③奪還作戦ー3 灰燼の絆、因縁の終止符
「死ねぇ! 死に損ないどもがァ!!」
第二師団長バルザックの狂叫とともに、赤茶けた回廊は一瞬にして地獄の火床と化した。
闇に汚染され、ドロドロとした黒みを帯びた烈火が、津波となってエルザとガロウへ押し寄せる。
人間や亜人なら、触れただけで一瞬にして骨まで消し炭になる超高熱の業火だ。
「ガロウ!」
「おうよ! テメェは前だけ見てやがれ、エルザ!」
ガロウが叫ぶと同時に、その鋼鉄の左義手が鋭く駆動した。内蔵された魔導機関が激しく火花を散らし、義手の表面に地脈の防御結界を展開する。
ガロウは身の丈を超えるエルザの前に躊躇なく躍り出ると、その鋼鉄の拳を地面へと叩きつけた。
「オラァッ!!」
轟音とともに爆炎の波が真っ二つに割れる。
だが、バルザックの狂気はそれだけでは終わらない。炎の隙間を縫うように、バルザックの巨躯が容赦なく肉薄していた。
すべてを灰にする大剣が、ガロウの死角――エルザの右側方から、肉を削ぎ落とさんと鋭い軌跡を描いて強襲する。
「甘いぞ、バルザック!」
エルザの【竜の目】が縦スリットに鋭く裂け、手首の鱗が怒りで鮮血のように赤く発光した。
鍛え上げられたしなやかな肉体を極限までしならせ、体を翻す。
バルザックの放った炎の斬撃がエルザの美しい頬をかすめ、生々しく肉を裂いて鮮血を噴き出させたが、彼女はその激痛に眉一つ動かさない。
エルザは深く息を吸い込み、一瞬で心拍数を極限まで跳ね上げた。
「――ガロウッ!!」
「任せろぉッ!」
バルザックがエルザの首を撥ねんと大剣を返した瞬間、ガロウがその巨体に似合わぬ神速で回り込み、鋼鉄の義手でバルザックの右腕を強引に掴み取った。
きしむ骨の音。
ガロウの全盛期、三十五歳の怪力がバルザックの動きを完全に封じ込める。
「な、離せ、この下等な犬がぁっ!」
「犬だと? 数年前、俺の故郷と左腕を奪った時から、俺はこの瞬間のためだけに牙を研いできたんだよ……! エルザ、行けぇッ!!」
ガロウはバルザックの腕を掴んだまま、己の義手を強引に爆発させ、バルザックの右腕の肉を骨ごと引きちぎった。
肉が裂け、どす黒い竜の血が回廊の壁に派手にぶちまけられる。
バルザックが凄絶な悲鳴を上げた。
「が、ああああああああっっ!! 俺の、俺の腕がぁっ!!」
その血飛沫を浴びながら、エルザが跳躍した。
大剣を頭上高くに構え、その全身の魔力を一瞬で刃へと収束させる。
「これで、終わりだ。バルザック……! 我が故郷の怨嗟の炎、その身で受けろ!」
エルザの全魔力を込めた一撃が、完璧な正中線を捉えた。
「『竜炎剣術・一ノ型』――『剛炎断』!!」
閃光が走る。
炎を纏った大剣による絶対的な衝撃が、バルザックの重厚な甲冑ごと、その肉体を内側から爆破した。
内臓が破裂する凄まじい音が響き、バルザックの身体は頭頭から股下まで、真っ二つに裂け散った。
大量の臓物と、どろりとした黒い血が、赤茶けた床一面を赤黒く染め上げていく。
大剣を地面に突き立て、激しく肩で息をするエルザ。
その美しい顔は返り血で真っ赤に汚れていたが、その瞳からは、数年間の呪縛から解き放たれたような、静かな涙が伝っていた。
「……やったな、エルザ。殺された故郷の奴らもあの世で腰を抜かしてやがるさ。」
ガロウが血に濡れた義手を静かに下ろし、我が子の成長を称えるように、顔の右半分だけで不敵にニヤリと笑った。
「が、ふ、あ……ぁ、ああ……ッ!!」
真っ二つになったはずの頭部から、歪んだ声が漏れる。
床に広がっていたドロドロとした黒い血が、重力に逆らうように触手となって立ち上がり、引き裂かれた肉と臓物を無理やり繋ぎ合わせ始めた。
それは再生というにはあまりにも悍ましく、死体を強引に縫い合わせるような「闇の術理」だった。
しかし、その術理が完成する前に、バルザックの巨躯からピキピキとガラスが割れるような音が響く。
肉体を縛っていたどす黒い魔力が、内側から弾け飛んだのだ。
「……ガ、ハッ……!」
同時に、バルザックの瞳から狂気の赤光が綺麗に消え失せた。
どろりとした黒い血が、鮮やかな赤い人間の血へと変わっていく。
繋ぎ合わされた肉体はもはや崩壊寸前で、立つことすらままならない瀕死の状態だったが、その顔からは先ほどまでの凶行が嘘のように、深い苦悶と静けさが漂っていた。
「バ、ルザック……?」
エルザが大剣を構えたまま、困惑に目を見開く。
「フゥー……、フゥー……。……そうか。俺は、己の野心ごと、あの影に呑まれていたか……」
息を吸うたびに、裂けた胸条から血の泡が漏れる。
バルザックは残された左手で自身の顔を覆い、自嘲気味に笑った。
その声には、かつて第二師団長として恐れられた威厳と、一人の人間としての理性が戻っていた。
「バルザック……テメェ、正気に戻りやがったのか。」
ガロウが壊れた義手を庇いながら、苦々しく歩み寄る。
バルザックはその濁り始めた目を、かつて自分が左腕を奪った男へと向けた。
「ガロウ、か……。その腕の怨念、確かに受け取った。……エルザと言ったな。我が剣を真っ向から破るか。見事な……『竜炎』だ……」
ゴホリと大量の鮮血を吐き出しながらも、バルザックの視線はエルザの手首にある赤く光る鱗へと注がれていた。
「バルザック、あなたに聞きたいことがあるわ! 私たちの故郷を滅ぼし、あなたをそんな姿に変えた『闇』の正体は何なの!?」
エルザの悲痛な問いに、バルザックは力なく首を振った。彼の足元から、肉体が灰となってサラサラと崩れ始めている。
洗脳の術理が解けたことで、限界を迎えていた肉体の崩壊が始まったのだ。
「時間が、ない……。聴け、エルザ、ガロウ……。俺を操っていたのは、竜王様から滲み出た狂気の闇が原因だ。……あの闇に触れるだけで自分の中の理性がが負の感情に押しつぶされた。」
「……!?」
「急げ……。竜王を……イグニス様を助けなくては。」
そこまで言うと、バルザックが激しく咳き込んだ。
すでに下半身は完全に灰となり、回廊の風に溶けて消えている。
「……すまなかった、な……。誇り高き、我が……同胞……たちよ……。」
最期にそう小さく呟いたバルザックの表情は、どこか救われたようでもあった。
そのまま彼の肉体は完全に光の塵となって霧散し、赤茶けた床には、彼が愛用していた大剣の破片だけが虚しく転がっていた。
激しい戦いの後とは思えないほどの、静寂が回廊を包み込む。
「バルザック……」
エルザは大剣を下げ、彼が消えた空間を見つめた。憎むべき仇だった男の、あまりにも呆気なく、そして悲しい最期。
「……逝っちまったか。だが、最後の言葉は本物だ。エルザ、感傷に浸ってる暇はねぇぞ。」
ガロウが壊れた左腕をバンダナで胴体に強く固定しながら、城の奥を見据えた。
バルザックが消えたのと同時に、城の最深部から地響きのような不気味な「鼓動」が鳴り響き始めている。
地脈が鳴いているのだ。
「ええ、分かっているわ。バルザックの魂も、私たちの故郷も……全てを狂わせた元凶を叩く。アレンの元へ!」
エルザは頬の返り血を強く拭い、大剣を握り直した。
二人はバルザックが遺した警告を胸に、さらに深い闇が渦巻く城の最深部へと、迷いなく一歩を踏み出した。




