第二章 裏社会の死体処理と、聖なる泉のヘドロ落とし
クライン公爵家からの『特殊清掃』依頼
ボリボリ、サクサク、ボリッ。
社用車(動く要塞)の助手席から、またしても軽快な破砕音が響いていた。
運転席からチラリと視線を向けると、紫色の芋ジャージを着たリリスが、タローマートのロゴが入った袋に手を突っ込み、茶色い棒状の菓子を次々と口に放り込んでいるところだった。
「……おい、リリス。それはなんだ」
「んっ? これですかぁ? 『太陽芋のかりんとう・ハニーかぼちゃ味』ですぅ! さっきGSルナミスで給油した時に、レジ横の特売コーナーで見つけちゃいました!」
「ほう。支払いは?」
「もちろん、尊しゃちょうの口座(経費)からですぅ! 領収書もバッチリもらいました!」
えへへ、と初心者マークを揺らしながら満面の笑みを浮かべるポンコツ女神。
俺はバックミラーから視線を戻し、淡々と告げた。
「ギルティだ」
「ふぇっ!?」
「それは備品でも福利厚生でもない。ただの横領だ。今月のローン返済に、かりんとう代のペナルティを上乗せしておく」
「うわぁぁん! またですかぁ! だって労働のあとの甘いものは必要だって、しゃちょう言ってたじゃないですかぁ!」
「今は移動中だ。しかも、これから向かう現場は、お前が呑気にかりんとうを齧っていられるような場所じゃないぞ」
俺の低い声に、リリスがビクッと肩を揺らした。
カリ、と口の中のかりんとうを飲み込み、芋ジャージの袖で口元を拭う。
「ど、どんな現場なんですか……? またマッスルなお化けが出るとか?」
「いや、今回は『生身の人間』の汚れだ」
俺はダッシュボードの魔導端末に表示された、暗号化されたメッセージを一瞥した。
先日、マッスル怨霊を除霊した成金貴族からの口利きで『ヤマト・サニタリー』の事業用アカウントを開設して以来、うちには様々な清掃依頼が舞い込むようになった。
だが、今回の依頼は経路が少し特殊だった。
表の依頼フォームからではなく、高度に暗号化された裏ルートからの『指名依頼』。
依頼主は、ルナミス帝国でも屈指の権力を誇る名門――クライン公爵家。
表向きは、若く清廉な弟クラウスが当主を務める光の騎士の家系だ。だが、この依頼を出してきたのはクラウスではない。公爵家の奥深くに潜む、名前のない『影』からの依頼だった。
「指定された内容は『特殊清掃』。現場の完全な除菌と消臭、および魔力残滓の隠蔽だ。……いいかリリス、現場についたら余計なことは喋るなよ」
「は、はいぃっ! 私、プロの清掃スタッフですから、口はチャックしますぅ!」
* * *
帝都の一角にそびえ立つ、荘厳なクライン公爵邸。
俺たちは指定された通り、表門ではなく、人気のない裏口へと社用車を滑り込ませた。
エンジンを切ると、影の中からヌッと人型の黒いモヤ(召喚獣の『影丸』)が現れ、俺たちを無言で屋敷の地下へと手招きした。
「ひぃっ……影が動いてますぅ……」
ペチッ、ペチペチッ……と、健康サンダルを鳴らして怯えるリリスを引き連れ、薄暗い階段を下りる。
案内されたのは、防音と魔力遮断が完璧に施された、地下の広大な隠し部屋だった。
「……ひどいな」
現場に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず眉をひそめた。
部屋の壁という壁、床という床に、おびただしい量の『赤黒い血痕』が飛び散っていた。さらに、強力な爆発物が炸裂したような黒焦げの跡や、銃弾で抉られたような無数の弾痕。
どう見ても、つい先程までここで壮絶な『殺し合い』が行われていた痕跡だ。
だが、奇妙なことに――死体が一つもない。
肉片すら、チリ一つ残さず『何者か』に喰い尽くされたように消失していた。
「あうぅぅ……血の匂いが充満してますぅ……」
リリスが鼻をつまんで顔をしかめる。
「――時間通りだな、清掃屋」
部屋の奥、暗がりの中から一つの足音が響いた。
現れたのは、黒いコートを羽織った鋭い眼光の青年だった。年齢は俺と同じくらいか。
その手には、不釣り合いなほど美しく手入れされた『柳刃包丁』が握られており、刃先についた血糊を、白い布でゆっくりと拭き取っているところだった。
彼こそが、クライン公爵家の真の支配者にして、この惨劇を一人で引き起こした張本人。
リアン・クライン。
「コース料理のメインは終わった。不純物は、俺の『喰丸』がすべて胃袋に収めた。……あとは後片付け(ディッシュウォッシュ)だが」
リアンは柳刃包丁――神殺しの武具『雷霆』――をスッと懐にしまい、俺たちを値踏みするように冷たい視線を向けてきた。
「どんな汚れでも落とすという触れ込みだったが、よもや作業員が二人だけとはな。しかも一人は……なんだその紫のふざけた服は」
「ひぎぃっ! ジャ、ジャージですぅ! タローマンの新作ですぅ!」
リアンの圧倒的な殺気に当てられ、リリスが俺の背中に隠れる。
俺は懐からセブンスターを取り出し、マッチを擦って火を点けた。
現場の血の匂いと硝煙の匂いをごまかすように、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「ヤマト・サニタリーだ。これでも清掃のプロでね。服のセンスはともかく、仕事は確実だ」
「……口で言うのは簡単だ。この部屋にこびりついた血液(DNA)、魔導兵器の硝煙、そして戦闘の魔力残滓。帝国の鑑識や騎士団が嗅ぎ回っても、一切の証拠が出ないレベルに『除菌』できるか?」
俺は床の血痕をブーツの底で軽く擦り、成分を確認した。
「血液はただのタンパク質汚れだ。魔力残滓と硝煙の匂いも、適切な化学反応を使えば中和できる。ルミノール反応すら出ないレベルまで完全に『漂白』してやるよ」
俺の言葉に、リアンがわずかに眉を動かした。
『ルミノール反応』。この異世界の人間が知るはずのない、地球の科学捜査の用語をあえて口にしたのだ。
リアンの目の奥に、冷酷な暗殺者とは違う、別の光が宿るのが見えた。
「……ほう。言うじゃないか。なら、お手並み拝見といこう。報酬は金貨500枚だ」
「前金で半分。それから、俺の作業中は誰も入れるな。それが条件だ」
俺とリアンの間に、プロ同士の一切の隙もない、ヒリつくような緊張感が走る。
この男、間違いなくただの貴族じゃない。俺と同じ、向こう側(地球)の『理』を知っている人間の匂いがする。
互いに腹を探り合うような、沈黙の数秒間。
その、息の詰まるようなハードボイルドな空気を切り裂いたのは――。
『ズズズズズズズズズズーーーッ!!』
部屋の隅の応接ソファから響いた、ストローで氷の底を全力で吸い込むような、間抜けな音だった。
「……」
「……」
俺とリアンが同時に視線を向ける。
そこには、緊張感など微塵も感じさせない様子で、出されていたカモフラージュ用のコーラを飲み干し、テーブルの上のフライドポテトを無心でバクバクと貪り食っている、芋ジャージ姿のポンコツ女神の姿があった。




