幕間⑨「仕返しの算段と計算破綻?」ー1
「――ふふ、かのお方の恋愛の計算式をハッキングして、少しだけ出力をブーストしてあげようか? 例えば……次のテンペストの天空都に突入した時、わざと二人が狭い隠密空間に閉じ込められるようなトラップを、僕の戦術数式に組み込んでおくとかねぇ?」
「テメェ、余計な小細工は絶対にやめろォッ!!」
カイルとのあの騒がしい掛け合いの後、エルザはなんとか自身の真っ赤になった顔をテラスの冷たい夜風で冷まし、アレンとの確かな約束を交わしたのだった。
アレンの恋愛スペックが「初期設定」のままであろうとも、彼の右腕が自分を確かに信頼してくれている。その幸福感は、エルザの胸の奥を今も暖かく満たしていた。
――だが、それとは「別」の話である。
(あの眼鏡の魔導オタク……! 人の純情を面白おかしく弄びやがって……。このまま大人しくテンペストへ出発してやるもんですか!)
翌朝、王宮の長い回廊を歩きながら、エルザの【竜の目】が縦スリットに鋭く引き裂かれていた。彼女の手首の鱗が、怒りと羞恥の「余熱」でピキピキと小さな火花を散らしている。
烈火の竜王国ドラグニル出身の女戦士である彼女は、売られた喧嘩は倍にして買い、受けた屈辱はそれ以上の威力で叩き返すのが流儀だ。
ましてや、あの大剣より重い乙女の独り言を盗み聞きされたのだ。完璧な『仕返し(カウンター)』を叩き込まなければ、彼女の体内の竜炎の計算が絶対に合わない。
だが、相手はあの頭脳派貴族であり、ドラグニル軍の主席魔導参謀カイル・ゾルディンだ。
真正面から文句を言っても、また「おやおや、お嬢様は血行が激しいねぇ」などと、軽薄な数式を並べられて煙に巻かれるのがオチである。
(カイルを完璧に黙らせるための、最大級の『脆弱性』。……あいつが一番、計算を狂わせる相手は……)
エルザが回廊の角を曲がった、その瞬間だった。
「――あら、エルザ。魔力回路の調子はどうかしら?」
前方から歩いてきたのは、新調された第一師団の白い軍服を美しく纏った、大隊長レイラ・ヴァルキアスだった。
背中には父親である軍神ヴァルキアスの魔導槍を厳かに背負い、翼を気高き誇りとともに静かに畳んでいる。
その凛とした佇まいは、まさにドラグニル最強の武門貴族の令嬢そのものだった。
エルザは、レイラの姿を見た瞬間、自らの頭部にある一対の竜の角を、ニヤリと不敵に揺らした。
カイル・ゾルディンを内側から爆破するための、最強の『燃料』が、向こうから歩いてきてくれたのだ。
「レイラ。ちょうど良かったわ、少し聞きたいことがあったの。」
エルザは普段の苛烈な表情を綺麗に消し去り、どこか無邪気な、しかし最高に意地の悪い笑みを浮かべてレイラに歩み寄った。竜人族特有の鋭い八重歯が、唇の端から小さく覗いている。
「私に? ええ、構わないけれど……。進軍ルートの計算なら、カイルの部屋で行われているわよ?」
「いいえ、軍の計算式じゃないわ。……君と、カイルの『関係』についてよ」
「……え?」
レイラが端正な眉をぴくりと動かし、その場に足を止めた。
「昨日、カイルから聴いたの。ヴァルキアス家とゾルディン家は、代々白竜様からラストネームを与えられた、ドラグニル最強の双璧たる『竜神族の貴族』だって。……君たち、小さい頃からずっと一緒にいるんでしょう? 昨日の夜だって、カイルは君の翼の治療を、随分と手際よく、特別に丁寧にやっていたみたいじゃない。」
エルザは一歩踏み込み、レイラの顔を覗き込んだ。
「ねぇ、レイラ。あなた達って、ただの上司と部下、あるいは戦友っていうだけの関係なのかしら? カイルは口を開けば『僕の美しい大隊長殿』なんて軽薄に呼んでいるけれど……あいつ、本当は君のことが『特別』なんじゃないの?」
ドッ!!!
その瞬間、レイラの背後にある翼が、本人の意志とは無関係に、爆発的な魔力の波動と共に
バサァッ!!! と大きく広がった。
回廊の空気が一瞬で跳ね上がり、壁の魔導ランプの火が一斉に激しく揺れる。
「な、何を言っているの、エルザ……!? 私とカイルは、ただの幼馴染で……軍の効率的な連携を保つための、単なる機能的なバディに過ぎないわ!」
レイラは慌てて自身の翼を両腕で抱え込むようにしてすぼめたが、その白い肌の頬は、ドラグニルの溶岩よりも遥かに真っ赤に染まり上がっていた。
武門の天才として、空中戦においては無敗を誇る気高き女騎士。
だが、幼馴染であるカイルとの関係を真正面から突っ込まれた瞬間、その絶対の防空結界は一瞬で瓦解し、ただの「初心な少女」としての動揺が丸出しになっていた。
「へぇ、ただのバディねぇ」
エルザはカイルの物真似をするように、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「でも、カイルは言っていたわよ? 『次のテンペストでは、わざと狭い隠密空間に二人きりで閉じ込められるようなトラップを仕込もうかな?』って。あいつ、そんな小細工を考えてるくらい、君との距離を縮めたがっているみたいだけど?」
「カ、イルが……そんな非効率な小細工を……!?」
レイラの『竜の目』が、羞恥と大混乱によって激しく泳ぎ始めた。
「あ、あの眼鏡の魔導オタク……! 軍の規律を何だと思っているのよ! 帰還したら、私の魔導槍の出力を最大にして、あの偏屈な頭脳ごと一発、真っ向から撃ち抜いて教育し直してあげるわ!!」
「うんうん、その意気よ、レイラ。カイルは今、王宮の作戦室で次のデータをハッキングしているわ。……行くなら、今が最大のチャンスよ?」
「ええ、往くわ! 規律の乱れは、軍の破滅よ!!」
レイラは真っ赤な顔のまま、怒りで深紅の翼を逆立て、地響きを立てるような凄まじい足取りで回廊の奥へと突撃していった。
その後ろ姿を見送りながら、エルザは腰に手を当て、頭の竜の角を満足げにふんぞり返らせた。
「ふん、ざまぁ見やがれ、カイル。……お嬢様の黄金の怒撃、その貧弱なスペックでせいぜい耐え抜いてみせることね。」




