③十日間の防衛儀式ー6
怒涛の防衛戦がついに決着します!
手に汗握るシーンに注目していただけると嬉しいです!
「竜の墓場」の最奥、聖水の池の中心に座する結晶石の祭壇。
アレンはそこに横たえられたまま、完全に意識を閉ざしていた。
彼の右腕の炉心と、体内に同化した『白竜の心臓』を繋ぐ光の鎖が、パチパチと無色の火花を散らしながら、一秒ごとにその同調の深度を増していく。
だが、それに伴い、祭壇の間から湧き出し、岩窟の天井を突き破って大陸全土へと放射される白竜の純粋な魔力波動は、より濃厚に、より致命的な「誘惑」となって世界を狂わせ始めていた。
「アレン……。」
エルザは大剣を地面に突き立て、祭壇のすぐ傍らでアレンの白銀の髪を見つめていた。
彼女の手首の鱗は、アレンの炉心の拍動と共鳴するように、鮮血の赤で絶え間なく明滅している。
腰まで届く聖水が、彼女の下半身からじわじわと体温を奪おうとするが、その胸中で燃え盛る『竜炎』の決意が、極寒の冷気を理不尽にねじ伏せていた。
彼女は防衛戦においてアレンの最後の盾として、この祭壇の間から一歩も動かない手筈だ。
それが、彼女が自らに課した絶対の守護であった。
そして、その聖水の池の「外側」
――岩窟の唯一の侵入口である大回廊の境界では、すでにこの世の終わりを思わせる凄絶な戦いの火蓋が切って落とされていた。
「――来るぞ。第一波だ。計算式通り、まずは魔力の匂いに最も敏感な、地底の原生狂魔物の群れだね。」
カイルが眼鏡の位置を指先で冷徹に直しながら、前方の暗闇を見据えた。
彼の周囲には、幾何学的な青い魔法陣が立体的な多層構造となって、何十重にも浮遊し、展開されている。
暗闇の奥から響いてくるのは、おぞましい数の爪が石床を掻きむしる音と、飢餓に狂った獣たちの濁った咆哮。
現れたのは、体長数メートルに及ぶ地底の凶獣『巌甲狼』の群れだった。
その数は数百、数千。
文字通り、暗闇がそのまま押し寄せてくるかのような、黒い土砂崩れだった。
「おやおや、挨拶代わりにしては、少しお行儀が悪いねぇ。――『幾何魔術・三ノ型』――『万雷の檻』!」
カイルが指先をパチンと鳴らした瞬間、大回廊の床に仕掛けられていた不可視の「戦術トラップ」が一斉に起動した。
激しい閃光が暗闇を焼き尽くす。
床から噴き出した高密度の雷撃の鎖が、先頭の巌甲狼の肉体を一瞬で焼き焦がし、そのエネルギーが連鎖的に背後の群れへと伝播していく。
ズガガガガァンッ!
と、鼓膜を裂くような連続爆発音が岩窟に反響し、一度の術式で百を超える獣が肉片となって弾け飛んだ。
「ハッ! 景気がいいねぇ、魔導参謀! だが、撃ち漏らしがこっちに来てるぜ!」
ガロウが巨体を震わせ、前に躍り出た。
彼の顔の左半分にある大きな火傷の痕が、戦気によって赤く跳ね上がっている。
雷撃の檻を強引に突破してきた数匹の巨大な獣に対し、ガロウは鋼鉄の左義手を鋭く前方へと突き出した。
内蔵された魔導機関が、ギュリィィンと高音の駆動音を立てて激しく火花を散らす。
「下等な犬ころが……調子に乗るんじゃねぇぞ! オラァッ!!」
ガロウの鋼鉄の拳が、最前列の獣の頭部に炸裂した。
ベキィッ!!!
と不快な骨折音が響き渡り、獣の頭蓋が文字通り粉砕され、巨体が後方の群れへと激突して肉の壁を作る。ガロウはその隙を逃さず、義手の表面に地脈の防御結界を展開しながら、右腕の生身の爪で次々と獣の喉笛を掻き切っていった。
歴戦の将としての無駄のない、かつ暴力的なインファイト。
「第一師団、防空近衛大隊! 撃ち下ろせぇッ!!」
上空からは、レイラの鋭い号令が響いた。
彼女が率いるのは、先の戦いで傷つきながらも、狂王の洗脳から解けて真の誇りを取り戻した第一師団の残存『竜騎士団』の面々。
レイラ自身が翼を爆発的に羽ばたかせ、ヴァルキアスから奪い取った魔導槍を天に掲げる。
「我らの王は正気に戻られた! 今こそ、ドラグニルの真の正義を示す時! 一匹たりとも、あの祭壇へ近づけるな!」
竜騎士たちが駆る飛竜の口から、純粋な『火』のブレスが一斉に撃ち下ろされた。
回廊は瞬く間に、赤と黒が混ざり合う烈火の床へと変貌していく。
カイルのトラップで足を止められ、ガロウの拳で破砕された獣たちが、上空からの猛火によって次々と灰へと変えられていく。
だが、これはまだ初日から三日目の夜までの、「前哨戦」に過ぎなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
四日目を迎える頃には、押し寄せる敵の「質」が明確に変貌を始めていた。
地底の野生の獣たちは姿を消し、代わりに大回廊を満たしたのは、触れるだけで精神を狂わせるような、ドロドロとした黒みを帯びた魔力――深淵の尖兵『影獣』の軍勢だった。
彼らは物理的な形を持たず、壁や床の「影」から突如として無音で這い出てくる。
カイルの設置した雷撃や火炎のトラップは、その実体のない影の肉体によって幾度も無効化され、防衛線はじわじわと後退を余儀なくされていた。
「チッ、搦め手かよ。気色の悪い……!」
ガロウが義手の盾で、影獣が放つ闇の触手を弾き飛ばすが、物理的な衝撃が通じにくい相手に、彼の怪力も空を切ることが増えていた。
「――そこだ」
突如として、ガロウの影から這い出ようとしていた影獣の核へ向けて、二振りの漆黒の短剣が、寸分の狂いもなく突き刺さった。
ドシュッ。
音もなく現れたのは、第四師団長バルドムだった。
彼の扱う暗殺刃『影縫』は、地脈の影を物質化させた特殊な触媒。
実体を持たないはずの影獣が、その二振りの刃によって床へと完全に「縫い止められ」、苦悶の絶叫を上げる。
「無価値な影が。我が王の、そしてアレン様の領域を汚すな。」
バルドムが刃をひねると、影獣の核は内側から弾け飛ぶようにして虚無へと霧散した。
バルドムの戦闘スタイルは、表舞台の戦争とは一線を画す「絶対の影」。
彼は第四師団の隠密スキルを極限まで駆使し、カイルのトラップを潜り抜け、レイラの目を盗んで、アレンの命を直接狙おうとするネロの強力な暗殺者たちを、闇から闇へと、完全な無音で処理し続けていた。
「助かるぜ、影のお兄さん!」
「礼には及ばない。私は私の任務を遂行しているだけだ。……それより、カイル。防壁の維持が限界に近いぞ。」
バルドムの言葉通り、カイルの顔からは完全に余裕が消えていた。
何十時間も連続で高密度のハッキング魔術と術式の上書きを繰り返したため、彼の魔力は枯渇しかけ、眼鏡の奥の瞳には赤い血の筋が浮かび上がっている。
「分かっているよ……! だけど、相手の魔力パスの構造がおそらく深淵の闇と呼ばれるやつの『深淵の外套』と同調している。
僕のトラップの8割が、発動する前に虚無へ吸い込まれているんだ。これ以上の効率化は、僕の脳の計算速度を超えている……っ!」
「カイル、下がれ! ここからは、俺が往く!」
その満身創痍の防衛線の中心へと、大剣を杖代わりにしていた紅蓮の竜王イグニスが、力強く足を踏み出した。
彼の抉れた胸の包帯からは、激しい運動によって再び赤い血が滲み出ていたが、その燃えるような赤眼には、ドラグニルを数千年間統治してきた覇王の、絶対的な闘志が蘇っていた。
「闇め……! 俺の目の前で、我が主の器をこれ以上穢させると思うたか! ゾルディンに操られていた時の借りを、ここで一括で返してやるわ!!」
イグニスが残された左手で「大炎灼竜剣」を構え、天に向けて一閃した。
放たれたのは、触れるものすべてを灰にする、ドラグニル王固有の超高熱の業火――『業火』。
ドガァァァァンッッ!!!
回廊を埋め尽くしていた影獣の群れが、イグニスの放った絶対的な熱量の前に、その影の肉体ごと、根こそぎ蒸発していく。
空間そのものを焼き焦がすような覇王の一撃。
物理が通じないなら、現象ごと焼き尽くせばいいという、圧倒的な暴力の体現。
「ハハハハ! どうした深淵の小蠅ども! 俺の炎は、闇などよりも、よほど熱いぞ!!」
イグニスが血を吐きながらも咆哮し、大剣を振り回して敵を圧倒する。
その姿に、満身創痍だったガロウやレイラたちも再び奮い立ち、六日目の夜を、奇跡的なまでの精神力で耐え抜いた。
だが、奇跡も九日目を迎える頃には、完全に「限界」を迎えていた。
大回廊の床は、原生魔物の肉片と、影獣が消滅した後に残る不気味な黒い煤で埋め尽くされ、足の踏み場もない。
レイラが率いていた竜騎士団の飛竜は、度重なる激戦によって大半が翼を傷つけられ、地上での防戦を強いられていた。
レイラ自身も翼の一部を闇に侵食され、激痛に顔を歪めながら魔導槍を振るっている。
「カイル……、ハァ、ハァ……、もう、トラップが……」
「……僕の、魔力残量も、あと数パーセントだ。次の波が来たら、物理的に身体を張るしかないね……」
カイルは幾何学の魔法陣を維持できなくなり、ついに地面へと膝を突いた。
ガロウの鋼鉄の左義手は、度重なる爆発と防御結界の展開によって過負荷を起こし、内部のギアが完全に噛み合わなくなって、黒い煙を上げて沈黙している。
バルドムもまた、強力な深淵の尖兵との一騎打ちの末、右脇腹を深く抉られ、暗闇の中で激しく息を乱していた。
そして、前線を一人で支え続けていたイグニスも、抉れた胸の傷口が完全に開き、大剣を地面に突き立てたまま、立つのがやっとという瀕死の状態にあった。
防衛線は、完全に「崩壊」した。
大回廊の奥から、これまでの群れとは比較にならないほどの巨大なプレッシャーを放つ、影獣――三つの頭を持つ漆黒の巨狼が、涎を垂らしながらゆっくりと歩み寄ってくる。
その背後には、数千の影の兵士たちが、アレンの眠る祭壇の間を目指して、津波のように押し寄せていた。
「クソ、が……。ここまで、か……」
ガロウが壊れた義手を引きずりながら、アレンのいる祭壇の間へ続く最後の扉の前に立ち塞がろうとする。
その時。
ジャァァァンッ!!!
聖水の池の中心から、凄まじい「火の魔力」の波動が爆発的に噴き出した。
池の中からゆっくりと歩み出てきたのは、全身を返り血と聖水で濡らしながらも、その瞳を縦スリットの【竜の目】へと鋭く引き裂いたエルザであった。
彼女の手首の鱗は、怒りと覚悟によって、周囲の冷気を蒸発させるほどの凄まじい熱量で発光している。彼女の口元からは、竜人族特有の鋭い八重歯が覗き、唇からは決意の血が流れていた。
「みんな、下がって……! ここからは、私が往く!」
エルザは満身創痍の仲間たちの前に躊躇なく躍り出ると、大剣を両手で高々と頭上へと掲げた。
彼女がアレンの傍らで九日間、彼の炉心の拍動を聴き、自らの『竜炎』を送り込み続けた結果、彼女の体内にあるドラグニル最強の血統が、極限状態で完全に覚醒を迎えていたのだ。
「バルザックを倒した時の『剛炎断』……。我が故郷の怨嗟の炎だけじゃない。アレン、貴方が私にくれた、この世界を繋ぎ止めるための力を……今、ここに込める!」
エルザの全身の魔力が、一瞬で大剣の刃へと収束していく。
その炎は、バルザックの操っていた黒い火とも、イグニスの操る覇王の業火とも異なる、どこまでも純粋で、どこまでも気高き、黄金色の『竜炎』であった。
「『竜炎剣術・二の型』――『剛炎断・連天』!!」
エルザが一歩を踏み込み、大剣を真っ直ぐに振り下ろした。
放たれたのは、大回廊の天井をも溶かすほどの、黄金の炎の暴風。
先頭を歩んでいた三頭の巨狼が、その圧倒的な威光の前に悲鳴を上げる暇すらなく、内側から爆破されるようにして光の塵へと変わっていく。
黄金の炎はそのまま大回廊を一直線に突き抜け、押し寄せていた数千の影の兵士たちを、その因縁ごと、根こそぎ焼き尽くしていった。
ズガガガガガガガガァンッッ!!!!
岩窟全体が激しく揺れ、崩落した岩石が敵の進路を完全に塞いでいく。
エルザは黄金の炎の残光の中、大剣を地面に突き立て、激しく肩で息をしていた。
彼女の美しい顔は返り血と煤で真っ黒に汚れていたが、その瞳からは、アレンを守り抜いたという強い誇りの涙が、静かに伝っていた。
「ハ、ハハ……見事だ、エルザ。竜炎剣術の技を、ここまで高めるとはな……」
イグニスが自嘲気味に、しかし誇らしげに笑い、その場にどさりと倒れ込んだ。
九日目の夜。
防衛線は文字通り満身創痍、全戦力が限界を迎えた状態で、エルザの覚醒の一撃によって、辛うじて繋ぎ止められた。
だが、儀式の完了である「十日目の夜」は、すぐ目の前まで迫っていた。
崩落した岩石の向こう側から、さらに悍ましい「本当の凶気」が近づいてくる気配を、バルドムの影の感覚が捉えていた――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十日目の夜。
儀式の最終局面を迎えた「竜の墓場」は、かつてない濃密な緊張感に包まれていた。
聖水の池の中心で、結晶石の祭壇に横たわるアレンの肉体は、まばゆいばかりの純白の光の繭に包まれている。
彼の右腕の炉心と体内の『白竜の心臓』は、九割九分までその術理を融和させていたが、最後の数パーセントの壁を前に、アレンの魂は未だ深淵の昏睡から目覚めずにいた。
そして、アレンの炉心から放たれる『無色』の波動が最高潮に達したその瞬間、世界の理を壊すほどの清浄な魔力の匂いに、大陸中の闇が呼応した。
バリ、バリバリバリッ!!!
大回廊を塞いでいた崩落の巨岩が、内側から噴き出した漆黒の触手によって、ガラス細工のように容易く粉砕された。
砂煙の向こう側から現れたのは、これまでの原生魔物や無秩序な影獣とは、次元の異なるプレッシャーを放つ「絶望の化身」だった。
深淵の闇が、アレンの覚醒を完全に阻止し、その白銀の肉体を強奪するために送り込んできた最高位の深淵の尖兵――『常夜の巨神』。
数十メートルに及ぶその巨体は、どろりとした黒みを帯びた闇の泥で形成され、その顔面にあたる部分には、底知れない濁った瞳がいくつも蠢いている。
巨神が放つ『精神汚染』の波動は、空間の空気を物理的にドス黒く濁らせ、ただそこに存在するだけで、周囲の岩肌を結晶ごと腐食させていった。
「嘘、でしょう……。あんなデカブツ、どう計算すれば倒せるっていうんだい……」
カイルが地面に両手をついたまま、乾いた笑いを漏らした。
彼の魔力残量は完全にゼロだった。
ハッキング術式を展開するどころか、指先を動かすことさえままならない。
「カイル、下がっていろ……!」
レイラがボロボロになった翼を無理やり羽ばたかせ、ヴァルキアスの魔導槍を構えて巨神の前に立ちはだかる。
だが、彼女の身体も闇の侵食によってすでに限界を迎えており、槍の先端から放たれるはずの高熱レーザーは、小さな火花を散らすだけで霧散してしまった。
「オラァッ!!」
ガロウが最後の気力を振り絞り、壊れた鋼鉄の左義手を強引に駆動させて巨神の足元へと突撃した。
しかし、魔導機関が完全に焼き付いた義手の拳は、巨神の闇の肉体に触れた瞬間、その絶対的な質量によって容易く弾き飛ばされ、ガロウの巨体は岩壁へと激しく叩きつけられた。
「ガロウ……ッ!」
エルザが駆け寄ろうとするが、彼女自身の足取りも、九日間の連戦による重傷と魔力枯渇によって、鉛のように重かった。
手首の鱗は鈍く煤け、大剣を握る両手は血と汗で滑り、満足に持ち上げることすらできない。
闇の奥に潜んでいたバルドムも、右脇腹の裂傷から大量の鮮血を流し、短剣『影縫』の柄を握ったまま、岩陰で壁を背にして静かに呼吸を整えるのが限界だった。
「クカカ……白竜に捨てられた哀れな人形のために、これほどの盾になるとはな。」
常夜の巨神の巨躯から、何者かの不気味な精神交信の声が響き渡った。
「だが、終わりだ。その白銀の肉体、私の新たな器として、深淵の底へ引きずり込んでくれる。」
巨神が巨大な闇の腕を持ち上げた。
その掌には、あらゆる魔法や物理攻撃を吸い込み無に還す『深淵の外套』の暗黒の渦が凝縮されている。
標的は、聖水の池の中心で眠る、無防備なアレン。
「やめ……て……ッ!」
エルザが叫び、自分の身体を盾にするようにしてアレンの前に躍り出ようとした。
だが、巨神の腕が振り下ろされる速度の方が、彼女の満身創痍の肉体よりも、圧倒的に速かった。
暗黒の渦が、聖水の池をドロドロの黒に染めながら、祭壇のアレンへと真っ直ぐに突き刺さる――。
――その、寸前だった。
ピキィン……。
岩窟全体の時間が、唐突に停止したかのような、絶対的な「静寂」が訪れた。
振り下ろされていた巨神の闇の腕が、祭壇の数センチ手前で、まるで空間そのものに凝固させられたかのように、完全に動きを止めたのだ。
ドクン。
それは、五百年の断絶を超え、世界の理を完全に書き換える、本物の『心臓』の拍動だった。
次の瞬間、祭壇を包んでいた純白の光の繭が、音もなく内側から「弾け飛んだ」。
溢れ出たのは、光であって光ではない、色彩の概念すら存在しない、純粋な空間のひずみ――白竜帝の真なる遺産、『無色(空間干渉)』の絶対領域。
「……死んでたまるかと言ったはずだ。」
低く、どこまでも冷徹で、静かな声が岩窟に響き渡った。
結晶石の祭壇の上に、ゆっくりと上体を起こし、立ち上がったのは、アレンだった。
彼の白銀の髪は、完全に融和を果たした『白竜の心臓』の魔力によって神聖な輝きを放ち、その血の赤眼の奥には、かつてすべての竜王を平伏させた白竜の『琥珀色の眼光』が、残影ではなく、絶対的な主権の輝きとして完璧に定着していた。
アレンの右腕の『白竜の聖鱗』は、もはや暴走の激痛を一切伴っていない。
人間の脆弱な器は、この十日間の地獄の儀式と仲間たちの血戦によって、心臓の質量を内包できる「器」へと、完全にアップデートを完了させていた。
「ア、レン……?」
エルザが、その圧倒的な神聖さに息を呑みながらも、確かに目覚めた相棒の姿に、その瞳から大粒の涙を溢れさせた。
「待たせたな、エルザ。……よく、守り抜いてくれた。」
アレンはエルザの痛々しい怪我、そして背後で倒れ伏しているガロウ、カイル、レイラ、バルドム、イグニスたちの満身創痍な姿を、その赤眼の奥に焼き付けた。
彼の纏う空気が、一瞬にして、絶対零度の冷徹さへと切り替わる。
「な、に……!? この、魔力は……。白竜の、真なる所有権だと……!?」
常夜の巨神が、初めてその蠢く瞳に、本物の「恐怖」を宿して戦慄した。
巨神の周囲を展開していた『精神汚染』の闇が、アレンの放つ無色の波動に触れただけで、現象そのものを否定されるようにして消滅していく。
「お前たちの王に伝えろ。」
アレンはゆっくりと右腕を掲げ、常夜の巨神に向けて、静かにその人差し指を突き付けた。
「俺からすべてを奪い、変えたそのツケは、必ずその首で支払わせる、と。」
呪文の詠唱も、魔法陣も、必要ない。
アレンの『無色』は、世界のすべての属性の相性を無視し、拒絶し、世界のルールそのものをこちら側から壊す力。
「――『ブレス(絶零の衝撃)』」
アレンが口を開くと同時に、光の束さえも置き去りにする、純粋な空間破壊の咆哮が放たれた。
それは現象の消滅。
火が燃える空間も、闇が蠢く影も、その存在を許すための「世界」そのものを、アレンは根こそぎ虚無へと還した。
ドオオオオオオオオッッ!!!!
一瞬だった。
数十メートルを誇った常夜の巨神の巨躯も、その背後に控えていた数千の影の兵士たちの群勢も、悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。
アレンの咆哮が通過した直線上の空間は、闇の煤一つ残さず、完全に、綺麗さっぱりと『消滅』した。
大回廊の奥の岩肌が、まるでスプーンでくり抜かれたかのように完璧な真円の空洞となり、遙か彼方の地底の闇まで見通せるほどの、圧倒的な破壊の爪痕だけが残された。
激しい戦いの後とは思えないほどの、絶対的な静寂が、再び「竜の墓場」を包み込む。
「ふぅ……。相変わらず、起きた瞬間の処理が容赦ないねぇ、アレン様。僕の計算式が、また最初から書き換えになっちゃったよ。」
カイルがやれやれと首を振るが、その口元には、確かな安堵の笑みが浮かんでいた。
「ハッ! 最高の目覚ましじゃねぇか。あいつを信じて、ここで盾になっていた甲斐があったってもんだぜ。」
ガロウが壊れた左腕をバンダナで強く縛り直しながら、我が子の成長を見るように、不敵にニヤリと笑った。
「アレン様……見事な覚醒だ。これならば、今なお閉ざされ続けているあの聖地の結界すらも、あるいは……。」
バルドムが暗闇の奥から静かに歩み出て、アレンに向けて深く頭を下げた。
影の監視者として、500年ぶりに主の力が正当に受け継がれたことを、確信した瞬間だった。
アレンは祭壇からゆっくりと歩みを進め、聖水の池を渡って、エルザの前に立った。
エルザは満身創痍で立ち尽くしていたが、大剣を握り直し、アレンの『血の赤眼』を真っ直ぐに見つめ返した。
「アレン……私の復讐は終わった。でも、この世界を狂わせている本当の元凶を叩くまで、私の『竜炎』は消えない。……約束通り、貴方の隣で、最期まで剣を振るわせて。」
「ああ。お前が折れない限り、俺はお前を置いていかない。」
アレンは白銀の髪を揺らし、エルザの差し出した手を、その右腕でしっかりと握りしめた。
ドラグニル帝国の焦熱の戦いは、ここに完全なる結着を迎えた。
正気に戻った紅蓮の竜王イグニス、そして第一師団長ヴァルキアス率いる最精鋭の軍勢を「最強の同盟国(盾)」として味方に引き入れたレジスタンス連合軍。
しかし、世界の歪みは、まだ始まったばかりだ。
アレンの右腕の炉心は、次なる遺産の波動――北部、嵐の竜王国「テンペスト」に眠る、次なる白竜の遺産の気配を、確かに検知していた。
そこには、アレンを世界を混乱に陥れる「不確定要素」と見なし、冷徹な合理主義で排除を目論む、嵐の竜王が待ち受けている。
「行くぞ、みんな。……次は、北の空だ。」
アレンは翻した純白の魔導衣の袖をなびかせ、遙か彼方の、次なる大舞台へと、迷いなくその最初の一歩を踏み出すのだった。
ドラグニル編完!
次回からは第二章に入る前のエピローグ、幕間エピソード等を投稿予定です。
息抜きに短編小説も投稿したので興味がある方は是非読んでいただけると嬉しいです!
最後まで第一章を読んでいただきありがとうございました♪感謝感謝でございます。
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