幕間① 「白竜と竜脈」
マグマリアの事件が解決を迎えてからというもの、アレンを取り巻く環境は激変していた。
王宮に滞在する竜神族や竜人たちは、アレンに対して異常なほど手厚く、そして過保護な態度で接してくるようになった。
ただの人間として泥にまみれて生きてきたアレンにとって、それは居心地が悪いというレベルを通り越し、精神的な苦痛ですらあった。
「竜族、特にあの竜神族のやつらは、やけに俺のご機嫌をとるみたいに敬うが……アレは一体なんなんだよ」
アレンは不機嫌な態度を隠しもせずに上等なベルベットのソファにもたれ掛かり、ぷいと顔を背けた。
眉間には深い皺が刻まれているが、どこか子供が拗ねているようでもある。
差し出された高級な紅茶をチラリと横目で睨み、しかし手を伸ばそうとはしない。
「あらあら、我らが白竜様はお疲れの様だね」
カイルが端正な顔立ちに意地の悪い笑みを浮かべ、眼鏡のフレームを軽く触りながらアレンをニヤニヤと見つめる。
アレンのこの分かりやすい拒絶反応すら、彼にとっては格好の娯楽であるようだった。
「当然の扱いだろう。アレン、お前の存在は竜族全体、かつこの大陸の存続に大きく関わっているからな」
対照的に、イグニスは腕を組んだまま、燃えるような真紅の瞳にいつになく真剣な眼差しを宿して答えた。
その声には冗談や誇張の気配が一切ない。
「なんで俺がそんなものに影響を及ぼすんだよ。俺はついこの前まで、ただの人間だったんだ。白竜の魔力を引き継いだか何だか知らないが、中身が急に変わるわけないだろ……ばか」
「アレン様は、白竜帝の存在が『竜脈』にどれほど影響を及ぼすか、本当に何も知らないのかい?」
カイルが呆れたように、しかし愛おしそうなものを見る目で問いかける。
「竜脈? ……さっきから聞いていれば、何なんだその竜脈というのは。白竜はかつて、五人の竜王を生み出してこの大陸を統治させていたんだろ。昔話の本で読んだ。その竜脈とやらが何なのかは知らないが、俺個人にどう関係あるっていうんだよ」
「はぁ……。本当に何も知らないんだね、あなた様は。よくそれで今まで生きてこられたものだよ」
カイルはわざとらしく深い溜息をつき、手元のティーカップをソーサーに戻した。
その一連の仕草すら計算されたように優雅で、アレンの苛立ちをいっそう煽る。
「カイル、からかうのはその辺にしておけ。アレン、お前が知らないのも無理はない。白竜帝と竜脈のシステムは、我ら竜神族の中でも限られた上位種にしか口伝を許されていない絶対の秘匿事項だからな」
イグニスが腕を組み、厳粛な面持ちで口を開いた。
その眼光の鋭さに、アレンはソファの背もたれから少しだけ上体を起こす。
「君の言う通り、初代の白竜帝アルヴァ様は五人の竜王を生み出し、この世界を分け与えて統治させた。だけどそれは、ただの領土拡大や権力の分散なんて安い理由じゃないんだ。この大陸の地下深くには、巨大な魔力の奔流が網の目のように張り巡らされている。……それこそが『竜脈』だ。そして、そのエネルギーを世界中へ安定して循環させるための『制御装置』として各土地に配置されたのが、五人の竜王たちなんだよ」
「制御装置……。じゃあ、その上に立つ白竜は何なんだよ」
アレンの眉がさらに深くひそめられるが、その瞳は好奇心と一抹の不安で揺れていた。
「心臓を動かすための『核』、あるいは世界の『天秤』そのものだ」
イグニスが言葉を継ぐ。
「五人の竜王がどれほど強大であっても、それは白竜帝という絶対的な存在から分け与えられた力に過ぎない。白竜帝の魔力が完全に枯渇するか、あるいはその存在がこの世界から消滅すれば、五人の竜王という制御装置は機能を失い、竜脈は制御を失って大暴走を始める。数年と経たずに、この大陸のすべての生命は死に絶えるだろう」
アレンの喉が引きつった。
自分の背負っているものの重さが、文字通り世界の命運そのものであると突きつけられたからだ。
「つまりね」
カイルがアレンの顔を覗き込むようにして、意地の悪い、けれどどこか同情の混じった笑みを浮かべる。
「いまや君の機嫌一つ、健康状態一つで、この大陸の全生命のカウントダウンが始まるかもしれないってわけさ。彼らが君を腫れ物に触るように扱い、過保護になるのも当然だろう? 君に万が一のことがあれば、僕たちもろとも世界が滅びるんだからね」
「ふ、ふざけるなよ……っ!」
アレンは耳までほんのり赤くしながら、カイルを睨みつけた。
「俺はただの人間として育ったんだ。剣を振って、明日の食いぶちを稼いで……そんな風に生きてきたんだよ。それが急に、世界の命運だの、竜脈の安定だの、知るか! なんでそんな大層なものが、俺みたいな人間に宿ってなきゃいけないんだよ……!」
「だが安心しろ、アレン。お前にその自覚がなくとも、お前が健やかに生き、その存在をここに留めているだけで竜脈は自然と安定する。お前が世界のために何かを犠牲にする必要はない」
イグニスが少しだけ表情を和らげ、アレンを見つめる。
「そうそう。だから君は、ただ大人しく僕たちの庇護下で甘やかされていればいいんだよ。それが世界の平和に直結するんだからね。ほら、これはマグマリア特産の希少な果実を使った焼き菓子だ。あげるよ」
カイルが不敵な笑みに戻り、アレンの前に菓子皿を差し出す。
「……お前たちのその態度が、一番疲れるんだよ。別に、お菓子につられたわけじゃないからな!」
アレンは盛大に溜息をつき、ぷいと横を向いたまま、差し出された菓子をひったくるようにして口に放り込んだ。自分の体の中に眠る宿命の重さに、アレンはただ頭を痛めるしかなかった。
◇◇◇◇◇
アレンが不機嫌そうに、しかし美味しそうにクッキーを咀嚼していると、部屋の重厚な扉が、切羽詰まった様子でトントンとノックされた。
「アレン様! 失礼いたします!」
入ってきたのは、王宮に仕える竜神族の若き近衛兵だった。その手には白竜草の煎じ薬や、何やら怪しげに光る特製魔法毛布が山のように乗っている。
「……おい。それは何なんだよ、一体」
アレンがジト目で冷たく問い詰めると、近衛兵は感極まったような表情で、その場に膝をついた。
「アレン様が先ほど、ほんの少しだけ『頭を痛めている』との報告を受けまして! すぐさま極上の癒やし効果を持つ薬をお持ちいたしました! どうか、どうかご無理をなさらないでください!」
「……ただの考え事をしていただけだっ! どこからそんな情報が漏れてるんだよ! 頼むから全員出て行ってくれ!」
アレンが顔を真っ赤にして怒鳴ると、近衛兵は涙ぐみながら退室していった。毎日朝から晩まで続くこの過保護な扱いに、アレンの精神は限界に近づいていた。
「くははは! 相変わらずの歓迎ぶりだね」
カイルが楽しげに笑う。
「笑い事じゃないだろ、カイル! 毎日これなんだぞ!?」
アレンはソファの上でクッションを抱え込み、そこに顔を半分埋めながら抗議した。
「朝、飯を食えば『喉に詰まらせては大変だ』と、肉の一切れまで細かく刻まれるし、庭を少し歩けば『転んで擦り傷でも作られたら大変だ』と、長老連中が後ろからぞろぞろ付いてくるんだぞ! トイレの前にまで結界魔術師が三人張り付いているんだ。恥ずかしくて死にそうなんだよ!」
「まあ、彼らにとっては冗談抜きで世界存亡の危機だからね。でも、そんな風に安全な温室の中で甘やかされていられるのも、そう長くはないかもしれないよ」
カイルのその言葉を境に、部屋の空気が一瞬にして引き締まった。
「……フン、そうだな。いつまでもこうしているわけにはいかない」
アレンはクッションを放り出し、静かに呟きながらその瞳に強い光を宿らせた。
「俺は俺のやり方でやらせてもらう。いくら世界がどうのと言われようが、俺自身の足でケリをつける。後ろで震えているだけの神様なんて、絶対に御免だ」
不敵に、しかしどこか幼さの残る強がりな笑みを浮かべるアレンを見て、カイルは楽しげに溜息をつき、イグニスは口元をわずかに綻ばせた。
◇◇◇◇◇
その日の深夜。
王宮が深い静寂に包まれた頃、アレンは一人、寝室で旅支度を整えていた。
背負い式の大剣をしっかりと固定し、窓枠に足をかける。
「このままあの温室に閉じ込められていたら、頭がおかしくなる。力の制御方法を見つけるためにも、俺は一人で王宮を出る……」
そう呟いて闇に飛び降りようとした瞬間、背後から聞き覚えのある呆れたような声が響いた。
「おやおや、夜遊びかい? アレン様」
「なっ……! カイル!? なんでここに……」
振り返ると、そこには腕を組んで壁にもたれかかるカイルと、その隣に静かに佇むイグニスの姿があった。見つかってしまった気まずさに、アレンは猫のように身を硬くする。
「お前が大人しく長老たちの言うことを聞くはずがないからな。見張りをあらかじめ下がらせておいて正解だった」
イグニスがため息混じりに歩み寄ってくる。アレンは「うっ……」と言葉に詰まり、大剣の柄をぎゅっと握りしめた。
「止めるつもりなら、力ずくでも通らせてもらうからな! 俺は、誰かに守られてばかりの操り人形にはなりたくないんだ!」
「誰も止めるとは言っていないだろう。本当に、君はすぐに爪を立てるね」
カイルが苦笑しながら歩み寄り、アレンの頭をぽんぽんと乱暴に撫でた。
「な、何するんだよ! 子供扱いするな!」
「子供だろう。僕たちから見ればね。……ほら、これを持っていきなよ」
カイルが手渡してきたのは、王宮の外へと繋がる隠し通路の鍵と、マグマリアの周辺地図だった。さらにイグニスが、自らの魔力を込めた守護の魔石をアレンの首に無言でかける。
「自分の力は、自分でコントロールしたいんだろ? なら、行って確かめてこい。ただし、無茶をして傷一つでも作ってみろ。その時は力ずくで連れ戻して、今度こそ一生部屋から出さないからな」
「イグニス……」
二人の不器用な優しさに、アレンは顔を上気させ、照れ隠しにふいと視線を斜め下に落とした。
「……別に、感謝なんてしてないからな。お前たちが勝手に手助けしたんだから。……でも、ありがと」
蚊の鳴くような声で最後にお礼を言うと、アレンは窓から軽やかに夜の闇へと飛び出した。その背中で、白い閃光のような魔力が静かに、しかし力強く脈打ち始めていた。
残された二人は、窓の外の夜空を見つめる。
「本当、可愛げのない白竜様だね」
「だが、あれでなくては白竜の呪縛に打ち勝つことはできまい」
カイルとイグニスは静かに微笑み合い、若き主の背中を闇の向こうへと送り出した。




