ピッチャーへの挑戦⑩
変わらない体制のまま、少し目を伏せるようにした焦点の定まらない双眼に、蒼海は明崎を向き直りボールを受け取る。
足元の土には、二球ぶんの引きずった跡。足で均し、ボールを握る指の感触を確かめ、やっとのことで戻ってきた煌々とした瞳に、蒼海は構えの体制をとった。
最後の一球。動作が始まって終わるまでは、ほんの数秒だ。
ズバン!
先程よりも低い音が響き渡る。
球は明崎の構える少し手前で落ちた。
「……ドロップ!」
感嘆するような声に、蒼海は古義を見遣る。
思わず、だったのだろう。ビクリと肩を跳ね上げた古義は、すっかりいつもの調子に戻っている。
「……アレは、俺の『ストレート』だ」
「へ?」
「『ドロップ』は、もっと落ちる」
怒っているでもなく、ただ事実を述べるような淡々とした物言いに、古義の脳裏に『勧誘』時のドロップが浮かんだ。
確かにアレは、もっと深く沈んでいた。
とはいえ、今の球はどうみたって変化していた。それが、ストレート?
(え、なに? どーゆーコト?)
明崎から投げ返された球が、蒼海の手元に戻ってくる。
頭に疑問符を飛ばしている古義を観察するように見て、蒼海は数秒の逡巡の後、自分の意思で古義を呼んだ。
「……おい」
「っ!? ハイッ!!?」
「……投げろ」
「ハイッ! ……はいぃ!?」
素っ頓狂な声を出して目玉をひん剥く古義に、蒼海は煩わしそうに眉根を寄せつつ明崎へと視線を移した。
「明崎、隣」
「あー、まだそっち計ってない」
「……遅い」
「見せてからやろうと思ってたんだって」
蒼海は剣呑に瞳を細めるも、空笑いを浮かべる明崎に嘆息し、自身の立っていた位置から数歩離れる。
「……ここでいい」
「うえ!?」
「やる気ないのか」
「っ、あります!」
(そりゃあるよ! あるけどさ!?)
セットポディションについて投げるのは、正真正銘これが初めてだ。
それなのに、蒼海に見せる? フォームもろくにわかってないのに?
ふらりと足を進める古義の脳内では、小さな分身が駆けまわっている。頬を伝った冷や汗にも気づかぬまま、あっと言う間にたどり着いてしまった横線の上で、古義はピタリと足を止めた。
途端、前方から声が飛んでくる。
「古義!」
明崎だ。
「とりあえず、好きにやってみな」
「っ」
朗らかな笑顔に、古義はクシャリと顔を歪める。
そうだ、オレはセットして投げた事などない。けど蒼海だって、当然、わかっている筈だ。
理由など検討ももつかないが、「投げるな」ではなく、「投げろ」と言った。こうしてわざわざ、場を明け渡してまで。
(そう、コレは、チャンスだ)
思った瞬間、古義は脳内がスッと冷めるのを感じた。クリアになっていく感覚に習うように眼を閉じて、まっさらな空間に先程『みた』蒼海のフォームを映写する。
構え、から、上体の振り。腕の動きと、躍動した左足。身体の捻り、腕の描いた軌道、球を放つ腕。
心臓がドクリドクリと脈打っている。その音をどこか遠くに聞きながら、ひとつひとつ重ねあわせ、古義は静かに目を開いた。
構えだって、見よう見真似だ。けれど今の古義には、関係なかった。
頭の中のイメージと、流れ込んでくる『今』の光景を合わせていく。
明崎がしゃがんだ。ここだ、と伝えるかのように、ミットをボスリと叩いて構えた。
脳内の映像がスタートする。古義はただ青いミットの一点だけを見つめ、全神経を研ぎ澄まして映像をなぞる。
古義が球を放った瞬間、蒼海が息をのんだ。
「っ」
放たれた白球は明崎の後ろにある、ネットの右上で跳ね返った。
集中を切った古義が慌てて「スミマセン!」と叫ぶと、明崎が「いいよいいよ」と笑った。
「身体の戻りが追いついてないな。腕に、置いてかれてる」
「っ、す!」
(とはいえ、大したもんだ)
明崎はアドバイスに頷く古義の後ろに、唖然とした表情で古義を見つめる蒼海の姿を捉えた。
(まさかホントにコピーしてみせるなんて、って感じかな)
蒼海と目が合う。明崎がお? と思っていると、蒼海が緩く首を振った。
どうやら『合格』らしい。いや、正確には、『一旦見逃す』といった辺りか。
十分だ。ここから先は、古義が選ばないといけない。




