①嵐の刺客ー1
城塞都市マグマリアの謁見の間。
かつて数多の亜人族を震え上がらせた覇王の玉座には、いまや誰も座っていない。
その代わりに、部屋の中央に置かれた巨大な戦術地図を囲むようにして、彼らは集まっていた。
「……なるほどな。あの『モヤシ野郎』が、ついに重い腰を上げたか。」
腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らしたのは、紅蓮の竜王イグニスだ。
ゾルディンの洗脳魔法から解放されたその瞳には、かつての破壊の狂気ではなく、覇王としての鋭い理知と、己の不覚への苛立ちが宿っている。
その巨体の横には、彼を監視しつつも、どこか複雑な視線を送るレジスタンス隊長ガロウの姿があった。鋼鉄の義手をきしませながら、ガロウは地図の一点
――遙か北方に位置する「テンペスト」を指差す。
「ああ。こっちの情報網にも引っかかりやがった。テンペストの首都『天空都アエロガルド』から、複数の魔力反応が南下を開始してみたいだ。狙いは間違いなく、白竜の力を同調させたアレン、お前だ。」
視線が集まる中心で、アレンは自身の右腕を見つめた。十日間の死闘の末、白竜の『炉心』と『心臓』を宿したその腕には、時折、空間そのものを白く侵食するような「無色」の輝きが走る。
「俺を、世界のバグとして消去する……だったか?」
「あのゼピュロスって男、相変わらず極端な計算式で生きてるよねぇ。」
肩をすくめて緊張感のない声を上げたのは、元第三師団・主席魔導参謀のカイルだった。
彼は魔導書のホログラムを空間に展開し、北部の戦力を瞬時に弾き出していく。
「かのテンペストの竜王様の頭にあるのは『効率』だけさ。アレンの力を『大陸のエネルギーバランスを崩すバグ』だと弾き出したなら、手段は二つ。完全に飼い慣らすか、システムごとデリートするか。
で、僕たちの集めた情報によると、今回は後者……いや、アレンを無傷で捕獲し、僕ら周囲の人間を『消す』算段らしい。」
「消す、だと……?」
エルザが剣の柄を握り締め、眉をひそめる。
その様子に、元第一師団・遊撃隊長のレイラが、鋭い眼光を揺らして頷いた。
「テンペスト軍の十八番だ。彼らは常に周囲の酸素を奪う『真空』の術式を纏って進軍してくる。城壁も、装甲も、呼吸をする生物である以上、彼らの前では無意味。さらに……今回は『天嵐近衛騎士団』の三つの師団長が揃って動いている可能性が高い。」
レイラが地図上に三つの紋章を投影する。
「第一師団長『神速の蒼翼』シルフ。風の魔術で自身の速度を光速の手前まで底上げする、空中一撃離脱の化け物だ。私の機動力でも、上空から迎え撃たれれば分の悪い賭けになる。」
「さらに第二師団長、ニルヴァ。防空結界の天才さ。」
カイルが言葉を引き継ぎ、眼鏡の奥の目を細める。
「複数の魔導兵を同期させたあいつの『大陸一の防空網』は、まともに近づけば自動で撃墜される。おまけに第三師団長のハヤテ……あいつは広範囲の真空制圧と、不可視の刃『断頭の暴風』を千発同時に放つ、歩く大量虐殺兵器だ。おめでたいことに、この三人が同時に攻めてくるだろう。」
「ハッ、相変わらず揃いも揃って、血の通ってない文字通りのモヤシ共のようだな。」
イグニスが大剣「大炎灼竜剣」を床に突き立て、不敵に笑う。
「だがな、アレン。あのゼピュロスの野郎の『計算』には、一つ決定的な穴がある。あいつは今回の件を、単なる『システムの不具合』程度にしか思っていない。裏で糸を引いてる、あの存在に、気づいてはいない。」
その言葉に、一同の空気が張り詰める。
イグニスを狂わせ、この大陸を戦争に巻き込んだ諸悪の根源。イグニスはアレンの目を真っ直ぐに見据えた。
「……それにしても、あのゼピュロスがこれほど大規模に『天嵐近衛騎士団』の三つの師団を同時に動かすなんてね。」
カイルは投影されたテンペスト軍の進軍ルートを見つめながら、皮肉げに唇を歪めた。
「効率主義の彼にしては、随分と余裕のない、焦った進軍に見える。……いや、違うな。これは彼自身の意思というより、いまのテンペストの国政の乱れが、彼を突き動かしていると見た方が自然だ。」 カイルの言葉に、元第一師団のレイラが苦々しい表情で視線を落とした。
その沈黙が、カイルの推測が事実であることを物語っている。
「テンペストは本来、絶対的な法と規律、そして合理的判断によって統治される静謐な国家だったはず。だけど、白竜様がいなくなり歪んだあの日を境に、あの国の歯車は狂い始めているんだ。近年の中央議会や上層部の間では、原因不明の『偏執的な主戦論』が台頭し、かつての冷静な議論は失われたらしいしね。
まるで、国政の枢軸にいる人間たちの脳髄が、何者かに裏から汚染されているかのように。」
カイルは端末を叩き、テンペスト内部の不自然な物資と兵力の流動データを戦術地図に重ね合わせた。
「本来なら、これほどの全軍突撃は国家の防衛を空文化させる『愚策』さ。ゼピュロスほどの男がそれを理解していないはずがない。なのに、それを強行せざるを得ないほど、今のテンペスト政府は内側から何かに突き動かされ、狂奔している。
――そう、おそらくあのイグニス様を狂わせたのと同じ、澱んだ『闇』の力によってね。」
「フン……つまりあのモヤシ野郎は、自国がどれほどシロアリに喰い荒らされているかも気づけぬまま、ただの『最高効率の操り人形』として俺たちを排除しにきている、ということか。」
イグニスが忌々しげに鼻を鳴らす。
「それが事実であるなら皮肉なものだね。」
カイルは眼鏡の位置を直しながら、冷徹な目を光らせた。
「完璧な効率を求める国家が、いまや最も不条理な『深淵の闇』の都合で踊らされているならば、あのゼピュロスが、自分たちの誇るシステムがとっくに崩壊していると知った時、一体どんな顔をするのか……本当に見ものだよ。」
「深淵の闇という『最悪の不純物』が自国に混ざっているとも知らず、お前をバグ呼ばわりする姿は、滑稽を通り越して哀れだ。アレン、あの冷徹なツラを、その『無色』の輝きで、文字通り計算違いにさせてやってくれ。」
アレンは静かに、しかし力強く頷いた。




