④深淵の託宣と、嵐の予兆
ーー常夜首都エクリプス
ドラグニル帝国の最果て「竜の墓場」で、アレンが放った『ブレス』によって空間ごと虚無へと還された常夜の巨神。
その消滅の衝撃は、数千キロメートルの距離を隔てた大陸の最深部、あるいは世界の「外周・地下」に位置する暗黒の領域へと、即座に伝播していた。
常夜の竜王国「ノクス」。
太陽の光が一度として届いたことのない、永劫の闇に閉ざされたその国の首都「エクリプス」の最奥には、漆黒の結晶で組まれた、すり鉢状の巨大な拝殿が存在する。
そこは、世界のすべてを闇(無)に帰すことこそが真の救済であると信じる、狂信者たちの総本山であった。
「――が、はっ……!?」
拝殿の中心、地脈から噴き出すドロドロとした黒い泥の上に座していた一人の男が、激しく血を吐いて前方に突っ伏した。
男の名は、黒夜の竜王ネロ。
漆黒の長髪を床に引きずり、その底知れない濁った瞳には、未だかつてない激しい動揺と憤怒が走っていた。
彼の身体を包む、あらゆる魔法や物理攻撃を吸い込み無に還すはずの『深淵の外套』のオーラが、まるでガラスがひび割れるかのように、痛々しく明滅を繰り返している。
「消えた、だと……? 私が授けた深淵の巨神が、術理の残滓すら残さず、一瞬で『現象ごと否定』されたというのか……!」
ネロは自身の細い指先を強く握りしめ、結晶の床を血が出るほどに掻きむしった。
ネロにとって、500年前に聖地の絶対結界の向こう側へと消えたあの少年『レイン』は、白竜に最も愛された、決して許すことのできない「憎悪の対象」であった。
だが、数年前に不可侵の結界の綻びから、白銀の姿(記憶喪失)となって弾き出されたアレンは、ネロの想定を遥かに超える速度で、白竜の遺産を、そして『心臓』までもを手に入れ、人間の器の限界を超えて完璧な融和を果たしてしまった。
「白竜に捨てられた哀れな人形ども(他の竜王)を駒とし、お前を精神的にも肉体的にも追い詰めるはずが……。イグニスの洗脳が解け、ゾルディンすらも消滅したか……。」
ネロの濁った瞳の奥に、悍ましい黒い炎が宿る。
アレンの右腕の炉心、そして完全に馴染んだ『白竜の心臓』。
あれは、ネロ自身が深淵の完全なる神として降臨するために、何としても奪い取らねばならないパズルピースだ。
「アレン……。お前は私の、私だけの『新たな器』だ。どれだけ白竜の光を灯そうとも、その白銀の肉体、必ずやこの深淵の底へ引きずり込んでくれる……ッ!」
ネロの狂気じみた呟きに応じるように、常夜首都エクリプスの全域が、不気味な地鳴りを立ててより一層深い闇へと沈んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、大陸の遥か「北部」。
年中、激しい暴風と巨大な積乱雲に遮られ、地上の者にはその全貌さえ拝むことのできない、嵐の竜王国「テンペスト」。
その雲海を突き抜けた遙か上空、美しくも冷徹な白亜の結晶で造られた空中都市
――首都「天空都アエロガルド」の玉座の間。
常に周囲の酸素を奪う「真空」の防壁を纏い、足の裏を一度として地面につけることなく、空中に静かに浮遊している男がいた。
嵐の竜王ゼピュロス。
二十代後半に見える、冷徹でスマートな細身の体躯。
夜風のように冷たい青銀の髪をなびかせ、その切れ上がった双眸には、感情という名の揺らぎが一切存在しない。
彼はただ、手元に浮遊する魔導書(世界観測の暗号ログ)を、淡々と細い指先でスクロールしていた。
「――南部、烈火の竜王国『ドラグニル』の王宮陥落。および、レジスタンス軍との正式な同盟締結を確認。」
ゼピュロスの口から漏れ出たのは、一国の王の没落を報じるものとは思えない、徹頭徹尾、冷ややかな声だった。
「筋肉達磨が遅れを取ったか。所詮はエネルギーの無駄遣いしかできぬ脳筋。ゾルディンごとき小物のハッキングに気づきもせず、国を傾けるなど、非効率の極み。
やはり、力こそがすべてなどという思想は、システムを腐敗させるだけの粗大ゴミだ。」
ゼピュロスはフッと冷たい笑みを浮かべ、魔導書の画面を次のログへと切り替えた。
そこに映し出されたのは、白銀の髪を揺らし、血の赤眼を開けて、右腕に強大な『無色』の輝きを宿したアレンの姿だった。
ゼピュロスの完全無欠の合理主義に基づいた脳細胞が、そのアレンのスペックを瞬時に解析していく。
「人間の身でありながら、アルヴァ様の『炉心』と、あろうことか『心臓』の同調を十日間で完了させか。
……五大属性の相性を完全に無視し、空間そのものを虚無へ還す能力。これは、世界の均等な発展を著しく阻害する、最大級の『不確定要素』だ。」
ゼピュロスにとって、感情や過去の因縁などというものは、国を栄えさせるための計算式において、最も不要な「ノイズ」に過ぎない。
アレンがかつて聖地にいた優しい少年『レイン』であるという事実の片鱗を、その魔力の残影から僅かに検知してはいたが、ゼピュロスはそれを感傷的に受け止めることは決してない。
ただ、世界を混乱に陥れるシステム上の「バグ」として、冷徹に処理すべき対象としか見ていなかった。
「あの『バグ』を放置すれば、大陸のエネルギーバランスは数年以内に崩壊する。完全に我が国の管理下に置き、その出力をシステムとして利用するか……さもなくば、世界のために、システムごと消去するだけだ。」
ゼピュロスが静かに魔導杖を空間に突き立てると、彼の背後から、不可視の刃「断頭の暴風」の術式が、アエロガルドの天空宮殿の全域へと、緻密な幾何学模様を描いて展開されていった。
「テンペスト全軍へ通告。これより、南方のバグ――『アレン』の捕獲、および排除作戦へと移行する。エネルギーの無駄は、一切認めない。」
完全無欠の合理主義の王が、ついにその冷徹な牙をアレンたちへと向けて動き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、東部の「碧海の竜王国」の海楼都レムリアでは、美しい青髪を持つ物静かで妖艶な女王、碧海の竜王オケアノスが、真珠で飾られた玉座から、ドラグニルの方角の空を見つめていた。
「イグニスの炎が、ここまで綺麗に消えるなんてね……。」
オケアノスは、あらゆる傷を癒やす水流を指先で弄びながら、小さく息をついた。
他国の戦争や覇権争いには全く興味のない「絶対的な傍観者」である彼女だったが、アレンの放った『無色』の咆哮が、世界の理を壊して闇を消し去ったその一瞬の輝きだけは、彼女の美しい海にまで微かな波紋となって届いていた。
「アルヴァ様の力を継いだ、人間の坊や……。ゼピュロスの冷血漢は、すぐにでもあなたを消しに行こうとするでしょうね。……ふふ、あなたにこの世界を狂気から救う『資格』が本当にあるのか、私の海へ来たら、たっぷりと試させてもらうわ。」
彼女の瞳には、敵意ではないが、一人の調停者の後継者を見極めようとする、妖艶で過酷な母性が宿っていた。
そして、西部の「蔵塊の竜王国」の鉱山都ガルド・マギア。
岩のような筋肉を誇る、隻眼の頑固な老王、巌塊の竜王ガイアは、身の丈を超える巨大な戦槌を床に叩きつけ、豪快に笑い飛ばしていた。
「ガハハハハ! あのイグニスの若造が、人間に力負けしただと!? 面白い、面白すぎるわい!」
昔気質の頑固者であり、力と義理を何よりも重んじるガイアは、イグニスの覇道やゼピュロスの冷徹さに日頃から苦言を呈していたため、このドラグニル陥落の報を、どこか痛快に受け止めていた。
「だが、人間の小僧が白竜様の力を継承したという話、ワシはまだ額面通りには信じんど。力比べもせず、神話の力を認めるわけにはいかんからのぅ!
ゼピュロスのモヤシ野郎をブチのめして、ワシの前に来たら……その時は、この絶対質量の鉄槌で、その『器』の頑丈さを、真っ向勝負で確かめてやるわい!」
隻眼の老王の闘志が地脈と同期し、グランディオスの山々が、彼の興奮に呼応して激しく震動した。




