはそれに類する異能の産物であること。
だが、ここで互いの正体を暴き立てるメリットは何もない。
俺たちは、この異世界で己の仕事を全うする『プロ』だ。
「良い腕だ。領収書が切れるなら、お互いの仕入れ先には深く干渉しない。今後も、俺の『裏仕事』の後のディッシュウォッシュは、あんたの会社に外注させてもらうとしよう」
「ヤマト・サニタリーは、いつでも顧客の依頼を歓迎する」
俺はリアンの手を取り、固い握手を交わした。プロとプロの、大人のB2B(企業間取引)契約の成立だ。
「おい、アンタ。ウチの専属テイスターとして、そのジャージの女をよこさないか? 週3でフルコースを食わせてやるぞ」
「悪いが、コイツは俺に10億の借金(35年ローン)があるんでな。手放すわけにはいかない」
「ふぇっ!? 尊しゃちょう、フルコース!? 私、フルコース食べたいですぅ!」
「黙ってポテトを食ってろ」
俺はリリスの頭にチョップを落とし、残りのポテトの皿を取り上げた。
「さて、商談は終わりだ。帰るぞ、リリス」
「あうぅぅ……リアンさん、ポテトごちそうさまでしたぁ! すっごく美味しかったですぅ!」
口の周りに塩とディップソースをつけたまま、リリスが初心者マークを揺らしてお辞儀をする。リアンは満足そうに腕を組み、「また来い」と頷いた。
社用車に戻り、エンジンをかける。
「さて。思いがけず上得意の固定客がついたな」
「はいぃ! リアンさん、とっても良い人でした! 次の現場も、あんな美味しいまかないが出るところがいいですぅ!」
助手席で呑気にお腹をさすっているポンコツ女神。
俺は魔導端末に新たに届いたメッセージを開き、フッと息を吐いた。
「残念ながら、次の現場はフルコースとは程遠い。……泥とヘドロにまみれた『ド田舎』への出張だ」初心者マークを揺らした。
「えっ? だって、出されたお茶菓子に手をつけないのは、入社1年目のビジネスマナー違反だって本に書いてありましたし!」
「コーラと山盛りのフライドポテトはお茶菓子とは言わん。ギルティだ。あとで給料から引くぞ」
「うわぁぁん! 商談の席なのに世知辛いですぅ!」
俺がリリスの手からポテトの皿を没収しようとした、その瞬間だった。
冷徹な暗殺者であるはずのリアンが、ガタッ! と勢いよく身を乗り出した。
「……待て」
「あ?」
「お嬢さん。今のポテト……美味いか?」
リアンの目が、先ほどの「殺し屋」の目から、何やら狂気を孕んだ別の光――『シェフの魂』へと切り替わっていた。
「はいぃ! お芋の甘味が絶妙で、それに揚げ油の風味がすごくリッチというか……塩加減も最高ですぅ!」
「……分かるか! そこらへんの油じゃない、最高級の『ジオ・リザードの腹脂』を使って二度揚げ(ドゥーブル・フリチュール)してるんだ! 塩はシーラン海溝の深層塩! なにより俺の『雷霆(包丁)』で細胞を潰さないように完璧な繊維の角度でカットして……!」
「すごいこだわりですぅ! あ、おかわりありますか!?」
「あぁ! 今すぐ別のソース(ディップ)も用意してやる! 影丸! 厨房から特製マヨ・ハーブとチリソースを持ってこい!」
リアンの足元の影から這い出た黒い人影(召喚獣)が、ビシッと敬礼して厨房へと消えていく。
「……おい、暗殺の事後処理はどうした」
完璧な殺し屋が、芋ジャージ女神の「食べっぷり」に完全敗北し、ただの「料理を褒められてテンションが上がったオカン(シェフ)」と化している。
「あ、あぁ……すまん。俺の料理をここまで正確に評価した客は久しぶりだったものでな」
リアンはコホンと咳払いをして、無理やり冷徹な表情を作り直した。
「……ポテトはサービスだ。作業に取り掛かってくれ」
「リリス。お前はそこでディップソースでも舐めてろ。邪魔だ」
「えへへ、ポテト無料! やったぁ!」
俺はご機嫌なポンコツ女神をソファに放置し、作業着の腰袋から数種類のスプレーボトルを取り出した。
床や壁にこびりついた大量の血液。
普通ならモップと水で何時間もこすり落とすところだが、そんな非効率なことはしない。
「血液はタンパク質と鉄分の複合汚れだ。まずは『タンパク質分解酵素』入りのアルカリ洗剤で凝固した血を溶解する」
シュパパパッ、と洗剤を噴霧し、血痕が泡立って溶け出すのを待つ。
「そして、ルミノール反応(DNAの痕跡)を消すための仕上げだ。高濃度の『過酸化水素水(酸素系漂白剤)』と、この世界特有の魔力残滓を中和する触媒をブレンドした特殊ケミカル……」
俺が取り出した銀色の無骨な業務用ボトルの配合表示を見た瞬間、リアンの瞳孔がわずかに開いた。
「おい……そのボトル、まさか……」
リアンが何かを言いかけるが、俺は構わず作業を続ける。
溶解した血痕と魔力残滓の上から特殊ケミカルを噴霧し、伸縮棍『掃討』を第2形態に展開して、先端に装着したマイクロファイバーのモップで撫でるように拭き取っていく。
わずか10分。
先ほどまで凄惨な殺害現場だった地下室は、ホコリ一つ、血の一滴すら存在しない、無菌室のような空間へと生まれ変わった。
「ブラックライトでもルミノール液でも、好きに試してみろ。ただの細胞片すら残っていないはずだ」
俺の言葉に、リアンは無言で床にしゃがみ込み、指先で大理石の表面をなぞった。
「……見事だ。魔力の痕跡どころか、漂白剤の化学臭すら完全に消臭されている」
立ち上がったリアンは、俺の腰袋に収められたスプレーボトルと、ソファでポテトを貪り食っているリリスの『紫の芋ジャージ(タローマン製)』を交互に見比べた。
「……あんた、その洗剤や機材の『仕入れルート』はどこだ?」
「企業秘密だ。清掃屋独自のルートとでも言っておこう」
「……そうか」
リアンはふっと口角を上げ、俺に向かって右手を差し出した。
お互いに気づいている。
リアンが出したコーラや完璧なフライドポテトが『地球の知識』の産物であること。
俺が使っているケミカルや、リリスの着ているジャージが、佐藤太郎の残した『100均(L規格)』の系譜、あるいはそれに類する異能の産物であること。
だが、ここで互いの正体を暴き立てるメリットは何もない。
俺たちは、この異世界で己の仕事を全うする『プロ』だ。
「良い腕だ。領収書が切れるなら、お互いの仕入れ先には深く干渉しない。今後も、俺の『裏仕事』の後のディッシュウォッシュは、あんたの会社に外注させてもらうとしよう」
「ヤマト・サニタリーは、いつでも顧客の依頼を歓迎する」
俺はリアンの手を取り、固い握手を交わした。プロとプロの、大人のB2B(企業間取引)契約の成立だ。
「おい、アンタ。ウチの専属テイスターとして、そのジャージの女をよこさないか? 週3でフルコースを食わせてやるぞ」
「悪いが、コイツは俺に10億の借金(35年ローン)があるんでな。手放すわけにはいかない」
「ふぇっ!? 尊しゃちょう、フルコース!? 私、フルコース食べたいですぅ!」
「黙ってポテトを食ってろ」
俺はリリスの頭にチョップを落とし、残りのポテトの皿を取り上げた。
「さて、商談は終わりだ。帰るぞ、リリス」
「あうぅぅ……リアンさん、ポテトごちそうさまでしたぁ! すっごく美味しかったですぅ!」
口の周りに塩とディップソースをつけたまま、リリスが初心者マークを揺らしてお辞儀をする。リアンは満足そうに腕を組み、「また来い」と頷いた。
社用車に戻り、エンジンをかける。
「さて。思いがけず上得意の固定客がついたな」
「はいぃ! リアンさん、とっても良い人でした! 次の現場も、あんな美味しいまかないが出るところがいいですぅ!」
助手席で呑気にお腹をさすっているポンコツ女神。
俺は魔導端末に新たに届いたメッセージを開き、フッと息を吐いた。
「残念ながら、次の現場はフルコースとは程遠い。……泥とヘドロにまみれた『ド田舎』への出張だ」




