⑱託される紋章、それぞれの防衛線
城塞都市マグマリアの王宮、赤黒い岩盤に囲まれた特設の療養室。
アレンの左半身に刻まれた淒惨な火傷痕が、カイルの持ち込んだ医療カプセルとドラグニルの熱エネルギーによってかろうじて塞がった日の夜、その部屋には異様な緊張感が漂っていた。
部屋の中央に置かれた結晶の円卓。
そこにはアレンとエルザ、そして魔導端末を睨みつけるカイルの姿があった。
さらにその上空、翡翠色に輝く超広域通信魔法の術式円環からは、天嵐の王宮にいる嵐の竜王ゼピュロス、そしてマグマリアの最奥から回線を繋ぐ紅蓮の竜王イグニスの姿が、ホログラムとなって重々しく映し出されていた。
ノクスの呪縛から完全に解き放たれ、本来の理知を取り戻したゼピュロスと、洗脳を脱したイグニス。
二大竜王と三人の若き戦士たちが、これからの世界の命運を決めるための軍議を開いていた。
「――通信魔法の、完全なる拒絶だと?」
ホログラムの向こう側で、腕を組んだゼピュロスが冷徹な瞳をカイルへと向けた。
彼の周囲を渦巻く風の波形は、完全に本来の清廉さを取り戻している。
「はい、ゼピュロス様」
カイルは眼鏡の位置を直し、険しい表情で端末の画面を提示した。
「始まりの街『リガルド』周辺の空間が、外部からのあらゆる魔力的接触を遮断する高等な結界に覆われています。僕の師匠であるギルバートに、アレンの『左の聖鱗』の在処について再度聞きに行こうとしたのですが……通信が一切繋がらない。これは単なる地脈の乱れではなく、明確な意図を持った外敵の小細工です。」
『ハッ! 陰気なノクスの残党どもが、まだどこぞの物陰で糞尿のように蠢いてやがるってわけか!』
もう一つのホログラムから、イグニスが猛々しい真紅の髪を逆立てて獰猛に笑った。
その巨躯から放たれる圧倒的な熱量は、通信越しですら部屋の温度を数度跳ね上げるほどだ。
『お前の通信が繋がらないってなら、俺の「業火」でリガルドごと周辺の森を焼き尽くして、その結界とやらを消し炭にしてやりゃあ話が早いんじゃねえか、あぁ!?』
「相変わらず筋肉でしか思考できんのか、筋肉達磨」
ゼピュロスが冷酷なトーンでイグニスの言葉を遮る。
「そんな不条理なエネルギーの浪費をすれば、結界の内にいる民ごと灰にするだけだ。アレンの左半身の欠陥――炉心の熱を右の聖鱗だけで支えている歪な器の限界は、お前も天空城で見ただろう。あやつが『白竜の翼』を宿し、完全なる器となるためには、そのギルバートという智者が持つ古代の知識が絶対に必要なのだ。ここでリガルドを灰にする数式は、世界救済の確率を著しく下げる愚策でしかない」
『ハッ、分かってる、モヤシ野郎。言ってみただけだ』
イグニスは大剣を床に突き立て、鼻を鳴らした。
その二人のやり取りを静かに聞いていたアレンが、包帯の巻かれた左手をじっと見つめ、低く冷徹な声を響かせた。
「俺が行く。……通信が繋がらないなら、直接リガルドへ赴き、ギルバートの安否を確かめる。どのみち、この歪んだ肉体を完成させる手がかりがそこにあるなら、座して死を待つつもりはない。」
「アレン、私も行くわ。」
その隣で、エルザが即座に立ち上がった。
その瞳には、かつてバルザックへの復讐を終え、今はアレンの行く道を照らすと誓った『気高き烈火』の強い光が宿っている。
「貴方の体がいつまた過負荷を起こすか分からない。もし道中で闇が這い寄ってくるなら、私の炎がすべてを焼き尽くす盾になる。」
二人の強い決意に、カイルは一瞬だけ口を開きかけた。
しかし、自らの魔導端末に表示されている『白竜の翼』の不穏な共鳴数値を一瞥し、苦渋の表情で首を振った。
「……すまない、二人とも。今回のリガルドへの急行、僕は同行できない」
「カイル? どういうこと?」
エルザが驚いたようにカイルを見る。
「天空城から奪い返した『白竜の翼』だよ。アレンとの同調拒絶の衝撃で、現在は僕が召喚したコンテナに再封印してテンペストで管理しているけど……ノクスの長が残した邪悪な術式の残滓が、まだ翼の底で地脈を汚そうと蠢いているんだ。この遺産は、天空城を動かすほどの超巨大な魔力の塊だ。もし僕がここを離れて、その隙にノクスの竜神族の残党や真の黒幕に翼を強奪されでもしたら、それこそ世界が終わる。」
カイルは眼鏡を強く押し上げ、アレンの目を真っ直ぐに見つめた。
「だから僕はテンペストのラボに居残り、ゼピュロス様と共に『翼』の監視と、我が国の防空網の再構築に全力を挙げる。国政を整え、二度と外部の邪悪に法を汚させないための絶対防御の檻を築くのが、僕の任務だ。……アレン、ギルバート師匠のことは頼んだよ。あの偏屈な老人なら、きっと君の器を完成させる答えを持っているはずだから」
「分かった。お前は、お前の防衛線を死守しろ」
アレンは短く応じ、カイルの決断を尊重した。
ホログラムの中から、ゼピュロスが静かに視線を走らせる。
「カイルの判断は極めて合理的だ。すでにシルフの突撃大隊には大陸中に散ったノクスの竜神族の動向調査を、ニルヴァにはテンペストの国政の調律を言い渡してある。天嵐の風は、お前たちが器を完成させて戻るべき場所を、完璧な状態で維持する」
『そして、俺のドラグニルも、お前らの背後は完全に保証してやる。』
イグニスがニィと獰猛に笑い、自らの懐から、そしてゼピュロスの手元から、二つのまばゆい結晶の輝きが放たれた。
それは、それぞれ白銀の竜の刻印と、真紅の猛る竜の刻印がある手のひら大の重々しいプレート――二大竜王の最高権限の証明である国境の『竜王の紋章』だった。
「これを持っていけ。」
イグニスの声が重々しく響く。
『烈火の竜王国ドラグニル、そして天嵐の王国テンペストは、今この瞬間をもって正式に「同盟」を可決する。その紋章は、俺たちの同盟の絶対的な力そのものだ。リガルドの国境の警戒を抜けるのにも、邪悪な結界を上書きするのにも、必ず役に立つ。』
アレンは転送魔法で送られて来たその2つの『竜王の紋章』を右手にしっかりと受け取った。
紋章から伝わってくるのは、大空の真空の冷徹さと、地上を統べる業火の圧倒的な熱量。二大国家が真の意味で手を結んだという、歴史的な重みがそこにあった。
「イグニス、ゼピュロス……感謝する」
「勘違いするな、アレン」
ゼピュロスは通信を切る術式に指をかけながら、冷淡に言い放った。
「私は完全無欠の合理主義者だ。お前が『左の聖鱗』を手に入れ、完全なる器となることが、これからの深淵との決戦において最も成功確率の高い数式だから守護するに過ぎん。……往け。その不完全な器の歪みを、その地で正してみせろ」
『ハッ、次に俺の前に現れた時は、洗脳の邪魔なしで最高の真っ向勝負を仕掛けてやるからな! 勝手に死にぬなよ、アレン、エルザ!』
ガシャリ、と重々しい音と共に通信のホログラムが掻き消え、室内に静寂が戻ってきた。
アレンは『竜王の紋章』を懐へと収め、ベッドから静かに立ち上がると、自らの愛剣の柄へと右手を添えた。その隣で、エルザが大剣を背負い、彼と視線を合わせる。
「カイル、行ってくる」
「ああ。最高の相棒がついているんだ、無茶はしても、犬死にだけはするなよ」
カイルはかろうじて理知的な笑みを浮かべ、二人を送り出した。
烈火の竜王国と天嵐の王国の同盟という、これ以上ない最強の後ろ盾を得て、しかし始まりの街リガルドで蠢く不穏な闇に向けて。
カイルをテンペストに残し、アレンとエルザの二人だけの、新たなる器を完成させるための過酷な旅路が、今まさに幕を開けたのだった。




