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③十日間の防衛儀式ー5

いよいよドラグニル編もクライマックスです。最後までお楽しみいただけたら幸いです!

 地底回廊の常闇を抜けた先。

そこは、ドラグニル帝国の最果てにして、数千年の歴史の中で命を散らした全ての竜神族、そして高位の竜たちの魂が還る絶対の静寂の領域

――「竜の墓場」であった。

 

 見上げるほどの高さを誇る巨大な岩窟の天井からは、何千本もの巨大な鍾乳石が牙のように突き出している。

壁面には、かつてこの地で最期を迎えた巨大な竜たちの白骨が、化石となって岩肌と一体化し、地脈から滲み出る微かな燐光によって淡く白銀色に浮かび上がっていた。

空気に満ちているのは、ドラグニル王宮の焦熱とは対極にある、肌を刺すような厳かで静謐な冷気。


「――ここが、祭壇の間だ。」

 案内役を務めていた第四師団長バルドムが、闇を裂くようにして足を止めた。

彼の黒い瞳が、岩窟の中心部を冷徹に見据える。

そこには、直径数十メートルに及ぶ、信じられないほど透き通った巨大な円形の池が鎮座していた。

地底の奥深くから湧き出ているその水は、ただの水ではない。

数千年の間、竜たちの魂の残滓と地脈の純粋な魔力が混ざり合い、結晶化の一歩手前まで高められた最高位の「聖水」であった。

水面からは、まるで朝霧のように純白の魔力霧が立ち上り、周囲の冷気と混ざり合って幻想的な光景を作り出している。

 そしてその聖水の池の中心に、年月の重みを感じさせる、巨大な結晶石で組まれた円柱状の「祭壇」が、ひっそりと佇んでいた。


「アレン……」

 エルザは、バルドムの腕からアレンの身体をゆっくりと引き継ぎ、自らの腕で強く、壊れ物を扱うように繊細に抱きかかえた。

意識を失ったアレンの身体は、驚くほど冷たくなっていた。

白銀の髪は生気を失ったようにエルザの腕から溢れ落ち、血の赤眼は固く閉じられたままだ。

衣服は自身の皮膚から噴き出した無色の魔力の爪痕によってボロボロに裂け、そこから覗く白銀の肌には、未だに赤い血の筋が痛々しく残っている。

胸の奥からは、人間のアレンとしての微弱な鼓動と、彼の肉体を内側から融解させようとする白竜の『心臓』の、地鳴りのような凄まじい脈動が、不揃いに反響し続けていた。


「エルザ。ここからはテメェの仕事だ。」

ガロウが鋼鉄の左義手をギチ、と不快な音を立てて軋ませ、鋭い黒狼の瞳を岩窟の入り口へと向けた。


「俺たちの不骨な魔力じゃ、聖水の清浄さを濁らせちまうらしいからな。ドラグニル伝統の純粋な『火(竜炎)』の適性を持つテメェだからこそ、あいつを祭壇まで運べる。」

「分かっているわ、ガロウ。」

「本当は竜王である私が一番適性があるだろうが‥。エルザよ、今はお前が行くべきだろう。」

レグニスがエルザの背に手を添えて、祭壇へと進むように促す。

エルザはアレンの頭を自らの胸元にしっかりと引き寄せ、一歩、聖水の池へと足を踏み出した。



チャプ、

と静かな水音が、静寂に満ちた祭壇の間に波紋となって広がっていった。


「っ……!」

 エルザの美しい顔が、そのあまりの「冷たさ」に一瞬だけ歪んだ。

地脈の純粋な魔力が凝縮された聖水は、常識を超えた絶対的な冷気を孕んでいた。

一歩進むごとに、水が足首から、脹脛、そして膝へと容赦なくせり上がってくる。

冷気は鋭い針のようになってエルザの皮膚を刺し、肉を凍らせ、骨の髄まで凍土に変えようと襲いかかってくる。


 しかし、エルザは歩みを止めなかった。

彼女の手首にある竜の鱗が、自身の心拍数の上昇に呼応して、鮮血のように赤く、激しく発光し始める。

感情の高ぶりによって、竜人族特有の鋭い八重歯が、冷気に耐えるために強く噛み締められた唇をかすかに傷つけ、赤い血が聖水へと一滴、静かに落ちて溶けた。


「アレン……私は、折れない。貴方が私のために道を切り開いてくれたように、今度は私が、貴方を守り抜く。」

水深はさらに深くなり、ついにエルザの腰の位置まで達した。

腰がつかるほどの聖水の圧倒的な質量と冷気が、衣服を濡らし、彼女の自由を奪おうとまとわりつく。

下半身の感覚はすでに消えかけていた。

だが、エルザの腕の力だけは、決して緩まなかった。

自らの胸元で昏睡するアレンの、その痛々しいほどに美しい白銀の横顔を見つめる。

 500年前、聖地で『レイン』と呼ばれ、神隠しに遭った優しい少年。

なぜこれほどに変貌してしまったのか、その真実は今も不可侵の結界の向こう側に隠されたままだ。

しかし、目の前にいるのは、誰が何と言おうと、自分の仇を討つために共に地獄を潜り抜けてくれた、最初の、そしてかけがえのない相棒だった。


「冷たいでしょう……。でも、もうすぐだからね。」

 エルザは自身の体内で燃え盛る『竜炎』の魔力を、抱きかかえたアレンの身体へと、自身の肌を通じて少しずつ、しかし絶やさずに流し込み続けた。

アレンの肉体がこれ以上の冷気に侵され、内側から崩壊してしまわないように、自らの命の炎で彼を温め続けたのだ。

 腰まで聖水に浸かりながら、水の抵抗を力ずくでねじ伏せ、エルザはついに池の中心に座する結晶石の祭壇へと辿り着いた。

エルザは最後の力を振り絞って聖水から這い上がり、祭壇の平らな結晶石の上へと膝を突いた。

そして、自らの腕の中で眠るアレンの身体を、最も神聖な結界が集中する祭壇の中心へと、優しく、静かに横たえた。

 

アレンの身体が結晶石に触れた、その瞬間だった。

 


ゴオオオオオオオッ!!!

 

 

 岩窟全体が、まるで巨大な生き物が目覚めたかのように、激しく鳴動し始めた。

アレンの右腕の炉心に宿る『白竜の炉心』と、先ほど同化したばかりの『白竜の心臓』が、祭壇の古代術式、そして周囲の清浄な聖水と完全にリンクしたのだ。

アレンの身体を中心に、視界を完全に遮るほどの、圧倒的な純白の魔力の柱が天井に向けて爆発的に立ち上った。

それは五大属性のいずれにも属さない、あまりにも神聖で、あまりにも強大な『無色』の輝き。

結晶石の祭壇から無数の光の鎖が伸び、アレンの四肢と胸元を優しく包み込んでいく。

 それは、人間の脆弱な器を内側から補強し、白竜の心臓の質量と炉心をじわじわと同調させていくための、十日間の「拡張術式」の始まりであった。




「……始まったか。」

 池の外側で待機していたカイルが、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、手元に展開した索敵魔法の数式を見つめた。

その数式が、狂ったような速度で真っ赤な警告ログへと書き換わっていく。


「みんな、僕の計算通り……いや、計算以上の最悪のデータが出たよ。アレンの体内から漏れ出した白竜の魔力の波動が、今、ドラグニル全土の地脈を伝って、外側へと遮るものなく垂れ流され始めた。」

 カイルの言葉が終わるよりも早く、最果ての岩窟の遥か彼方、入り口の向こう側の暗闇から、地を揺るがすような無数の、おぞましい咆哮が響き渡った。

 

グルルルル……、ギャあああああッッ!!!

 

 その声は、一つや二つではない。

数百、数万、あるいはそれ以上の、魔力の匂いに狂った原生の狂魔物たち、そして主(アレン)の真なる目覚めを恐れる深淵の闇の尖兵たちが、この「竜の墓場」を目指して地滑りのように押し寄せてくる音だった。


 エルザは聖水の池から再び這い上がり、ガロウたちの隣へと並んだ。

彼女の美しい顔からは先ほどまでの困惑は消え去り、手首の鱗は戦士としての烈火の輝きを取り戻していた。

大剣を引き抜き、その刃に『剛炎断』の炎を纏わせる。


「アレン。十日後、必ず生きて目覚めて。……それまで、貴方の指先一本、あの化け物どもには触れさせない!」

「御命の通り、影の防衛線を構築する。……一人も通すな。」

 第四師団長バルドムが二振りの暗殺刃『影縫』を引き抜くと同時に、彼の姿は再び岩窟の影へと完全に溶け込んでいった。

昏睡するアレンを巡る、十日間の地獄の総力防衛戦。

その戦いの火蓋が、今、最果ての地に切って落とされたのだった。


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