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⑪奪われた翼

 カイルの毒素中和術式により、ゼピュロスの体からノクスの禁忌毒が霧散していく――。

その救済の瞬間の、まさに死角から、最悪の『本命』が這い出してきた。

 

キィィィィィィン――ッ!!

 天空宮殿の王座の背後、黒い闇のオーラが最も濃く渦巻いていた空間が歪み、不気味な気配を纏ったノクスの竜神族の精鋭たちが、その真の姿を現した。

彼らの中心に立つ、蛇のような瞳を持つノクスの長が、結晶の床へ不気味な闇の楔(くさび)を突き立てる。


「くくく……、毒を中和したところで、もう遅いのだよ! 我々の本当の狙いは、この男の命などではない!」

 直後、宮殿の最深部、ゼピュロスが自身の『真空』の領域で命を削りながら最後まで隠し通し、守り続けていた隠し祭壇が爆音と共に剥き出しにされた。

そこにあったのは、アレンの右腕の『炉心』や『心臓』と同じ、世界のシステムを作った創造主の遺産――白銀に輝く、巨大な『白竜の翼』だった。


「あれは……! 白竜アルヴァ様の遺産の一つ、翼だと……!?」

 イグニスが抉れた胸を押さえながら眼を見開く。


「そうだ! ゼピュロスが自国の民を人質に取られながらも、我が主ネロに最後まで渡さなかった最後の抵抗……。だが、お前たちが防空網を崩壊させたことで、我がノクスの闇がこの宮殿の最奥へ完全に浸食する『隙』ができたのだ!」

 ノクスの長の邪悪な笑声とともに、黒い闇の鎖が白銀の翼へと絡みつき、そのまばゆい輝きを一瞬でどす黒い闇へと塗りつぶしていく。

創造主の遺産である『翼』を奪い取った瞬間、天空宮殿全体の結晶の色が、エメラルドグリーンから禍々しいノクスの黒紫色へと一変した。


『エラー:宮殿の制御権が、上書きされました。防衛術式、反転――』

 カイルの魔導端末から、けたたましい警告音が鳴り響く。


「しまっ……! 『白竜の翼』を核にして、天空城のシステムそのものが完全に乗っ取られた! 術式が僕たちを『異物』として排除しようとしている!」

「アレン、危ない!!」

 エルザが叫び、大剣を振るって迫り来る闇の触手を切り裂く。

しかし、乗っ取られた天空城そのものが放つ、凄まじい空間の「拒絶波」は、個人の魔力で防げる次元を遥かに入り組んでいた。


「ぐ、あああああッ!!」

 アレンの右腕の『聖鱗』が、奪われた翼の不気味な咆哮に共鳴し、引きちぎれんばかりの激痛を上げる。世界一の超神速を発揮する足場すら、宮殿の床そのものがドロドロとした闇の底へと沈み込んでいく。


「小細工、を……ッ!!」

 激昂したイグニスが紅蓮の劫火を放ち、ノクスの長へ突撃しようとしたが、それよりも早く、宮殿全域から凄まじい衝撃波が炸裂した。


 ドォォォォォォォンッ!!!


それは、侵入者を強制排斥するための、天空城の絶対権限。

アレン、エルザ、カイル、そして満身創痍のイグニスと、復帰したばかりのゼピュロスの5人は、抗う術もなく強大な空間の歪みによって、天空城の遥か上空から一斉に外へと弾き出された。

眼下に広がるのは、白い雲海と、遙か彼方の地上。

背後で見上げる天空宮殿は、今や黒い闇の翼を広げた巨大な空飛ぶ要塞と化し、ノクスの完全なる支配下へと堕ちていた。

 絶体絶命の空中放り出し。

世界一の超神速を持つアレンといえど、空中に足場はなく、5人の身体は激しい風を浴びながら、真っ逆さまに落下を始めた――。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


 雲海を突き抜け、真っ逆さまに地上へと落下していく5つの影。空中に足場はなく、吹き荒れる烈風がアレンたちの視界と呼吸を奪う。

満身創痍のイグニスや、負傷を堪えるエルザ、魔術詠唱のできないカイルでは、この超高度からの墜落死を回避する術はなかった。

「チッ……! 空中じゃ、踏み込み(神速)が利かない……!」

 アレンが赤眼を剥き、激しい風の中で右腕の『聖鱗』をきしませる。

だが、その絶望の空中放り出しの中で、一人の男が静かに目を覚ました。


「――我が完璧な数式に、これほどの『愚行』を残したまま、終わらせるわけにはいかん。」

 その声は、掠れてもいなければ、狂気にも満ちていなかった。

ノクスの遅効性禁忌毒から完全に解放され、かつての聡明な理知を取り戻したテンペストの真の王――風王ゼピュロスである。

ゼピュロスは落下しながら、濁りの消えたエメラルドグリーンの瞳を鋭く光らせた。

彼が残されたすべての魔力を解放した瞬間、宮殿を乗っ取ったノクスの闇を吹き飛ばすほどの、清涼で圧倒的な『本物の風』が天空に満ちていく。


キィィィィィィィン――ッ!!

 

 落下する5人の身体を包み込んだのは、肉を削ぐ暴風でも、息を詰まらせる真空でもなかった。

それは、大気そのものが意思を持ったかのような、信じられないほど暖かく、そして強固な「優しい風のクッション」だった。


「これは……! 風の魔力をこれほど精密に、かつ均一の圧力で制御するなんて……!」

 カイルが落下の衝撃が完全に殺されていく感覚に、魔導魔術師としての驚嘆の声を上げる。

 ゼピュロスの編み出した天嵐の抱擁は、アレン、エルザ、カイル、そして巨体のイグニスをも等しく包み込み、凄まじい落下のエネルギーを静かに減速させていった。


ドォォォォォン……。

 

地響きのような音を立ててリフトの基部ドックへと、5人は一歩の衝撃もなく、無傷で静かに着地を果たした。

周囲で大動揺していたテンペストの一般兵や住人たちが、信じられないものを見る目で彼らを取り囲む。

しかし、その中心で堂々と立ち上がったゼピュロスの威厳ある姿を見た瞬間、兵士たちの間に電流のような衝撃が走った。


「ゼ、ゼピュロス様……!? 雰囲気が、元に戻られている……!」

「我が民よ、これまで不甲斐ない姿を晒し、恐怖を強いたことを許してくれ。」

 ゼピュロスは静かに兵士たちを見据え、かつての聡明な声で告げた。


「我が天空宮殿は、ノクスの蟲けらどもに占拠された。白竜の『翼』も奪われた。……だが、我が風はまだ死んではいない! ドラグニルと人間の戦士たちよ、私の不手際で最大の危機を招いた。……どうか、この歪んだ数式を正すために、私に力を貸してほしい!」

 王の真摯な言葉に、テンペストの兵士たちの瞳に、盲信ではなく「真の忠誠」の炎が灯る。


「クク……、ハハハ! よくぞ言った、ゼピュロス! その言葉を待っていたぞ!」

 巨体を揺らし、イグニスが獰猛な覇王の笑みを浮かべて大剣を引き抜いた。

「ノクスにいるネロめ、白竜の『翼』まで奪って何を企むか知らんが……、ドラグニルとテンペストの双璧が揃った今、あの黒い城ごと叩き落としてやるわ!」


「アレン、準備はいい? 城は乗っ取られたけれど、最高の協力者が味方になったわ。」

 エルザが大剣に気高き火の魔力を纏わせ、頼もしい相棒としての笑みをアレンに向ける。


「……ハッ、王様が二人か。ますます英雄ごっこが本格的になってきたな。」

 アレンはため息をつきながらも、フードの隙間から白銀の髪をなびかせた。

上空を見上げれば、黒い闇の翼を広げて暴走を始める天空宮殿。

ノクスの邪悪を完全に噛み砕くため、ドラグニル、レジスタンス、そして正気を取り戻したテンペストによる、空前の「天空城奪還作戦」の火蓋が切って落とされた――。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 天脈の昇降陣(グランド・リフト)の基部ドック。正気を取り戻した風王ゼピュロスと覇王イグニス、そしてアレンとエルザが次なる一手を見据えたその時、ドックの重厚な隔壁が外側から凄まじい地鳴りとともに押し開けられた。


「――おいおい、ずいぶんと派手な空中散歩を楽しんでたみたいじゃねえか、アレン!」

 吹き荒れる土煙を切り裂き、最初に姿を現したのは黒狼の血を引くレジスタンスの将、ガロウだった。

顔の左半分の火傷痕を凶悪に歪め、鋼鉄の義手をきしませながら大剣を肩に担いでいる。

彼の背後からは、国境の死闘を制した第四師団の隠密班、そして息を荒くしながらも闘志を失っていないレジスタンスの本隊が、怒涛の勢いで雪崩れ込んできた。


「ガロウ! 無事だったんだね!」

 エルザが声を弾ませる。

ガロウの隣からは、防魔隠密衣『夜帷』をなびかせた第四師団長バルドムが、音もなくイグニスの前へと進み出て深く頭を下げた。


「イグニス様、国境のニルヴァおよびハヤテの身柄は完全に拘束いたしました。テンペストの防空網が消失した混乱に乗じ、レジスタンス本隊とともにこれより本陣へ合流いたします。」

「うむ。大義であった、バルドム、ガロウよ」

イグニスが満足げに頷く。


「――待たせたな。こちらも、ただ指をくわえて見ていたわけではないぞ!」

 さらに上空の雲海を割って、白銀の極光を纏ったドラグニルの竜王艇が滑り込んできた。

甲板から鮮やかに飛び降りてきたのは、第一師団長「極光の龍神」ヴァルキアス。

そして、その傍らには、大剣を握る遊撃隊長レイラが、一人の身柄を支えるようにして立っていた。


「シルフ……!」

ゼピュロスの目が、レイラの腕の中で意識を取り戻しつつある第一近衛師団長シルフへと向けられる。

彼女の蒼き鎧は砕けていたが、そのクールな瞳には、王の変貌に対する迷いはもうなかった。


「……ゼピュロス様。戻られたのですね。……私の、計算違いでした。王がバグに侵されていたのではなく、王の鎖を断ち切るための数式が、私には足りなかった……」

「シルフ、苦労をかけた。お前の矜持は、何一つ間違ってはいない。」

 ゼピュロスが歩み寄り、優しく彼女の肩に手を置く。

その光景を見たテンペストの一般兵たちから、地鳴りのような歓声が湧き上がった。

 これで、すべての戦力がこの地上へと一堂に会した。

 アレン、エルザ、カイル。

正気を取り戻した双璧、イグニスとゼピュロス。

ドラグニルの軍神ヴァルキアス、遊撃のレイラ、影のバルドム。

そして、レジスタンスを率いる不屈の将、ガロウ。


「さて、役者は揃ったね。」

カイルが魔導端末の数式をきらめかせながら、全員を見渡して不敵に笑う。

「上空で暴走しているあの黒い天空城。ノクスの長は『白竜の翼』の魔力を核にして、地上すべてを消し去るほどの広域殲滅陣を起動しようとしている。一刻の猶予もないよ。」

「上等だ。ノクスにいるネロだか何だか知らないが、俺たちの世界をこれ以上掻き回されてたまるか!」

 アレンはフードを深く被り直し、白銀の魔力を滾らせる右腕の『聖鱗』を固く握りしめた。

世界を救う英雄譚に興味はなくても、目の前の大切な仲間たちと、バルドが遺した導きのために、彼の超神速はすでに臨界点を迎えていた。


「皆の者、これが最後の戦いだ! 我らが双璧の炎と風、そして人間の牙を以て、あの忌むべき闇の城を叩き落とすぞ!」

 イグニスとゼピュロスの、二つの王の覇気が戦場を支配する。

 ドラグニル、テンペスト、レジスタンスの全軍が一つとなり、黒い要塞と化した天空城へ向けた、前代未聞の「総力突撃作戦」の幕が上がった――。

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