ピッチャーへの挑戦⑨
チャンス、かもしれないのだ。新しい可能性を掴む。
バクリバクリと跳ねる心臓。背を伝う冷や汗。それでも古義は必死に蒼海の目を見つめ返して、湧き上がる衝動のまま勢い良く頭を下げた。
「っねがいしあっす!!!」
「!?」
グラウンドに響いた声に、蒼海と明崎が瞠目した。それはボール拭きを進めながらも様子を伺っていた叶華も、離れた先でロングティーを行っていた部員達も、その中で守備についていた日下部も同じだった。
部内全ての視線を受けていることも気づかないまま、古義は祈るような気持ちで頭を下げ続けた。
耳に届くのは、遠くで行われている他の部活の、知らない誰か達の声。
流れた沈黙を破ったのは、億劫そうに嘆息した蒼海だった。
「……何球だ」
「っ、うえ!?」
顔を跳ね上げて蒼海を見る。視線は古義に向けられていた。
つまり、問われているのは自分だ。
「っ! ごっ、は、多いですよね! 三球! お願い! したいでっす!!!」
「……明崎」
蒼海が明崎へ視線を流す。
「うん?」
「座れ」
「! りょーかい」
任せろ、というように笑んでみせた明崎は、古義に「よくみておけよ」と言い残して駆け足でネット側へ向かっていった。置いていたキャッチャー用のプロテクターを身につけると、グローブをミットへ取り換え、置かれたホームベースの後方へしゃがむ。打者がいないからか、ヘルメットと面はつけていない。
その一連の動作をポカンと見ていた古義は、斜め後ろで響いたパシンというゴムが皮を打つ音に、はっと視線を流した。
地面に引かれた横線は、ピッチャープレートの代わりだろう。その線を右足の踵と左足のつま先で踏むように、前後した足を乗せて直立した蒼海が、グルリと首を回した。
「うっし、いいぞ」
明崎の声が届く。けれども古義は、蒼海から目が逸らせない。
すぅ、と薄く息を吸い、ベルトラインでグローブを構えた彼の纏う空気が、濃い青に染まったように見えた。
グッと右足に体重を乗せたかと思うと、蒼海の上体は振り子のように後方に揺らされる。
間合いへ斬り込む武士のように右手がグローブから引きぬかれ、勢いを持って前方へ伸ばされた左足が着地すると同時に、大きく、かつ鋭利に回された腕が前方に伸ばされた。
引きつけられた右足がザッと土を抉る。躍動した身体が静へ到達する前に、パシリ! と軽快な高音がグラウンドに轟いた。
「ナイボッ!」
「っ!?」
(やっべ、軌道全然みてなかった!)
明崎の声に慌ててボールの飛んだ先へ顔を向けると、明崎は苦笑しながら首を振った。
なんだろう。戸惑いに眉根を寄せた古義の耳に届いたのは、蒼海の平坦な声だった。
「……あと二球」
古義がバッと振り返る。
「お前が『視て』いないといけないのは、こっちだろ」
「!?」
(っ、そうだ)
正直、ボールが何処に飛んだかは関係ない。今の古義がやらなければならないのは、蒼海の投げ方を『写す』事だ。
うっかりしていた。慌てて「あざす!」と頭を下げて、古義は守備位置につく時のように、それぞれの両膝に手をつく。視線を下げる為だ。
(あと、二回。最低でも、『リズム』は覚えないと)
瞬きを忘れたようにじっと見据える古義の瞳が、不思議な色を帯びるのを蒼海は視線だけで捉えた。
明崎を見遣り、楽しげに頬を緩めたその顔に息をついて、蒼海はボールを受け取り再び構えの姿勢をとる。
手を抜くつもりは毛頭ない。練習でも一球一球、本番さながらの気を込めるのが、蒼海の流儀だ。
薄く息を吸う。空気と溶けあうように吐き出しながら体重を右足へ移動させ、今度は後方へ振ってから、一気に飛び込み腕を回す。
パシン!
響いた音が校舎に跳ね返り、余韻をもって消えていく。
指のかかりが悪かったな。そんな反省を頭に思い浮かべながら、蒼海は古義を一瞥した。




