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追憶編③「牙を研ぐ日々、そして旅立ちの朝」

 それからの数年間、エルザはドラグニル辺境の騎士団で、ラグナルの元で地獄のような修行の日々を送ることとなった。

ラグナルの指導は、ガロウの生存訓練よりもさらに緻密で、過酷だった。

 毎朝、日の出とともに起き、地脈の熱エネルギーが最も安定する時間帯に、魔力の制御訓練を行う。

自身の「火」の魔力適性を、ただ爆発させるのではなく、剣の刃という極めて狭い空間へと「収束」させる訓練だ。

最初は魔力の密度に耐えかねて剣が爆発し、エルザ自身が吹き飛ばされることも日常茶飯事だったが、彼女は決して諦めなかった。


「エルザ、息を深く吸い、心拍数を一瞬で極限まで跳ね上げろ。だが、頭の中は常に冷徹な氷であれ。感情に流された一撃は、ただの鈍器だ。完璧な軌跡を描け。」

ラグナルの厳しい声が、毎日のように砦の訓練場に響き渡る。

日々エルザの身体は、成長とともにしなやかで強靭な、本物の戦士のそれへと変貌していった。

頭部の一対の竜の角は、気高く、鋭く天を突き、感情が高ぶったときにだけ覗く八重歯や鱗は、彼女の戦士としての格を証明していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 地獄の修行を経て、エルザはドラグニル辺境騎士団の一隊を率いる立派な将へと成長していた。

しかし、運命の歯車はあまりにも残酷な形で回り出す。

国境付近の警戒任務中、突如として辺りを包んだのは、かつてエルザのすべてを奪ったあの禍々しい魔力――仇敵、バルザックの軍勢だった。


「見つけたぞ、反逆者どもの生き残りが……。」

冷酷な笑みを浮かべるバルザックの圧倒的なプレッシャーに、若い団員たちが恐怖で身をすくませる。

エルザの胸中に激しい怒りと憎悪が燃え上がった。

ラグナルの「頭の中は常に冷徹な氷であれ」という教えが脳裏をよぎるが、バルザックの手から放たれた容赦のない破壊の光弾が、動けない部下へと迫る。


「危ない――っ!」

身体が勝手に動いていた。

エルザは部下の前に飛び込むと、大剣に魔力を収束させて盾とする。

しかし、激しい爆発とともに剣は砕け散り、バルザックの凶刃がエルザの肉体を深く切り裂いた。

大量の鮮血が舞い、彼女の誇り高き竜の鱗が引き剥がされる。


「くっ……総員、撤退……! 急げっ!」

重傷を負いながらも、エルザは残った魔力を暴走させて目眩ましの炎を放ち、辛うじて部下たちを連れて戦場を離脱する。

意識が遠のく中、エルザが辿り着いたのは、住み慣れたドラグニルの集落だった。


「エルザ! しっかりしろ!」

駆け寄るラグナルや仲間たちの悲痛な叫び声を聞きながら、彼女の意識は深い闇へと落ちていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 集落の砦の一室。

満身創痍のエルザは、高熱の波に呑まれながらベッドで喘いでいた。

バルザックに刻まれた傷口からは、治癒を拒むような禍々しい闇の魔力が燻り、彼女の命を削り続けている。


「……バル、ザック……!」

うわ言で仇の名を呟き、エルザの身体がびくりと跳ねる。

感情の高ぶりに応じるように、頬の鱗が赤黒く染まり、その肌からは触れれば火傷しそうなほどの熱が放たれていた。

暴走しかけている魔力を抑え込んでいるのは、彼女の額に当てられた、冷たい魔力を帯びた濡れタオルだ。


「……馬鹿者が。あれほど頭は氷であれと言ったはずだ。」

不機嫌そうな、だがどこか沈痛な声を漏らしながら、ラグナルは新しいタオルを冷水に浸し、絞った。

その無骨な手は、剣を握る時とは比べものにならないほど静かに、エルザの額の角を避けてタオルを置き換える。

彼は何日も不眠不休で、エルザの傷口から溢れる闇の魔力を自身の魔力で相殺し、抑え込み続けていた。


「お前が死ねば、俺のこれまでの苦労が水の泡だ。……生きろ、エルザ。」

その声は、昏睡するエルザの精神の深淵へと届いていた。



 エルザは闇の中にいた。

目の前には、燃え盛る故郷と、せせら笑うバルザックの幻影がある。

激しい憎悪が彼女を突き動かし、バルザックへ飛びかかろうとするが、その足元はドロドロとした黒い泥に捕らえられて動けない。


(殺す……あいつだけは、私の手で……!)

怒りに任せて魔力を爆発させようとした瞬間、脳裏にラグナルの言葉が響いた。


『感情に流された一撃は、ただの鈍器だ』


ハッとして、エルザは己の内面を見つめ直す。

これまでの自分は、ただバルザックへの「憎しみ」だけで動いていた。

それではあの男の闇に呑まれるだけだ。

私が本当に守りたかったのは何だ? 復讐の先にあるものは何だ?


(私が戦うのは……もう、誰も失わないためだ。ラグナルや、あの時救えた部下たちを、守り抜くために……!)

憎悪の炎が消えたわけではない。

だが、それは冷徹な決意という名の「器」に収束され、純粋な闘志へと昇華していく。

暴走していた「火」の魔力が、エルザの意思によって極限まで「収束」され、白く輝く純粋な炎へと変わった。

その炎が、肉体を蝕んでいたバルザックの闇を内側から焼き尽くしていく。


「……あ……」

 エルザの目から、すっと涙がこぼれ落ちた。

同時に、荒かった呼吸が劇的に穏やかになっていく。それを見たラグナルは、驚きに目を見張った。

彼女の体内から禍々しい気配が消え、代わりに信じられないほど濃密で、洗練された魔力の鼓動が刻まれ始めたからだ。

ゆっくりと開かれたエルザの瞳は、以前よりも深く、静かな光を宿していた。


「……ラグ、ナル……」

「……気がついたか、大馬鹿者が。」

 ラグナルはふっと息を吐き、これまでにないほど穏やかな、だが確かな信頼を込めた笑みを浮かべた。

生死の境を越え、エルザはただの復讐者から、真の騎士としての第一歩を踏み出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 傷が完全に癒え、その身に宿る魔力が以前よりも深く静かに澄み渡った頃、エルザは旅立ちの決意を固めていた。

バルザックが狙うのは、この辺境だけではない。

いずれドラグニル全土、そして首都をも巻き込む戦火が訪れる。

それを止めるためには、辺境の一騎士団の枠を超え、国の中心へと向かう必要があった。

何より、あの男の動向を掴み、対抗する力を蓄えるには、多くの情報と強者が集まる首都へ行くしかなかった。

出発の朝、砦の門前には、エルザが命を賭して庇った部下たちをはじめ、多くの辺境騎士団員が集まっていた。


「エルザ隊長……! 必ず、ご無事で!」

「俺たち、もっと強くなって、いつか隊長を支えられるようになりますから!」

口々に叫ぶ部下たちの瞳に、かつての怯えはない。

エルザの背中を見て、彼らもまた戦士として前を向いていた。

エルザは彼ら一人ひとりの目を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。


「ああ、期待している。留守の間、この地を頼んだぞ。」

 そしてエルザは、一歩後ろで腕を組んで佇むラグナルの前へと歩み進めた。

数年間、地獄のような修行で自分を鍛え上げ、生死の境では不眠不休で命を繋ぎ止めてくれた、不器用な師。


「ラグナル。これまで育ててくれて、本当にありがとう。……行ってきます。」

 エルザが深く頭を下げると、ラグナルは鼻で小さく笑い、彼女の頭部から突き出る気高き竜の角を、無骨な手で無造作に小突いた。


「挨拶など求めていない。言ったはずだ、お前が死ねば俺の苦労が水の泡だとな。首都にはここ以上の怪物がいくらでもいる。頭は常に冷徹な氷であれ、その教えを忘れるな。」

「……はい!」

 ラグナルはふっと表情を和らげると、外套の内側から、漆黒の剛大剣『竜殺し(ドラゴンスレイヤー)』を取り出し、エルザに手渡した。


「俺の若い頃の私物だ。……お前の『火』を、存分に研ぎ澄ましてこい。」

「これは……。大切に使います。」

大剣をしっかりと腰に帯び、エルザはついに振り返ることなく歩き出した。


 

 朝日が、彼女のしなやかな背中と、鋭く天を突く竜の角を黄金色に照らし出す。

目指すはドラグニルの首都。新たな出会い、そして仇敵バルザックとの再戦へ向けて、エルザの本当の戦いがここから始まるのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ドラグニル辺境の白砂混じりの荒野を越え、峻険な山々をいくつか越えた先。

五大国が互いを鋭く監視し合う国境線の「隙間」に、その巨大な都市は存在していた。


交易都市「リガルド」。


 どの竜王の絶対秩序も届かない、完全なる中立地帯。それゆえに法よりも力が、血統よりも金がモノを言う、欲望と活気に満ちた混沌のるつボ(坩堝)だ。


「ここが、リガルド……」

 旅の外套のフードを深く被り、エルザは眼下に広がる街並みを見下ろした。

さまざまな建築様式が歪に入り混じった高層の建物、ひしめき合う露店、そして行き交う人々の多様さに圧倒される。

ドラグニルの人間や竜人族だけでなく、他国の亜人、魔族、果ては素性を隠した流れの傭兵までが、怪しげな熱気を放ちながら闊歩していた。

 首都へと向かうには、この街を通過するのが最も確実で、同時に最も危険なルートだった。

しかし、ここには世界中の情報が集まる。

バルザックの動向や、彼が所属する勢力の正体を掴むには、うってつけの場所でもあった。

エルザは背中に帯びた大剣にそっと触れ、気を引き締める。

フードの隙間から覗く一対の竜の角を隠すように深く被り直し、彼女はリガルドの巨大な城門へと足を踏み入れた。



 城門をくぐった瞬間、喧騒と様々な種族の匂いがエルザの五感を刺す。


「おい、そこのネーちゃん、見慣れない顔だな?」

「いい獲物(武器)を持ってるじゃねえか、裏路地で少し話さないか?」

 中立地帯の洗礼と言わんばかりに、品定めするような刺々しい視線がいくつもエルザに突き刺さる。

だが、生死の境を越えたエルザの心は、ラグナルの教え通り「冷徹な氷」のままだった。

彼女は一瞥もくれず、情報が集まるであろう酒場、あるいは宿へと向かって歩き出す。

このリガルドで、エルザは首都への手がかりと、バルザックの影を追うこととなる。

フードを深く被り、リガルドの喧騒へと足を踏み入れたエルザは、バルザックの情報を得るべく、まずは人の集まる中央広場へと向かっていた。

しかし、中立地帯の治安の悪さは彼女の予想を超えていた。

あるいは、運命の神が彼女を嘲笑ったのか。

広場に差し掛かった瞬間、エルザの鋭い五感が、最も嗅ぎたくない「焦げ付いた鉄と血の臭い」を察知する。


「――見つけたぞ、出来損ないの竜人族の生き残りが!」

人混みを割り、現れたのは不気味な黒と赤の鎧。

それは、かつてエルザのすべてを奪い、数日前にも辺境で激突した仇敵・バルザックが率いる、烈火の竜王国「ドラグニル」の先行部隊だった。

バルザック本人の姿こそないが、彼らは中立地帯の法を無視し、エルザの首を狙ってすでにリガルドへ潜入していたのだ。


「しまっ……!?」

 先の戦闘での重傷は、精神の覚醒によって最悪の危機こそ脱したものの、肉体はまだ完全に癒えてはいなかった。

過酷な山越えの疲労も重なり、エルザの身体は万全とは程遠い。


「囲め! 逃がすな!」

瞬く間に周囲を重装兵たちに塞がれる。

エルザは背負っていた身の丈ほどもある大剣を強引に引き抜き、限界に近い身体に無理やり魔力を巡らせた。


「はあああっ!」

乾坤一擲の一撃を放つが、ラグナルとの特訓で培ったはずの「魔力の収束」が、傷の激痛と焦り、そして敵への憎悪で乱れる。

頭を氷にせよという教えを意識しても、目の前の赤黒い鎧が、燃え盛る故郷の記憶を呼び覚まし、心の平穏を乱していく。

重装兵たちの連携は緻密だった。

一人が大剣を受け流し、死角から別の盾がエルザの脇腹を容赦なく強打する。


「ぐっ……あ……!」

衝撃で大剣が手から滑り落ち、石畳を虚しく転がった。全身の傷口が開き、鮮血が飛び散る。

膝をついたエルザの髪を、一人の兵士が乱暴に掴み上げ、その顔を強引に引きずり起こした。


「往き生えの竜人族め。大人しく投降しろ。お前たち生き残りの処遇は、我が主イグニス様の思し召しのままだ。」

悔しさと、己の未熟さへの絶望。

ここでまた、私は何も守れずに終わるのか。

引き裂かれそうな痛みに耐え、エルザが憎悪に満ちた瞳で兵士を睨みつけた、その時――。


「おい、そこまでにしておけ。」


 野次馬の群れを割って、低く、だが驚くほどよく通る少年の声が、ピリついた広場に響き渡ったのだった。

 これがのちに白竜帝の後継者となる青年アレンと運命の出会いであった。

エルザのバルザックとの遭遇率半端なくない⁈

と思う方もいるかと思いますが、わざとです。


ここまで読んでいただきありがとうございます♪

エルザ追憶編は、ここで終わりです。

本編の続きも執筆中のため投稿をお待ちいただけたら幸いです。ついでにコメント、感想、評価もお待ちしております♪

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