⑭未完成の器
天空城の最奥、美しく輝くエメラルドグリーンと白銀の結晶が散りばめられた王座の間。
先ほどまでこの空間を支配していた、ノクスの長による邪悪などす黒い闇の波動は跡形もなく消え去っていた。
アレンの白銀の閃光と、エルザのすべてを焼き尽くす『気高き烈火』の融合――それは天空城の絶対権限を、完全にドラグニル・テンペスト側へと奪い返す、完璧なる一撃だった。
静寂が戻った空間で、覇王イグニスは甲板からその巨体を揺らして獰猛に笑い、カイルは安堵の表情で魔導端末を閉じた。
誰もが、この長きにわたる戦いの終結と、新たな時代の幕開けを確信していた。
だが。
「――く、あ…………っ」
静寂を引き裂いたのは、歓喜の声ではなく、押し殺したような苦悶の喘ぎだった。
「アレン……?」
大剣を床に突き立て、相棒への誇らしげな笑みを浮かべていたエルザの表情が凍りつく。
アレンは愛剣を鞘に収めた姿勢のまま、微動だにできなくなっていた。
深く被り直したはずのフードの隙間から、信じられないほどの量の汗が滴り落ち、結晶の床を濡らしていく。
「あ、が……はぁ、っ、がはっ……!」
突如、アレンが激しく咳き込んだ。その口から溢れ出たのは血ではない。
――白い、炎だった。
「おい、アレン! どうした!?」
エルザが痛々しい怪我の激痛を忘れて駆け寄ろうとする。
しかし、彼女が数歩踏み出した瞬間、アレンの全身から爆発的な熱量が放射された。
「来るな……ッ! 離れろ、エルザ!!」
アレンの絶叫と同時に、彼の肉体が内側から凄まじい『白い炎』に包まれた。
それは敵が放った呪詛などではない。
アレン自身の肉体が、内側から激しく燃え上がっているのだ。
衣服の袖を破って露わになった右腕の『白竜の聖鱗』が、すでに同化している『ドラグニルの心臓・炉心』の光と混ざり合い、パチパチと狂ったような閃光を放っている。
しかし、その光は先ほどの決戦時のように統制されたものではなかった。
まるで制御を失った高圧のエネルギーが、行き場を求めて暴れ狂っているかのような、破滅的な輝き。
「これは……まさか、『白竜の翼』との同調拒絶か……!?」
カイルが血相を変えて魔導端末を再び開き、凄まじい速度で文字列を走らせる。
端末の画面には、真っ赤な警告灯が文字通り狂ったように点滅していた。
「カイル! どういうこと!? 敵はもう倒したはずでしょう!?」
エルザが熱波に顔を覆いながら叫ぶ。
「天空城の絶対権限を奪い返した瞬間、この城の核である『白竜の翼』が、新しい主に自動的に同調を開始したんだ! でも、ダメだ……アレン様の体は、すでに限界を超えている!」
カイルの指が震えていた。
画面に表示されるアレンの生体データは、異常な数値を叩き出している。
「体内には、すでに『ドラグニルの心臓・炉心』がある。それだけでも、人間の肉体にとっては本来なら一瞬で焼き尽くされるほどの超高密度エネルギーなんだ。それを右腕の『聖鱗』だけで無理やり押さえ込んで、かろうじて『器』としての形を保っていた。なのに……そこにさらに、天空城を動かすほどの膨大な『白竜の翼』の魔力が流れ込んできたらどうなる!?」
「器が……過負荷を起こしているのか……!」
イグニスが険しい表情でアレンを見つめる。
その獰猛な瞳に、かつてない焦燥が浮かんでいた。
「その通りです! すでに炉心でいっぱいいっぱいの器に、さらに別の巨大な遺産を詰め込もうとしている……! 完全に容量を超えているんだ! このままだと、同調が完了する前に、肉体が内側からの熱暴走で完全に消滅する!!」
「あああああああああッ!!」
アレンが頭を抱え、結晶の床へと崩れ落ちた。
彼の背中から、幻影のような純白の翼が吹き荒れるように現れる。
しかし、その翼は美しく羽ばたくことはなく、バキバキと不吉な音を立てて歪みに歪んでいた。
アレンの左半身の皮膚が、まるで内側から焼かれた炭のように、じわじわと黒ずみ、パラパラと灰のような粒子を散らし始める。
「右腕の『聖鱗』がある右半身は、炉心の熱に耐えられている! でも、左半身には何の防壁もない! 翼のエネルギーが流れ込んだ瞬間、負荷が完全に左側に偏っているんだ! このままだと左から灰になるぞ!!」
カイルが叫ぶ。
「そんなの……そんなこと、させるわけないじゃない……!」
エルザが大剣を握り直す。
「カイル! どうすればいい!? 翼を切り離せばいいの!? 私の炎で、その過剰な魔力を外から焼き飛ばせば――」
「ダメだエルザ、外からの衝撃は器の崩壊を早めるだけだ! 同調を物理的に遮断するしかない。カイル、お前の魔導術式で、翼をもう一度『封印』しろ!」
イグニスの地を這うような声が、エルザの焦燥を辛うじて押し留めた。
「くそっ、術式を展開する! エルザ、アレンが暴走の衝撃で自滅しないように、周囲の空間の魔力を抑え込んでくれ! 覇王殿、僕の術式の補助を!」
「応よ! この小僧を、こんなところで死なせてたまるか!」
カイルが魔導端末を宙に放り投げる。端末はアレンの頭上で静止し、幾重にも重なる青白い魔法陣を展開した。
「『テンペスト式・緊急魔力遮断』、展開! 白竜の翼よ、一度眠れ!!」
カイルの詠唱とともに、天空城の天井からアレンに向けて、幾条もの光の鎖が突き降ろされた。それはアレンの背中から生えかけ、暴走していた『白竜の翼』へと絡みつく。
キィィィィィン!! と、鼓膜を鋭く引き裂くような高音が王座の間に響き渡る。
「が、は……あああああッ!!」
翼を無理やり引き剥がされる痛みに、アレンの身体が大きくのけ反る。
右腕の聖鱗が激しく明滅し、彼の白い髪が、エネルギーの奔流によって嵐のように逆巻いていた。
「ぐ、うう……なんて魔力抵抗だ……! 城の絶対権限と結びついた遺産を、個人の術式で封じ込めるのが、これほど……っ!」
カイルの目、鼻から、精神力の過剰消費による血がツッと流れ落ちる。
「カイル!!」
「構うな、続ける!!」
エルザは自身の『気高き烈火』を周囲に展開し、アレンの体内から漏れ出る白い炎が、王座の間を破壊し尽くさないよう、その熱量を受け止め、相殺し続けた。
傷が開いたのか、彼女の脇腹からも血が滲む。
だが、エルザの瞳に宿る火は消えない。
(私は、もう誰も失わない。アレン、貴方を死なせはしない……!)
イグニスがアレンの背後に回り込み、その巨大な両手をアレンの肩へと置いた。
「ぬうううううんッ!!」
覇王の圧倒的な竜の魔力が、アレンの肉体に直接注入される。
それはアレンを攻撃するためではなく、内側から崩壊しかけている彼の『肉体の輪郭』を、外側から強引に繋ぎ止めるための、荒々しくも絶対的な力技だった。
「小僧、耐えろ! お前の旅は、こんなところで終わるような格好の悪いものだったか!?」
イグニスの怒号が、アレンの朦朧とする意識の底へと響く。
「お……れ、は……」
アレンの赤眼が、一瞬だけ正気を取り戻す。
(まだ……倒れられない。ノクスの手先は倒した。だが、まだ……俺には、まだ知らなければならないことが……)
アレンは残された気力を振り絞り、暴走する体内の炉心のエネルギーを、自らの意志で強引に引き摺り下ろした。右腕の聖鱗にすべての魔力を集中させ、左半身へと流れ込もうとする翼の奔流を、一瞬だけ、力づくで押し留める。
その一瞬を、カイルが見逃すはずがなかった。
「今だ……! 封印、完了!!」
カイルが両手を強く打ち合わせると、アレンの背後に絡みついていた光の鎖が、一気に縮退した。
アレンの背中から、暴れていた白銀の光の粒子が強引に引き剥がされ、カイルが召喚した結晶の封印コンテナへと吸い込まれていく。
ガシャァァァン!!!
重々しい金属音が響き、コンテナの蓋が完全に閉じられた。
その表面には、何重もの強固な魔導封印の術式が、青い光となって定着していく。
「はぁ、はぁ, はぁ、はぁ……!」
翼を引き剥がされた瞬間、アレンの身体から力が完全に抜け落ちた。
白い炎は消え去り、衣服の隙間から見える左半身は、辛うじて灰化を免れたものの、酷い火傷のような赤黒い痕が痛々しく残っていた。
アレンの身体が、ゆっくりと前に倒れ込む。
「アレン!」
エルザが大剣を投げ捨て、滑り込むようにして彼の身体を抱きとめた。
アレンの意識はすでに混沌の闇へと落ちかけていたが、エルザの腕の温もりだけは感じ取っていた。
「エル……ザ……」
「大丈夫、大丈夫だから。もう暴走は止まったわ。ゆっくり休んで……」
エルザの声は震えていたが、その腕は優しく、そして決して離さないという強い意志に満ちていた。
カイルはその場にへたり込み、荒い息を吐きながら、封印されたコンテナを見つめた。
「成功、だ……。なんとか、同調を強制中断させた。翼は一旦、僕の手で厳重に再封印したよ。この天空城に残しておくのは危険すぎる……テンペストの本拠地へ持ち帰り、僕のラボで厳重に再管理する。」
「うむ。手際が見事だったな、カイル」
イグニスは自身の巨大な手を眺め、それから倒れているアレンを見下ろした。
「だが、根本的な解決にはなっていない。今回はお前の術と、俺の魔力で無理やり繋ぎ止めたが……アレンの器の歪さは、想像以上だぞ。」
「ええ……分かっています。」
カイルは眼鏡を指で押し上げ、険しい表情でアレンの左半身の火傷痕を見つめた。
「右腕の『聖鱗』だけでは、もうこれ以上の負荷には耐えられない。アレンが本当の意味で『白竜の翼』をその身に宿し、天空城の真の主となるためには……あの歪な器を、完成させる必要がある」
その時だった。
王座の間の片隅、周囲の空気を凍りつかせるほどの絶対的な圧力をまとった存在が、静かに腕を組んだまま、倒れるアレンを見つめていた。
――嵐の竜王「ゼピュロス」。
天空城奪還の戦いをその場で見届けていた彼は、ノクスが滅び、アレンが暴走する一部始終を、一歩も動くことなくただ冷然と観察していたのだ。
彼の周囲には、目に見えないほどの微細な風の刃が常に渦巻いており、ただそこに居るだけで肌が裂けそうなほどの緊張感が走る。
ゼピュロスはゆっくりと歩みを進め、エルザの腕の中でぐったりとしているアレンの姿を、感情の失せた冷淡な瞳で見下ろした。
「無様だな。」
その声には、怒りも、哀れみもなかった。
ただ、圧倒的な事実を告げるための冷徹さだけがあった。
「ゼピュロス……! 貴方、ずっとそれを見ていたのね……!」
エルザがアレンを庇うようにゼピュロスを睨みつける。
だが、ゼピュロスは彼女の視線を一瞥することすらせず、アレンの肉体を鋭く指差した。
「冷淡に言わせてもらえば、当然の帰結だ。致命的な欠陥を抱えたまま、分不相応な力を貪ろうとしたツケが回ったに過ぎん。」
ゼピュロスは冷たく言い放つ。
「なぜ、炉心のエネルギーを均等に支えるべきプロテクターである『聖鱗』が、右腕にしかない?」
その言葉に、カイルがハッと息を呑んだ。
「左半身に防壁がない、歪な器。それが今のあやつの正体だ。」
ゼピュロスはアレンの左半身に残る赤黒い火傷の痕を冷酷に睨みつける。
「『ドラグニルの心臓・炉心』という巨大な熱源を右だけで支えている歪な状態で、大空の遺産である『白竜の翼』をさらに宿そうなどと、傲慢の極み。今回はその魔導士の小細工と覇王の魔力で命を拾ったようだが、次に翼を宿した瞬間、負荷の偏りで左半身から確実に灰になる。一瞬でな」
「そんなの……じゃあ、アレンはどうすればいいのよ!?」
エルザが悲痛な声を上げる。
ゼピュロスはエルザの問いには答えず、ただアレンを見下ろしたまま冷たく告げた。
「その歪みを正せぬ限り、あやつに翼を名乗る資格はない。天空城の権限を奪い返したとて、扱えぬ刃など己を傷つけるだけの鉄屑だ。……精々、己の器の浅さを呪うがいい」
ゼピュロスはそれだけ言うと、興味を失ったように踵を返し、王座の間から去っていった。
あとに残されたのは、ただ冷え切った空気と、重苦しい沈黙だけだった。
「左半身の、防壁……」
エルザは、アレンの傷ついた左手を強く握り締めた。
邪悪の手先は塵へと還り、天空城は彼らの手に戻った。
しかし、アレンの身体に刻まれた『器の限界』という冷酷な現実は、彼らに新たなる、そしてこれまで以上に過酷な試練の始まりを告げていた。
カイルは、青く明滅するコンテナに歩み寄り、その表面にそっと手を置いた。
「ひとまずは、マグマリアへ戻ろう。アレン様の治療が最優先だ。そして……ゼピュロスの言う通り、アレンの左半身を護る『もう一つの防壁』を探す方法を、僕の全知識をかけて見つけ出す。」
窓の外からは、夜明けの光が差し込み始めていた。
美しく輝く天空城の最奥で、エルザはアレンの寝顔を見つめながら、静かに心に誓った。
彼がどれほどの闇に直面しようとも、その道を照らす烈火であり続けると。
過負荷の恐怖を乗り越え、完全なる器となるための新たな旅路が、今まさに始まろうとしていた。




