③奪還作戦ー4 百年の矜持と蹂躙
ーーレイラ、カイル視点
「クカカ……死に損ないの第二師団が墜ちたか。だが、竜神族の若造ども、貴様らの命運もここまでよ!」
第三師団長ゾルディンが、全身の機械義肢を不気味に駆動させ、不快な駆動音を回廊の石壁に反響させた。
彼の背後に鎮座する巨大な焦土兵器から、無数の魔導砲口が蛇の頭のようにもたげられ、展開していく。その砲口からは、すでに地脈の熱エネルギーが不気味な燐光となって漏れ出していた。
空気が熱で歪み、焦げ付いたオゾンの臭いが鼻を突く。
その横では、第一師団長ヴァルキアスが、光を収束させた超高熱の魔導槍を静かに構えていた。
白髪交じりの威厳ある髪が、回廊を吹き抜ける熱風に揺れる。
イグニスの本陣を守り、首都マグマリアの防空・空中要塞を管理する最精鋭の第一師団長。
500年もの間、白竜アルヴァの時代からこの国を支え続けてきた「軍神」の眼光は、一切の私情を挟まない冷徹な輝きを放っていた。
だが、その瞳の奥には、彼にしか分からない深い、深い泥のような疲弊が隠されているのを、かつての部下であるレイラは見逃さなかった。
かつては誇り高かった王イグニスが、深淵の闇に呑まれて変貌していく姿を、誰よりも近くで見続け、それでもなお、己を縛る五百年の忠誠という名の呪縛に抗えずにいる老兵の悲哀。
「軍律を乱し、王に牙を剥く反逆者よ。その翼、ここで叩き落としてくれる。」
ヴァルキアスの声は重く、低く、回廊の空気を物理的に震わせた。
それは宣告であった。
私情を殺し、ただ軍の最高壁として立ち塞がるという、哀しき武人の覚悟。
「おやおや、怖いねぇ。仕えた元上司たちに、ここまで本気で狙われるなんて、僕たちの人徳のなさが数字に出ちゃってるよ。」
カイルは眼鏡のブリッジを人差し指で静かに押し上げながら、いつもの軽薄な笑みを浮かべた。
表向きは出世欲のある天才魔術師。
だがその裏にあるのは、第三師団の最奥でゾルディンが進めていた「白竜の心臓を用いた焦土兵器開発」という非道な実験データを突き止め、世界が破壊される事を止めるためにすべてを投げ打った、冷徹な平和主義者の顔だ。
カイルの背後に展開された漆黒の竜の翼が、戦闘の歓喜ではなく、極限の集中によって鋭く研ぎ澄まされていく。
「カイル、私語はそこまでだ。……行くぞ!」
「了解だよ、大隊長殿。」
レイラが深紅の翼を爆発的に羽ばたかせた。
竜神族固有の絶対的能力
――『天翔』。
その至高の飛行速度が、空中回廊の重い空気を一瞬で切り裂いた。
ソニックブームが巻き起こり、石床の破片が背後で弾け飛ぶ。
人間の目では到底捉えきれない超神速の移動。
一瞬にして、レイラはヴァルキアスの頭上へと肉薄していた。
「小癪な!」
ヴァルキアスが反射速度すら超越した動きで魔導槍を突き出した。
光を極限まで収束させた超高熱のレーザーが、白光の軌跡を描いて放たれる。
その一撃は、かすっただけでも肉体を容易く蒸発させる威力を秘めていた。
レイラを確実に貫かんとする、容赦のない軍神の一突き。
だが、レイラは避けない。
避ければ、背後のカイルの詠唱空間を侵すことになる。
彼女の肌表面に薄く展開された、見えない魔力の鱗
――『竜鱗の加護』。
第一師団の最精鋭として、空中戦を無敗で切り抜けてきた彼女の誇りが、その防御膜に絶対の強度を与えていた。
最高位の攻撃魔法すらも自動的に完全遮断するその鱗が、超高熱のレーザーと激突する。
パチパチと空間が爆ぜるような火花が散り、熱線は霧散していった。
「これが、竜神族本来の『格』だ、ヴァルキアス様!」
レイラは空中で身を翻し、重力を無視した軌道で反転した。
竜神族の圧倒的な物理的怪力をその細い脚線に乗せた、苛烈な回し蹴りがヴァルキアスの顔面へ向けて放たれる。
しかし、ヴァルキアスは五百年を戦い抜いた軍神だ。
寸前で魔導槍の柄を盾にし、レイラの一撃を受け止める。
ベキィッ!!!
鈍い衝撃音が響き渡る。
ヴァルキアスの体躯が数メートル後方へと滑ったが、その足取りは微塵も乱れていない。
柄を通じて伝わるレイラの「本気」の重みに、ヴァルキアスの細められた瞳がかすかに見開かれた。
「レイラ……お前の剣戟、いや、お前の覚悟には、迷いがないな。かつて我が下で『女子供であれ灰にせよ』との命に、その瞳を曇らせていた小娘とは思えん。」
「あの時の私は死にました、ヴァルキアス様!」
レイラは着地と同時に、再び地面を蹴った。
「王の狂気に目を瞑り、無用な虐殺を『軍律』という言葉で正当化する。そんな悲しい背中を追うために、私は第一師団に入ったのではありません!」
「黙れぃ!」
ヴァルキアスの魔導槍が、光の乱舞となってレイラを襲う。
一撃一撃が必殺の威力を持ちながら、点と点を結ぶような精密な連続突き。
レイラは深紅の翼を盾にし、また時には『天翔』による微小な位置制動でそれを紙一重でかわしていく。
空中で火花が弾ける。
それは光と深紅の嵐だった。
レイラは理解していた。
ヴァルキアスを殺してはならない。
彼はイグニスへの絶対的忠誠に縛られているだけで、その魂まで闇に染まったわけではない。
彼を生かして捕縛し、この狂った軍のあり方を正すための証人にしなければならないのだ。
だが、「殺さずに制する」ことほど、このレベルの武人相手に困難なことはない。
わずかな手加減が、自分たちの死へと直結する。
「カイル! 計算はまだ終わらないのか!?」
レイラが防戦一方になりながらも、通信魔術を使わずに叫んだ。
「おっと、無茶を言わないでよ大隊長。相手はあの『軍神』と、趣味の悪い機械オタクのおじいさんだよ? 殺すだけなら一瞬の数式で済むけど、傷つけずに『システムだけをシャットダウン』するとなると、変数が多すぎるんだ。」
カイルはゾルディンの一斉砲撃を、紙一重のステップと、空間を歪める転移魔術の残像だけでいなしていた。
「クカカカ! 余裕をぶっこいていられるのも今のうちだ、カイル! 貴様、主席魔導参謀という大役を与えてやりながら、ワシの裏をかいてレジスタンスにデータを流していたな!?」
ゾルディンが狂ったように笑いながら、全身のギアを高速回転させた。
彼の背中の焦土兵器が、地脈から吸い上げたドス黒いマグマのような魔力を充填していく。
「お前のような若造が、ワシの何百年もの研究を、天才という薄っぺらい言葉一つで踏みにじる! 竜神族の血統がそんなに偉いか! 竜王も、ヴァルキアスも、そしてお前も! 生まれながらにして強大な魔力を持ち、ワシのような努力の天才を見下してきた!」
ゾルディンの言葉には、どす黒い「嫉妬」と「怨嗟」が混じっていた。
ゾルディンから闇の魔力が滲み出る。カイルはその魔力から全ての真相を悟った。
彼が深淵の闇を招き入れた元凶。
イグニスの精神を汚染し、この国を狂わせた引き金。その根底にあるのは、純粋な竜神族のエリートたちに対する、醜悪な劣等感だった。
「悲しいねぇ、ゾルディン師団長。」
カイルの眼鏡の奥の瞳から、一切の感情が消えた。
「君の機械技術は間違いなく天才のそれだった。だけど、その頭脳を『世界を溶かすおもちゃ』の製造に使い始めた時点で、君の計算式は破綻していたんだよ。僕が君のデータを盗んだのは、君への嫉妬でも蔑みでもない。ただの『環境保全』さ。これ以上、君に世界を汚されたら、僕の美しい数式が成り立たなくなる。」
「能書きを……垂れるなァッ!!」
ゾルディンが右腕の巨大な魔導大砲をカイルに突き付けた。
「これぞ白竜の『心臓』の出力を模した、疑似焦土砲! 灰にすら残さず、因果ごと消し去ってくれるわ!」
放たれたのは、暗黒の炎を纏った超高熱の魔導熱線。回廊の床が、その余波だけでドロドロの溶岩へと変えていく。
空間そのものが悲鳴を上げて焦げ付くほどの破壊の光。
――しかし。
爆煙の中から現れたカイルは、完全に無傷だった。
彼の周囲には、幾何学的な魔法陣の残像が立体的に浮遊し、展開されている。
カイルはただ静かに、右の人差し指をゾルディンに向けていた。
「言ったはずだよ。呪文の詠唱も、魔法陣も、今の僕たちには必要ない(ルールの外側)んだ。」
カイルの瞳が青く燃え上がる。
「――『属性王権』」
カイルが指先をパチン、と鳴らした。
その瞬間、ゾルディンの背後にそびえ立つ焦土兵器の内部で、異変が起きた。
「な、何だと……!? 焦土砲のエネルギーが……逆流している!? バカな、ワシが施したプロテクトを、一瞬で書き換えたというのか!?」
「君が地脈のエネルギーと呼んでいるものはね、元を正せばこの世界の『地』と『火』の属性魔力そのものなんだよ。そして、その属性の所有権は今、僕の手元にある。君の機械がどれだけ精緻でも、動かすエネルギーそのものが僕の命令に従うなら……ただの粗大ゴミだ。」
ズガガガガァァンッ!!!
内部からの連続大爆発。
ゾルディンが誇る最高傑作の焦土兵器が、自らのエネルギーによって内側から引きちぎられていく。
金属の破片が四方に飛び散り、機械の義肢が衝撃で火花を散らしながらねじ切れた。
「ぎゃああああああっっ!? ワシの、ワシの最高傑作がぁっ! 肉体がぁっ!」
ゾルディンは床に転がり、狂ったように叫んだ。
上半身の機械パーツの半分が吹き飛び、生身の皮膚が焼け焦げている。
だが、彼はまだ死んでいない。
闇の力が、彼のしぶとい生命力を無理やり繋ぎ止めていた。
「長く生きて、まだおもちゃを欲しがるなんて、計算が合わないんだよ、おじいさん。」
超神速。
カイルは一瞬で距離を詰めると、その生身の右腕をゾルディンの胸へと突き刺す――。
――いや、突き刺す直前で、その軌道を変えた。
カイルの手掌が、ゾルディンの胸の装甲を容易く剥ぎ取り、その奥にある「主要魔力回路のコア」へと触れる。
当初の予定なら、その内側にある生の心臓を掴み取るつもりだった。
だが、カイルの脳裏にはアレンの顔、そしてレイラの覚悟が過った。
ここでこいつを殺せば、イグニスの洗脳を解く手がかりが完全に失われる可能性がある。
「が、は……カ、イ……ル……殺せ……! ワシを、笑うなら、殺せぇ!」
「死なせるわけないだろう。君には、自分が犯した計算ミスのログを、すべて吐き出してもらう必要があるんだからね。」
カイルは指先から高密度の「魔力封印呪詛」を、ゾルディンの体内に直接流し込んだ。
ゾルディンの全身の機械義肢が完全に沈黙し、深淵の闇の魔力が強制的に霧散していく。
「あ、が……あ……」
ゾルディンは瞳の光を失い、完全に戦闘不能の状態で床へと崩れ落ちた。
カイルは手際よく、彼の残った四肢の関節を魔術の鎖で縛り上げ、回廊の壁際に転がした。
「まずは一匹、捕獲完了。……さて、大隊長の方はどうかな?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
上空では、さらに熾烈な戦いが繰り広げられていた。
ヴァルキアスの魔導槍が描く光の網が、レイラの深紅の翼をじわじわと追い詰めていく。
「どうした、レイラ! 貴様の正義とやらは、我が槍一枚を突破できんのか! その程度の覚悟で、王に仇なそうとしたのか!」
ヴァルキアスの叱咤は、まるでかつての教官のように厳しく、そしてどこか悲痛だった。
レイラは、ヴァルキアスがわざと自分を煽っていることに気づいていた。
彼は、自分が負けることで、この呪縛から解放されたいと願っているのではないか。
五百年もの忠誠という名の檻から、自分を連れ出してくれる「新しい世代の強さ」を求めているのではないか。
「分かっています、ヴァルキアス様……。貴方がどれだけ苦しんでいたか! 白竜アルヴァ様がいた頃の、優しく、誇り高かったドラグニルを取り戻したいのは、貴方も同じはずだ!」
「黙れと言っている!」
ヴァルキアスの槍が、光の波動となって放たれる。
回廊の天井が崩落し、巨大な岩が二人の間に降り注ぐ。
レイラはその岩石の破片を足場にし、上空へと『天翔』した。
「私は貴方を殺さない! 貴方の誇りも、その五百年の忠誠も、すべて私が背負って、イグニス王を正気に戻してみせる!」
「ならば、力で示せ!!」
ヴァルキアスが全魔力を魔導槍に収束させた。
彼の背後にある白い竜の翼が、眩いばかりの光を放つ。
それは彼の命の輝きそのものだった。
レイラは突撃した。
光のレーザーが彼女の右肩をかすめ、深紅の翼の一部を焼き切る。
激痛が走るが、レイラは速度を緩めない。
『竜鱗の加護』を前方に集中させ、一点突破の盾とする。
「おおおおおおおっ!」
交錯する二人。
レイラはヴァルキアスの槍の軌道を、自らの左腕の竜鱗で強引に弾き飛ばした。
金属が擦れ合う凄まじい火花が二人の顔を照らす。
そして、空中で身を翻したレイラは、ヴァルキアスの背後へと回り込んだ。
当初の作戦では、その圧倒的な怪力で彼の両翼を強引に掴み、背中から引きちぎるつもりだった。
肉を裂き、骨を砕き、完全に飛行能力を奪う。
それが確実な「処理」だと考えていたからだ。
だが、レイラの手は、ヴァルキアスの翼の根元にある「魔力神経の結節点」へと伸びた。
(引きちぎる必要はない……。この人の誇りである翼を、傷つける必要なんてない!)
「ヴァルキアス様、お眠りください!」
レイラは竜神族の怪力を、破壊ではなく「制圧」へと回した。
ヴァルキアスの両腕を背後からガッチリと極め、彼の巨体を完全にロックする。
そして、彼の首筋にある気絶のツボへと、魔力を込めた強烈な正拳突きを叩き込んだ。
ベキィッ!!!
鈍い衝撃音が、今度はヴァルキアスの肉体の内側で響いた。
骨折の音ではない。彼の体内を巡る膨大な魔力循環が、レイラの一撃によって完全に遮断された音だ。
「が、は……ッ……」
軍神と恐れられたヴァルキアスの眼光から、ついに力が抜けていく。
彼の持つ魔導槍が手から離れ、遥か下の床へと落ちて突き刺さった。
レイラはヴァルキアスの巨体を抱きかかえたまま、ゆっくりと回廊の床へと着地した。
ヴァルキアスは完全に意識を失っていたが、その表情は、この五百年で最も穏やかなものに見えた。
「ドラグニル軍第一師団長ヴァルキアス。……貴方の罪も、貴方の忠誠も、ここで一旦お預かりします。」
レイラはそっと彼を床に横たえ、カイルが作った魔術の鎖で、彼の魔力を完全に封印した。
「ふぅ……。相変わらず、怒らせると容赦がないねぇ、レイラは。まさかあの軍神を、傷一つつけずに気絶させるなんて、僕の計算にもなかったよ。」
カイルが、拘束したゾルディンをずるずると引きずりながら歩み寄ってきた。
彼の衣服は少し焦げていたが、眼鏡の奥の瞳は平然としたものだ。
「カイル、そっちは?」
「完璧さ。このおじいさんの魔力回路は完全にハッキングして、システムダウンさせた。闇の力も、今のところは沈黙しているよ。……これで、第一と第三のトップは同時に機能停止、かつ『生存』した状態での確保だ。」
レイラは自分の手を見つめた。
返り血は浴びていない。
だが、かつての上司を自分の手で倒したという重みが、その拳に確かに残っていた。
「確実な処理が必要だからな。……でも、今回は殺さずに済んで良かった。」
レイラはかすかに微笑み、すぐに厳しい表情に戻って前を見据えた。
「カイル、先へ行くぞ。アレンの元へ。」
「了解だよ、大隊長。ゾルディンを無力化したことで、イグニス王にかけられていたネロの洗脳も、間もなく限界を迎えるはずだ。紅蓮の間は、今頃大変なことになっているだろうね」
二人は振り返ることなく、気絶した二人の師団長をその場に残し、再び翼を広げた。
主戦場である「紅蓮の間」へと、彼らは一陣の風となって翔けていく。
狂った王宮の闇を払い、真のドラグニルを取り戻すための戦いは、ここからが本当の本番だった。




