EP 10
清掃会社『ヤマト・サニタリー』設立
「ハッ!? ま、マッスルは!? マッスルなお化けはどうなった!?」
気絶していた成金貴族の男が、ビクンと身体を跳ねさせて目を覚ました。
周囲を慌てて見回し、自らの腕をさすりながら怯えている。
「安心しろ。除霊……いや、カビの研磨作業は完全に終了した」
俺は壁を指差した。
赤黒い怨念のシミがべったりと張り付いていた漆喰の壁は、いまや新築の頃のような純白を取り戻している。部屋を包んでいた陰鬱な冷気も完全に消え去り、代わりに俺が撒いた業務用仕上げ用ワックスの微かな柑橘系の香りが漂っていた。
「おおお……! なんと美しい……! 素晴らしい! あの忌まわしい呪いが、こうも跡形もなく消え去るとは!」
男は壁にすり寄り、頬ずりせんばかりの勢いで感動している。
その後ろで、紫の芋ジャージ姿のリリスが、モップがけで残った水気を拭き取りながらドヤ顔をしていた。
「えへへ、どうですか! これが我が社の技術力ですぅ! 私の『超健康回復』が怨霊さんを浮き上がらせたおかげですね!」
「お前は黙って手を動かせ。また給料から差し引くぞ」
「ふぇっ!? 理不尽ですぅ!」
ペチペチと健康サンダルを鳴らして抗議するポンコツ女神を放置し、俺は貴族の男に向き直った。
「清掃状況に問題がないなら、決済を頼む」
「もちろんだとも! 約束通り、金貨100枚を支払おう。いや、それだけではないぞ!」
男は興奮した様子で、懐から黒光りする『魔導通信石(スマートフォンに酷似した端末)』を取り出した。
「帝都の貴族社会は狭くてな。怨霊や魔獣の体液といった『特殊な汚れ』に悩まされている者は私以外にも大勢いる。君たちのような腕利きの業者がいると知れ渡れば、依頼はひっきりなしだろう。どうだ、この場で『タロウ・ペイ』の事業用アカウントを開設しないか? 私が内務局の知人に口利きをしてやろう」
「……ほう」
俺は目を細めた。
異世界にきてからずっと気になっていた『タロウ・ペイ』という独自の経済インフラ。個人間の現金(金貨)のやり取りだけでなく、電子決済の法人アカウントを持てるなら、今後の事業展開における社会的信用と資金管理が劇的に楽になる。
「いいだろう。恩に着る」
「はっはっは! 良い清掃業者を見つけるのも貴族の嗜みだからな!」
こうして、貴族の口利きのもと、俺の魔導端末に一つの公式アカウントが発行された。
屋号は――『ヤマト・サニタリー』。
代表・フィールドマネージャーは大和尊。
従業員、見習い女神リリス(借金35年ローン・芋ジャージ着用)。
異世界マンルシア大陸において、最強にして最凶の清掃会社が、正式に産声を上げた瞬間だった。
* * *
数時間後。
帝都の夕暮れを背に、俺は社用車(動く要塞)のハンドルを握っていた。
V8ハイブリッドエンジンの心地よい振動が、車内を包み込んでいる。
「……」
ふと助手席に目をやると、リリスがシートベルトを抱きかかえるようにして丸まり、スヤスヤと寝息を立てていた。
よほど疲れたのだろう。無理もない。スライム討伐に始まり、マッスル怨霊の除霊(物理)、そしてモップがけと、見習い女神にとっては過酷すぎる労働の連続だったはずだ。
だらしない紫の芋ジャージはホコリと水飛沫で汚れ、足元のフロアマットには、脱ぎ捨てられたイボイボの健康サンダルが転がっている。
手には、帰り道にタローソンで買ってやった『ハニーかぼちゃの菓子パン』が半分だけ握られていた。
『すぅ……むにゃ……尊しゃちょう……ボーナス……ばにらあいす……』
幸せそうに寝言を呟くリリス。
頭上に浮かぶ初心者マークも、すっかり安心したように淡い緑色に点滅している。
「……ったく。神様のくせに、世話の焼ける労働者だ」
俺は小さく息を吐き、エアコンの温度を少しだけ上げた。
そして、ダッシュボードに置かれた魔導端末――『ヤマト・サニタリー』の口座残高を一瞥する。
今日の金貨100枚が加算され、数字がしっかりと増えていた。
(10億円の借金完済までは、まだまだ遠いな)
俺は懐からセブンスターを取り出し、火は点けずに咥えるだけにした。車内をヤニ臭くして、こいつを起こすのも面倒だ。
剣と魔法の異世界だろうが、俺のやるべきことは変わらない。
そこが生活の場である限り、必ず『汚れ』は生じる。
スライムだろうが、怨霊だろうが、ドラゴンだろうが、現場を乱すゴミであるならば、俺が完璧に除菌してやるまでだ。
「よっしゃ、次の現場に行くぞ」
誰に言うともなく呟き、俺はアクセルを踏み込んだ。
夕闇に染まる街道を、マットグレーの特装車が力強く駆け抜けていく。
ただの現場監督と、借金まみれのポンコツジャージ女神。
大陸全土の厄介な汚れ(魔物)たちから恐れられる『ヤマト・サニタリー』の伝説は、ここから始まるのだ。
(第一章・完)




