③十日間の防衛儀式ー4
地底回廊の後半戦、バルドムの言う「影の道」は、文字通り劣悪な環境だった。
天井からは時折、温泉を通り越して熱湯に近い温度の地下水が滴り落ち、赤茶けた石床に弾けては「ジュッ」と不気味な音を立てて蒸発している。
「あっちぃ! おい、今俺の耳の裏にジャストミートで熱湯が落ちてきたぞ! チャーシューになるわ!」
ガロウが飛び上がった。
「ガロウ、静かに!魔物や闇の尖兵に聞こえる。」
エルザが低い声で窘めるが、彼女自身も、皮鎧の隙間に侵入してくる硫黄の熱気に額を汗で濡らしている。
「エルザ、お前はいいよな、鎧があるし、竜人属だから熱湯くらいを弾けるだろ。俺のこのワイルドなノースリーブ仕様を見てみろ。地脈の熱気がダイレクトに皮膚を灼いてるんだよ。
おいカイル、お前のその結界術で、俺の周囲だけ涼しくできないのか?」
「? ガロウ、君はこの魔導障壁を何だと思っているんだい?」
カイルは歩きながら、端末の画面から目を離さずに冷淡に応じた。
「僕の展開している障壁は、高密度の魔力による物理・魔法攻撃の減衰フィールドだ。それを『熱気を通さない魔法の断熱材』として使うなんて、優秀な魔導師の演算能力に対する著しい冒涜だよ。
どうしてもと言うなら、君のその自慢の黒狼の毛皮をすべて剃り落とせば、少しは通気性が良くなるんじゃないかな?」
「二度と口を利くな、モヤシメガネ。竜の墓場に着く前に、お前のその分厚いレンズを叩き割ってやる。」
「おっと、暴力はいけないな。僕が倒れたら、アレンの炉心と心臓の同調率を測る人間がいなくなる。ほら、見てごらん。現在の白竜の炉心と心臓の出力比率は4:6。心臓の魔力が優勢だ。このままだと、あと一刻(約二時間)ほどでアレンの右腕から無色の魔力を帯びた炎が噴き出してしまうよ。」
「……マジで言ってる?」
ガロウの顔が引きつる。
「嘘だよ。ただ、精神的な緊張感を持ってもらいたくてね。」
「このクソガキがあああッ!」
「二人とも、いい加減にしろ!」
レイラの怒声が響く。
「アレン様を担保し、守りながら歩いているバルドム殿と竜王であるイグニス様が前方を警戒してくださっているのだぞ。私たち後衛がそんなに喧しいと、影の道の安全が脅かされるわ!」
前方を歩いていたイグニスが、重い足取りを止めずに振り返った。
「いや、レイラ。俺は構わんぞ。この若造たちのやかましいやり取りを聞いていると、500年前に聖地の食堂で、若い竜戦士たちが『肉の配分が不公平だ』と殴り合いの喧嘩をしていたのを思い出す。なんだか、少し若返った気分だ。」
「イグニス様……貴方は寛大すぎます。あいつらはただの緊張感のない馬鹿どもです。」
「お言葉ですが、」
カイルが眼鏡をクイと上げた。
「僕は緊張感の塊だよ。さっきから地脈の熱量変化をミリ秒単位で計算しているし、このルートの斜度が平均12度であることも把握している。つまり、もしガロウが転んだ場合、そのまま斜面を200メートルほど転がり落ち、最深部のマグマ溜まりにダイレクトインする確率が87.4%だということだ。」
「誰が転ぶか! 俺の足腰の強さを舐めるな!」
ガロウが足元を踏みしめた、その瞬間。
「――あ」
ズリッ。
赤茶けた石床に、地脈の油分(のような不気味な液体)が染み出していた。
ガロウの強靭な足腰は、その見事なトラップによって完全に裏切られ、彼の巨体が大きく宙を舞った。
「あ、危ないッ!」エルザが叫ぶ。
ガロウは空中での驚異的な身のこなしで、
「おっとっと!」と石床に着地したかと思われたが、地脈の油分にサイド足を滑らせてしまう。
「ブフォッ!?」というカエルの潰れたような声が闇に響く。
「……言わんこっちゃない。確率が100%に収束するところだったよ。」
カイルが呆れたように端末を操作する。
「ガロウ! 無事!?」
エルザが駆け寄る。
「お、おう……セーフだ。」
ガロウは床に大の字になったまま、何とも情けなく返答するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下回廊も終盤に差し掛かった頃
「金属音、だと? 」
エルザが大剣の柄に手をかける。
「おそらく。だが、通常の足音ではない。もっと重く、不揃いな……まるで、錆びついた鉄屑を地面に引きずっているような音だ。」
バルドムの姿が再び『夜帷』によって闇に溶けていく。
「カイル、敵との距離は!?」
ガロウが義手を構え直す。
「ええと、僕の簡易レーダーにはまだ映っていないね。地脈のノイズが酷すぎる。
……いや、待って。
今、極小の反応が……後方300メートル。急速に接近中。え? 何この移動速度、時速80キロ!? 車両か何かに乗ってるのかい!?」
「地下回廊を時速80キロで爆走してくるトカゲ野郎がどこにいる!」
ガロウが叫ぶ。
「いや、生体反応じゃない。これは……魔導人形の類か、あるいは――」
カイルの言葉が終わるより早く、彼らの進んできた一本道の奥から、不気味な赤黒い光が闇を切り裂いて迫ってきた。
それは、ドラグニル王宮の防衛機構の一部である『自走式滅竜鋸』――直径2メートルを超える巨大な回転鋸に、トゲ付きの車輪と魔導エンジンを括り付けた、かつてゾルディンが作成した悪趣味極まる自動兵器だった。
ギギギギギギギギギギッ!!!
石床を削り、火花を激しく散らしながら、その殺人回転鋸が猛スピードで一行に向かって直進してくる。
この狭い一本道では、左右に避けるスペースは皆無だ。
「おいおいおい! 何だあの悪趣味なピザカッターは!?」
ガロウが目を剥く。
「直撃すれば、僕たちの肉体は等しく厚さ5ミリの薄切り肉に加工されるね。ガロウ、義手で受け止められるかい?」
カイルが冷静に(しかし声は一段高くなって)叫ぶ。
「出来るわけねぇだろ! あれは受けるんじゃなくて、避けるか壊すかだ!」
「下がれ、若造ども!」
イグニスが前に出ようとするが、レイラがそれを制した。
「イグニス様は傷を休めていてください! ――ガロウ、カイルを連れて走れ! バルドム殿、アレンを!」
「了解!」
バルドムはアレンを影の衣で包み込み、文字通り壁を垂直に走り始めた。
竜族の身体能力と隠密術の合わせ技である。
「ちょ、ちょっと待って! 僕は走るのだけは本当に苦手なんだ! 50メートル走の自己ベストは9秒4――うわあああッ!?」
カイルの叫びは、ガロウが彼の襟首をガシッと掴んで犬のようにつまみ上げ、猛ダッシュを開始したことで遮られた。
「四の五の言うなモヤシ! 足を交互に高速で動かせ! 動かさねぇとケツが削れるぞ!」
「動かしてる! 動かしてるけど接地してないから空回りしてるよ! 燃料の無駄遣いだ!」
ギギギギギギギギギッ!!!
背後から迫る回転鋸の轟音が大きくなる。
エルザは大剣を逆手に構え、迫り来る鉄の怪物を見据えた。
「ハァァァァッ!」
彼女の手首の鱗が真紅に輝き、大剣に竜の魔力が収束していく。
彼女は逃げるのではなく、すれ違いざまにその回転軸を破壊するつもりだった。
だが、その時。
前方の闇から、もう一つの「音」が響いてきた。
「――おい、隠密野郎。前方からも何か来てるぞ。」
壁を走っていたバルドムが、急停止した。
「……む。前方の曲がり角の向こう側……地脈の熱流が引いた直後のエリアから、別の魔力反応だ。この波形は……王宮の『近衛兵』、生身の竜戦士たちだな。ゾルディンの手駒の残兵か……。挟み撃ちだな。」
「最悪のタイミングだね。あのクソトカゲめ!死んだ後も邪魔しやがって。おっとお口が悪くなったね。」
ガロウに引きずられているカイルが、逆さ吊りの状態で端末を見ながら言った。
「前方に竜戦士30、後方に時速80キロのピザカッター。生存確率は……うーん、計算したくないな。」
「計算しろよ、そこは!」
ガロウが足を止め、前方の闇へと『黒狼の咆哮』を向けた。
挟み撃ちの危機。
だが、この極限状態において、連合軍の面々の肝は据わりすぎていた。
「エルザ! 後ろのピザカッターは任せた! 前のトカゲどもは、俺とこの影薄暗殺野郎で片付ける!」
「……誰が影薄だ。君の頭の狼耳を根元から切り落としてやろうか。」
バルドムが毒づきながらも、一旦アレンをレイラに託して、双短剣を構える。
「ハッ、やってみやがれ! 行くぞッ!」
ガロウが前方の闇に向けて魔導榴弾を乱射し、バルドムが影を伝って電光石火の突撃を敢行する。
後方では、エルザの大剣が、迫り来る回転鋸の真っ芯へと叩きつけられ、凄まじい金属音と火花が地下空間を爆発させた。
「らあああぁぁぁッ!!」
エルザの一撃は、暴走する『自走式滅竜鋸』の前面装甲を真っ二つに叩き割った。
魔導エンジンが異常な高音を発し、内部の歯車が噛み合わなくなって、火花を撒き散らしながらその場に激しくのたうち回る。
「ガロウ! 後方は止めたわ! 前方は!?」
エルザが振り返りながら叫ぶ。
「こっちも大体片付いた! だけどな――」
ガロウの銃口の先、前方の曲がり角から突入してきた近衛兵たちは、バルドムの影縫いとガロウの爆風によって文字通り四散していた。
しかし、問題はその先だった。
近衛兵たちが現れた通路の奥は、床が完全に崩落しており、底の見えない巨大な『裂け目』となっていた。
「おい、道がねぇぞ! 完全に崩れてやがる!」
ガロウが崖の縁で急ブレーキをかけた。
引きずられていたカイルが床にごろごろと転がる。
「痛っ……。だから言ったじゃないか、地脈の交錯エリアは地形が不安定だって」
「バルドム殿、この先が『竜の墓場』へのルートじゃなかったのか?」
エルザが追いつき、崖の下を覗き込む。
そこには、遥か深くに青白い光の粒子が蛍のように漂う、広大な空間が広がっていた。
「そうだ。この裂け目の真下が、歴代の竜族の骸が眠る最果ての地……『竜の墓場』だ。」
バルドムが、アレンを影の衣に浮かべたまま崖の縁に立った。
「ってことは、何かい? ここから飛び降りろってか? 高さはどれくらいだ、カイル!」
ガロウが尋ねる。
カイルはメガネをかけ直し、端末を崖の下に向かって向けると、即座に顔を青ざめさせた。
「約150メートル。生身の人間が自由落下した場合、着地時の速度は時速約200キロ。肉体は完全にパテ状になって、床の骨の肥料になるね。竜族の頑丈な肉体なら骨折で済むかもしれないけど、君はどうするんだい。」
「だが、後ろから次の追手が来ているぞ。」
バルドムが冷静に指摘する。
通路の奥から、さらに多くの近衛兵の足音と、別の『滅竜鋸』の駆動音が響いてきていた。
「チッ、迷ってる暇はねぇな!」
ガロウがカイルの腰を再びガシッと掴んだ。
「ちょっと待って! 僕は翔べるけど!?ガロウ、まさか――」
「イグニス! エルザ! 隠密! レイラ!行くぞおおおッ!」
ガロウはカイルを小脇に抱え、迷うことなく150メートルの崖の下へと向かって、全力で踏み切った。
「うわあああああああァァァァッ!!だから僕は翔べるから離せぇぇぇぇ!!(強制終了)」
カイルの悲鳴が地下空洞に吸い込まれていく。
「ふふ、威勢のいい若造だ。」
イグニスが豪快に笑い、自らも巨体を躍らせて崖の下へと飛び降りる。
「ガロウ、本当に無茶苦茶ね……! でも、行くしかないわ!」
エルザも大剣を背中に固定し、覚悟を決めて跳躍した。
「……やれやれ。主の器を運ぶ身としては、もう少しエレガントな移動手段を選びたかったのだがね。」
バルドムもまた、アレンを影の障壁で完全に保護しながら、静かに闇の底へと身を投げた。
「これだから馬鹿どもは。はぁ…。」
最後にレイラが翼を広げて飛びおりた。
自由落下の最中、カイルの端末は「高度低下! 高度低下!」という警告音をけたたましく鳴らし続けていたが、ガロウはその風圧の中で大笑いしていた。
「おいモヤシ! 安心しろ! 着地の寸前に、俺の義手の魔力の『逆噴射』で減速してやる!」
「そんな高出力の魔導逆噴射を至近距離で浴びたら、僕の服が燃えて消えるよ! 露出狂として着地させる気かい!?僕は翼があるんだから君1人で着地しろ!」
「わっはは!いつもの澄まし顔はどうした?今までの借りの仕返しだ!服の一着や二着、命に比べりゃ安いもんだろ!」
青白い霊子の光が満ちる大空間――『竜の墓場』の床が、急速に迫ってくる。
無数の巨大な竜の骨が、まるで白い牙のように一行を迎え入れようとしていた。
ドォォォォン!!!
ガロウの予告通り、着地寸前に『黒狼の咆哮』から凄まじい火力が真下に向けて放たれ、その爆風(と、カイルの必死の防御障壁)によって、一行は激しい衝撃と共に、太古の竜の骨の山へと着地した。




