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第4話 導きの古書

 リガルドの喧騒から完全に孤立した薄暗い路地裏。蔦の絡まる古びた木造店舗「黒梟の灯」の扉を、アレンと傷だらけのエルザは潜った。


 店内には埃と古い紙、そして微かに魔力の香が満ちている。

床から天井まで届く本棚には、失われた古代語で書かれた魔導書や、大陸の禁書が隙間なく敷き詰められていた。


「おい、バルドの紹介で来た。店主はいるか?」

 

 アレンが声をかけると、山積みにされた古書の影から、長い白髪を三つ編みにした老紳士が顔を出した。 片眼鏡(モノクル)の奥の目を細め、アレンを一瞥した瞬間、その老人の空気が一変する。

老人の背中から、漆黒の蝙蝠の羽が小さく威嚇するように広がった。


「おや……バルドの名を知る者が、まだ生きていたとはね。……それにしても、その容姿、そして服の袖から漏れ出る圧倒的な聖魔力の残滓。まさか、お前は……」


老紳士は驚きに目を見開いた後、深く頭を下げた。


「私の名はギルバート。歴史学者であり、かつてバルドと共に世界の裏側を旅した者です。お待ちしておりました、白竜帝の後継者よ。」


「……話が早いな?俺のこの腕の正体を知っているのか?」

 

 アレンがいつも着ている「辺境の防砂布で編まれた、無骨で擦り切れた灰色のコート」の袖を捲り上げると、石畳の店内に、白銀に輝く硬質な鱗が露わになった。

それを見たエルザが、息を呑んで一歩後ずさる。


「それは……まさか、神話の……!」


「あぁ。これこそが創造主たる白竜の鱗――『白竜の聖鱗』です。」


ギルバートは棚の奥から、重厚な鎖で封印された一冊の古文書を取り出し、机に広げた。


「500年前、白竜様は忽然と姿を消したのではない。来るべき大災厄……大陸そのものを滅ぼす『深淵の闇』を封じるため、自らの肉体と魂を5つの『遺産』へと解体し、この大陸の地底深くに眠らせたのです。そして、自らの意思を託せる『器』が生まれるのを待っていた。アレン君、君の右腕は白竜の『力』そのもの。そして使命は、大陸に散らばる残りの遺産を集め、完全なる白竜帝として力を覚醒させること。さもなければ、封印が解けた『深淵の闇』によって、この世界は滅びるでしょう。」

 

 あまりに壮大すぎる話に、アレンは冷めた視線を崩さなかった。


「世界を救う、か。悪いが、そんな大層な英雄譚に付き合う気はないし、いきなり後継者だの言われても信じられない。興味ないしな。俺はただこの不気味な腕の呪いを解く方法を知りたかっただけだ。」


「呪いではない、宿命です。」


ギルバートは静かに首を振る。


「それに、君が拒もうとも、5人の竜王たちは君を放っておかない。彼らは創造主の力を我が物にせんと、血眼でその腕を狙ってくるはずだ。現に、先ほど君が退けたドラグニルの兵たち……彼らの主である紅蓮の竜王『イグニス』は、すでにこの街に迫っている。」  

 ドラグニル。

その国名を聞いた瞬間、エルザの身体が怒りで震えた。


「ドラグニルへ行くというのなら、私も行く! アレン、私を連れて行って。君が世界を救う気がなくても構わない。私は竜王イグニスの首を獲るために、君の剣になる!」

 

 アレンは迫り来る危機と、少女の痛切な覚悟を前に、自分の白銀の右腕をじっと見つめた。


「……ハナから選択肢なんてなかったわけか。バルドのじいさんも、人使いが荒い。」


アレンは小さく溜息をつくと、赤色の目を鋭く光らせた。 


「いいだろう。ドラグニルへ向かう。」


ギルバートは満足そうに微笑み、二人に古びた地図を差し出す。


「君たちの行く路に、白竜の加護があらんことを。」 

 ギルバートはそう言って、色褪せた羊皮紙の地図を机に広げた。

その指先が、かつて共に戦場を駆けた男の面影を追うように、地図の端に刻まれた小さな紋章に触れる。


「アレン君。君の育ての親であるバルドは、かつて大陸最強と謳われた傭兵団の長だった。そして私は、その団でお抱えの戦史研究者、兼魔導士として彼を支えていた。……いや、支えられていたと言うべきかな?」


ギルバートは懐かしむように片眼鏡(モノクル)の位置を直した。背中の黒い羽が、今は穏やかに静まっている。


「旅の道中の話は省くが30年前、私たちはこの世界の真実――白竜の遺産と深淵の闇の存在に突き当たった。竜王たちの監視の目を掻い潜り、世界の裏側を旅した。だが、当時の私たちには『器』が足りなかった。創造主の力を受け止めきれる人間など、どこにもいなかったのだ。バルドは旅の終わりに私に言ったよ。『いつか、この呪われた運命を引き受けてくれる、とんでもねえ大馬鹿野郎が俺たちの前に現れる。それまでお前はここで牙を研いで待っていろ。』とな。……それが、君のことだったわけだ。

どういう経緯でバルドが君と出会ったかは知らないけどね。」

 

ギルバートの言葉を聞きながら、アレンは無言で灰色のコートの袖を戻した。

 バルドの真の目的は分からないが、死に際に自分をここへ向かわせた理由が、ようやく一本の線で繋がった。

あの老いぼれは、自分が死んだ後のことまで全て、この歴史学者に託していたのだ。


「フン、あのじいさんらしい勝手な言い草だ。死んでまで人を巻き込みやがって。」


吐き捨てるように言ったアレンの言葉には、育ての親への確かな情が滲んでいた。


「さて、出発の前に一つ、君たちに忠告をしておこう。イグニスの軍勢であるドラグニルの兵たちは、すでにこのリガルドの周囲にまで斥候を放っている。正面から堂々と出るのは自札行為だ。幸い、今日はリガルドの年に一度の『星灯祭(せいとうさい)』。街は人で溢れ返り、夜通し明かりが消えない。その喧騒に紛れて北門から脱出するのが上策だろう。」





◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 


 ギルバートに見送られ、アレンとエルザは「黒梟の灯」を後にした。

一歩路地裏から大通りへと出ると、そこは昼間以上の熱気に包まれている。

空が夕闇に染まる中、街中の至る所に色鮮やかな魔導ランタンが吊るされ、幻想的な光の海を作り出している。

 屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いや甘い菓子の香りが漂い、楽器を持った楽師たちが陽気な調べを奏でていた。

だが、そんな華やかなお祭りの空気の中、アレンの目は、いくつかの「異物」を捉えていた。


「おい、エルザ。右前方、時計塔の影だ。街の警備兵にしちゃ、体格が良すぎる上に、歩き方が軍人のそれだ。」


「……ええ。左の裏路地にもいるわ。あの独特な歩法、ドラグニルの隠密部隊(スカウト)よ。すでに網が張られているみたいね。」

 

 エルザはフードを深く被り、背中の剣の柄にそっと手をかけた。その身体は、怒りと緊張で微かに震えている。


「落ち着け。ここで派手にやれば、それこそあいつらの思う壺だ。……ほら、これを食え。」

 

 アレンは通りがかりの屋台で買った、串刺しにされた焼き肉を一本、エルザの口元に突きつけた。


「……え? アレン、何を――」


「美味いぞ。旅に出れば、次いつまともな飯が食えるか分からない。それに、ただの観光客のフリをするのが一番怪しまれないしな。」


 アレンは自らも肉を頬張りながら、冷めた目で周囲を観察し続ける。

エルザは呆気に取られたようにアレンの顔を見た後、観念したように小さな口で肉を齧った。


「……美味しい。でも、あなたって本当に……こんな状況でよくそんなに冷静でいられるわね。」


「冷めているだけさ。取り乱したところで、状況は一歩も好転しない。」


アレンはそう言うと、不意にエルザの細い手首を掴んだ。


「っ!?」


「行くぞ。正面から斥候が来る。はぐれるなよ。」

 

 手を引かれたエルザは、思わず顔を赤らめたが、アレンの赤い瞳に宿る絶対的な冷静さに、不思議と胸の鼓動が落ち着いていくのを感じていた。

 この男は世界を救う気などないと言いながらも、目の前の現実からは決して目を逸らさない。

その冷徹さが、今のエルザには何よりも心強かった。二人は恋人同士を装うように距離を縮め、楽しげに笑い合う群衆の波へと紛れていく。

 背後で静かに忍び寄るドラグニルの脅威を、そして自らの右腕に宿る白銀の宿命を、祭りの華やかな灯火の中に隠しながら――。


リガルドの北門は、もう目の前だった。


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