⑧進軍ー3
天嵐の防壁が沈黙した後、ドラグニルの王宮の飛行ドック。
そこには、赤茶けた装甲に覆われ、地脈の熱エネルギーを動力とするイグニス王の巨大な竜王艇が、地鳴りのような轟音を立てて浮上していた。
船体から漏れ出る熱気が周囲の大気を陽炎のように揺らす中、風の防空網が完全にシャットダウンしているわずかな空白を突くべく、最終決戦へのタラップが下ろされる。
上空のシルフを無力化したヴァルキアスとレイラは、マグマリアの防衛と国境の後方支援、そしてシルフの身柄を確保するために居残ることが決まった。
風王の寝所へカチコミをかけるのは、この世界のシステムを狂わせる「特異点」たちだけだ。
「――全回路同調維持。結界が落ちている時間はあと僅かだ。アレン様、僕のナビゲートから一瞬も遅れずについてきてくれ給え。」
いつもの軽薄な笑みを消し、魔導端末を操作しながら、カイルが最初に乗り込んだ。
彼の頭脳と術式ナビゲートがなければ、テンペストの領内を正確に突き進むことはできない。
「アレン、準備はいい? 右腕の負担は、私が『火』の魔力でいくらでも外部から抑え込んであげるわ。」
大剣を背負い、痛々しい怪我を気力で押さえ込んだ竜人族の少女エルザが、アレンの隣に並んだ。
仇敵バルザックを討ち、復讐を終えた彼女の瞳には、今度はアレンと共に運命を切り開くという、相棒としての気高き覚悟が宿っている。
「ハッ、何度も言わせるな。置いていかれないように気をつけろ、エルザ。……心臓の力が暴れないように、しっかり頼む。」
フードを深く被り、血のような赤眼を鋭く光らせた少年アレンが、ため息をつきながらタラップを踏みしめた。
右腕の『白竜の炉心』と、すでに同化を完了した『白竜の心臓』は、これから向かう風王の不気味な魔力を察知し、衣服の奥でドクドクと白銀の脈動を強めている。
そして、船の甲板で彼らを迎えたのは、――紅蓮の竜王イグニスだった。
体からの熱気は凄まじく、正気を取り戻した王の威厳が、その場にいる全員の背筋を伸ばさせる。
「クク、皆同様に良い面構えだ。我が竜王艇の乗り心地、冥土の土産にさせてやるなよ。……征くぞ、かつての盟友の目を覚ましにな!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アレンの【白銀の矢】によって防空網がパニックを起こし、完全に沈黙している時間は残り数十秒。
アレン、エルザ、カイル、そして覇王イグニスを乗せた竜王艇は、その神速が作り出した一瞬の『風の隙間』へと猛烈な速度で突っ込んだ。
「――正面、風の防壁の消失を確認! だが、システムが強制再起動しようと喘いでいる! 左右から大気の圧力波が戻ってくるぞ、衝撃に備え給え!」
カイルが魔導端末の数式に冷徹な視線を走らせながら叫ぶ。
船の行く手には、モーセの海割りのように引き裂かれた暴風の壁が、左右にそびえ立っていた。
本来なら一歩触れただけで船体を消滅させる、エメラルドグリーンの超圧縮された天嵐の障壁。
それが、今やアレンの創造主コードによって拒絶され、ギチギチと悲鳴を上げながら無理やり押し広げられている。
その光景は、まるで巨大な暴風のトンネル、あるいは世界の引き裂かれた裂け目そのものだった。
「くっ、すごい風圧……! 結界が閉じる方が早いか、私たちが抜けるのが早いか、ね!」
エルザは大剣を床に突き立て、激しい振動に耐えながら前方を睨みつける。
彼女の全身からパチパチと弾ける火の魔力が、船体を包む摩擦熱と混ざり合い、赤黒い光の盾となって竜王艇の船首を保護していた。
「ガタガタ騒ぐな。この程度の圧、我が竜王艇の装甲をへし折るには足りんわ!」
巨体を揺らし、甲板の舵を自ら握るイグニスが獰猛に笑う。体から漏れ出る執念の炎が、船体の魔導スラスターと直結し、地脈の熱エネルギーをさらに爆発的に加速させていく。
キィィィィィィィン――ッ!!
アレンの右腕の『聖鱗』と『白竜の心臓』が、左右の暴風と不気味に共鳴し、衣服の奥で血のような脈動をあげていた。
「……チッ、耳鳴りがする。」
アレンはフードを風にたなびかせながら、赤眼をさらに鋭く尖らせた。
バルドに叩き込まれた見切りが、前方の『隙間』のさらに奥、数秒後に暴風が完全に閉じるであろう「最狭部」を正確に捉えていた。
「イグニス、あと三秒でそこが閉じる。……カイル、誘導を右へコンマ二度修正しろ!」
「オッケー、白竜様の言う通りに! 限界駆動だ!」
カイルの指先が端末を叩き、イグニスが舵を限界まで回す。
ドォォォォォォンッ!!!
左右の巨大な風の壁が、完全に元の形に戻ろうとして激突する、その一瞬。
竜王艇は白銀の魔力と紅蓮の熱波を一本の槍のように尖らせ、その「隙間」を強引に突き破った。
衝撃波が戦場を包み、次の瞬間、視界を塞いでいたエメラルドグリーンの暴風が嘘のように消失する。
『隙間』を完全に抜け切った彼らの目の前に広がっていたのは、嵐の遮断された、冷徹なまでに静寂なテンペストの王都。
そして、その中央にそびえ立つ、異様な黒い闇のオーラを纏った宮殿だった。
「――潜入成功だ。歓迎の式典はなさそうだけどね。」
カイルが不敵に微笑み、魔導端末を閉じる。
天嵐の防壁を突破した覇王の船は、速度を落とすことなく、狂王ゼピュロスの待つ王座の間へと真っ直ぐに降下を開始した――。
『隙間』を完全に抜け切った彼らの目の前に広がっていたのは、嵐の遮断された、冷徹なまでに静寂なテンペストの地上都市。
そして、その中央で遥か上空の雲海へと真っ直ぐに伸びる、巨大な結晶の塔――『天脈の昇降陣』だった。
見上げれば、雲海のさらに上。
ゼピュロスが潜む「天空宮殿」は、今なお常軌を逸した暴風の結界に完全に包まれており、船で直接近づくことは絶対に不可能であることを誇示していた。
あの宮殿に至る道は、このリフトの光の術式を登る以外に存在しない。
「――潜入成功だ。竜王艇、これより『天脈の昇降陣』の基部ドックへ滑り込む!」
カイルのナビゲートの通り、イグニスは船首を巨大な結晶塔の麓へと向け、激しい逆噴射とともに竜王艇を滑り込ませた。
ガガガガガッ!
と重厚な装甲がドックの床を削り、船が停止する。
完全に防空システムが再起動し、外で再び激しい嵐の音が鳴り響き始めたのと同時に、アレンたちは一斉に甲板へと飛び出した。
「ここからが本番だね。」
カイルが魔導端末をリフトの制御盤へと接続し、不敵に笑う。
「天空宮殿へ行くには、このリフトの術式を強引に起動して駆け上がるしかない。当然、上階には兵士達や結晶の自動防衛兵器がひしめいているはずさ。」
「上等よ。どれだけ邪魔が入ろうと、あいつのいる天っぺんまで一気に駆け上がってあげるわ!」
エルザが火の魔力を大剣に纏わせ、凛とした佇まいで結晶塔の入り口を睨みつける。
「フン、ゼピュロスめ。随分と高いところに引きこもってくれたものだ。お前たち、俺の炎から遅れるなよ!」
イグニスが覇王の笑みを浮かべて先頭に立つ。
「……ハッ、置いていかれる心配をしてるのはお前らのほうだろ、イグニス。」
アレンはフードを被り直し、赤眼を鋭く光らせた。右腕の白銀の脈動は、これから登る『天脈の昇降陣』の最上階から、最悪の闇が近づいていることを告げていた。
天空宮殿への唯一の登り路。
選ばれし4人の、命を懸けた垂直の強襲作戦が幕を開ける。




