過去の傷痕(爪)
火とは人が発見した偉大なものの一つであり、どの生き物も本能的に恐れるものである。翔太に向かっていった狼たちも例外ではなく、翔太が吹きだした火炎を反射的に大きく飛び退いて躱した。そのため火炎は何の抵抗もなくタオに向かっていく。
翔太の攻撃は最初からタオに向けられたものだった。この攻撃が当たっても当たらなくても翔太にとっては大して差はない、要は先手を取ってタオに何もさせないようにしつつ取り押さえればいいからだ。仮に攻撃が当たったとしても、タオが既に翔太たちに危害を加えようとしているのは明白、ならば返り討ちになっても文句は言えない。翔太がこの世界に来て学んだことの1 つである。
そんな攻防一体の一手は翔太の思惑通り、タオを動揺させると共に護衛していた狼たちを退かせていたため、タオまで一直線で行ける道が出来ている。その道を使ってタオとの距離を詰めて近接戦に持ち込めば、武器を持っているうえに複数の特質な才能がある自分の方が圧倒的に有利だと考えていた翔太は迷うことなく前へ進んだ。しかし翔太の考えが合っていたのはここまで。
火が目の前に迫っていたにもかかわらず、タオはその場から動こうとしない。それだけならば翔太も予想の範疇を超えていない。しかし次の瞬間、タオの腕は強固な岩盤のようなものに変化し、あっさりと火を払いのけた。それを見た翔太は慌てて急ブレーキをかけるが間に合わず、タオの腕が届く距離に入ってしまう。それを見越していたタオはもう片方の腕も変化させ、その剛腕で翔太を殴りかかる。間一髪、翔太は“反射壁”を発動させその一撃を防ぐと鈍い音と衝撃がその場に響き渡る。その衝撃にあてられた翔太は即座に後退し、距離を取った。
「ん? …あぁ、確か君とそこの女の子は今の盾みたいなものを使っていたな。しかしあのタイミングでの攻撃にも対応できるとは、流石に驚いたよ」
「驚いたのはこっちだ! あんた人間じゃないのかよ!?」
「いや? 私は立派な人間だよ、もちろん君の定義通りのね。しかし面白いだろう、最近できるようになったんだ」
「……自分の身体の一部を他の生き物のものに変えることができるようになったってことか?」
「今回はその答えでは満点はあげられないよ、翔太君。今のは私の腕でもあり、そうでないともいえる。これは私がストックしている腕のうちの1つだよ」
自信満々に語るタオは翔太の目の前で、今のゴーレムの頑強な腕から狼の鋭く研ぎ澄まされた爪を持った腕に変化させた。
「私は研究により人の脳や神経を他の生き物や最初から神経がないものに移植しても身体を動かせることが分かった。だから次に神経のみを移植した場合、同様に動かせるのかを実験した。結果は御覧の通りさ。つまり今さっき見せたのは腕を変化させているというよりは、即座に表皮の裏に収納している腕と入れ替えていると言った方が正しい」
「……研究者が自分の肉体改造に成功したってか? 笑えない冗談だな」
結果的に腕が変化しているのならば何でもいいだろうと言う余裕がなく苦笑いしている翔太に、タオは皮肉を込めて良い笑顔を見せた。そんなタオを憎ましいと思いながらも翔太は頭をフル回転させながら必死に考えていた。
一見、今の状況はただの膠着状態。しかし奇襲をかけたにもかかわらず、逆に面食らってしまった翔太の精神的動揺はかなり大きい。今の数十秒ほどの攻防でタオは精神的に大きく優位に立った。指揮官を狙えなくなった翔太に残された手は周囲の狼たちを全て倒して、4人がかりでタオに挑むしかなかった。
物量で勝る相手に正面から戦うのは無謀であることは十分に理解しているが、それ以外思いつかなかった翔太はアリスたちに何か考えがないか聞こうとした時、1人だけ他の3人とは違う反応をしていた。
「ハルトさん!?」
「お、狼がこんなにたくさん……」
翔太が驚いたのは、大剣は構えているが小刻みに震え過呼吸気味になっているハルトが今にも倒れそうな様子だったからだ。その姿を見た翔太は最初、ハルトがこの状況で恐怖していると思った。誰だって恐怖を覚えるのは当たり前であってそれは仕方がない事である。しかしハルトの反応はもっと根深いもののように感じる。それが何かまでは分からなかったが、今のハルトが戦える状況じゃないことは分かった翔太はより一層険しい表情を見せる。
「大人しく捕まってくれるなら、こちらも乱暴はしないと約束しよう」
翔太の様子を見て話しかけてきたタオの言葉はそれが最後で最大の譲歩だということが容易に理解できる。それに対して翔太も考えるそぶりを見せる。
「……仕方ないか」
「そうか! ならば……」
「戦略的撤退!」
「何!?」
翔太が自分の申し出を受け入れたと思ったタオは笑みを浮かべた時、翔太が突然大声を出した。しかしタオが真に驚いたのはその後に発生した大量の煙だった。その煙は翔太の合図からその意味を即座に察したアリスが魔石により発生させたもの。その事を知らないタオは即座に腕を変化させ煙を散らそうとするが、アリスが煙を発生させ続けているためタオは翔太たちの姿を完全に見失った。それでもタオは狼たちが翔太たちを隙間なく包囲していることで安心していた。しかしそれが次の行動を遅らせ、翔太の次の一手を許すことになる。
「全員、私を守れ!」
「何!? 今のは私の声? なぜ……」
突然煙の中から聞こえてきたタオの声に反応して全ての狼たちが煙から飛び出し、タオの元に集まり始める。そして煙が散った時には当然翔太たちの姿はなかった。
「ははっ、まさかあの包囲網をこんな方法で突破するとはね……しかしハルトって呼ばれた青年はもしかして……」
翔太の“声質変化”を知らず、狼たちの命令に忠実な部分を突かれたタオは悔しさを通り越して感心していた。ただそれと同時に最後に翔太が心配していたハルトの存在に少しひっかかりを感じていた。
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狼たちの包囲網を突破した翔太たちは先ほど通って来た細い道を駆け抜けていた。その間、過呼吸気味のハルトはエミルに手を引かれながら走っている。翔太としてもハルトのあの尋常ではない様子が気になってはいったが、今はそれを聞ける様子でもタイミングでもないことを理解しているため走ることに集中した。
少しの間走り続けると、タオと初めて出会ったあの広い場所に到着した。一度も振り返らず走ってきた翔太たちは後ろを見て誰もいないことを確認すると、深く息を吐いていったん落ち着くことを優先した。しかしハルトだけは今もまだ震えている。
「ナイス煙幕、ありがとな」
「まぁ、あれは翔太が隙を作ってくれたから出来たことなんだし、気にしなくていいわ。それよりも……」
「あぁ、分かってる……ハルトさん大丈夫ですか?」
「……うん、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」
ひとまずアリスにさっきの煙幕に感謝を伝える翔太だったが、それを言った方も言われた方もそれより気にしていたハルトの身を案じた。それでもさっきよりもずいぶん落ち着いているハルトは弱々しくも大丈夫だと答える。翔太たちもそれ以上のことを本人に聞ける雰囲気ではないことを察し、ハルトが落ち着くまでエミルとこの後どうするか話し合いを始めた。
自分が今、足を引っ張っているという自覚があるハルトは自己嫌悪に陥っていた。しかしさっき見た狼たちの獲物を見定め、血走った目や肉を引き裂く爪を見ただけで、あの思い出したくない出来事がフラッシュバックする。
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遡る事10年前、当時7歳のハルト・コマンドは偶然遠出し訪れていた森の中で迷子になっていた。しかし彼は一切未知への恐怖を感じていない、何せ彼は共に訪れていた大人たちを撒き、一人になる事を望んでいたからだ。そんな彼の目に映っているもの、聞こえてくるもの、伝わってくるもの全てが彼にとって新鮮で輝かしいものだった。誰も未知への好奇心を完全に抑えることはできない、ましてや好奇心の塊である子供ではなおさらである。ハルトは心が落ち着くような静寂とは裏腹に高まる鼓動を不思議に思いながら森の中を突き進んでいった。
ハルトはそれまで敷地内から一歩も出たことがなかった、鳥籠とまでは言わないがそれでも年相応の自由はなかったのだ。そんな束縛にも似たものが少し嫌だったハルトは初めて親の言いつけを破り、たまには息抜きも必要だと自分に言い聞かせながら外界に飛び出した。
そんな軽い気持ちで森を歩いている時、茂みの奥から突然数匹の狼が飛び出した。突然の出来事で状況が把握できなかったハルトは戸惑い、足がすくんで逃げることができなかったため木を背にするようにして狼たちに囲まれた。
狼たちの目は縄張りに侵入してきた外敵に向けるではなく、自分たちより戦力が遥かに劣る獲物に向けるものだった。つまり獲物であるハルトに選択肢はすでにない。そのことをようやく理解したハルトは恐怖のあまり近くにあった小石や枝を投げつけるが大した意味はなく、むしろ狼たちを刺激してしまい状況がより一層悪くなっただけだった。投げるものが無くなったハルトを見た狼たちは姿勢を低くし、今にも襲い掛かろうとしていた。そして狼たちが一斉に飛びかかってきた時、ハルトの頭の中に浮かんだのは誰へ向けたのかは分からないが、勝手なことをした謝罪だった。
人を簡単に引き裂けそうな爪で襲い掛かる狼の口内が見えた時、ハルトは自分が死ぬことを確信し目を閉じた。しかしその直後ハルトが受けたのは爪や牙による鋭い痛みではなく、何かがぶつかってきた衝撃だった。それは今もまだハルトの身体に密着し離れない。ハルトは恐る恐る触ってみると、その感触は柔らかく温かい。
「だ……大丈夫、ハルト?」
「……エミル?」
それが何かまだ分からなかったハルトはうっすらと目を開けるとそこにいたのはハルトより1つ年上の当時8歳のエミルだった。ハルトが無事か確認したエミルは優しい笑顔でハルトに接した。ハルトもエミルに会えたことで、その場の状況も関係なしに力強く彼女を抱きしめた。エミルもそんなハルトの頭を撫でてハルトを優しく抱きしめた。その時、ハルトの手に生暖かい赤い液体が付着した。それが何か確認すると鼻を突くような鉄の匂いがする。ハルトはそれを見るのはこの時が初めてだった、だからこそやっとそれが誰のものなのかを理解したハルトは激しく動揺した。
「エミル! これって……」
「私は大丈夫だから……」
「でも!」
「大丈夫、私がハルトを守るから」
幼く小さい背中には深々と4本の爪痕が残っていた。背中に走る激痛は筆舌に尽くしがたいものにもかかわらず、エミルは泣いているハルトを安心させるためその痛みを必死に我慢して普段と変わらない笑顔を向けていた。それを知ったハルトは心の奥底から熱い何かがせり上がってきた。当時のハルトは本当はそれが何か分からなかった。
エミルに助けられたハルトだったが、それ以外は状況は何も変わっていない。実際、狼たちも突然現れたエミルに驚きはしたもののそれ以外は特に何も感じず、さらには手傷も負わせていることから警戒することはないと判断し、再び攻撃の準備に入る。狼たちの方を向き、ハルトを庇うエミルはもはや自分が死ぬかもしれないことを悟っていた。それでもハルトだけは絶対に守るという強い意志が狼たちにもひしひしと伝わる。それでも狼たちはひるまず、エミルたちに飛びかかる。
「来ないで!」
エミルは思ったことをそのまま言葉にし、意味もなく手を前に突き出す。そんなことをしても狼たちが攻撃を止めるとは思っていない、ただ何かに突き動かされるように体が勝手に動いていた。その時、薄紫色の板のようなものがエミルたちの前に突然現れ、正面から突っ込んできた狼を吹っ飛ばした。それを見た他の狼たちは攻撃を中止し、エミルたちからいったん距離を取った。
それはエミルが初めて“反射壁”を発動させた瞬間だった。ただそれを発動させた本人は何が起こったのか分からず混乱していた。最初は誰かが魔法で自分たちのことを守ってくれたのではないかと考え周囲を見渡すが、人一人見当たらない。今のがいったい何だったのか分からなかったエミルだったが、痛みを感じて現実に戻されると再び手を前に突き出した。当時のエミルに“反射壁”を使いこなすことは不可能だが、その動作を見た狼たちにエミルが警戒すべき相手だと理解させるには十分だった。必然、警戒が躊躇を生み狼たちは攻めあぐねている。
その後すぐに駆けつけてきた大人たちが来たことで狼たちは退散し、危機が去った安心からエミルはハルトに寄りかかるように倒れた。ハルトはそんなエミルをもう一度抱きしめると、涙を流しながらエミルの耳元で何度も何度も謝り続けた。その日以降、エミルの背中とハルトの心には深い爪痕が残っている。そんなハルトは物事に消極的になる一方で、あまり好きではなかった稽古を人一倍受けるようになった。
読んでいただきありがとうございます。
今回はハルトの過去とエミルの特質な才能に目覚めた瞬間について書きました。
これからもよろしくお願いします。




