⑫反撃の算式と黒翼の影
上空で黒い闇の翼を広げ、禍々しい要塞へと変貌していく天空宮殿。その圧倒的な脅威を前に、地上ドックでは緊迫した避難誘導が始まっていた。
「テンペストの全住民、および負傷した一般兵はこれより、ヴァルキアスの第一師団とレイラの遊撃隊が護衛し、ドラグニル領内へと一刻も早く避難させる! カイル、ドラグニル側の受け入れ回線のハッキングを頼む!」
ガロウが鋼鉄の義手をきしませてレジスタンスの兵たちに指示を飛ばし、カイルが「お安い御用さ。」と不敵に魔導端末を叩く。
民の安全が確保されていくその傍らで、作戦全権を握るドラグニルとテンペストの二人の王は、立体魔力地図を挟んで激しい言葉の火花を散らせていた。
「おい、ゼピュロス! 御託はいい、我が竜王艇にドラグニルとレジスタンスの全火力を乗せ、あの黒い城の正面装甲ごと力任せにブチ破る! それが最も確実で手っ取り早い!」
イグニスが、大きな手を地図に叩きつける。
その褐色眼は獰猛な覇王そのものだった。
「相変わらず脳まで筋肉でできているな、イグニス。全くもって非合理的だ。」
毒の鎖を断ち切り、聡明なエメラルドグリーンの瞳を取り戻した風王ゼピュロスが、冷徹に鼻で嗤った。
「あの城の核にあるのは、我が『真空』の権能を乗っ取った闇、そして奪われた白竜の『翼』だ。正面から突っ込めば、君の自慢の竜王艇など、接近する前に大気の摩擦と真空の圧力で塵一つ残さず消滅する。」
「何だと、この鳥公が! ではどうする! お前が毒を盛られて寝込んでいたせいで、白竜の遺産をノクスに、ひいてはネロに明け渡す羽目になったのだろうが!」
「それを言うなら、君が闇に呑まれて白竜の『心臓』を暴走させようとしたのが事の始まりだろう。……だが、私の不手際で『翼』を奪われたのは事実だ。だからこそ、今度は完璧な数式(作戦)で奴らの不意を突く。」
二人の王が睨み合い、周囲の空気が熱波と突風でパチパチと爆ぜる。
アレンはフードを深く被り直したままため息をつき、エルザは苦笑いを浮かべながら大剣を握り直していた。
「……で、その完璧な作戦ってのは何なんだよ、風の王様。」
アレンが血のような赤眼をゼピュロスに向けると、ゼピュロスは指先で地図上を回る黒い天空城の一点を指し示した。
「奴らが『翼』の魔力を完全同化し、地上への広域殲滅陣を起動するまで、残された時間はあとわずか。
だが、城の最下部にある『天脈の昇降陣』の光柱の通り道――そこだけは、構造上、真空の結界を展開できない唯一の数式の『隙間』だ。」
「ほう……」
イグニスの目がギラリと光る。
「イグニス、君の竜王艇の最大出力を私に預けろ。我がテンペストの全風力と、君の紅蓮の熱量を掛け合わせ、リフトの光柱の軌道を逆流する【熱嵐の槍】を構築する。城の最下部、その一点のみに全火力を集中させ、結界の網の目を力任せに抉じ開けるのだ。」
「クク、ハハハ! なるほど、あの隙間から一気に内部へ本隊を流し込むわけか! 面白い、最初からそう言え!」
イグニスが獰猛に笑い、ゼピュロスもまた不敵に口元を歪めた。
「ただし、抉じ開けられる時間はコンマ数秒だ。その一瞬の隙に、敵の懐へ飛び込める『最大の特異点』が必要になる。」
二人の王の視線が、同時に白銀の髪の少年へと注がれた。
アレンの右腕の『炉心』と、すでに同化した『白竜の心臓』。
それは今も、上空の『翼』と激しく共鳴している。
「……ハッ、要するに俺の超神速で突っ込んで、あのノクスの虫ケラどもの首を獲ればいいんだろ?」
アレンは愛剣を抜き放ち、白銀の魔力をパチパチと滾らせた。
嫌がりつつも、その血のような赤眼にはバルドに叩き込まれた戦士の絶対の覚悟が宿っている。
「アレン、私も行くわ。君の右腕は、私の火が絶対に守り切るから。」
エルザがその隣に並び立ち、カイルが「僕の魔導誘導も忘れないでくれ給え?」と微笑む。
「よし、作戦は決まった! テンペストの民の避難が完了し次第、あの闇の城を天から引きずり下ろすぞ!」
言い合いながらも、かつての最強の信頼を取り戻した二人の覇王の咆哮が、反撃の灯火となって地上ドックを包み込んでいった――。
【熱嵐の槍】作戦の全容が固まり、全軍が突入への牙を研ぎ澄ませたその刹那だった。
上空で黒紫色に染まった天空宮殿の底辺から、キィィィィンという鼓膜を引き裂くような高周波の駆動音が響き渡る。
「――っ、敵の広域殲滅陣の『主砲』が、この地上ドックへ照準を固定した! 起動まであと数分もないぞ!」
カイルが火花を散らす魔導端末を睨みつけ、声を荒らげる。
一刻の猶予もない最悪のタイミング。
だが、さらに戦場を凍りつかせたのは、結晶塔の壁面全体を覆い尽くすようにして浮かび上がった、巨大な闇の魔法陣だった。
染み出してくるのは、ノクスの手先たちのものとは格が違う、世界そのものを呪うかのような漆黒の魔力。
そこに、輪郭を曖昧にしながら現れたのは、どろりとした闇を身に纏い、すべてを嘲笑うかのような不気味な男の幻影――ノクスを支配する深淵の主、ネロだった。
『――ふふ、随分と賑やかな虫籠(作戦会議)だね。トカゲの王たちが揃って正気に戻るとは、少しだけ計算が狂ったよ。』
通信魔法を媒介にして響き渡るネロの幻影の声。
その音が耳に届いた瞬間、前線にいたアレンの身体が、まるで落雷に打たれたかのように激しく硬直した。
「が……っ、あ、頭が……ッ!?」
アレンは愛剣を地面に落とし、両手で頭を抱え込んでその場に激しく蹲った。
彼の脳裏に、今まで綺麗に消されていたはずの、暗い奈落の記憶の断片が、ネロの姿と声に呼応するようにして濁流となって濁り狂う。
衣服の袖を突き破るようにして、右腕の『白竜の聖鱗』が、白銀ではなく禍々しい黒紫色の脈動を刻み、引きちぎれんばかりの頭痛がアレンの精神を内側から破壊し始めていた。
「アレン!? しっかりして、アレン!」
エルザが驚愕し、すぐにアレンの体を支えようと手を伸ばす。
しかし、その時アレンから発せられる拒絶の魔力は、竜人族の彼女すら触れられないほどに凶暴だった。
『おや、そこにいるのは、私の可愛い『最高傑作』じゃないか。バルドという人間に拾われて英雄ごっこかい? 君の赤眼も、その白銀の髪も、すべては私が与えた歪みなのにね。』
ネロの幻影が、蹲るアレンを歪に嗤いながら見下ろす。
その光景を、凄まじい眼光で見つめていたのはイグニスとゼピュロスだった。
アレンの頭痛のタイミング、そしてネロの不気味な言葉。
二人の覇王の驚異的な洞察力は、アレンの出生に隠された最悪の真実を瞬時に看破していた。
「――そうか。アレンの記憶を弄び、その肉体に変貌を植え付けたすべての元凶は……ネロ、お前だったのだな。」
イグニスが胸を押さえながらも、全身からネロの幻影を焼き殺さんばかりの、怒りの熱波を爆発させる。
「完璧を愛する私が、最も嫌悪する歪み(バグ)の構造だ。人間の少年にこれほどの呪いを施し、操り人形で終わらせようなどと……」
ゼピュロスもまた、エメラルドグリーンの瞳に冷徹極まりない怒りの風を纏わせ、ネロの幻影を睨みつけた。
ネロの精神攻撃によってアレンは極限の頭痛に喘ぎ、天空城の主砲は地上を狙っている。
だが、二人の王、そしてエルザたちの闘志は、ネロの邪悪を前に、これまで以上に苛烈に燃え上がっていた。
「が、ああああああッ……!!」
ネロの幻影が放つ不気味な声と深淵の魔力に当てられ、アレンは結晶の床に両手を突き、のたうち回っていた。
脳裏を裂くように蘇る、冷たくて暗い奈落の記憶。
衣服の袖を破って露わになった『白竜の聖鱗』は、黒紫色の闇の雷をパチパチと放ちながら暴走し、彼の白銀の髪すらも不気味な黒に染め変えようとしていた。
『そうだよ、もっと苦しむといい。君は最初から、私が白竜の力を宿すために造り出した『器』に過ぎない。さあ、その呪いに身を任せて、私の元へ戻って――』
「――うるさい、このクソ野郎が!!」
ネロの嘲笑を切り裂いたのは、凛とした、しかし凄まじい怒りを孕んだ少女の叫びだった。
エルザはアレンの右腕から放たれる、肉を焼き焦がすほどの黒紫色の雷撃を怯むことなく突き抜け、蹲るアレンの体をその両腕で強く抱きしめた。
「がはっ……!? エルザ、離れろ……! 俺に触れるな、肉が溶けるぞ……!」
アレンは血のような赤眼を狂気に染めながら叫ぶ。しかし、エルザは唇を噛み締め、その口元から竜人族特有の鋭い八重歯を覗かせながら、自らの気高き「火」の魔力を全開にした。
「離さない……! 絶対に離すもんですか……!」
エルザの全身から溢れ出たのは、バルザックへの復讐のために燃えていたかつての暗い炎ではない。
アレンと共に死線を潜り抜け、運命を共にする最初の相棒となった彼女が宿す、未来を照らす純粋な『烈火』。
その温かい火の魔力が、アレンの右腕の『聖鱗』を外部から優しく、しかし強固に包み込み、ネロの闇の暴走を無理やり押さえ込んでいく。
「アレン、私の目を視て!!」
エルザはアレンの顔を両手で挟み込み、その血のような赤眼を正面から真っ直ぐに見つめ返した。
「過去に何があったかなんて関係ない! 君が誰に造られたかなんてどうでもいい! 君は、呪いを解くために必死に生きて、目の前の危機を見捨てられなくて、ため息をつきながらも私を助けてくれた……! 冷静で、現実主義で、誰よりも漢気がある『アレン』よ!」
エルザの痛切で気高き覚悟が、アレンの脳裏を埋め尽くしていたネロの呪詛を、力任せに焼き払っていく。
「君はネロの人形なんかじゃない!! 私の、世界一の私の相棒よ!!」
エルザの叫びが、アレンの精神の檻を真っ二つに打ち破った。
「――っ、はあぁぁぁぁぁッ!!」
アレンの目から狂気の黒が消え去り、澄み渡るような血の赤眼が甦る。
右腕の『聖鱗』から黒紫色の闇が霧散し、すでに同化した『白竜の心臓』のまばゆいばかりの白銀の輝きが、エルザの火と融け合いながら王宮ドックを爆発的に満たした。
「……ハッ。相変わらず、暑苦しいお節介を焼いてくれるな、エルザ。」
アレンは荒い息を吐きながらも、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
その白銀の髪は、前にも増して神秘的な光を放っている。ネロの精神攻撃を完全に克服し、自らの宿命の路を、彼は今度こそ自らの意志で歩み始めたのだ。
『チッ……。呪いのバイパスを焼き切ったか。生意気な羽虫どもめ、500年前のあの女といい、あいつそっくりのその憎たらしい顔を見ると殺したくてどうしようもなくなるよ。』
ネロの幻影が初めて不快そうに顔を歪めた。
「貴方が誰と私を重ねてるか知らないけど、アレンは絶対渡さないわ!」
「お前の相手は俺たちだ、ネロ!!」
アレンは愛剣を鋭く引き抜き、超神速を発揮すべく、大地へと深く踏み込んだ。
エルザがその隣で大剣を構え、イグニスとゼピュロスが獰猛な笑みを浮かべる。
主砲の発射まで、あと僅か。
アレンの完全復活とともに、天空城を撃ち落とす【熱嵐の槍】作戦の、本当の引き金が引かれようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ネロの精神の檻を打ち破ったアレン。
彼の右腕から溢れ出た『白竜の心臓』のまばゆい白銀の魔力と、エルザの気高き純粋な烈火の魔力は、王宮ドックの空間を震わせるほどの巨大な光の渦となって爆発した。
「――この莫大な魔力の余波……。くく、これ以上の極上な『燃料』はないよ!」
その瞬間、第三師団主席魔導参謀カイルの、冷徹な目が怪しくギラリと光った。
彼は火花を散らしていた魔導端末の数式を即座に書き換え、アレンとエルザが放った純白と紅蓮のエネルギーの残滓を、自身の魔術回路へと強引に巻き取っていく。
「カイル、何を企んでいるの!?」
エルザが叫ぶ。
カイルはキーボードを叩く指を止めず、不敵な笑みを深くした。
「企むだなんて人聞きが悪いな。僕はただ、おもちゃを横取りされたお返しをしたいだけさ。……テンペストのメインサーバー、および上空の天空城の『主砲』へ向け、アレンくんたちの魔力波形をバイパス接続! 逆流を開始する!」
キィィィィィィィン――ッ!!
地上ドックを狙っていた天空城の巨大な主砲の砲口。そこに集束しつつあった禍々しい黒紫色の闇の魔力に、カイルが逆流させた白銀と紅蓮の光の奔流が、真っ向から強制注入された。
『警告:未知の魔力コードが主砲制御システムへ侵入。逆流検知。エラー、エラー――』
天空城の内部で、ノクスの魔導兵たちの悲鳴のような警告音が鳴り響く。
「な、何だと……!? 地上からのハッキングだと!? 主砲のエネルギー充填率が……制御不能、150%を超えて上昇していく!?」
王座の間で人質を盾に嗤っていたノクスの竜神族達が、その計算外の事態に初めて顔を青ざめさせた。
「完璧を愛するゼピュロス王のシステムだ。一度バグ(特異点)を流し込めば、処理を誤って自壊するようにできているのさ!」
カイルが冷酷に宣告すると同時に、最後のエンターキーを強く叩きつけた。
「――暴走しろ、ノクスの虫ケラども!」
ドォォォォォォォンッ!!!
地上へ放たれるはずだった天空城の主砲が、内部から臨界点を迎えて大爆発を起こした。
禍々しい黒紫色のエネルギーが城の内部へと逆流し、宮殿の右翼部といくつかの結晶塔が一瞬で木っ端微塵に吹き飛ぶ。
ノクスの竜神族の精鋭たちがその大爆発に巻き込まれ、断末魔の叫びを上げて塵へと還っていった。
『チッ……! どこまでも合理的ではない、不愉快なノイズどもめ……!』
激しい大損害を受け、結晶壁に浮かび上がっていたネロの巨大な幻影が、今度こそ完全にノイズを走らせてかき消えた。
「クク……、ハハハ! 手際が良いな、カイル! 敵の主砲ごと右翼を消し飛ばすとはな!」
イグニスが獰猛に笑い、ゼピュロスもまた不敵に口元を歪めた。
「私の数式の弱点をこれほど美しく利用するとはね。竜神族の魔術師としては合格だ、カイル。」
「さあ、お褒めの言葉は後にしてくれ給え、二人の王様。」
カイルは煙を吹く端末を閉じ、上空を見上げた。
主砲の暴走による大爆発で、天空城の最下部を守る真空の結界が、今まさに大きく歪み、引き裂かれている。
「最高の突入の隙間ができた。……アレン様、エルザ、僕の後に遅れずについてきてくれ給え!」
カイルのカウンターハックによってノクス側に決定的な大打撃を与え、天嵐の城へ攻め込むための最大の勝機が完全に整った――。




