⑧進軍ー1
天を衝いたアレンの白銀の光。
それがテンペストの巨大結界に触れた瞬間、国境全域を満たしていたエメラルドグリーンの光条と、常に鳴り響いていた永久の嵐が、嘘のように一瞬で霧散した。
大陸一と称された防空網の強制シャットダウン。
それは国境で指揮を執っていた二人の師団長にとって、世界の崩壊にも等しい衝撃だった。
「な……何だと……!? 我が数式が……防空網が、自壊した……!?」
魔導杖を握る「天障の智将」ニルヴァの手が、見たこともないほど激しく震えていた。
精密な機械のようだった彼の冷徹な顔が、驚愕と絶望に引きつる。
彼が信じ、ゼピュロス王の「高度な計算」の証明であるはずだった絶対の結界が、概念から書き換えられて消滅したのだ。
「そんな……、ゼピュロス様の風が、消えちゃった……?」
背負った風の短剣を虚空に浮かせたまま、「千刃の風使い」ハヤテもまた、隻眼を大きく見開いて呆然と立ち尽くしていた。
広範囲の酸素を奪っていた『真空の檻』は完全に霧散し、国境にはマグマリアの熱を孕んだ大気が流れ込んでくる。
王に拾われ、最も近くで育てられた彼にとって、その風の消失は、王の理知が完全に失われていたという恐怖の真実を突きつけるものだった。
完璧な連係を誇った二人の動きが、完全に止まる。
その決定的な隙を、泥泥の死闘を生き抜いてきた獣と影の将が逃すはずもなかった。
「――勝負はあったな、風の鳥公ども。」
土煙を切り裂き、黒狼の獣人ガロウが地を蹴った。顔の左半分の火傷痕を歪め、鋼鉄の義手をきしませながら、身の丈を超える大剣をニルヴァの脳天へと振り下ろす。
「我が数式が……、あり得ん……!」
ニルヴァは本能的に魔導杖を掲げて受け止めようとしたが、結界のバックアップを失ったただの杖など、ガロウの全体重を乗せた一撃の前には無力だった。
――バキィィィンッ!!!
魔導杖が真っ二つに叩き折れ、凄まじい衝撃波がニルヴァの身体を地面へと叩きつける。
「がはっ……!」
血を吐き、膝を突く智将。その首元へ、ガロウの大剣の切っ先がピタリと突きつけられた。
一方、呆然としていたハヤテの背後の影から、一切の気配もなく滑り出たのは第四師団長バルドムだった。防魔隠密衣『夜帷』をなびかせ、逆手に握った短剣が、ハヤテの喉元を正確に捉える。
「動くな。風を失ったお前など、影を払う価値もない」
「……あはは、完敗だね。」
ハヤテは力なく両手を上げ、自嘲気味に微笑んだ。その隻眼から流れる涙が、汚れきった戦場の土に落ちる。
「でも、これでよかったのかもしれないな。僕の知るゼピュロス様は、もうずっと前にいなくなっていたんだ……。」
ニルヴァもまた、折れた杖を見つめながら、固く歯を食いしばっていた。
「王の乱れは、ノクスの手先を受け入れた時点で始まっていたということか。私は、それを王の計算だと……盲信していたに過ぎんのだな。」
国境の防衛戦は、レジスタンスと第四師団の完全な勝利によって決着した。
ガロウは大剣を肩に担ぎ直し、遥か彼方、イグニス王の竜王艇が突入していったテンペストの王都の空を見上げた。
「おい、バルドム。本隊のトカゲどもと人間の小僧が、これから風の王の寝所にカチコミをかける。俺たちもぐずぐずしていられねえぞ!」
「フン、言われずとも。国境の残党を拘束し次第、すぐに本隊を追う。……覇王の征途を、特等席で見届けさせてもらうとしよう。」
嵐の止んだ国境地帯に、ドラグニル軍とレジスタンスの勝鬨が響き渡る。
天嵐の防壁を撃ち破ったアレンたちの本隊は、ついに風王ゼピュロスの待つ、テンペストへと到達しようとしていた――。




